ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト
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アウグストゥスブルク宮殿
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| 英名 | Castles of Augustusburg and Falkenlust at Brühl | ||
| 仏名 | Châteaux d'Augustusburg et de Falkenlust à Brühl | ||
| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | 文化遺産(2), (4) | ||
| 登録年 | 1984年 | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 使用方法・表示 | |||
ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト(ブリュールのアウグストゥスブルクじょうとべっていファルケンルスト)は、ドイツの世界遺産の一つで、1984年に登録された。ブリュールにあるこれら二つの建物は、シュロス庭園で繋がっている。
目次 |
[編集] 歴史
アウグストゥスブルク城(アウグストゥスブルク宮殿とも訳される)は、18世紀初頭に選帝侯を兼ねていたケルン大司教の座にあったヴィッテルスバッハ家のクレメンス・アウグスト・フォン・バイエルンによって建造された。実際に建築を委ねられたのはヨハン・コンラート・シュラウン(Johann Conrad Schlaun)であった。彼はブリュールにもともとあった中世の城を改築する形で質素な宮殿を作り上げたが、1727年からフランソワ・ド・キュヴィイエ(François de Cuvilliés)が手がけた再改築によって、現存するロココ様式の壮麗な宮殿が出来あがった。宮殿には華やかな階段室があるが、これはバルタザール・ノイマンが手がけたものである。
バロック様式の庭園であるシュロス庭園を手がけたのはドミニク・ジラール(Dominique Girard)である。彼は宮殿や別邸の南の区画にある入念な花園も彼が手がけていたが、そちらは1800年代にペーター・ヨセフ・レンネ(Peter Joseph Lenné)が手を入れ、風景式庭園に変えた。
ファルケンルストは鷹狩り用の宮殿として1729年から1740年に建造されたもので、実際の建築にあたったのはキュヴィイエである。この別邸はケルン大司教の東洋趣味を反映してロココ様式とシノワズリが同居している。
1994年までは、アウグストゥスブルク宮殿はドイツの大統領が国賓をもてなすレセプション・ホールとして使われていた。
[編集] 登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
[編集] 参考文献
- 堀内正昭ほか『世界遺産を旅する(5)』近畿日本ツーリスト、1998年
[編集] 外部リンク
- 公式サイト(ドイツ語)
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