マリア・ライヒェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ペルー、ナスカの近くにあるマリア・ライヒェ博物館の中にある彼女の仕事場

マリア・ライヒェ(Maria Reiche、1903年5月15日 - 1998年6月8日)はドイツ数学者考古学者ペルーナスカの地上絵の研究で知られる。

来歴[編集]

1903年ドレスデンで生まれ、ドレスデン工科大学において数学地理学物理学を学ぶ。

1932年に29歳でペルーに渡り、クスコにあるドイツ領事の子供たちのナニー兼家庭教師として働き始める。

1934年壊疽で指の1本を失う。同年、リマで学校教師となり、科学文献の翻訳も始める。第二次世界大戦が勃発したが、彼女はドイツに帰国しない決心をした。

1940年アメリカ人の考古学者ポール・コソックの助手となり、ナスカの地上絵を発見。1946年頃からナスカの地上絵の地図作成を始め、コソックが1948年にペルーを離れた後もその仕事を続け、地域一帯の地図を作成。地上絵の全景を見ることができるのは上空からのみであるため、彼女はペルー空軍の協力を得て写真調査を行った。

ライヒェは、地上絵は太陽の、および天体観測台として使われたという説を提唱し、この自説を『砂漠の謎(The Mystery of the Desert)』という本に著してその利益を砂漠保存運動や、護衛やアシスタントを雇うために使った。

また、地上絵を道路による侵食(地上絵の一帯はパンアメリカンハイウェイから近かった)や、さまざまな政府の開発計画から守るよう提言したり、一帯への一般の往来を制限するよう政府を説得するなどし、自分の財産のほとんどをその運動に費やした。一方で、ハイウェイの近くに塔を建設し、観光客が地上絵を見やすいようにもした。

1993年功労十字勲章(Medal of Merit in the Degree of Great Cross)を授与され、1994年にはペルー市民となった。

ユネスコは、ナスカの地上絵を1995年世界遺産に登録した。

晩年には健康状態が悪化し、車椅子を必要とするようになり、皮膚疾患や視力の減退、パーキンソン病に苦しんだ。

1998年6月8日、リマの空軍病院で卵巣がんのため95歳で死去。遺体はナスカの近郊に栄誉葬をもって埋葬された。現在、彼女の生前の住居は博物館になっている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]