フィレモンへの手紙

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フィレモンへの手紙』は新約聖書中の一書で、使徒パウロによってフィレモン(ピレモーン)という人物にあてて書かれた書簡である。19世紀の聖書学者フェルディナント・クリスティアン・バウアがパウロのものであることに疑いを示したことで知られるが、現在ではほぼ疑いなくパウロの手によるものであると考えられている。現存するパウロ書簡の中ではもっとも短く25節しかない。『ピレモンへの手紙』、『フィリモンに達する書』とも表記される。

書簡の内容について[編集]

本書簡は、ローマあるいはエフェソスにおいて獄中にあったパウロが、紀元60年頃に協力者フィレモンと二人の仲間(アフィアとアルキポ)にあてて記したものである。『コロサイの信徒への手紙』によれば、フィレモンはコロサイの共同体のメンバーであったと思われる。ただ『コロサイ書』の真筆性には疑問が残る。偽書とした場合、『コロサイ書』は本書を単に模倣したとする説もあるが、その成立はかなり早いと推定されるのでこうした関係を否定できないとする説もある。この書簡でパウロはフィレモンの奴隷であったオネシモ(オネシモス、ギリシア語で「役に立つ」の意)なる人物への配慮を求めている。詳しい事情は文面から知りえないが、オネシモは一度「役に立たないもの」としてフィレモンのもとを離れたが、彼を再び迎え入れてほしいというのがパウロの願いである。

聖書学者たちの一致した見解はオネシモが主人のもとを逃亡したのだろうということである。さらに逃亡生活の中でパウロに出会い、キリスト教徒になったと考えられる。当然フィレモンは逃げたオネシモのことを良く思っていなかったが、パウロはキリスト教徒として二人を和解させようと考えている。

オネシモとパウロがどのように知り合ったのかということは諸説あって定かではない。いくつかあげると、オネシモもパウロとともに投獄されたという説、またオネシモが知人によってパウロに紹介されたという説、さらにパウロと主人フィレモンが知り合いであることを知っていたオネシモが、主人のもとに戻りたいとパウロを頼ったという説などがある。

パウロ書簡は詳細な事情については書かないことが多い。この手紙でもパウロはオネシモの件を解決するため、フィレモンの「キリスト者としての愛」に訴えている。パウロはオネシモのフィレモンに対する借りを自分のものにしてくれるよう頼むことで帳消しにするとともに、フィレモンもまたパウロに借りがあることを想起させる。パウロはオネシモが信仰に入ったことで、新たな身分になったとし、オネシモが「奴隷でなく愛する兄弟として」フィレモンの元に戻れるよう配慮している。

この箇所が具体的に何を言おうとしているのか、パウロがフィレモンに何を望んでいたのか、つまりオネシモを許すことか、それ以上に奴隷から解放することなのかはよくわからない。パウロの望みが、オネシモがフィレモンにとって「奴隷にして兄弟」であることか、「奴隷でなく兄弟」なのか書簡からは読み取れない。この点に関しては聖書学者たちの意見も分かれているが、パウロにとって福音が「奴隷制度」という当時当たり前だった社会構造にくさびを打ち込むものと考えていたと見るものもいる。

オネシモがその後どうなったのかもよくわからない。アンティオキアのイグナティオス2世紀初頭のエフェソス司教としてオネシモという名前をあげているが、オネシモは奴隷の名前としてありふれたものだったので同一人物と断定するのは難しい。

特徴[編集]

個人的な書簡であることを考えれば、『フィレモン書』が神学や思想にほとんど触れていないことは無理もない。マルティン・ルターは『フィレモン書』をパウロとキリストに共通する「ゆるし」という視点からとらえているが、ルターもこの手紙でパウロが社会制度の変革を考えているとは考えなかった。つまりパウロはオネシモの奴隷身分については変えようとせず、当時の法律に従って逃亡奴隷であるオネシモを主人フィレモンのもとに送り返そうとしているのである。

『フィレモンへの手紙』は近代に入ってイギリスやアメリカで奴隷制度の是非を巡って論議が起こった時に取り上げられることになった。興味深いことは、奴隷制度支持者と反対者の両方がこの手紙を論拠としたという事実である。近代以降の聖書研究者たちはこの手紙の中でパウロが奴隷制度については是非を明らかにしていないということで一致している。

脚注・出典[編集]

関連項目[編集]