三大ピラミッド

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三大ピラミッド。左手前から、メンカウラーカフラークフ
三大ピラミッドと周辺の遺構の位置関係。右上からクフ、カフラー、メンカウラー。
上空から見た三大ピラミッド

三大ピラミッド(さんだいピラミッド)とは、エジプトギザ砂漠にある、3基のピラミッドの総称。隣接するスフィンクスとともに、エジプトを象徴するイメージとなっている。

造営時期は現在より約4500年前の、紀元前2500年頃とされ、メンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。古代エジプト王国のファラオの墓陵であり、被葬者はクフ王、カフラー王、メンカウラー王とされる。


クフ王のピラミッド[編集]

クフ王のものとされるピラミッドは、三大ピラミッドの中で最大で、高さ146.6m(現在の高さ138.8m)である。1954年、付近から長さが43m以上ある木製の「太陽の船(クフ王の船)(Khufu ship)」が分解された状態で発掘された。

カフラー王のピラミッド[編集]

ギザの大スフィンクスとカフラー王のピラミッド

カフラー王のものとされるピラミッドは、三大ピラミッドのうち中央に位置する。高さはおよそ136メートル(頂上部分が一部崩れているため、創建当時より低くなっている)。頂上付近に創建当時の化粧石が一部残っている。見かけ上、三大ピラミッドの中でもっとも高いように見えるが、それはカフラー王のピラミッドが立っている岩盤が、クフ王のそれに比べてやや高くなっているためで、実際はクフ王のピラミッドの方が高い。

メンカウラー王のピラミッド[編集]

メンカウラー王のものとされるピラミッドは、三大ピラミッドの中ではもっとも小さい。高さおよそ65メートル。北面には大きな傷跡が残るが、これはピラミッドを破壊しようとしたものが破壊できずに終わったものの名残であるという。

オリオン説[編集]

この三大ピラミッドはオリオン座の三ツ星を表したものであるとする説。実際に、ナイル川天の川に見立てると三大ピラミッドの位置がオリオン座の三ツ星の位置とほぼ重なり、さらに三ツ星と三大ピラミッドを重ねるとその配置が一致するという。ロバート・ボーヴァルアドリアン・ギルバートが提唱したものだが、古代エジプトにおけるオリオン座の重要性から結果としてオリオンの三つ星として見られたとは考えられるものの、ピラミッドの大きさの並び順と三つ星の光の強さが一致しないことなどから、三つ星に似せようとしてピラミッドを作ったことに関しては否定的見解が強い。またグラハム・ハンコックもこの説を取りいれたが、こちらも学会では無視されている。

ナポレオンのエピソード[編集]

ナポレオン・ボナパルトエジプトに遠征した折、ピラミッドの下で「兵士諸君、ピラミッドの頂から、四千年の歴史が諸君を見つめている」と言って兵士達を鼓舞したとされる。

地理・交通[編集]

カイロ市中心部から西南西13kmの地点にある。周辺はギザ市に属する。ギザ市南部のギザ広場からピラミッドまではアフラーム通り(ピラミッド通り)と呼ばれる広い直線道路が通じている。ギザ広場にはカイロ地下鉄が通じており、ピラミッドへ向かう場合はここからバスに乗るか、またはカイロ市中心部からも市内バスが走っている。ピラミッド自体は砂漠のなかにあり周囲にはなにもないが、カイロ市の都市化に伴いスフィンクスのすぐ東隣まで住宅街が広がるようになった。スフィンクスの正面にはケンタッキー・フライド・チキンピザハットの支店があり、スフィンクスとピラミッドを眺めることができる。[1]

一時閉鎖[編集]

2013年8月に発生したムスリム同胞団と治安部隊との衝突を受け、エジプト考古省は2013年8月14日から一時閉鎖措置をとっている[2]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「地球の歩き方 エジプト 2005年-2006年版」2004年11月12日改訂第14版第1刷発行(ダイヤモンド・ビッグ社)p153
  2. ^ “エジプト:ピラミッドも一時閉鎖 衝突拡大で”. 毎日新聞. (2013年8月15日). http://mainichi.jp/select/news/20130815k0000e030161000c.html 2013年8月20日閲覧。