ユーリー・ショミン

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ユーリー・ショミン Football pictogram.svg
Yuri Semin.jpg
名前
本名 ユーリー・パヴロヴィチ・ショミン
カタカナ ユーリー・ショミン
ラテン文字 Yuri Pavlovich Semin
ロシア語 Юрий Павлович Сёмин
基本情報
国籍 ロシアの旗 ロシア
生年月日 1947年5月11日(67歳)
出身地 オレンブルク
身長 176cm
体重 67kg
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1964-1965
1965-1967
1968-1971
1972-1973
1974
1975-1977
1978-1980
スパルタク・オリョール
スパルタク・モスクワ
ディナモ・モスクワ
カイラト・アルトマイ
チハロヴェツ・ノヴォシビルスク
ロコモティフ・モスクワ
クバン
監督歴
1982
1983
1986-1989
1990
1991-2005
2005
2006
2008-2009
2009-2010
2011-
クバン
パミール・ドゥシャンベ
ロコモティフ・モスクワ
ニュージーランドU-21代表
ロコモティフ・モスクワ
ロシア代表
ディナモ・モスクワ
ディナモ・キエフ
ロコモティフ・モスクワ
ディナモ・キエフ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj


ユーリー・パヴロヴィチ・ショミンЮрий Павлович Сёмин, Yuri Pavlovich Semin(またはSyomin)1947年5月11日 - )は、ロシアの元サッカー選手、サッカー指導者である。ポジションはMFFW

来歴[編集]

ショミンは1947年5月11日、オレンブルクで生まれた。彼の両親はオリョール出身である。幼少期は、サッカーアイスホッケーバレーボール陸上競技に励んでいた。

選手時代[編集]

16歳の時、スパルタク・オリョールでデビュー。当時のポジションはミッドフィールダーフォワード。1970年、FCディナモ・モスクワUSSRカップの優勝に貢献。しかし、セミンのキャリアの全盛期はここで終わってしまう。当時の監督との確執が表面化し、退団を余儀なくされ、その後は複数のクラブを転々とする。1980年、FCクバン・クラスノダルで現役を引退する。33歳での引退だった。

監督時代[編集]

1982年、FCクバン・クラスノダルで監督としてのキャリアをスタートさせる。1986年からロコモティフ・モスクワの監督に就任する。1990年にニュージーランドU-21代表を率いるため、一度は退任するが、1991年に復帰し、2度のリーグ優勝、4度のカップ戦優勝に貢献した。2005年にロシア代表を率いたが、チームを2006 FIFAワールドカップ本大会に導くことができず、解任される。2007年にはロコモティフ・モスクワの会長としてチームに戻ったが、プレミアリーグ発足後、最低成績の7位で終え、成績不振の責任を取り、辞任。2008年からディナモ・キエフの監督に就任した。2008-2009シーズンは、UEFAカップの準決勝では、同国の最大ライバルであるシャフタール・ドネツクに敗れるものの、リーグ戦では2年ぶり13回目となる優勝を収めた。2009年5月26日、ラシード・ラヒモフ前監督の後任として、ロコモティフ・モスクワの監督に就任。2007年で会長を務めていた以来、2年ぶりの復帰となった。

所属クラブ[編集]

指導歴[編集]

獲得タイトル[編集]

選手時代[編集]

監督時代[編集]

外部リンク[編集]