伊賀透浩

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いが ゆきひろ
伊賀 透浩
プロフィール
愛称 伊賀ちゃん
出生地 日本の旗 日本 千葉県の旗 千葉県市川市
出身地 日本の旗 日本 宮崎県の旗 宮崎県宮崎市(旧宮崎郡田野町
生年月日 (1972-07-18) 1972年7月18日(51歳)
最終学歴 日本大学文理学部
勤務局 mrt宮崎放送
部署 報道部→アナウンス部→報道部→アナウンス部
職歴 テレビ山口アナウンサー→共同テレビジョン(フリー)→テレビ長崎アナウンサー・記者→宮崎放送報道記者・ニュースデスク→宮崎放送アナウンサー・アナウンス部副部長→宮崎放送報道部長→宮崎放送アナウンス部長
活動期間 1995年 -
ジャンル 報道・バラエティ
出演番組・活動
出演中 本文参照
出演経歴 本文参照

伊賀 透浩(いが ゆきひろ、1972年7月18日 - )は、宮崎放送のアナウンサーで同局アナウンス室アナウンス部長。愛称は、伊賀ちゃん

人物[編集]

経歴[編集]

  • 1995年TYSテレビ山口に入社。アナウンサー同期は小野礼子橋本昌子。入社一年目から春高バレー高校ラグビー実況などスポーツアナとして活躍する。
  • 1996年TBSの朝の情報番組おはようクジラの山口キャスターで全国デビューを果たす。司会の渡辺正行にリポーターの中で唯一「伊賀くん」と君付けで呼ばれ渡辺のおもちゃ状態だった。この頃から情報番組やバラエティー番組では、名前をひらがなの「ゆきひろ」で出演している。
  • 1998年2月長野オリンピックの聖火ランナーを務め、三井ゆりと現地から中継した。
  • 1998年4月からTYSナウのキャスターを担当。光市母子殺害事件下関通り魔殺人事件 西鉄バスジャック事件などを伝える。
  • 2001年山口県で開催された博覧会山口きらら博で行われた「トライアスロンワールドカップ山口きらら博大会」のメイン実況を担当した。
  • 2002年4月から七色の声と山口弁を自在に操る吉田治美と「ちぐまや本舗」の司会を務め、若旦那の愛称で親しまれた。しかし吉田が2003年11月に病のため急逝、追悼特別番組が放送された。
  • 2003年JNN・JRNアノンシスト賞の「テレビ・フリートーク部門」で優秀賞を受賞。局アナらしからぬトークで人気を博した。
  • 2005年、テレビ山口を退社後、半年間だけ共同テレビジョン所属のフリーアナウンサーを経て、KTNテレビ長崎に移籍。アナウンサーと報道記者を兼務しKTNスーパーニュースのキャスターを務める。
  • 2011年10月より吉井誠が報道班に移籍したため、制作班唯一の男性アナウンサーとなる(名目上アナウンサー扱いでウェブに掲載されている河内隆太郎がタレントであるため)。
  • 2013年4月の改編に伴う異動で再び吉井と交代で報道に戻った。なお、「Gopan」担当時は「伊賀ゆきひろ」(一部ひらがな)名義で出演した。
  • 元プロ野球選手の木村拓也日本ハム広島巨人)とは中学の同級生であり、当時担当していたKTNスーパーニュースの生放送中に、木村が倒れたニュース速報を知り衝撃を受けたという。
  • 2014年3月にテレビ長崎を退社し、帰郷。
  • 2014年6月30日に宮崎放送(MRT・TBS系列)へ移籍し、報道部記者・ニュースデスクとして『MRTニュース Next』に出演。
  • 2015年4月よりアナウンス部に異動(RT推進局アナウンス部副部長)。この時がラジオ番組の初出演。
  • 2018年3月、報道制作局報道部長[2]
  • 2019年7月、アナウンス室アナウンス部長。

現在の担当番組[編集]

mrt宮崎放送[編集]

過去の担当番組[編集]

mrt入社後[編集]

アナウンサー[編集]

報道部員[編集]

KTN時代[編集]

TYS時代[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 宮崎日本大学高等学校同窓会「宮桜会」だより” (PDF). 宮桜会事務局 (201603). 2018年8月4日閲覧。
  2. ^ 宮崎放送が組織改編”. みやビズ. 2018--11-24閲覧。

外部リンク[編集]