フリードリヒ・ヴィーク
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フリードリヒ・ヴィーク(Friedrich Wieck, 1785年8月18日 - 1873年10月6日)はドイツの音楽家、音楽教育者。特に作曲家として知られるロベルト・シューマン、ピアニストのハンス・フォン・ビューローのピアノ教師であったこと、またシューマンに嫁いだのが次女のクララであったことが知られている(長女は生後まもなく死亡した)。
ウィッテンベルク近郊のプレッチュ(Pretzsch)生まれ。若い頃は神学を学んでいたが、ピアノのための音楽に熱中するあまりに職業的訓練を受け、ピアノ工場と楽譜出版社を創立した。
彼は二度結婚している。最初の妻は声楽家でピアニストのマリアンヌ・トロムリッツ(Marianne Tromlitz)で、クララは彼女との間の娘である。二度目の妻は20歳年下のクレメンティーネ・フェヒナー(Clementine Fechner)である。
ヴィークは19世紀初頭のドイツ語圏で最も重要な音楽教育者と見なすことができる。最も成功した弟子は娘のクララである。彼女のためにヴィークはレッスンを施したが、ヨーロッパ内の演奏旅行を組織し、その活発な活動を通じて早くから有名たらしめもした。メンデルスゾーンの設立したライプツィヒ音楽院に、ピアノの教授として就任を打診されたこともあった。
後にクララの夫となる作曲家のロベルト・シューマンも2年間彼の弟子であった。ちなみに、ヴィークはシューマンの音楽評論中にしばしば登場する「ラロ先生」のモデルである。クララとシューマンの交際が明らかになると、ヴィークは長い間2人の結婚に反対したが、クララとシューマンはついに訴訟をおこし、そしてついに1840年に2人は結婚を実現させた。彼は裁判に負けた後、ドレスデンに移り住み、3年後の1843年にシューマン夫妻と和解した。
ドレスデン近郊のロシュヴィッツ(Loschwitz)で没した。



