ヴォルデマール・バルギール

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ヴォルデマール・バルギール
Woldemar Bargiel
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基本情報
出生 1828年10月3日
出身地 ドイツの旗 ドイツベルリン
死没 1897年2月23日(満68歳没)
ドイツの旗 ドイツベルリン
職業 作曲家

ヴォルデマール・バルギールWoldemar Bargiel, *1828年10月3日 ベルリン — †1897年2月23日 ベルリン)はドイツロマン派音楽作曲家・音楽教育者。クララ・シューマンの異父弟として名高い。

略歴[編集]

声楽教師およびピアノ教師であったアドルフ・バルギール(1783年~1841年)を父に、ピアニストで声楽家だったマリアンネ(またはマリアーネ[1])・トロムリッツ(1797年~1872年)を母にベルリンに生まれる。母方の祖父ヨハン・ゲオルク・トロムリッツ(1725年~1805年)はフルートの有名なヴィルトゥオーゾであった。アドルフは、マリアンネの再婚相手であり、離婚した前夫フリードリヒ・ヴィーク(1785年~1873年)との間に、世界的なピアニストとなった娘クララ・ヴィークを儲けている。父親違いではあったがヴォルデマールは生涯クララと温かな関係を続けており、最初の音楽の手解きをクララから受けた後、音楽理論家ジークフリート・デーンに師事した。クララは弟をローベルト・シューマンフェリックス・メンデルスゾーンに引き合わせてもいる。

声変わりを迎えるまでエドゥアルト・グレルやフェリックス・メンデルスゾーンが指揮する宮廷聖歌隊に加わった。変声後はシューマンの助言やメンデルスゾーンの推薦状を得て、16歳でライプツィヒ音楽院に進学し、1849年までの間、ピアノをイグナツ・モシェレスに、音楽理論をモーリツ・ハウプトマンに、作曲法をユリウス・リーツニルス・ゲーゼに師事した[2]1850年に、個人教師として働くためにベルリンに里帰りし、ひとまずベルリン・ジングアカデミーの職員を務め、1859年以降はケルン音楽院の教員に採用された。この頃に、シューマン夫妻の尽力で、《ピアノ三重奏曲 第1番》を含む初期作品を出版している。1864年ロッテルダムの音楽学校(Maatschappij tot bevordering der Toonkunst)の院長を務め、同地で未来の花嫁ヘルミーネ・トゥールス(Hermine Tours)と出逢った。ちなみにヘルミーネの兄弟ベルトルト(Berthold Tours)も作曲家であった。

ヘルミーネ夫人と(1881年)

1874年に、ヨーゼフ・ヨアヒムに催促されてベルリンに帰り、ヨアヒムが創立したベルリン高等音楽学校において作曲科教授として教鞭を執った。1897年に歿するまで同校に在職し、当時最も一目置かれた教師の一人として、エルンスト・ルドルフレオ・ブレッヒパウル・ユオンカミッロ・シューマンペーター・ラーベヴァルデマール・フォン・バウスネルンフランツ・ベルシェチャールズ・マーティン・レフラーレオポルト・ゴドフスキーらの門人を輩出している。教育活動の傍ら、ヨハネス・ブラームスと協力して、シューマンやショパンの作品の校訂を手懸けている。

2007年9月に、それまで個人蔵となっていたバルギールのさまざまな遺品が、国立ベルリン図書館によって購入された。その中には、1500点の書簡や、証書、資料、旅券、写真、プログラムの載ったビラ、新聞の批評欄の切り抜き、作曲の素材などが含まれる。

作風[編集]

バルギールは多作家ではなかったが、多くの作品は考え抜かれて創られており、堅固な職人技を発揮している。中でも室内楽の作曲家として名を遺し、弦楽四重奏曲ピアノ三重奏曲弦楽八重奏曲が代表作に数えられている。バルギールの作品は、生前は数多くの作曲家仲間(中でもフェリックス・ドレーゼケヨハネス・ブラームス)から高く評価されていた。

バルギールはローベルト・シューマンと縁続きになり、その援助を受けたにもかかわらず、そのむしろ古典派直系の作曲様式は、フェリックス・メンデルスゾーンの作品と近い関係にある。作品には、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを継承した明らかな痕跡も見受けられる。バルギールは、新しい道のりに沿って和声法の扱いを探究することも、従来の音楽形式を突き破ろうとすることもしない保守的な作曲家であった。しかしながら、自分で設定した制約の中で自信たっぷりに振る舞っており、作品では巧みな造形力を発揮している。ベートーヴェンに似て、旋律そのものよりも、むしろ主題の素材を労作することに重きを置いた。総じてバルギールは、19世紀後半の最も卓越した学究肌の作曲家の一人と見做して差し支えない。

主要作品一覧[編集]

管弦楽曲[編集]

  • 管弦楽組曲ハ長調 作品7
  • 演奏会用序曲《プロメテウス》 (Konzertouvertüre Prometheus) 作品16
  • ある悲劇への序曲 (Ouvertüre zu einem Trauerspiel) 作品18
  • 演奏会用序曲《メデア》 (Konzertouvertüre Medea) 作品22
  • 交響曲ハ長調 作品30[3][4]
  • ヴァイオリン(もしくはチェロ)とピアノ、管弦楽のためのアダージョ ト長調 作品38
  • 間奏曲 作品48(出版譜では作品46[5]、原曲は《ピアノ・ソナタ》作品34の緩徐楽章)

室内楽曲[編集]

  • 弦楽八重奏曲 ハ短調 作品15a
  • 弦楽四重奏曲 第1番 イ短調 作品15b[6]
  • 弦楽四重奏曲第2番・第3番(未発表)
  • 弦楽四重奏曲第4番 ニ短調 作品47
  • ピアノ三重奏曲 第1番 ヘ長調 作品6
  • ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 作品20
  • ピアノ三重奏曲 第3番 変ロ長調 作品37
  • ヴァイオリン・ソナタ ヘ短調 作品10
  • ヴァイオリンとピアノのための組曲 ニ長調 作品17

ピアノ曲[編集]

ソナタ・組曲[編集]

  • ピアノ・ソナタ ハ長調 作品34
  • 組曲 第1番 作品21
  1. 前奏曲 
  2. デュエット
  3. サラバンド
  4. 行進曲とトリオ
  5. スケルツォ
  6. 終曲
  • 組曲 第2番 ト短調 作品31
  1. 前奏曲 
  2. 悲歌
  3. 幻想的行進曲
  4. スケルツォ
  5. アダージョ
  6. 終曲

幻想曲[編集]

  • 3つの幻想的小曲 作品9[7]
  • 8つの幻想的小曲 作品32
  • 幻想曲 第1番 ロ短調 作品5
  • 幻想曲 第2番 ニ長調 作品12
  • 幻想曲 第3番 ハ短調 作品19[8][5]

その他の小品[編集]

  • 性格的小品集 作品1[7]
  • 性格的小品集 作品2[7]
  • 3つの夜想曲 作品3
  • 6つのバガテル 作品4[7]
  • 3つの性格的小品 作品8
  • スケルツォ 作品13[8]
  • 8つの小品 作品41
  • 練習曲とトッカータ 作品45[8]

連弾曲[編集]

  • 組曲 作品7
  • ピアノ・ソナタ ト長調 作品23
  • ジグ 作品29[7]

合唱曲[編集]

  • 合唱と管弦楽のための《詩篇 第13番》作品25
  • 女声合唱と管弦楽のための《詩篇 第23番》作品26 (1863年出版)[5]
  • 無伴奏二重合唱のための[5]《詩篇 第96番》作品33
  • バリトン独唱と合唱、管弦楽のための《詩篇 第61番》作品43 (1878年出版[5]
  • 女声三部合唱のための[8][9]《3つの春の歌(Drei Frühlingslieder)》作品35
  • 三部合唱とピアノのための《3つの春の歌》作品39

註記[編集]

  1. ^ Schytte, p. 49
  2. ^ Stowell, Robin (2003). The Cambridge Companion to the String Quartet - Google ブックス. Cambridge University Press. page 346. ISBN 0521000424.
  3. ^ Uptonの著書(p. 311)では1861年の作品としているが、これが作曲年代を指すのかは疑問がある。
  4. ^ ピアノ4手版に基づく批評は、1866年に『音楽新報(Allegemeine musikalische Zeitung)』誌上に掲載された。(Allgemeine musikalische Zeitung - Google ブックス, ser. 3 v. 1 1866, p. 103.)
  5. ^ a b c d e バイエルン州オンライン図書館の情報
  6. ^ 3作めの弦楽四重奏曲に該当し、そのように番号付けをしている資料もある。本稿ではウィキペディア独語版ならびにハイペリオン・レコーズの解説書の分類に従う。
  7. ^ a b c d e ベルリン・ドイツ楽譜資料館所蔵
  8. ^ a b c d オーストリア国立図書館楽譜コレクションのデジタル目録
  9. ^ オランダ王立図書館のサイトを参照のこと。

参考資料[編集]

外部リンク[編集]