プリントゴッコ

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プリントゴッコ(Print Gocco)は理想科学工業1977年昭和52年)に製造および販売開始した個人向け小型印刷機シリーズである。アナログ、デジタル及び対応サイズや紙、布等用途に合わせた数機種のラインナップが存在する。独特のネーミングは、当時の理想科学工業社長である羽山昇により、「子ども達が家庭で印刷ごっこを楽しむ姿を思い描いて」名付けられた[1]。社内で異論もあったが、羽山の「ごっこ遊びこそ知育の源泉」との説得により決定した[1]2008年平成20年)6月末に本体の販売が終了し、その後は消耗品の販売のみ継続されていたが、2012年(平成24年)12月28日でプリントゴッコ事業の全てが終了した[2][3]

仕組み[編集]

印刷方法の原理の分類によると「孔版印刷」の一種であり、シルクスクリーンもこの分類に含まれる。原稿作成には、カーボンを含む筆記具もしくはコピー、プリンターを使用する必要がある。版は、シルクスクリーンの「スクリーン」に相当する商品名「マスター」もしくは「ハイメッシュマスター」を用いる。版画におけるスクリーンとは、布のように細かい網目状の薄いシートの構造をした品を指し、プリントゴッコのマスターのシート部分には、ある一定以上の熱で溶ける特殊な化学薬品が薄く塗ってあり、厚紙のフレーム枠で固定されている。なお、プリントゴッコ本体は、製版および印刷の両機能を備えている。

製版は、フラッシュランプを装着したランプハウスと呼ばれるパーツを用いて発光させるため、単3形乾電池が二個必要である。原稿とマスターが密着するよう本体にセットし、フラッシュランプを光らせると、閃光によって発生した熱により、マスターにはカーボンを含む筆記具で書かれた部分のみが転移して、同時に版面に塗布された化学薬品を溶かすため、細かい網目だけが残る。この溶けた部分にのせたインクが通過して印刷が可能となる。なお、フラッシュランプは写真撮影用のフラッシュバルブと同じ仕組みで、一度のみの使い切りである。プリントゴッコの登場により、当時ストロボの普及によって需要がなくなっていたフラッシュバルブに再び活躍の場を与えたと言われる。

印刷は、製版でフラッシュバルブの熱で溶けた部分に専用インクをのせたマスターを本体にセットし、上から紙に押し当てる(プレスする)と、インクが網目から染み出るように出てくることで実現するため、ガリ版や他の版画で使用するローラーや、スクリーン印刷で必須のスクイージー: squeegee)は不要である。メリットとして、印刷時にマスター面でインクの流動が抑えられるため、一枚のマスターでグラデーションのように多色を並べるなどが可能である。しかし、多少なりとインクの混合は避けられず、回避策としてインクが通らない部分に、粘着剤がついた薄いスポンジ状のシートを貼って区切ることで混ざらずに多色刷りができる。これに対し、シルクスクリーン印刷はローラーもしくはスクイージーを用いるため、インクの位置がずれていき多色刷りには向かず、一色毎に一枚のスクリーンを使用するのが一般的である。[4]

普及[編集]

1970年代後半に発売された当初は、葉書サイズの印刷が可能で、特に大量印刷した際のランニングコストの良さから、年賀状や暑中(残暑)見舞い等の用途で急激に普及し、年賀状シーズンには専用の素材集、イラスト集も多数発売された。その後、名刺サイズやB5サイズ、布に印刷できる機種が発売され、特に前者はアマチュア無線において交信の証拠として交換するQSLカード作成用や、オリジナルのハンドメイドの便せん、封筒や同人誌制作でも多く使われた。[5]なお、発売当初は、マスターの仕様により、繊細な表現は不得手とされていたが、後年、改良されて網目が細かくなったハイメッシュマスターとそれに対応したインクが開発され、本格的シルク印刷に近い細かな精度の印刷が可能となった。他にも、専用フォトスクリーンの登場で、イラストのみでなく写真データを原稿に使用できるようになった。また、インクの色数も増えたことで飛躍的に表現力や応用性が向上し、三原色に分解した網点原稿を3つ重ねて印刷することで擬似的に分版フルカラー印刷を実現するセットや素材集、簡易スタンプ作成キットや、布印刷に対応したキットなども発売された。 最盛期には年賀状印刷の定番となり[2]、年末になるとTVコマーシャルはもちろん文具店や量販店に山積み販売されるほどの人気商品に登りつめ、 1987年昭和62年)に年間最多の72万台を売上げた[6]。累計売上台数は日本を含めた全世界で1050万台。

これらのメリットや特性を活かし、年賀状作成に留まらず芸術表現の一種としてプリントゴッコで制作された版画は、作家達により「新孔版画」と名付けられ、1991年には作家同士の交流の場として、東京都に本部をおく新孔版画協会が発足した。

パソコンとプリンターによる年賀状作成が台頭[編集]

1990年後半、一般家庭でのパソコンの普及率が高まり、併せてインクジェットプリンターの高画質化、低価格化が進むと、原稿作成が容易で画数の多い漢字を小さくきれいに簡単に印刷でき、フルカラー写真の年賀状印刷が可能、機器の準備や後片付けが不要、住所録の管理の容易さなどから多くのユーザーがパソコン利用に移行していった。プリントゴッコも印刷速度やコストではインクジェットプリンターに見劣りするものではなかったが、やがて市場は逆転することになった。 それでもプリンターでは表現出来ないタッチや発色における根強い人気は健在で、金色銀色蛍光色などの特殊インクはインクジェットプリンターでは実現不可のためあえて組み合わせたり、エンボスパウダーを用いた特殊効果など、独自の表現をセールスポイントにして販売は続けられた。しかし、電子メールが普及したことで、日本の年賀状文化そのものの急激な衰退が決定打となり、プリントゴッコの需要の減少傾向は最早コントロール不可となった事で2008年(平成20年)6月末に本体の販売を終了した[7]。なお、インク、フラッシュランプなどの消耗品の販売はその後も継続していたが、2012年(平成24年)12月28日にプリントゴッコに関連する事業の全てを終了した[8][3]

プリントゴッコjet[編集]

2003年(平成15年)には小型スキャナメモリーカードリーダ、インクジェットプリンタ機能、液晶画面を内蔵した「プリントゴッコjet」が発売された。。原稿作成が容易で手軽にカードを印刷できるという特徴は、それまでのプリントゴッコと共通していたが、仕組みや原理は全く別物のデジタル複合機であり、プリントゴッコの最大の特徴の一つである専用インクが利用できなかった。

年表[編集]

  • 1977年昭和52年)5月 - ビジネスシヨウでプリントゴッコを発表
  • 1977年(昭和52年)9月 - プリントゴッコB6を発売
  • 1987年(昭和62年) - プリントゴッコPG-10を発売
  • 1991年平成3年)11月 - プリントゴッコPG-10SUPERを発売
  • 1995年(平成7年)9月 - プリントゴッコPG-5、PG-11を発売
  • 1995年(平成7年)11月 - プリントゴッコデジタルCD-1を発売
  • 1996年(平成8年) - プリントゴッコシリーズの累計販売台数が1000万台を突破[2]
  • 1999年(平成11年)6月 - プリントゴッコアーツ(紙用/布用:定価29,800円)を発売
  • 1999年(平成11年)11月 - プリントゴッコデジタルを発売
  • 2000年(平成12年)11月 - プリントゴッコFC-3を発売
  • 2003年(平成15年)10月 - プリントゴッコjetV-10(定価29,190円)を発売
  • 2008年(平成20年)6月30日 - プリントゴッコ本体のメーカー販売を終了
  • 2010年(平成22年)10月17日 - プリントゴッコ・ユーザーコミュニティ「RISO Gocco's CLUB」の新規受付終了
  • 2012年(平成24年)12月28日 - 消耗品の販売・サポート業務などプリントゴッコのすべての業務を終了[2][3]

CMキャラクター[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 中日新聞社販売局(2012):30ページ
  2. ^ a b c d 中日新聞社販売局(2012):31ページ
  3. ^ a b c “プリントゴッコ事業終了について” (プレスリリース), 理想科学工業, (2012年12月28日), http://www.riso.co.jp/c/release/121228_pg.html 2012年12月28日閲覧。 
  4. ^ 『プリントゴッコで楽しくアートする』、理想科学工業、1991年、(ISBNなし、寄稿者多数)
  5. ^ かつて存在した作品コンテストでは「QSLカードの部」があった
  6. ^ [1](プリントゴッコのあゆみ)
  7. ^ 杉本吏"プリントゴッコが販売終了 年賀状文化の衰退も後押し"<ウェブ魚拓>ITmedia、2008年5月30日(2012年12月22日閲覧。)
  8. ^ http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=291913&lindID=4

参考文献[編集]

  • 中日新聞社販売局『Clife 2012年12月号』くらしと中日746、中日新聞社販売局、38p.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]