井下靖央
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いのした やすお 井下 靖央 | |
生年月日 | 1939年3月11日 |
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没年月日 | 2005年5月13日(66歳没) |
出身地 | 香川県 |
国籍 | 日本 |
学歴 | 早稲田大学 |
職業 | 演出家 |
活動期間 | 1961年 - 2005年 |
妻 | 若原啓子 |
子 | 井下倫子 |
井下 靖央(いのした やすお、1939年3月11日 - 2005年5月13日)は、TBSテレビ(旧TBSエンタテインメント)制作1部所属のテレビドラマの演出家。
来歴・人物
[編集]- 香川県出身。早稲田大学卒業
- 木下恵介プロダクションに出向し、数々の傑作ドラマを手掛け、その後TBS自社制作ドラマの中核演出家として東芝日曜劇場や、橋田壽賀子ドラマ『おんなは一生懸命』などを担当した。
- 『パンとあこがれ』や『ふぞろいの林檎たち』シリーズ、『春の惑星』など多くの作品でコンビを組んだ脚本家の山田太一は、井下を「テレビ界の五本の指に入る才能」と高く評価していた[1]。
- 夫人は元東宝女優の若原啓子。一人娘は日本テレビ『喰いタン』などのプロデューサーを務めた井下倫子[2]。
- 2005年5月13日、肺癌のため死去。66歳没。
主な作品
[編集]木下恵介プロ時代
[編集]- ポーラテレビ小説『パンとあこがれ』(1969年)
- 木下恵介・人間の歌シリーズ『俄=浪華遊侠伝』(1970年)
- 木下恵介・人間の歌シリーズ『椿の散るとき』(1970年)
- 木下恵介・人間の歌シリーズ『冬の華』(1971年)
- 木下恵介・人間の歌シリーズ『それぞれの秋』(1973年)
TBSテレビ時代
[編集]- 金曜ドラマ『さらばかぐわしき日々』(1976年)
- 金曜ドラマ『あにき』(1977年)
- 『たとえば、愛』(1979年)
- 東芝日曜劇場『愛という字』(1979年)
- 『大いなる朝』(1979年)
- 金曜ドラマ『突然の明日』(1980年)
- 金曜ドラマ『想い出づくり。』(1981年)
- 東芝日曜劇場『春の希い』(1982年)
- 東芝日曜劇場『しゃぼん玉の愛』(1982年)
- 『アイコ16歳』(1982年)
- 『鳥人伝』(1982年)
- 東芝日曜劇場『冬の置き土産』(1983年)
- 『離婚・ぼくんちの場合』(1983年)
- 金曜ドラマ『ふぞろいの林檎たち』(1983年)
- 人間が好きドラマシリーズ『夏の信じあい』(1983年)
- 東芝日曜劇場『縁の切れ目』(1983年)
- 金曜ドラマ『無邪気な関係』(1984年)
- 東芝日曜劇場『嫁の心得 姑の心得』(1984年)
- 金曜ドラマ『大家族』(1984年)
- 『風にむかってマイウェイ』(1984年)
- 金曜ドラマ『ふぞろいの林檎たちII』(1985年)
- 東芝日曜劇場『ときめきの午後』(1985年)
- 東芝日曜劇場『東京の秋』(1985年)
- 金曜ドラマ『華やかな誤算』(1985年)
- 金曜ドラマ『となりの女』(1986年)
- 東芝日曜劇場『妻の二泊三日』(1986年)
- 金曜ドラマ『女ともだち』(1986年)
- 東芝日曜劇場『奥さま代理します』(1986年)
- 東芝日曜劇場『愛・七つの質問』(1987年)
- 東芝日曜劇場『恋の相手』(1987年)
- 東芝日曜劇場『蛍の舞い』(1987年)
- 東芝日曜劇場『再会』(1987年)
- 東芝日曜劇場『お望みどおり』(1987年)
- 『おんなは一生懸命』(1987年)
- 東芝日曜劇場『愛をこめて娘より(1988年)
- 東芝日曜劇場『男たちのフツーの週末』(1988年)
- 東芝日曜劇場『身許不明の女』(1988年)
- 東芝日曜劇場『愛のいろ』(1988年)
- 『カラダ記念日』(1989年)
- 東芝日曜劇場『胡桃の部屋』(1989年)
- 東芝日曜劇場『忘れもの』(1989年)
- 東芝日曜劇場『日曜日には麻雀を』(1989年)
- 『愛し方がわからない』(1989年)
- 東芝日曜劇場『春が来た』(1989年)
- 東芝日曜劇場『交差点』(1990年)
- 東芝日曜劇場『愛すべき酔っぱらいに捧ぐ』(1990年)
- 東芝日曜劇場『ピンクエンジェルのさくらちゃん』(1990年)
- 東芝日曜劇場『弓代と規子』(1990年)
- 東芝日曜劇場『見張られてる女』(1990年)
- 『渡る世間は鬼ばかり』第1シリーズ(1990-1991年)
- 東芝日曜劇場『それからの冬』(1991年)
- 東芝日曜劇場『愛ふたたび』(1992年)
- 『ティファニーで朝食を』(1992年)
- 東芝日曜劇場『残り香』(1992年)
- 東芝日曜劇場『愛きらきら』(1992年)
- 『渡る世間は鬼ばかり』第2シリーズ(1993-1994年)
- 『真昼の月 続・病院で死ぬということ』(1994年)
- 『女の言い分』(1994年)
- 『魔の季節』(1995年)
- 『長男の嫁2・実家天国』(1995年)
- 『ボクの町医者修業』(1996年)
- 『渡る世間は鬼ばかり』第3シリーズ(1996-1997年)プロデューサーを兼任
- 金曜ドラマ『ふぞろいの林檎たちIV』(1997年)
- 『番茶も出花』(1997−1998年)
- 『海まで5分』(1998年)
- 『渡る世間は鬼ばかり』第4シリーズ(1998-1999年)
- 『春の惑星』(1999年)
- 『百年の物語』第1夜「大正編・愛と憎しみの嵐」(2000年)
- 『渡る世間は鬼ばかり』第5シリーズ(2000-2001年)
- 『渡る世間は鬼ばかり』第6シリーズ(2002-2003年)
- 『娘よ』(2003年)
- 『渡る世間は鬼ばかり』第7シリーズ(2004-2005年)
脚注
[編集]- ^ 『ふぞろいの林檎たちIV』(マガジンハウス)あとがき
- ^ ひし美ゆり子 (2006年1月24日). “ところで本当の40年前…”. あれから50年…アンヌのひとりごと. 2021年2月20日閲覧。