ミッキー・カンター

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ミッキー・カンター

マイケル・"ミッキー"・カンター(Michael "Mickey" Kantor, 1939年8月7日 - )はアメリカ合衆国政治家弁護士、民間企業の役員 (会社)

経歴[編集]

出生地はテネシー州ナッシュビルヴァンダービルト大学において経済経営学士号を1961年に取得し(在学中にゼータ・ベータ・タウフラタニティに加入したと言われている)、1968年にはジョージタウン大学法務博士の学位を取得する。この間、海軍士官として4年間軍務に就く。

1992年大統領選挙における民主党の選対委員長を務め、当選したビル・クリントン大統領のもと1993年から1997年まで通商代表を務める。その際、1996年に商務長官であったロナルド・ハーモン・ブラウンクロアチアで発生した航空事故で死去した際、同じく翌1997年まで商務長官を兼務する。

通商代表時代は自由貿易主義者として世界貿易機関(WTO)、ウルグアイ・ラウンド北米自由貿易協定(NAFTA)の創設のためのアメリカの主張をとりまとめる。またマイアミサミット(w:Miami Summit of the Americas)やアジア太平洋経済協力(APEC)の創設に関与する。また創設されたばかりの欧州連合(EU)の欧州委員会と協力し、大西洋をはさんだ市場の拡大に努める。

遺伝子組み換え作物市場の90%を独占する米モンサント (企業)の役員を務めた経験を持ち、遺伝子組み換え作物市場拡大に政治面からも大いに尽力している。[1]

シカゴの国際法務会社において法務に携わる。

妻を飛行機事故で亡くした後、再婚。

公職
先代:
カーラ・アンダーソン・ヒルズ
アメリカ合衆国通商代表
1993年 - 1997年
次代:
シャリーン・バーシェフスキ
先代:
ロナルド・ハーモン・ブラウン
アメリカ合衆国商務長官
1996年4月12日 - 1997年1月21日
次代:
ウィリアム・デイリー

脚注[編集]

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