八ツ房スギ

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八ツ房スギ。2023年5月10日撮影。

八ツ房スギやつふさスギは、奈良県宇陀市菟田野佐倉にある国の天然記念物に指定された珍奇な樹形[1]をもつスギの老樹である[2][3][4]

スギは名前の由来を真直ぐの木「直木」や、上へ進み上る「進木ススギ」から来ているとも言われ、通常は真っ直ぐ真上に伸びる直幹であるが、八ツ房スギは数本の巨幹同士が癒着しながら屈曲して成長した奇異なもので、通常のスギとは著しく樹形が異なり、実際に国の天然記念物に指定された理由も、現地調査を行った植物学者の三好学により「数株の杉の密接して奇異の発生を遂げたるものにして学術上有益なるものなり。」とされた報告によるもので[5]、1932年(昭和7年)4月25日に国の天然記念物に指定された[2][1][6][7]

樹種別に見た国の天然記念物に指定された植物のうち、スギは最も多い48物件を数え東北地方から九州地方まで広い範囲に指定物件が存在するが、近畿地方に所在する国の天然記念物に指定されたスギは本樹のみである[† 1]

解説[編集]

八ツ房スギの位置(奈良県内)
八ツ房スギ
八ツ房スギ
奈良市
奈良市
八ツ房スギの位置

八ツ房スギは奈良県中東部の宇陀市菟田野うたの佐倉地区に鎮座する桜実さくらみ神社の境内、神社社殿背後に隣接する小高い山腹に生育している[3][4]。この境内の所在する小山は別名「高かき」と呼ばれるところで、古事記の「宇陀うだ高城たかぎ鴫罠しぎわな張る…」の伝説の比定地とされる場所であり[1][6][7][8][9]、八房杉には神武東征にまつわる次のような伝説が残されている。

兄猾、罪を天に獲たれば、すなわち、自機を踏みて、おそわれ死ぬ。
弟猾、大きに牛酒をもうけて、皇師をねぎらい饗す。
(兄猾は天をあざむいたので、自らの仕掛けに落ち死んだ。弟猾は、天皇の軍を酒宴でもてなした。東制軍がこの杉で休憩したという。)訳:佐藤寛『神武天皇東征伝説地を往く 八房杉[10]

この場所は2006年(平成18年)に周辺町村と合併し宇陀市となるまでは宇陀郡菟田野町佐倉であった場所で、地理的には淀川水系木津川支流の最上流部の淀川6次支流、佐倉川の源流部付近にあたる。佐倉地区は旧菟田野町の最南端、南側に隣接する吉野郡東吉野村との境界にある佐倉峠の北側、国道166号を西側へ500メートルほど入った標高450メートル付近に八ツ房スギは生育している[11]

八ツ房スギ。三好のナンバリングによる6号樹。水平からやや下方に伸びた後に直立している。2023年5月10日撮影。

八房とは8本のから成るという意味であるが[12]、実際には大小6株のスギの幹の根元が互いに癒着したものと考えられている[1][13]。これらの巨幹は屈曲した臥龍状をなす複雑な樹形をしており[14]、幹の上部が曲がったもの、斜め上方へ伸びるもの、逆に斜面に沿って下方へ伸びるもの、水平に伸びた先で上方に立ち上がるもの、また樹皮の一部が赤褐色を帯びており通常のスギの樹肌とは異なっている[1][7]

天然記念物の指定に先立つ現地調査は1931年(昭和6年)11月10日に植物学者の三好学によって行われ、各株の樹形や大きさが測定された。1つの株が分岐したように見える八ツ房のスギは三好によって大小6株が密生癒着したものと推定された[15]。この調査時の各株の諸元は次のとおり。なお、三好により1号から6号まで番号が割り振られている。

1号樹
最も太い株をもち北側にある[16]。根元の幹囲は約8.4メートルで地上約1メートルのところで東西2つの幹に分岐する。分岐部の幹囲は約7メートル、東側支幹の分岐部の周囲は約3.2メートル、西側支幹の分岐部の周囲は約4.9メートルで、この株の南側地上高約1.6メートル付近から大きな枝が出ていて第2号樹の幹に癒着している[17]
2号樹
1号樹の南側にあり、根元の幹囲は約3メートル。1号樹の根元から生じておりこの株は直立し、前述したように1号樹の横枝と癒着している[17]
3号樹
2号樹の南南東側にあり、根元の幹囲は約3メートル。2号樹の根元より生じ、この株も直立している[17]
4号樹
1号樹の根元から約1.2メートル離れた場所から生じている。根元の幹囲は約3.2メートル。この4号樹は斜めに伸びており、地上約90センチメートルのところで上向きに転じ、南北2つの支幹に分岐する。南側支幹の分岐部の周囲は約1.7メートル、北側支幹の周囲は約2.3メートル。北側の支幹にはフジが巻き付き、さらに北方では枯死したヒノキに接している[17]
5号樹
最も小さな株で1号樹の東側にあり、根元の幹囲は約1.2メートル。他の5株と比較して樹齢も若いと推定される[5]
6号樹
1号樹の北北東側にあり、根元の幹囲は約4.2メートル。根元から斜めに伸びて地上1メートルのところで2つの支幹に分かれ、そのうちの1幹は東側に向かって、ほとんど水平に伸び、その先で斜面に沿って下り、長さは6.5メートルに達して、そこから上方へ枝を伸ばしている。もう一つの支幹は前者の西側にあって、東北東斜め上方に伸び、その後直立している[5]

以上6株の全周囲は約13.5メートルに達しており、樹高は約20メートルである[1][6]。これらの幹のうち中央の幹は1979年(昭和54年)の台風により倒伏したものの樹勢は旺盛である[1]

八ツ房スギを支える複数のワイヤーとコンクリート製アンカーブロック。2023年5月10日撮影。

八ツ房スギのある桜実神社は地元の菟田野佐倉に住む約50世帯ほどの氏子により守られており、神社の改修や維持費などは氏子らが負担して出し合っているが、八ツ房スギは老樹であることに加え大きな枝が垂れ下がり始めているため、これを支えるためのワイヤーや鉄柱が設置されている。このワイヤーはコンクリート製のアンカーブロックアンカーボルトを打ち込んで固定された本格的なもので、宇陀市教育委員会によれば国の天然記念物であるため、国から50パーセント、奈良県から15パーセント、宇陀市から15パーセント以内の補助金があるものの、残りの20パーセントは桜実神社、すなわち佐倉地区在住の氏子が負担しているという。ただ近年は人口減少により氏子の人数も減少しており、多額の工事費、改修費が必要なワイヤー工事は氏子らに大きな負担がかかり始めている[18]

交通アクセス[編集]

所在地
  • 奈良県宇陀市菟田野佐倉764[9]
交通

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2017年平成29年)時点の物件数。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 菅沼 1995, p. 391.
  2. ^ a b 八ツ房スギ(国指定文化財等データベース) 文化庁ウェブサイト、2023年8月14日閲覧。
  3. ^ a b 青山 1984, p. 137.
  4. ^ a b 奈良県高等学校教科等研究会 2007, pp. 190–191.
  5. ^ a b c 三好 1934, p. 24.
  6. ^ a b c 本田 1957, p. 112.
  7. ^ a b c 文化庁文化財保護部監修 1971, p. 114.
  8. ^ うだ記紀・万葉/神武天皇伝承地 宇陀市教育委員会事務局文化財課 2023年8月14日閲覧。
  9. ^ a b 桜実神社 國學院大學「古典文化学」事業 神社データベース 2023年8月14日閲覧。
  10. ^ 佐藤 1994, p. 99.
  11. ^ 小清水 1943, pp. 102–103.
  12. ^ 小清水 1943, p. 102.
  13. ^ 本田 1957, p. 111.
  14. ^ 菅沼 1995, p. 389.
  15. ^ 三好 1934, p. 22.
  16. ^ 三好学 1934, p. 22.
  17. ^ a b c d 三好 1934, p. 23.
  18. ^ 国の天然記念物「八つ房杉」が、地元住民を苦しめている 2020年1月8日 宇陀新聞社 2023年8月14日閲覧。
  19. ^ a b 八つ房杉 地図・アクセス あおによし なら旅ネット 奈良県観光公式サイト 2023年8月14日閲覧。

参考文献・資料[編集]

  • 加藤陸奥雄他監修・菅沼孝之、1995年3月20日 第1刷発行、『日本の天然記念物』、講談社 ISBN 4-06-180589-4
  • 本田正次、1957年12月25日 初版発行、『植物文化財 天然記念物・植物』、東京大学理学部植物学教室内 本田正次教授還暦記念会
  • 文化庁文化財保護部監修、1971年5月10日 初版発行、『天然記念物事典』、第一法規出版
  • 小清水卓二、1943年5月26日 発行、『大和の名勝と天然記念物』、奈良県教育委員会 全国書誌番号:46007142
  • 三好学著、文部省編、1934年3月1日 発行、『天然紀念物調査報告 植物之部 第14輯』、文部省 全国書誌番号:46064858
  • 青山茂 帝塚山短期大学名誉教授、1984年5月31日 初版発行、『各駅停車 全国歴史散歩 奈良県』、河出書房新社
  • 佐藤寛編、1994年4月1日 発行、『歴史読本(1994年4月号)』、新人物往来社 全国書誌番号:00024584
  • 奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編、2007年6月30日 第1刷発行、『奈良県の歴史散歩(下)』、山川出版社 ISBN 978-4-634-24829-8

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度26分36.0秒 東経135度58分37.0秒 / 北緯34.443333度 東経135.976944度 / 34.443333; 135.976944