プロジェクト‐ノート:芸能人/声優記事から端役・特筆性無き作品への出演を除去することを提案

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声優記事から端役・特筆性無き作品への出演を除去することを提案[編集]

先行する議論:利用者‐会話:ミルディン#編集差し戻しについて

表題の通りですがもう少し詳しく書きますと、声優の個別記事から (1) 「男A」「町人B」「兵士C」「野次馬D」などの端役での出演は原則書かないこと、 (2) 同人アニメなど特筆性に難のある作品での出演は原則書かないこと、の2つを提案します。

似て非なる議論なので節も分け、個別に議論したいと思います。

議論場所こそWikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人ですが、アニメ声優も多いということでWikipedia:ウィキプロジェクト アニメへも連絡しており、「PJ 芸能人」と「PJ アニメ」は完全に対等であることはお間違えの無いようお願いします。Wikipedia:コメント依頼その他へも記載しました。

(1) 「男A」などの端役での出演は書かないことを提案[編集]

まず、一言二言程度の台詞しかない出演を書く必要は無かろう、というのが根底にあります。(声優に対する)俳優記事でも端役出演の記載はあるにはありますが、大抵は役名あり出演か、役名は無くても重要な役割で出演した場合だけ記載されていることが多いのに対し、声優記事では端役出演が度を越えて多く記載されているように思います。

テレビアニメ数十話のほとんどで端役専用として出演という場合は別途考慮が必要だとは思います。テレビドラマ数十話で同一俳優が後に別の役で出ることはあまりありませんが、声優ではそのようなことは日常茶飯事なので、これは声優特有の事象だと思います。しかしその場合でも「[[何とか物語]](男A、町人B、兵士C、野次馬D……)」など全記載するのではなく「[[何とか物語]](端役として多数)」と書く程度で充分でしょう。端役でない出演があれば「[[何とか物語]](○田×夫 ほか端役として多数)」とでも書けば宜しい。一見「男A、町人B……」の方が情報量が多いように感じるかと思いますが、実のところ端役として多数出演したという情報の方が重要なわけで、その点で「端役として多数」の方が適当だと思います。

また、テレビアニメであれば全26話なり13話なりあるわけで、役名は同じ「男A」であっても話が変われば担当する声優が別であることも多いです。ただ声優記事に「[[何とか物語]](男A)」など書かれても、どの「男A」なのか分かりません。これでは情報として無価値であり、データベースですらなく、逆に単なる雑音に過ぎないのではないかと思います。「[[何とか物語]](男A(第3話))」など書く手も無いわけではありませんが、これはどうにも冗長が過ぎますし、大多数の声優記事はこのような形式になっていません。

以上の問題点を踏まえて、原則として「男A」などでの出演は記載せず、記載されていれば除去して構わず、どうしても書き込みたい人は特筆性(ストーリー上欠かせない大役を負った名無しであるなど)を説明した上で「男A(第3話)」などどの役を担当したのかはっきり分かるように書くということを提案します。

もちろん「記載されていれば除去して構わず」とは言っても「男A」を除去するだけのような編集は避けるべきで、他の場所を編集するついでに除去する、というのが現実的だと思います。

なお、利用者‐会話:ミルディン#編集差し戻しについてでは夢幻乱舞氏から「代表作の記載は編集合戦を誘発しており、そのため端役を除去することでも編集合戦が起こる可能性があり、故に全リストのほうが良い」という旨の発言を頂きましたが、代表作で揉めることはあっても、端役で揉めることはほとんど無いと思います。そもそも、ノートで話し合いも持たず編集合戦に興ずる方がおかしいのですし、声優記事全般でそのような編集者が多いのであれば、逆にある程度の縛りのある記載ルールを決めることは止むを得ないではないかと思います。ルールが無いと「何でも書いてよい」と勘違いする方が多いだろうからです。

改めて言う必要も無いかとは思いますが「原則として」です。『老人Z』の3老人ような出演は「特筆性のある名無し」で、青野武での「老人Z(老人C)」記載に問題はありません。仮に端役と間違われ除去編集があったとしても、ノートで「こういうわけで名無しだがストーリー上重要なキャラクターであり出演時間も長く、故に "老人C" でも記載する価値がある」と説明してくだされば、誰も記載復帰を咎めないでしょう。除去する側も、除去する前に一度、作品記事を見て「特筆性のある名無し」かどうか確認するべきです。

テレビドラマや映画などでは似て非なるものにカメオ出演がありますが、今ここで話題にした「端役の男A」と比べることはできないのは言うまでもないでしょう。月とスッポンです。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年10月26日 (月) 23:22 (UTC)

コメント 端役を全て書いてもあまり有益な情報にならないし、多くの役で出演した場合は少々見栄えが悪くなると思います。ですので「何とか物語(端役として多数)」と「何とか物語(○田×夫 ほか端役として多数)」の案には賛成します。ですが1話のみの端役出演を削除するのは反対です。データベースになってしまいますが、その声優のファンの方がかつて端役で出演した作品を知りたい人がいるかもしれません。なので私としては「何とか物語(男A #3)」もしくは「何とか物語(端役)」がいいと思います。どちらにしてもこれは難しい問題ですね。--ジャビ 2009年10月27日 (火) 04:28 (UTC)
コメント私もジャビさん同様端役を全て記載する必要は無いと思いますが、1話のみの端役出演の除去は反対です。閲覧者の中にはその出演情報を必要としている方もいらっしゃると思います。--ミルディン 2009年10月30日 (金) 04:39 (UTC)
◆ 確かに、1話のみの端役でも、そういう端役出演歴を調べたい方もいらっしゃるかもしれませんね。ジャビ氏のご意見には充分な説得力を感じました。但し、それにウィキペディアとして応えるべきかどうかは常に考慮しなければなりません。この件がどうなのかについては兎も角。
自分で提案しておいてなんですが、「何とか物語(端役)」と書くと、「端役」というキャラクター名と勘違いする人も居そうだな、と思います。完全にイメージだけで話しますが、「端役」など『ボーボボ』とかならば居そうではないですか。これは名称を「サブキャラクター」「モブキャラクター」などに変えても同じです。「何とか物語(端役として出演)」と、文章形式にすれば大丈夫かなとは思いますが、これはどうも字の座りが悪い。「何とか物語(役名なし)」だとキャストにすら表示されない端役中の端役と勘違いされそうですし、難しい点ではあります。
「だったら男A(第3話)、町人B(第6話)、兵士C(第9話)、野次馬D(第102話)……と全部書けばいいではないか」という意見もあるかと思いますが、やはり冗長が過ぎます。やはり、このような場合は端役として度々出ていることこそが重要であり、役名や出演回は大した情報ではないと考えます。
ところで、最近、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかが改訂され、「(記事の一部が)データベースであること」は問題はないということになりました。必要以上にデータベース化を危惧する必要は今は無いです。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年10月30日 (金) 21:39 (UTC)
「何とか物語(端役として出演)」の座りの良し悪しが気にならなかったので、「何とか物語(端役として出演)」でも個人的にはいいと思うのですが。ただ、文章ありなら「男A(第3話)ほか、端役として多数出演」かな。検証容易性を考慮すれば、初出話くらいはあってもいいと思いました。話数が全くなければ「本当に出演しているの?どの話に?」的な話になりますし。--NISYAN 2009年11月4日 (水) 00:31 (UTC)
これは端役だけの事じゃないのですが、話数は記載した方が良いのでしょうか?きちんとした名前のある役でも1話のみのゲスト出演があります。この場合でも話数は記載すべきなのでしょうか。現在の声優の記事の出演作品に話数が書いてあるのはあまり多くありません。もし話数を書くとすると端役だけに書くのはどうかなあと思うのですが…。--ジャビ 2009年11月6日 (金) 14:45 (UTC)
OPなりEDなりのキャスト表示で役名表示されているならば、特に話数は書かなくても良いでしょう。複数の「男」あるいは「男A」が居る中での識別タグとして「男A(第3話)」とすることを提案しているのであって、その声優が何話に登場しているのか示すこと自体は目的としていません(「男」が全13話のうち1回しか出ず、曖昧さ回避の必要が無い唯一の存在であるような場合は、別途議論が必要かも)。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月6日 (金) 23:32 (UTC)
次節に理由付けを書いたので、それベースに書くと「声優△△って渋い/かっこいい/可愛いじゃん、調べてみよう」「え?あの有名作品□□にも出てるの?ちょっと意外。声優△△の記事見ても端役としか書いてないな」「声優△△の記事見ても、作品□□の記事見ても、どの話とも役とも書いてないじゃん。本当に出てんのかよ。全放送話(さくら50話以上、きらレボしゅごキャラ100話以上、コナン500話以上)から探せってか?Wikipediaって使えねー」って読者を想定して、最低限の検証可能性を容易とする初出話を挙げていますが、そういう読者への情報提供を必要としない意見者が多数であれば、別段こだわりません。--NISYAN 2009年11月7日 (土) 06:15 (UTC)
同じ役名の端役を違う声優が演じているのは、1、2クール作品の場合そんなに多くないような気がします(私が観た作品に少ないだけかもしれませんが…)。他の回では別の声優が微妙に違った役名(例:生徒と男子生徒のような)で出演していることはけっこうあります。男Aという役も一人だけが演じている作品もあると思います。そのため、複数の声優が演じた端役のみに話数を書くと、このアニメの男A役には話数が書かれてあるが、こっちのアニメの男A役(一人だけが演じたもの)では話数が書かれていないという事になってしまいます。閲覧者は何故書いていないのか疑問に思うかもしれません。なので、複数の声優が演じた端役のみに話数を書くというのは避けた方がいいと思います。私としてはNISYAN氏が例を挙げたように長い作品には話数があった方がいいと思いますが、そうなると1、2クール程度の作品に話数が書いていないのは不自然な気がします。出演話数の記載についての議論もした方がいいと思います。--ジャビ 2009年11月7日 (土) 10:17 (UTC)

「端役のみ(名有りの端役を含む)で出演の声優記事でその登場話数を書くべきか否か」については意見が分かれていますが、「全部書く必要は無い」という点では一致しているようなので、これ(全部書くのではなく代表的な役のみ挙げて「○○役 ほか」と書く)は確定で良いでしょうか? 1週間ほど待って異論が無ければ、PJガイドラインに組み入れようと思います。出演話数記載可否についてはもう少し話を詰めましょう。なお私は、NISYAN氏が例示した読者層を意図的に軽視しています(マニアに合わせる必要は無いという意味で)。--2009年11月10日 (火) 22:29 (UTC)

出演話数記載可否についてはもう少し意見を募るとして、反対もないようなので「声優の出演リストで、端役の名を全て挙げて記載することを推奨しない」ことは決定とします。「禁止」でも良いのですが、一応、現時点では「推奨しない」としておきましょう(後の課題)。文面を練りますので、PJ本文への反映は少々お待ちください。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月16日 (月) 21:54 (UTC)

だいぶ遅くなりましたが、プロジェクト文書に反映しました(ins要素で囲ってある部分です。標準ブラウザであれば下線が引かれているように表示されるはずです。1ヶ月ほど経ったらins要素は外します)。「出演話数」の件については、一旦凍結とします。必要があれば、誰かが議論再開してくれるでしょう。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年2月1日 (月) 21:47 (UTC)

(2) 特筆性に難のある作品での出演は書かないことを提案[編集]

ここでの「特筆性の難のある作品」は、一般に同人作品として流通しているもののうち、記事として存在できそうに無いものを指すこととします。具体的には、夢幻乱舞氏が緩やかな編集合戦を引き起こしている喜多村英梨での『東方奇闘劇』のような作品です。知らない方に簡単に説明しますと、ゲーム『東方Project』の「二次創作物」であり「非公式」な「同人アニメ」です。同人経験のある方には、よくあるパロディ同人誌の延長上だと言えばお解かりいただけるかと思います。

このような作品への出演は「特筆性の無い作品への出演」であり、記載する必要が無いものだと思います。トリビアの類に近いものです。

基本的には、出演作品については「単独記事のあるもの、あるいは現時点ではないが記事が作られた際には存続しうるであろうもの」は特筆性があり、そうでないものは特筆性がないと判断して問題ないと思います。前述の『東方奇闘劇』には特筆性がなく単独記事は無理でしょう。

「単独記事は無くても、別に声優記事のほうに出演リストとして書かれているのは良いのではないか」という意見もあるかと思いますが、その意見を延長するとWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるに辿り着いてしまう避けるべきものなのではないかと思います。何でも書けば良いというものではなく、雑多な情報は取捨選択して整理しないと役立つデータベースにはなりません。

もちろんこれも「原則として」であり、声優自身が制作し出演した(同人というよりはむしろ)自主制作アニメのような場合は、それが本人の経歴にとって重要であるならば、当然、記載すべきものであると思います。

特筆性に関しては様々な意見があり、一様な線引きは難しくはありますが、「喜多村英梨」の履歴などを見ていただければ、私以外にも一定数の「同人アニメへの出演などは特筆性が無いから必要は無い」と考えている人がいるのはお解かりいただけると思います。少なくとも、記事のノートで議論したり編集者へ連絡したりせず、編集合戦を起こしてまで意見を無視するのは宜しくないことだと私は考えます。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年10月26日 (月) 23:22 (UTC)

コメント 私は同人アニメについてはよくわかりませんが出演しているなら記載していいと思います。今はOVAの節に記載しているようですが、区別するために同人アニメという節を作ってそちらに記載するのがいいかもしれません。--ジャビ 2009年10月27日 (火) 04:28 (UTC)
コメント 同人作品という表現で話されているということは、同人ゲーム作品も含んでいる様子ですので、ひとまずこちらの節だけコメントしておきます。提案対象外(同人アニメ限定など)であればおっしゃってください。
例えば、榎津まおさんの作品一覧には同人か否かが補記されており、青リンクの同人作品と赤リンクの同人作品があります。同人か否かの補記はないですが、吉川華生さんや北都南さんなど、アダルトゲームに声で出演している声優さんでは何人かいらっしゃるものと思います(聞かれればどれが同人が答えますが、現時点では省いておきます)。
榎津まおさんを例に挙げるなら、この方は同人ゲーム作品に多数出演しており、そのことは公式サイト上でも公開されています(18禁注意)。そのような(=同人作品出演の比重がある程度高い)声優さんの記事から「同人だから」そして「現状記事化されていないから」そして「今後も記事化されることがない(と除去者が考える)から」(多分ここがポイントかな)という理由でこれらの作品を除去するのは、妥当でないと考えます。このように多数の同人作品に出演している方の作品一覧においては、記載不記載の観点では商業作品と同人作品を区別すること自体が妥当でないと考えます。
もしかすると喜多村英梨さんは同人作品への出演が皆無ということかもしれませんが、声優記事によって同人作品の扱いの軽重が異なるように思うのです。そして、声優記事個々に判断する必要があるなら、こういったところ(広域の場所)で原則不可といったような取り決めをされるのは嬉しくありません。
「あまりにも多くの商業作品に登場しているから、極小数の同人作品を除外することで見通しをよくする」というなら、極小数の作品を除外することで見通しが良くなるかという点については疑問です。「多数の同人作品に登場しているが、それを除外することで見通しをよくする」というなら、それには明確に反対します。本人が出演を明言している作品であれば、記載していいのではないかと個人的には思います。そして、記載を不適とする何らかの特別な理由(おっしゃっているような「その同人作品に特筆性がない」など)があるなら、その記事のノートで話し合ってほしいかな、事情の違う他記事に影響の与えるような場所に持ってきてほしくないかな、と思います。--NISYAN 2009年10月27日 (火) 12:54 (UTC) 適切に表現できていなかった箇所の訂正 --NISYAN 2009年10月28日 (水) 17:06 (UTC)
コメント間違っていたら申し訳ないのですが、NISYANさんのコメントはラッキースター・キッドさんの提案と趣旨が異なるように見受けられます。本節での議題は「同人作品」の扱いではなく、「同人作品のファンが作った非公式な(=著作権侵害の可能性を考慮しなければならない)二次同人作品」の記載を入れるべきかについてだと思います。上記で記載されたNISYANさんのご意見ももっともです(私もとある同人作品の編集をしたことがありますので、NISYANさんが書かれている意見については一部賛成です)が、本提案とずれている模様ですので改めて確認されたほうが良いかと思います。
もし本意見がラッキースター・キッドさんのご提案とは趣旨が異なったならば申し訳ありませんが無視してください。--Ritis 2009年10月28日 (水) 12:10 (UTC)下線部追記--Ritis 2009年10月28日 (水) 15:15 (UTC)
コメント提案の趣旨と異なるなら異なるでいいのですが、《ここでの「特筆性の難のある作品」は、一般に同人作品として流通しているもののうち、記事として存在できそうに無いものを指すこととします。》が指し示す範囲と照らし合わせると、提案の題材となったケースよりも提案範囲が広がっている感があります。それが、ラッキースター・キッドさんが意図していなかったものであり、意図した提案範囲を表現できていないだけ(あるいは私が読み落としているだけ)であれば、ラッキースター・キッドさんから意図した提案範囲が何であるかを改めてお教えいただくことができればいいかなと思っています。ただ、今回のケースをきっかけとして、《「同人作品」の扱い》まで提案範囲が広がっているということがラッキースター・キッドさんの意図したものであるなら、その広がった部分については私は前記のように反対意見を持っています。まずは、提案範囲がどこまでであるかを確認したいです。--NISYAN 2009年10月28日 (水) 17:06 (UTC)
◆(NISYAN氏へ)同人出演に比重を置いているがプロのアダルトゲーム声優ですか……すみません、そこまで考えていませんでした(Wikipedia:ウィキプロジェクト 美少女ゲーム系にも連絡した方が良いのかな)。「同人系への出演が多い」ことが特筆すべき点として挙げられるなら、特筆性を示した上で出演リストを作るのは問題ないのではないかと思います。私個人としては、記事「榎津まお」や「北都南」から同人作品出演歴を除去することは何ら問題がないと考えます(『妹ペット』シリーズへの出演を含む。記事を見る限りでは『妹ペット』自体が特筆性に難ありでの削除の可能性があるため)。出演リストから除去して「その他、同人ゲーム作品に複数出演している。」で済ませるのもアリだと思います。これは (1) の「端役として多数」に似た感じですね。
確かに個々の声優記事で同人の軽重も違うでしょうから、個々のノートで話し合うのが筋だとは思いますし、「その記事のノートで話し合ってほしいかな」というのは、正直なところ私自身も全くその通りだと考えております。おりますが、先行議論の利用者‐会話:ミルディン#編集差し戻しについてでは、酷く乱暴な言い方をすれば「PJには『全リストも可』とあるから全リストで構わない。PJで決まったのでもない限りお前の意見は聞かない」と言われてしまいまして、ここへ来ざるを得なかった経緯があります。PJ文書には同時に『一般的には端役も含めた全リストは膨大になるため不要』とあるので、揉めたらノートで話し合えということだと私は解釈していたのですが、私の発言が下手だったせいもあるのですが、PJ文書を盾に対話拒否された形になっています。
このような経緯から、私は「広域の場所」あるいは「権威ある場所」(語弊を招く可能性は承知の上で権威という言葉を使いました)とされる場所で、何らかの方針を決めることは止むを得ないと考えるようになりました。私とて好き好んで大風呂敷を広げているわけではないのですが、緩やかとはいえ既に明らかな編集合戦が発生していますから、これを見過ごすことはできません。
◆(Ritis氏へ)NISYAN氏の認識で合っています(『東方Project』の二次創作物の事情については後述)。但し、一般に、一次創作物ではないいわゆる「著作権者のお目こぼしでやっている同人」での参加なら、そもそもここで話し合うまでもなく除去して構わないでしょう。例えば「『そうかそうか』(『サザエさん』の非公式同人ドラマCD):礒野波平 役」(を永井一郎ではない声優が演じている)とか書かれていたら、私だったら迷うことなく削除した上で執筆者のノートに苦情を言いに行きます。もっとも、私は声優記事でそういった例は見たことがありません。漫画家記事では、商業と同人の境界が曖昧な作家の記事では「近年ではジャンル『○○』で同人活動をしている」など書いてあることも多く、これはこれで問題だとは思っていますが、今回の件とは関係ないので無視します。
今回の件では、私は一応「一次創作物も含め、その作品自体に特筆性がなければ出演歴は除去して構わないのではないか」という提案をしております。しかし、「非公式な二次創作物に限って、その作品に特筆性がなければ出演歴は除去して構わない」というより限定的な案なら賛同しないこともない、と仰るのでしたら、私はそれで妥協するに吝かでありません。
ひまわり (ぶらんくのーと)』は一次創作物とその公式な派生作品ですし、商業漫画化などもされているということで、作品としての特筆性については何ら問題ないでしょう。初版を見る限りでは、漫画化決定という特筆性をもって記事が作られたのだと思いました(ドラマCDについてはレーベルが弱いのでここでは無視)。頒布元である『ぶらんくのーと』が存続可能な記事になりうるか私は存じません。
東方Project』は、少し説明を端折りますが、製作サイドにより二次創作が公式に認められていますので、著作者人格権の問題は当然あるものの一般的にいうところの「同人による著作権侵害(のお目こぼし)」は発生しておりません。ただ、二次創作が認められているだけであって、その二次創作作品が元作品に対して「公式」でも「公認」でもないことは言うまでもありません。あまりよく知らないのですが、ゲームメーカーのアクアプラスは一部制限付きながら二次創作同人を公式に認めていますので、これに近いかと思われます。アクアプラス「二次創作・素材使用について」を見る限りではプロ声優を雇っての同人ドラマCDなども(「同人」である限り)問題なく認められるように思うのですが、さて、私の提案した議題 (2) は「『何とか物語』(アクアプラス製作のゲーム『○○』の非公式二次創作ドラマCD。頒布元は同人サークル「何とか堂」):○田×夫 役」という記述が声優の記事にあったとしたら除去すべきだ、あるいは、このような記述を新たに記載すべきではない、という意見に置き換え可能と私は考えています。美少女ゲーム系の編集者の方々には、この例えの方が『東方』で例えるより分かり易かろうかと思います。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年10月30日 (金) 22:10 (UTC)
ありがとうございます。私には、その説明のが判りやすいです。私が考えるところでは《本人が出演を明言している作品》という表現を用いているように、その声優自体が「何とか堂」の『何とか物語』に出演していることを明言していれば(おそらくはその時点で「非公式」とか「二次創作」とかの条件は外れるのでしょうが)、記載に問題を感じません。そして、この条件だけで問題とされているケースは記載除去可能ではないでしょうか?とも思います。喜多村英梨さんは『東方奇闘劇』への出演(というニュアンスでの作品関与)を明言していますか?肯定的な明言(こういうのにも出てるんですよ、的な明言など)か、否定的な明言(著作権侵害の指摘など)かによっても話は異なるでしょうが、そういう明言がないなら、(そして他に特記する理由がない限り)出演作品一覧に挙げる価値はないと、個人的には思います(というか、それ、本当に「出演」ですか?)。もちろん≪雑多な情報は取捨選択≫という考えから、件の問題の範囲を越えた提案であることは理解できますが、そのあたりは下に別途質問として書きます。--NISYAN 2009年11月1日 (日) 00:13 (UTC)
もう一つ書いておきますね。「『何とか物語』(アクアプラス製作のゲーム『○○』の非公式二次創作ドラマCD。頒布元は商業ブランド「何とか堂」):○田×夫 役」但し、商業ブランド「何とか堂」はこの作品がきっかけとなって、アクアプラスから著作権侵害を訴えられて活動を終了した(とまでは声優記事に書きませんが)、というケースを今回の提案で記載不可としない理由が判りません。--NISYAN 2009年11月1日 (日) 00:27 (UTC)
喜多村英梨氏については存じませんが、利用者‐会話:ミルディンにて夢幻乱舞氏曰く、声優の佐藤聡美氏と日笠陽子氏は『東方奇闘劇3』への出演をそれぞれブログにて公言しております[1][2]。私自身は「ブログなどで自ら公言した」ことは特筆性に影響を与えないと思っているので、このことを以て記載すべきとは思いません。所属事務所のプロフィールに記載されるくらいであれば、非公式二次創作作品でも掲載可能かもしれないとは思いますが。
「著作権侵害を訴えられて…」に関しては、考えがまとまらないので保留とさせてください。「商業ブランド」という定義が、もしかすると私とNISYAN氏とで異なっている可能性があるので、できれば「例えば○○は商業ブランドだが××は商業ブランドではない」と仰っていただけるとありがたいです。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月3日 (火) 22:14 (UTC)
いや、「特筆性のない作品は削除」という前提で考えれば「佐藤聡美さんと日笠陽子さんの記載は不可」となるのでしょうが、「特筆性のない作品は削除」とするかどうかを話し合っている場でその前提を持ってこられても困ります。その前提なしに、出演を明言している佐藤聡美さんと日笠陽子さんの記載を不可とする理由を問うているつもりです。例えば「雑多な情報は取り除くべき」といったような理由付けを示していただきたいわけです。そして「雑多な情報は取り除くべき」が理由であれば、私にはその極小数の作品を記載しないことで記事の見通しが良くなると言われても疑問に感じます。個人的には、出演者が好意的に受け取っている、出演というニュアンスで本人が紹介しているわずか1作品を出演作品から除去するする必要性は感じません。
「商業ブランド/同人ブランド」については具体例をベースに話しているわけではないですから、具体例を聞かれても困ります。後は、下に書いておきます。本来後で付け足した1節は、下にぶら下がる話ですので。--NISYAN 2009年11月3日 (火) 23:23 (UTC)
一番下に少しだけコメントしたのでお読みください。(このコメントは、考えがまとまって再投稿する際に消す予定です)--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月5日 (木) 21:43 (UTC) 2009年11月8日 (日) 23:49 (UTC)
コメントこちらについての私の意見は私の会話ページで述べたとおりです。特筆性の無い同人作品であろうと担当声優にとってはれっきとした出演作品です。除去に反対です。--ミルディン 2009年10月30日 (金) 04:39 (UTC)
コメント私も、ちゃんと仕事として行った物を記述しないと言うのは反対です。以下個人的な意見なので無視して頂いて結構ですが、喜多村英梨の履歴などでこれの記述を差し戻してるのってラッキースター・キッドさんがおっしゃってるような理由ではなく、いわゆる東方厨が東方Projectの公式じゃない作品を毛嫌いして荒らしで差し戻してる物とばかり思ってました。差し戻しの際に削除の明確な理由が書かれてないので。例えそういう理由だったとしてもコメント無く差し戻すのはWikipediaの編集者としてマナーが欠いた行動だなと思ってました。…個人的に喜多村英梨は東方奇闘劇への出演よりウルトラマンダイナへの出演の方がトリビアだと思う[要出典]。--Cobalt 2009年10月30日 (金) 07:32 (UTC)
◆ (ミルディン氏へ)私は一度も「特筆性の無い同人作品は出演作品とは認められない」と言ったことはないつもりです。しかし、「『特筆性の無い同人作品への出演』は書く必要が無い」と言っています。
ミルディン氏は「全てを網羅したリストが良い」とお考えで、私は「ある程度整理したリストの方が良い」と考えている。その違いだけだと思います。私は「ある程度整理したものの方が良い」と考えている理由を述べましたので、今度はミルディン氏が「全リストの方が良い」理由を述べられるべきでしょう。
◆ (Cobalt氏へ)ここは議論の場であって、あなたの思ったことを徒然なるままに書くチラシの裏ではありません。議論の邪魔をする気なのでしたら、お帰りください。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年10月31日 (土) 22:05 (UTC)
コメント全リストがよいというか何度も言っているように、同人作品だろうと出演作品なのだから記載するべき、記載することになんら問題は無いと判断しております。このような情報を必要としている方もいると思います。出演リストに一般作品と同人作品でそこまで区別する必要があるのか疑問です(あくまで私個人の意見であり、押し付けはしていません)。--ミルディン 2009年11月10日 (火) 05:12 (UTC)
コメントラッキースター・キッドさんの考える提案範囲が判った(と思う)ので、改めて質問。大きく「特筆性に難がある作品を除外するか」と「特筆性に難がある作品を除外するとしたら、その条件をどう考えるか」という話があると思います。前者については「全リストの方が良い」と「ある程度整理したリストの方が良い」の違いですが、後者についての疑問を。
≪ここでの「特筆性の難のある作品」は、一般に同人作品として流通しているもののうち、記事として存在できそうに無いものを指すこととします≫とあります。《一般に同人作品として流通しているもののうち》が入っている理由、つまり「商業作品だが、記事として存在できそうにない」というものを除外している理由がよく判りませんでした(あるいはそんなものはないという考えでしょうか?)。私の読み落としであれば、ご教示いただきたく存じます。確かに「商業作品」よりは「同人作品」のが≪特筆性に難のある作品≫の率は高いであろうし、≪記事として存在できそうに無いもの≫の率も高いであろうことは想像できますが、結局は個々の作品が≪記事として存在できそうに無い≫作品かどうかを判断すべきではないでしょうか?それを同人に限定して除外する理由がどうも理解できていません。「記事として存在できそうだということを以ってOK(商業作品のCM出演なども含む)」や「同人なら一律に除外、『ひまわり (ぶらんくのーと)』は商業展開を以ってOK」というご意見なら、(賛成できないにしても)まだ理解の範疇です。--NISYAN 2009年11月1日 (日) 00:13 (UTC)
NISYAN氏が思っていらっしゃるほど深い理由はない、ということは言っておかねばなりません。議論の簡略化のための手段だとお考えください。
「特筆性」に関しては様々な議論があり、一律な線引きは非常に困難です。「特筆性に難がある作品を除外する」とだけ書いた場合、「特筆性」について議論が紛糾することは想像に難くない。ですので、「(今回の議論では)一般に同人作品として流通しているもののうち、記事として存在できそうに無いもの」と、範囲を絞って議論の簡略化を図った次第です。商業作品のうち特筆性の無さそうなものを含めても良いのですが、そうなると「商業作品は特筆性がある」という方が多くいらっしゃるのは存じていますので、今回は議論対象外としました。「特筆性のない商業作品」の評価は難しいが、「特筆性のない同人作品」の評価は比較的容易(というより、一律特筆性が無いとしてその中から特筆性のあるものだけ拾うのが容易)だという点もあります。
今回の議論で「特筆性の無い同人作品への出演は除外」が決定したならば、今後の余地として「特筆性の無い作品(商業含む)への出演は除外」もあるかと思います。しかし、今のところ私は、そこまで議論範囲を広げる気はありません。
個人的には、P:Gの新着などを見ていますと、特筆性が有るのか無いのかよく判らないアダルトゲームの記事が量産されているのを見て「何とかならないか」と思っていますが、そのジャンルについて門外漢なので、議論を起こしたり参加したりすることができないのです。その辺はWikipedia:ウィキプロジェクト 美少女ゲーム系にお任せします。いずれ、何らかのガイドラインができるものと確信しています。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月3日 (火) 22:14 (UTC)
「商業作品/同人作品」の話。あるブランドを執筆したものとして書いておくと、そのブランド記事の沿革に書いてありますが、その同人ブランドは現在休止中の商業ブランドを抱えていますし、公式サイト上には(ウィンドウタイトルなどに)同人ブランド名と商業ブランド名が併記されています。ここのブランドについて、同人ブランドとして発売された作品は原則記載不可、商業ブランドとして発売された作品は記載可、と言われても「どっちも関わっているスタッフ同じだし、両者で判断を別とするような何が根本的に違うの?同じでしょう?」としか思えないです。
P:Gの話。私はアダルトゲーム自体は詳しくないので(アダルトシーンはスキップする派、ゲームシステムや全体シナリオや演出といった要素しか私は見ていませんので)、厳密にはそこは私も門外漢です。もし何かガイドライン的なものを私に期待しているのなら、それはちょっと無理とだけ書いておきます。それに、そもそも私はWikipedia:ウィキプロジェクト 美少女ゲーム系の参加者リストに入っていません。--NISYAN 2009年11月3日 (火) 23:23 (UTC)
「同人か商業かで区切る」と決めたならば、そのような「どっちも本質的に同じなのに書いて良いかどうか変わるのか?」という事例がいくつか発生するのは仕方ないです。その問題は、「特筆性」で区切ったところで、形を変えて出現します。というより、「書いて良い・書いて悪いとは言われていない」ことと「実際に書くかどうか」ということを一緒にされても、私の方も困ります。一番最初に書きましたが、そういったものの延長上がWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるなのではないかと。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月5日 (木) 21:43 (UTC)

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おぼろげながら、私とNISYAN氏との間で意見が食い違う根本的な点が見えてきたように思うので、もう少しまとめる時間をください(1週間以内には何とか)。まだ意見がまとまっていないので深く言及するのは避けますが、NISYAN氏もミルディン氏も、無意識にか「出演リストは完全であるべき」とお考えのように思いますが、私は全くそうは思っていないあたりに原因がありそうです。「出演リストは完全であるべき」という理由を示していただいて、それが充分納得できるものであれば、おそらく議題2に関しては私は折れるだろうと思います。

このコメントは考えがまとまって再投稿する際に消すつもりですので、このコメントにレスを付けないようお願いします(付けても構いませんが文章の前後の整合性の問題が発生する)。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月5日 (木) 21:43 (UTC) 2009年11月8日 (日) 23:49 (UTC)

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ラッキースター・キッドさんからミルディンさん宛に質問している「全てを網羅したリストが良い」という部分について、私の意見を書いておきます。まず書いておくことは「出演リストは完全であるべき」といったニュアンスは持っていません。特定記事において出演リストに記載されていない作品を記載するのが妥当と考える執筆者がいれば、それをこういう広域議論場所での議論結果によって妨げないようにしたい、ということであって、出演リストは完全であるべきとは考えていません。また、「これはさすがに記載しなくていいだろう」ということが記事のノートで執筆者間の共通認識となっている状況の記事に出かけてまで「不足しているなら記載すべきだ」なんて主張するつもりもありません。まあその場合は、記載を希望する人がその記事のノートで「記載可」の合意を改めて得るべきだろうと考えます。
で、件の疑問についてですが、読者視点で考えた場合に「全てを網羅したリストが良い」と考える読者を充分想定しうる、というのが、私の中では一番の理由です。「全てを網羅したリストが良い」という根底にあるのは「質も量も史上最大の百科事典」を目指しているWikipediaの「量」の部分になると思いますが、何でもかんでも詰め込めばよいかというともちろんそれは疑問です。前サブ節でさすがに「端役の役名や放送話を全列記する」必要があるとは私も思っていません。その境界線は「記載される情報があると嬉しいと考える読者が存在するか、そういう読者を想定できるか」「存在するなら一定数存在すると考えられるか」といったところです。
出演作品一覧について言えば「声優買い」のような視点の読者を想定しています。そのような人の存在は(個人的主観ですが)私のまわりでもそれなりに見ることができますし、私自身も過去にはある方(12など)の作品は須く集めようとしていた時期があり、一定数存在するように思います。ある声優に興味を持ち、その人が出演している作品を入手しようと考える、前記のような読者を想定する限りは「全てを網羅したリストが良い」と考えますし、「出演作品の特筆性がない」だとか「同人作品」だとかの基準での記載されない理由の妥当性は、そういう読者には理解し難いのではないかと思います。また、初期提案には「Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける」が挙がっていますが、「エピソード」節の「発言集」的なものに適用する場合と、「作品一覧」に適用する場合とでは、その情報を望む読者の有無という観点から適用の可否は異なるように考えています(別な言い方では、その情報を望む読者が一定数いる限りは雑多とは言い難い)。尤も、そういった読者が想定できるというのは私の経験則によるものであって、そういった読者が想定できないという意見者が多数であれば、私は意見を引き下げると思います(そこが私の判断基準の根底ですから)。
なお「公式サイトに掲載されているからWikipediaになくてもいいんじゃ?」という意見に対しては、10年20年経ち、一部の声優さんは死去あるいは引退し、公式サイトすらなくなって「全てを網羅したリスト」が公式サイトに掲載されなくなるケースを想定しています。先に挙げた榎津まおさんだって、同人ゲーム作品出演リストを含む公式サイトが10年20年後に残っているかは判りません。出演作品が入手困難になっていることは想像に難くないですが、「声優買い」のような読者はそのような(特筆性のない)作品であっても出演しているかどうかの情報を、つまりは出演リストへの記載を望むと思います。
私が記載に反対するとしたら、B-2案件的な部分でしょうか。例えば、18禁ゲームへの出演を公言していないような声優さんを、18禁ゲームへの出演として公式寄り情報の出典なしに記載することには反対します。私自身は18禁ゲームへの出演の有無は気にしませんが、当の本人が積極的に秘匿している限りにおいては記載を避けるべきでしょう。そうでない限りは、さらには今回のケース(の一部)のように出演声優さんが好意的に考えている作品については、前記想定読者が求めるであろう「全てを網羅したリストが良い」を覆すほどの除去の妥当性は今のところ感じ取れません。
他には、「音楽系人物記事」で考えるなら「(日本の)インディーズ時代の作品は原則除去」に近いような気がしますが、同種他分野を考慮せずに声優記事分野に限定している点や、あくまでも商業作品を除外している点などを考えると、いくら根本理由が「特筆性なき作品を除去」と謳っていても、提案内容からは「声優記事から同人作品を除去」が根本理由にあるようにしか見えないです。それが私の誤解であっても、その誤解を払拭するだけの説得力は、前回発言での説明からは感じられませんでした。--NISYAN 2009年11月7日 (土) 05:48 (UTC)

1週間かけてまとめるより、少しずつでも問答しながら書いたほうが分かり易くて良いかな、と考えを改めたので、前言を撤回して少しずつ書くことにします。
「特定記事において出演リストに記載されていない作品を記載するのが妥当と考える執筆者がいれば、それをこういう広域議論場所での議論結果によって妨げないようにしたい」に関しては、その通りです。「記載するのが妥当と考える執筆者」を「一部の作品を除去すべきと考える執筆者」に置き換えても、それは変わらないことは言うまでもありません。本来ならば、意見が衝突したならば、各記事のノートや各記者のノートなどで話し合うのが筋というものです。しかし、前述の通り、私はミルディン氏や夢幻乱舞氏から事実上の個別対話拒否・広域議論にしか従わないと宣言されており、実際問題としてそういう方が居る以上、「権威」ある広域議論で決めることは必要不可欠だと考えています。いくら対話拒否とはいえ、夢幻乱舞氏など個人に対してコメント依頼やブロック依頼を出すのも、何か違うような気がしますし(私は夢幻乱舞氏の議論参加を待ち焦がれているのですが、呼びに行くほどのものでもなし)、対話拒否のたびにNISYAN氏に仲裁を頼むのも何か違います。
「記載される情報があると嬉しいと考える読者が存在するか、そういう読者を想定できるか」に関しては、トリビアなどに関しても当てはまるので、そっくりそのままの文意であれば賛成できません(トリビアに関しては「百科事典的でない」という、よく考えるとよく分からない理由で対処されていますが)。私は「質」の維持のためには、出演リストの整理が必要だと考えています。「略歴」などに代表されるように、人物伝には代表的なエピソードが載っていれば充分で、それ以上は蛇足です。出演リストも本来は代表作だけあれば充分なのですが、「代表作の選抜」が独自研究になってしまうことと、編集合戦も厭わず編集する方が声優記事に多いことで、そのような体裁にはなっていないことが多いです。(書きかけ)--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月8日 (日) 23:49 (UTC)
(続き)読者の想定に関しては、「声優買い」の読者層がいるのは確かでしょうが、別にそこにターゲットを当てずとも良いでしょう。いわゆるマニア層のためにウィキペディアが存在するわけではありません。昔、どこかで誰かが言っていて、なるほどと思い以降自分のウィキペディア編集を行なう際の心がけにしているのですが、ウィキペディアはファンたちがお互いの知識を確認しあうための場ではないということです。
Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける」に関しては、NISYAN氏が仰るとおり、適用の可否に関してノートで指摘されています(結論は出そうにありません)ので、確かに現時点でこれを適用するのは難しいなとは思います。
「公式サイトに掲載されているからWikipediaになくてもいいんじゃ?」に関しては、そもそも公式サイトというのは代表作しか載せないことが多いので、比較対象にはならないように思います。著名な声優であれば、雑誌インタビュー記事などもあるでしょうし、声優名鑑などに収録されていることもあるでしょうから、20年後については考えなくて良いと思います。また、ウィキペディアが世界唯一の声優出演リストであれば網羅もやむなしでしょうが、そうではないわけです。
以前も言いましたが「出演を好意的に語っているか」については、それ自体は出演リスト掲載の可否(特筆性)に影響を与えないと思います。逆に、否定的に語ったのであれば特筆性も出ましょうが(声優ではありませんが、TVアニメ版『HELLSING』と平野耕太、TVアニメ版『銀河戦国群雄伝ライ』と真鍋譲治など)。
「インディーズ時代の作品は原則除去」の例えについては、若干的外れではないかと思います。特筆性のあるインディーズ時代の作品であれば掲載すればよし。たとえば同人上がりということで、Sound Horizonに同人時代の作品リストは有っても良いと思います。また、声優・俳優で例えるならば「インディーズ作品」は「(自分が監督を務めた)自主制作映画」ということになり、「(自分が作ったわけではない)同人作品」とは少し違うように思います(「他者製作のインディーズCDにゲスト出演」が妥当か?)。私は同人サークルAQUA STYLEの記事に『東方奇闘劇3』があったとしたら、詳細記事は要らず一行あれば良いとは思いますが、特に否定しません(現時点ではサークルの特筆性の点からか記事は作られていません)。
「声優記事から同人作品を除去」が根本にあることは否定しません。しかし、何故自分がそれは要らないと感じているのか考えると「作品に特筆性が無いからだ」と思い当たったので、こうしてその線で議論を進めているわけです。むしろ、NISYAN氏には「声優記事から同人作品を除去」が根本理由ではいけない理由をお尋ねしたい。 「声優記事から同人作品を除去」の理由を「作品に特筆性が無いからだ」として、特筆性の点から除去を提案するのは、いけないことでしょうか?(感情論は抜きにして)--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月10日 (火) 22:21 (UTC)
場だけ広域議論の場に移っただけで、ミルディンさんや夢幻乱舞さんがその議論の場に参加していないのであれば(というように私には見えます、ただ1度のミルディンさんによる意見表明では)、場を移した意味はあまりないように思います。まあ他の記事にも影響のある場に持ってこられた以上は、私は他の記事に影響する部分に対して発言するしかありません。ミルディンさんや夢幻乱舞さんが発言しない理由が私の行動によるものだと判明すれば行動を変えます(発言がうっとうしいとかであればしばらく黙っています)が、ミルディンさんや夢幻乱舞さんが発言しない理由を問うのは私の役目ではないですよね?それ以外の点については書きかけでしょうから、今のところコメントは控えておきます。--NISYAN 2009年11月9日 (月) 23:12 (UTC)
ラッキースター・キッドさんは私と夢幻乱舞さんが対話拒否をしているとおしゃっていますが、そうなると「あなたの意見に反対=対話拒否」となってしまいますね。先行の議論の場では我々はあなたが挙げた問題点に対し、解決策を出したり反対する理由をきちんと述べたはずです。また、夢幻乱舞さんはしばらく時間を置いてからこちらに来られるとおっしゃいました。それなのに悪者扱いですか。酷いものです。それこそ議論の進行を妨げる行為ではないでしょうかね?--ミルディン 2009年11月10日 (火) 05:12 (UTC)
「述べたはずです」と仰るが、「出演には違いないのだから区別する必要は無い」というミルディン氏の意見は(受け入れられるものであるかどうかは兎も角)分かりますが、夢幻乱舞氏は「全リストは良いものだから良い」としか言っていなかったように記憶しております。「PJで議論しろ」と言って個人ノートでの議論を打ち切っておいて、当の本人はPJ議論どこ吹く風で声優記事の編集を続けておられるのを見ると、悪者とまでは言わないまでも、誠意を感じないと思うことは仕方ないのではないでしょうか。ウィキブレイク中であるならば別ですが、そういうわけでもなし。
私から言っても聞いてもらえないでしょうから、ミルディン氏のほうで「ラッキースターがこんなたわけたこと言っているから一度顔出しだけでもしておいたほうが良いよ」などお伝えくださるとありがたいです。無論、強制はしません。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月10日 (火) 22:21 (UTC)
後半について。 「記載される情報があると嬉しいと考える読者が存在するか、そういう読者を想定できるか」と「存在するなら一定数存在すると考えられるか」を分離されるとちょっと私の考えていることが多分伝わっていないのかなと思います。「前者のような読者が一定数存在するか」です。極小数の対象を想定しているつもりはありません。
「声優買い」という言葉を出したのも誤誘導かもしれません。「ある声優の出演作品が公式サイトなどで拾えなくなったときに、後々その声優を知り、Wikipediaで調べて、出演リストを必要とする、という読者がどの程度発生するだろうか」ということを考えた場合に「声優買い」という存在から推測して「すべての出演作品の情報を欲しがる読者の存在を想定しうる(前項で書いたように「一定数」)と言っているつもりです。「声優買い」は確かにマニアかもしれませんが、ここで想定している読者はせいぜいマニア予備軍です。それが「質も量も史上最大の百科事典」を目指しているWikipediaの「量」の部分だと思っています。読者が一定数存在すると想定できるのであれば、マニア予備軍やマニアであろうがなかろうが、その読者層を排除する妥当性はないと、私は思いますけどね。そして、他メディアに載ってるからいい、他サイトでやってくれってのも、「量」の部分に対しての怠惰な態度だと思いますけどね。
後、マニアあたりの話について書いておくと、≪いわゆるマニア層のためにウィキペディアが存在するわけではありません≫と≪ウィキペディアはファンたちがお互いの知識を確認しあうための場ではない≫についてですが、前者は読者をどう考えるか、後者は執筆者をどう考えるかであって、別の話ですよね?前者が≪いわゆるマニア層のために(=マニア層が知識をさらけ出す場として)ウィキペディアが存在するわけではありません≫という意味であれば(その原文を見ていないから私にはそういう意味かどうか判断つきませんが)、私の伝えようとしていることは全然伝わっていないことになります。私は執筆者がマニアであるかどうかなんて視点を含めたつもりはありませんよ。あくまで必要と考える読者が一定数存在する情報であるか、その読者がマニアかどうかは抜きにして、と言っているつもりです。ついでに言うなら、ラッキースター・キッドさんが執筆者視点で必要である/必要でないと考えるかどうかについては私は興味ありません。ラッキースター・キッドさん個人が読者視点で必要でないと考えるということを表明する分には構いませんが、それは一個人の意見であって、(ラッキースター・キッドさんも認め、マニアという表現で表しているであろう)必要と考えている一定数の読者の存在を覆すものではありません。私も執筆者視点で必要だと言っているつもりはありません。執筆者の自己満足ではいけないはずですから、それを読んでいただく読者を考え、その読者に向けて執筆する、その読者が一定数存在するならそれはおそらく必要な情報だ、そういう話をしているつもりです。執筆者の自己満足で不要な情報を書き散らす、ってのとは別の話のはずです。
「出演を好意的に語っているか」についてはB-2の懸念あるいは黒歴史なんかの懸念がないがないということを伝えたかっただけです。否定的情報であればそれを記載するにあたっては強い記載の妥当性(および出典)を必要とする。そういう種類の情報じゃないですよ、ってことを書いているだけです。
「同人作品は作品に特筆性がないはずだ」「特筆性のない作品を記載しない」を合成して「同人作品を除去」する。前提前者に対する提案を出さず、前提後者に対する提案を出さず、あるいは先行議論の場へのポインタも出さず、いきなり結論に対する提案を出されても、納得できませんって。それは、先行議論に対する合意状況が見えていないからです。その先行議論の合意状況をラッキースター・キッドさんが作り出して(随所にある「特筆性のない作品を(登場作品一覧に)記載しない」ってのは、今のところ合意に至っていないですが、その前提での発言が随所に見られますよね?)発言されても納得できません。前提前者や前提後者に対するある程度の議論の上で、「同人作品を除去」って話が落としどころだろうと浮上してきた後であれば納得ですが、前提前者や前提後者についての議論が行われていない状況じゃ納得できないでしょうに。--NISYAN
先行の議論において対立状態となってしまったため、こちらでは他の方々の意見を聞いてから発言しようと思っておりましたが、少々時間を空けすぎてしまいましたようですね。(この場において必要とは思えない私の行動を随分と酷く言われていますが)あらぬ誤解を与えてしまったことにはお詫びいたします。
さて、まずはじめに言っておきますが、私は「全リストは良いものだから良い」のようなことを発言した覚えはありません。「二次創作作品の記載は不適切とは言えない」と言いました。先行の場では、ラッキースター・キッドさんが「特筆性がないから記載すべきではない」という理由で除去を行ったことの説明と、私とミルディンさんの行為を「不当」と評されましたが、上でミルディンさんがおっしゃったように解決策を出したり理由をしっかり述べて反対したつもりです。そして「対話拒否」のようなことを言われてしまい、ミルディンさん同様こちらで他の方々を交えて議論するべきと思いました。
私は出演作品の記載の可否は「商業(一般)か同人」「作品の特筆性の有無」ではなく、「明確な出典があるか否か」で判断しております。『夢想夏郷』『東方奇闘劇3』に関しては、共にそれぞれの製作者様のサイトでも出演者情報を公開していますし、以前も述べたように出演者の佐藤聡美さんや日笠陽子さんも自身のブログで告知しておりますので記載に問題はない、また「れっきとした出演作品の商業(一般)作品と同人作品を区別すべきではない」と思っております。こちらではラッキースター・キッドさんが自身の考えを詳しくご説明してくださってますが、やはり私は賛成することはできません。--夢幻乱舞 2009年11月11日 (水) 17:42 (UTC)
諒解しました。詳細な返答にはもう少し時間を下さい。私ラッキースターは特筆性に重点を置き過ぎているようだということは理解しましたが、やはり「商業・同人に特筆性の区別無し」「出典があればよい」「出演に肯定的であればよい」というのには違和感があります。
といいますか、議題2については大まかには皆さんの意見の方が説得力のあるものだということは私にも分かるのですが、それを理由に「何でも書いていいんだ」と誤解する方が現れるのを避けたい気持ちが非常に強いのです。ことサブカルチャー記事はそういう風になり易く頭を抱えています。何か上手く、そういう方を排除(排除と言い切ります)しつつ、記述を可能にするような、良いガイドライン文章の案はないでしょうか。いずれにせよ、私とミルディン氏や夢幻乱舞氏が衝突したように、各所で緩やかな編集合戦が起きているのは事実なので、記載可なら記載可で、やはり何らかのガイドラインは必要だと思います。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月11日 (水) 21:22 (UTC)

仕切りなおし[編集]

お待たせしました。「同人である」という理由のみで出演リストから除外することは不適切である、という意見が多かったので、それについては私は議論を取り下げます。しかし、仕切りなおして別件で議論を続けるべきだと思いました。異論が無ければ仕切りなおして議論を行ないたいのですが宜しいでしょうか? もし「議論を仕切りなおすこと」自体に反対の方がいらっしゃるようでしたら、仰ってください。(今のところ、仕切りなおし節はコメントアウトにしてあります。数日待ちます)仕切りなおしすることに反対の意見がなかったので、仕切りなおしとします。2009年11月20日 (金) 23:55 (UTC)

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一番最初に私は「特筆性のないもの」を「一般に同人作品として流通しているもののうち、記事として存在できそうに無いもの」と定義しました。それは『夢想夏郷』や『東方奇闘劇3』のような作品の記載を原則禁止するにはどのような定義を取ったら良いかという問題で、NISYAN氏の仰るような「同人アダルトゲーム」のようなものは想定外だったため、このような混乱を招いてしまいました。NISYAN氏の仰る「「同人であること」だけを理由に除去することは反対」という意見は道理に適っており、そのため私は混乱してしまいましたが、よく考えれば何のことはない、最初の定義が間違っていただけでした。

定義を変えます。ここでの「特筆性の難のある作品」は、一般に二次創作物と呼ばれるもののうち、一次創作者側から言及されていないものを指すこととします。具体的には『夢想夏郷』『東方奇闘劇3』のような作品を指します。一次創作者側から公認を受けている作品、または逆に公認されず著作権侵害であると名指しされた作品(例えばドラえもん最終話同人誌問題)などは除外されます。

こういった作品への出演は、リストに加える必要が無いでしょう。「商業作品」や「一次創作」、あるいは「公認された二次創作」であれば、特筆性はあり、記載すべき価値もあるかもしれません。しかし、「非公認の二次創作」は、「二次創作側で勝手にやっている公式でも公認でもないもの」であるという点を考慮すると、(声優自身は仕事でやっていたとしても)記載すべき価値は一段劣ります。「商業・同人に特筆性の区別無し」というのは一次あるいは公認二次の同人には当てはまるかもしれませんが、非公認二次創作同人には当てはまらないでしょう。非公認二次創作同人の場合は、「検証可能性」より「記載すべき価値のなさ」が優先されると思います。

また「非公式二次創作物でも声優自身が出演に肯定的であればよい」というのは、何度も申し上げていますがそれは特筆性に影響を与えないと思います。「声優が言及しなかったら特筆性が落ちるのか」ということを考えると、そんなことはないだろう、という考えを逆にしたものです。特筆性にプラスの影響を与えるのは、「一次創作側が言及した場合」でしょう。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月16日 (月) 21:48 (UTC)

◆記載(あるいは除去)の詳細条件だけ見ると積極的に反対する立場にはありません(今後も含めて私の編集分野と衝突することはないのでどちらでもよいという感があります)が、「特筆性」という言葉が、どうも「世間一般、あるいは記事対象人物とは独立した第3者にとっての、作品自体の特筆性」(Wikipediaで一般に言われるところの特筆性)なのか「記事対象人物にとっての、作品の特筆性」(記載に値する関連性)なのか、織り交ぜて使われているような気がするので、その確認の意味を込めて。一応確認ですが、
  1. 「記事対象人物にとっての、作品の特筆性」を「世間一般、あるいは記事対象人物とは独立した第3者にとっての、作品自体の特筆性」で縛ろう
  2. その詳細条件として≪一般に二次創作物と呼ばれるもののうち、一次創作者側から言及されていないもの≫という条件で縛ろう
という考えであっていますでしょうか?そして、それが合っているなら、(1)に疑問を感じているわけです。ここでの提案が(2)に対してのみであれば積極的に反対するつもりはないのですが、(1)を含めて合意確認をしているのなら、それについては反対しておきます。
以下、文章を変えての再説明以上のことは書いていないかもしれませんが。私は一般に、2つの記事の関連性(AからBへの関連性と、BからAへの関連性)は同等でないと考えていますし、その意味で誘導性確保の要不要の判断(リンク付与の妥当性)も同等でないと考えています。言い換えると「A(人物)にとって、B(作品)が誘導性確保に値するか」は、「Bにとって、Aが誘導性確保に値するか」とは直接的には無関係と考えているわけです。ついでに言うと、「(Aとは無関係の)第三者あるいは世間一般がBをどのように捉えているか」とも直接的には無関係であると考えています。
≪一次創作側が言及した場合≫云々は直接的には「Bにとって、Aが誘導性確保に値するか」に影響を与えるものだと思います。「Aにとって、Bが誘導性確保に値する」なら、それに付加価値を付ける情報とは成り得ますが、元々「Aにとって、Bが誘導性確保に値」しないのであれば、≪一次創作側が言及した場合≫に示される情報だけで「Aにとって、Bが誘導性確保に値する」情報に昇格することはないと思っています。
≪特筆性≫云々が「世間一般、あるいは記事対象人物とは独立した第3者にとっての、作品自体の特筆性」のことであれば、「(Aとは無関係の)第三者あるいは世間一般がBをどのように捉えているか」を示す1要素でしょうが、私が思うにそれらは「Aにとって、Bに言及することに価値があるか」に必ずしも直結するものではないと考えます。「Aにとってその作品がどういうものであるか」ということが、「A以外の人にとってその作品がどういうものであるか」に左右されるわけではない、という考えです。
≪特筆性≫云々が「記事対象人物にとっての、作品の特筆性」のことであれば、「記事対象人物が(肯定的かどうかはともかく)言及している」こと自体が「記事対象人物にとっての、作品の特筆性」だと思います。出演作品という枠に含めるのが妥当かどうかという観点で、出演作品節に記載するかどうかというのはあると思いますが、その判断はここで提案されている記載条件とは別のところにあるように思います。
と書きましたが、(2)だけを対象とした提案である限りは、積極的に反対はしませんけど、そこが見えなかったので 。--NISYAN 2009年11月22日 (日) 03:02 (UTC)
すみません。これから年末にかけて私用で忙しく、あまり議論に長い時間をかけられそうにない状況になってしまいまして、しっかりとしたお返事にはもう少し時間がかかりそうです。議題1の結果をプロジェクトに反映させる作業もまだ終わっていませんし。必ずお返事はしますので、もうしばらくお待ちください。他の方のご意見もお待ちしております。
NISYAN氏の仰ることはわかります。酷く大雑把に言って、例えるならば『けっきょく南極大冒険』から「南極」や「ペンギン」にリンクするのは良いが、その逆は要らないということですよね。
少なくとも、公式でも公認でもない、原作者も認識していない(と思われる)ところで勝手にやっているという点において、他の一次創作作品や公認二次創作作品と同列に語られるというのは、やはりおかしいと思うのです。たとえ、声優の出演リストに過ぎないとしても。せめて、10月27日にジャビ氏が仰っているように、「OVA」や「ドラマCD」節ではなく「二次創作」という節であれば、あるいは読者にとっても非公式であることが一目でわかるので良いのかもしれませんが、この意見に賛成の方がジャビ氏を除いていらっしゃらない現状ではこの線で議論を進めることはできません。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年11月24日 (火) 23:51 (UTC)
急ぐ理由は(私には)ありませんので、時間が掛かるのは(私は)構いません。≪「二次創作」という節≫を設けるのはありだと思います。その案を採用することでの同分野他記事への影響を私が把握できているわけではありませんので、積極的賛成とまでは言いませんが。--NISYAN 2009年11月25日 (水) 01:07 (UTC)
1ヶ月も待てばNISYAN氏以外の方からの意見も付くかと思っていたのですが、全然付いていませんね。私としては「公式・公認であるとの誤解の発生を避けるため、非公式のものは非公式とはっきり分かるようにすべき」という観点から、除去しないまでも『二次創作』など解り易い名称の節に隔離するべきだ、というあたりでまとめようかと思っていたのですが。
今から1ヶ月ほど待ってみて、反論無ければ「非公式のものへの出演は、その旨がはっきり分かるよう、明確に節を分ける」あたりで決めてしまおうと思います。
年末から引き続き、忙しいのはもう少し続きそうで、まだしばらくは議論に集中できそうにありません。申し訳ないです。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年1月6日 (水) 23:31 (UTC)
1ヶ月ほど経ちましたが反論など無いようですので、プロジェクト文書に反映しました。(ins要素で囲ってある部分です。標準ブラウザであれば下線が引かれているように表示されるはずです。1ヶ月ほど経ったらins要素は外します)。長い議論にお付き合い下さりありがとうございました。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年2月1日 (月) 21:47 (UTC)