ヴァン・クライバーン

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ヴァン・クライバーンVan Cliburn1934年7月12日 - )は、アメリカ合衆国ピアニストである。

目次

[編集] 人物・来歴

アメリカ合衆国ルイジアナ州生まれで、本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア (Harvey Lavan Cliburn Jr.) 。

ロジーナ・レヴィーンに師事した後、1958年、23歳で世界的に権威のある第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。冷戦下のソ連のイベントに赴き優勝したことにより、一躍国民的英雄となる。このコンクールに審査員として参加していたスヴャトスラフ・リヒテルは、クライバーンに満点の25点を、他の者すべてに0点をつけた。凱旋公演では、コンクール本選で指揮を担当したキリル・コンドラシンを帯同させている[1]。この優勝を祝してヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール1962年より開催されている。1966年には初来日も果たした。

クライバーンの『チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番』(コンドラシン指揮RCA交響楽団)(1958年)は、ビルボードのポップアルバムチャートで1位(7週連続)を獲得した唯一のクラシック作品である(2007年現在)。キャッシュボックスのポップアルバムチャートでも最高2位を記録。続く『ラフマニノフピアノ協奏曲第3番』(コンドラシン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア)もビルボードのポップアルバムチャートで最高10位を獲得している。その後、フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団との共演で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ベートーヴェンピアノ協奏曲第4番ピアノ協奏曲第5番「皇帝」ワルター・ヘンドル指揮シカゴ交響楽団との共演でプロコフィエフピアノ協奏曲第3番なども録音した。

2003年大統領自由勲章2004年親善勲章ロシア)を受章している。

ピアニストの中村紘子は近年の来日公演に関して「その演奏はもはや正面きってどうのこうの、といえるような対象ではありませんでした。」と論じつつ、「彼が芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、結局アメリカのこの豊かさ、楽しい生活に問題があったのではないか、と考えたものです。」と述べている[2]

[編集] クライバーンが書かれている本

中村紘子著「チャイコフスキー・コンクール」に、一介の「田舎のピアニスト」だった彼が、チャイコフスキーコンクールの第一位になり、文字通りの「アメリカン・ドリーム」を実現するまでと、その後の停滞と挫折までが、アメリカのクラシック事情と共に詳しく述べられている。

[編集] 出典・脚注

  1. ^ コンドラシンの国外デビューである
  2. ^ NHK「人間講座」2003年4月 - 5月期「国際コンクールの光と影」63ページ

[編集] 外部リンク

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