バスク国の旗

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バスク国の旗。縦横比 14:25

バスク国の旗は、イクリニャ (Ikurriña, Ikurrina) とも呼ばれる。スペイン北部にあるバスク自治州の州旗であるとともに、スペインとフランスにまたがる歴史的な領域としての「バスク国」 (Euskal Herria) のシンボルでもある。

概要[編集]

デザインはユニオン・ジャックと似ており、赤地の上で緑の斜め十字と白の十字を交差させたものである。赤はバスク人を、緑は「ゲルニカのオークの木」(バスクの伝統的な議会がこの木の下で開かれたことから、伝統的な法や、民族の自治・自由といった価値を象徴する)を、白の十字はカトリックの信仰を、それぞれ意味している。

一般にこの旗はバスク人の民族的なシンボルと考えられており、フランス領である北バスクや在外バスク系コミュニティでも広く用いられている。また、バスクの分離独立を要求する(自治州政府とは敵対する)急進的民族主義者によっても掲げられている。一方、バスク民族主義党という一政党(長らく自治州政府の政権党だった)の党旗でもあることを理由に、この旗をバスク全体を代表するシンボルとすることに対する異論もある。

歴史[編集]

この旗は、1894年にバスクの民族主義者・サビノ・アラナルイス・アラナの兄弟が、ユニオン・ジャックを模して作った意匠に由来する。かれらはバスク7県それぞれの旗と、全バスク国を統合する旗のセットを制作したが、当時はその活動が不足していたためにビスカヤの旗のみが認知されることとなった。1894年7月14日、民族主義団体"Euzkeldun Batzokija"(バスク国民党の前身の一つ)によって、今日イクリニャとして知られる旗がはじめて掲げられた。

1895年、アラナらが創設したバスク国民党は、イクリニャを党旗として民族運動を展開し、1933年にはこの旗を全バスク国の旗とすることを提案した。バスクの人々に受け入れられたこの旗は、社会主義者の顧問であったアスナールの提言もあり、1936年にバスク自治政府の旗として採用された。しかし、スペイン内戦で共和国側についたバスクを制圧したフランコによって、1938年にスペイン側バスクでのイクリニャの掲揚は禁止された(フランス側バスクではその後も使用されている)。これによって、イクリニャはフランコ体制への抵抗のシンボルとなった。バスク国民党から分裂した急進的非合法組織ETA(バスク祖国と自由)の活動は、まずこの旗を公共の場に掲げることから始められた。

スペインの民主化により、1977年にはイクリニャの掲揚が合法化された。1978年12月18日、バスク自治州の州旗としてイクリニャが採用された。

名称[編集]

「イクリニャ」 (Ikurriña) という名称は、「しるし」を意味するバスク語 ikur をもとに、言語学者でもあったサビノ・アラナがつくった単語である。当初は「旗」一般を指す言葉として提案されたが、このバスク国の旗のことを指すようになった。現在の標準バスク語で、「旗」を示す一般名詞はスペイン語からの借用語 bandera である。なお、アラナ自身が記したバスク語(ビスカヤ方言)の綴りは ikuŕiñ-a はバスク語で定冠詞の役割を担う接尾辞)で、現在の標準バスク語では Ikurrin と綴る。

影響[編集]

イクリニャは、バスク人航海者が多く移住した北大西洋のフランス領サンピエール・ミクロンの一部を構成している。

関連項目[編集]