ビジコン

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ビジコン株式会社は、東京都台東区に本社を置くコンピュータ部品の製造会社。

概要[編集]

歴史[編集]

ビジコン HL-21

元々は旧満州・奉天市に設立された「昌和洋行」という商事会社が母体であり、1944年に昌和洋行の子会社として、主に手回し計算機の製造販売を手がける会社として設立。当時の社名は「日本計算器販売株式会社」だった。その後昌和洋行より独立し、手回し計算機の他三菱電機製のコンピュータの販売代理業務などを手がけていた。

1960年に世界初の電卓と呼ばれる「アニタ・マーク8」の日本への輸入を手がけたのを機に電卓業界と関わりを持つようになり、1966年には磁気コアメモリを採用した「ビジコン161」で電卓市場に参入。ビジコン161は当時の電卓としては破格の低価格(298,000円)・高性能を誇り、また発表時には当時としては異例の比較広告を新聞紙上で展開するなど話題を呼んだ。しかし、ビジコン161は、発表直前に事務機工業会[1]の会長が来訪しての発表中止要請、「通産省の課長」からの電話による発表中止要請を受けるなどの圧力を受けた。さらに、シェアが15%を超え、伸びようというところで、三菱電機から供給を受けていたダイオードの供給増加をストップされて増産ができなくなる憂き目にも遭っている。また、ビジネス通信社が当時発行していた『週間ビジネスマシーンニュース』で、ビジコン161の特集号を出そうとしたところ広告がひとコマも集まらず実現しなかった、という[2]

1970年に社名を現在の「ビジコン株式会社」に変更する。

ビジコン 141-PF。国立科学博物館の展示。

1971年には日本初のポケットサイズの電卓「LE-120A」(通称「てのひらこんぴゅうたぁ」)を発売した。また同年には、ストアードプログラム式電卓(ビジコン141-PF)の開発の過程でインテルと共に世界初の1チップマイクロプロセッサであるIntel 4004を開発している。

ただ電卓市場の競争激化に加え、石油ショック後の円安による為替差損[3]、三菱電機のコンピュータ市場からの撤退のあおりを受けたことなどが重なり、1974年に同社は倒産。会社再建後は主にコンピュータ部品の製造販売のほか、最近では電力線搬送通信(PLC)用のモデムの販売なども手がけている。

脚注[編集]

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  1. ^ 文献ママ。日本事務機械工業会か?
  2. ^ NHKスペシャル『電子立国日本の自叙伝』第5回「8ミリ角のコンピューター」(1991年8月25日放送)、単行本『電子立国日本の自叙伝』下巻 pp.174-180
  3. ^ 富田倫生『パソコン創世記』第一章の記述による

関連項目[編集]

  • 嶋正利 - 同社の技術者としてIntel 4004の開発に関わる。

外部リンク[編集]