ミラノ中央駅

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座標: 北緯45度29分10秒 東経9度12分13秒 / 北緯45.486117度 東経9.203635度 / 45.486117; 9.203635

Milano Centrale
基本情報
住所 Piazza Duca d'Aosta
20124 ミラノ
イタリア
路線 トリノ-ミラノ線
ミラノ-ボローニャ線
ミラノ-キアッソ線
ミラノ-パビア線
ミラノ-ヴェネツィア線
詳細情報
開業 1931年7月1日 (1931-07-01)
電化 1938年 (1938)
所有 レーテ・フェッロヴィアーリア・イタリアーナ
運営 グランディ・スタツィオーニ
次の停車駅
parkingticketspedestrian underpasscafeterianewsstandWCtaxi standpublic transportation

ミラノ中央駅Stazione Centrale di Milano)またはミラノ・チェントラーレMilano Centrale)は、イタリアミラノを代表する鉄道駅。ローマ・テルミニ駅に次いでイタリアで2番目の乗降客数(1日約32万人)である[1]だけでなくヨーロッパの鉄道駅としても主要な駅の一つである。 シンプロントンネル1906年)の開通に伴う新たな交通量の需要を支えることができなくなった古い中央駅(1864年)の替わりに、1931年に鉄道ターミナルとして公式に落成した。 駅は建設中の高速鉄道網 (TAV) 、トリノ - ミラノ - ヴェネツィア、ミラノ - ローマ - ナポリ、ミラノ - ジェノヴァ各線の唯一の集結点となる予定である。

歴史[編集]

ミラノ中央駅内部
トレイン・シェッド: "navata centrale"

計画がまだ決まっていなかったその前に1906年4月28日ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世王が、新駅の最初の石を置いた。建設は1926年に始まった。

第1次世界大戦イタリアの経済危機の為に、計画の進行はゆっくりとなり、初期の計画より簡単になり、続いてより複雑で威厳を持つように変更されていった。 ベニート・ムッソリーニが首相の時代は特に駅にファシスト政体の権力を象徴させたがった。
主な変更はホームの新しいデザインとアルベルト・ファーヴァによる全長341メートル、66,000平方メートルの場所を覆う鋼鉄で出来た大きなアーケードの導入である。

1925年に建設は再開し、1931年7月1日に郵政通信大臣コスタンツォ・チャーノの前で駅は公式に落成した。

現在の駅は重要な修復・改善作業が2005年8月からフェッロヴィーエ・デッロ・スタート・グループの一社グランディ・スタツィオーニにより行われている。作業は2008年に終わる予定。

駅構造[編集]

駅は1912年のデザイン最終コンペで優勝した建築家ウリッセ・スタッキーニの作。計画はワシントンのUnion Stationにより造形が行われた。

建物前面は幅200mで天井の高さは72m、これは当時の新記録を誇った。前面の後ろに並行して「ガッレリーア・デッレ・カロッツェ」(Galleria delle Carrozze, 客車のアーケード)が走る。

駅の建築様式は一つで無く、リバティ様式アールデコ他の異なる混合様式である。
時々この様式はアッシロ=ミラネーゼとされている。 建築家フランク・ロイド・ライトにより「世界でもっとも美しい鉄道駅」と称された。[2]

駅には24の線路がある。21番線には王の部屋と武器室に分けられたサヴォイア家と王室の待合室「王の間」がある。

のりば[編集]

ミラノ中央駅の線路は行き先により以下のように分類できる:

利用状況[編集]

一日平均計500本の列車で毎日約32万人の旅客、年間では計1億2000万人が乗降している。

列車[編集]

国際列車[編集]

朝のミラノ中央駅

行き先:

国内列車[編集]

ミラノ中央駅にいるTAV塗装ETR500列車。 横の機関車はE402B(左)E632 (右)

行き先:

州内・州間列車[編集]

駅に残るファシスト党結成9周年を記念したファスケスのレリーフ

主な行き先:

都市交通事業[編集]

地下鉄[編集]

路面列車・バス路線[編集]

路面電車の59'、トロリーバスの90/9192N90N91、市バス4242/60818787/NM2NM3N6N42728

脚注[編集]

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  1. ^ grandistazioni.it (2007年7月)の データ
  2. ^ Casabella No.710, 2003年4月, Editoriale 参照

関連項目[編集]

外部リンク[編集]