伊藤幟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊藤 幟 (いとう のぼり、1898年明治31年〉6月23日[1] - 1963年昭和38年〉3月22日)は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(1期)、画家従五位勲四等

概要[編集]

1898年(明治31年)6月、福島県安達郡本宮町(現:本宮市)に生まれた。福島縣立安積中學校を経て、早稲田大学を卒業。本宮町長や全国町村会長を務めて、馬匹・畜産を盛んにすることに貢献した[2]

1930年(昭和5年)、福島県美術協会を創設。石井柏亭と親交が深く、美術協会の審査委員長招いて十数年にわたり公募展を開いた[2]

油絵『柿と霊山』で1937年(昭和12年)、一水会展に入選した[3]

略歴[編集]

  • 1898年(明治31年)6月 - 福島県安達郡本宮町(現:本宮市)に生まれる。
  • 福島縣立安積中學校を経て、早稲田大学卒業。
  • 1925年大正14年)- 本宮町議会議員当選。以後5期務める。
  • 1929年昭和4年)- 安達馬匹組合長となる。
  • 1930年(昭和5年) - 福島県美術協会を創設。
  • 1942年(昭和17年)- 福島県議会議員選挙安達郡選挙区当選。以後5期務める。
  • 1946年(昭和21年)- 本宮町長となる。
  • 1951年(昭和26年)- 第37代福島県議会副議長となる[4]
  • 1959年(昭和34年)- 第41代福島県議会議長となる。
  • 1960年(昭和35年)- 藍綬褒章を受章。
  • 1963年(昭和38年)- 在職中に九段宿舎において死去。65歳没。

家族[編集]

伊藤彌の別荘、「蛇の鼻御殿」(じゃのはなごてん、福島県本宮市)は、1996年平成8年)に登録有形文化財に登録された。また、幟は父・彌とともに蛇の鼻に百果園(現在の蛇の鼻遊楽園)を造った[2]

脚注[編集]

  1. ^ 『大衆人事録』第19版、東日本篇、帝国秘密探偵社、38頁。
  2. ^ a b c 人物検索 | うつくしま電子事典”. www.gimu.fks.ed.jp. 2023年11月11日閲覧。
  3. ^ ふくしま教育情報データベース - 本宮町 (7/12)”. is2.sss.fukushima-u.ac.jp. 2023年11月11日閲覧。
  4. ^ 歴代議長、副議長一覧 - 福島県ホームページ”. www.pref.fukushima.lg.jp. 2023年11月11日閲覧。
  5. ^ 経過録”. 2023年11月11日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『大衆人事録』第19版、東日本篇、(帝国秘密探偵社、1957年)
  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年)
  • 『本宮町史』3巻、11巻
  • 『福島県農業史 』5巻

外部リンク[編集]

ふくしま教育情報データベース-元宮町 - 油絵『柿と霊山』の写真が含まれている。