佐伯氏
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| 佐伯氏 | |
|---|---|
| 本姓 | 佐伯宿禰 |
| 家祖 | 大伴室屋 |
| 種別 | 神別(天神) |
| 著名な人物 | 佐伯今毛人 |
| 支流、分家 | 佐伯造 佐伯首 岸家(地下家) |
| 凡例 / Category:日本の氏族 | |
目次 |
[編集] 概要
中央伴造として佐伯部を率い、宮門警備や武力勢力として朝廷に仕えた。因みに警備を担当した宮門は、氏族名から「佐伯門」と名付けられたが、平安宮では唐風文化の影響から、「さへき」に音通する「藻壁(そうへき)門」と改められた[1]。姓は初め「連」であったが、天武天皇13年(685年)に同族の大伴氏等とともに「宿禰」を賜姓された[2]。奈良時代以降、たびたびの政争に巻き込まれ(「関連項目」を参照)、そのたびに一族から処罰される者を出した事なども影響し、徐々に衰えた。一門からは源頼義に30年近く仕え、前九年の役で活躍した佐伯経範が輩出される。
[編集] 出自
天孫降臨の時に彦火瓊々杵尊を先導した天押日命(あめのおしひのみこと)を祖とし、大伴室屋の時に大伴氏から別れた神別氏族である[3]。
[編集] 読みと字義
王権に仕え、宮廷警備等の任につくようになった後、外敵からの攻撃を「遮(さへ)ぎる者」という意味で「さへき」と呼ばれるようになったとの説がある。後世「さへき」が「さえき」と訛り、更に「さいき」に訛った地域もある。
[編集] 同族
[編集] 佐伯造
佐伯造(-みやつこ)は、『新撰姓氏録』右京神別上に見え、旧姓は「佐伯部」。『日本書紀』によれば、市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)の舎人、佐伯部仲子(さへきべのなかちこ)[4]の後裔で、仁賢天皇5年2月5日条に、諸国の佐伯部を集めて管掌させたとある。
[編集] 佐伯首
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 佐伯有清「宮城十二門號と古代天皇近侍氏族」(『新撰姓氏録の研究 研究篇』、1963年 ISBN 4-642-02110-8所収)・『新撰姓氏録の研究 考證篇 第二』、1982年 ISBN 4-642-02112-4・『同考證篇 第三』、1982年 ISBN 4-642-02113-2・『同考證篇 第四』、1982年 ISBN 4-642-02114-0 以上、いずれも吉川弘文館