フアナ・デ・ポルトゥガル

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フアナ・デ・ポルトゥガル(Juana de Portugal)またはフアナ・デ・アビス・イ・アラゴン(Juana de Avis y Aragón, 1439年3月20日 - 1475年12月12日)は、カスティーリャエンリケ4世の2番目の妃。父はポルトガルドゥアルテ1世、母は王妃レオノール・デ・アラゴンで、父の死後に生まれた末子である。ポルトガル名はジョアナ(Joana)。兄にアフォンソ5世、姉に神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の皇后 レオノールがおり、またエンリケ4世とは互いに母方の従兄妹に当たる。

エンリケ4世は即位以前の1440年に、自身にもフアナにも従姉に当たる、アラゴンフアン2世ナバラ女王ブランカ1世の娘ブランカと結婚していたが、一切性交渉を行わないまま、1453年にローマ教皇ニコラウス5世の承認を得た上で離婚した。

即位後の1455年にエンリケ4世は新たな妃としてフアナを迎えた。1462年に王女フアナが生まれた。しかしこの娘は王妃フアナが愛人の初代アルブルケルケ公ベルトラン・デ・ラ・クエバとの間にもうけたのではないかと疑われ、『ベルトランの娘』を意味するフアナ・ラ・ベルトラネーハと呼ばれるようになった。

フアナは他にも多くの愛人を作り、夫エンリケ4世は彼女を宮廷から追放した。カスティーリャ王ペドロ1世の曾孫であるペドロ・デ・カスティーリャ・イ・フォンセカとの間に彼女は2人の私生児をもうけた。そのためエンリケ4世はフアナを離縁し、その後フアナはセゴビア修道院に入った。

フアナは1475年にマドリードで死去した。