ノート:立花道雪

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「立花道雪」という名乗りについて[編集]

中野等著「立花宗茂」ISBN 4642052208 という本によりますと、道雪は立花鑑載の討伐後、宗麟に立花姓を名乗る事を、しばしば求めたそうですが、鑑載の謀反の関係もあり、宗麟が立花姓を名乗る事に難色を示したので、生涯道雪は「戸次姓」を使用し、発行文書にも全て「戸次姓」で署名した、とあります。つまり、公式に「立花道雪」と名乗った事はないはずで、「立花姓」を使用したのは宗麟死後の、立花宗茂の時代からである、となっています。となると、一般に有名な名乗りである「立花道雪」ですが、実際には存在しない事になります。なので、これを正式名称として登録するのはどうなのかな?と思ったので、みなさんの御意見を伺いたいです。「戸次鑑連」を正式名にし、「立花道雪」「戸次道雪」等をリダイレクトにするのはどうかな?とか思うのですが。本来は戸次姓の方が実名となるわけですし。--ポテンシャル0 2008年10月4日 (土) 15:40 (UTC)[返信]

正直どっちでもいいので賛成も反対もしませんが、延々とリンクを貼り直す手間をかけるほど改名のメリットがあるようにも思えません。--Kangoshiyouichi 2008年10月11日 (土) 05:01 (UTC)[返信]
生前使わなかった姓が有名であるという事情では同じの北条早雲の方でも意見を募ってみてはいかがでしょうか? 自分としては、記事の最初のほうに明快な説明があれば、死後有名になった名前がページ名でもなんら問題ないとは思いますが。--蒲生直義 2008年10月11日 (土) 08:55 (UTC)[返信]


まず、「手間をかけるメリットがない」という意見について。一般に流布している情報と、実際に後から発見された事実などをつき合わせて、明らかに間違いがあるとわかれば、ウィキペディアが辞典である以上、手間がかかっても修正すべきだと思います。特に歴史の分野に関しては後年になって明らかになる事も多いわけだし、講談や小説などの影響で、事実と違う事が一般の知識として定着してしまう事も多いわけで。それを正すのも編集者の役目でしょう。また、実際に改名するのは、この本項目だけであり、後はリダイレクトで済む話だと思いますので、それ程の手間は実際にかからないと思います。続いて、「生前使わなかった」という意味での北条早雲と同じではないか?という意見に対してですが、少なくとも「早雲」は「」として実際に存在した正式な呼称であり、実際に立花姓を名乗った事の無い道雪とはまったく別のケースと思われます。(多く残る実際に使われた呼称の中で、どれが一番項目に適しているか、有名か?という問題ではなく、実際に使用していない呼称を項目の主題とするのは別の話だと思います。)どちらかというと真田信繁真田幸村の関係に近いものがあると思います。「死後有名になった」のは歴史的事実に基づいたものではなく、次期当主の立花宗茂の記録の方が、時代的に多く残っており、そこから義父である道雪もいつしか「立花姓」扱いになってしまった、というのが適切な表現だと思います。そもそも、大友宗麟存命時代に道雪が「立花姓」を名乗らず(名乗れず)、大友本家が没落し、宗茂の代で独立大名化した頃に「立花姓」を正式に名乗ったという事には、大きな歴史的意味を持つと思います。ゆえに、道雪が生涯「戸次姓」で、宗茂が後に独立化して「立花姓」を名乗ったというのは、単に後世での扱いや呼称が有名だから、有名じゃないから、という以上の歴史的意味が存在し、改名の余地があると思います。--ポテンシャル0 2008年10月11日 (土) 10:53 (UTC)[返信]
一つだけ指摘させていただきますと、北条早雲が立花道雪と同じケースだといったのは姓の方を指してます。号ではありません。リンクした記事を見ていただければわかりますが、北条姓を名乗ったのは次代からであり、その点で立花道雪と同じと言ったわけです。生前にその名を使用した形跡が見られない真田幸村 根拠がはっきりしない幸村という名が有名になった真田信繁とは、まったく異なるケースだと思います。ですので、北条早雲と合わせて論議することを提案させていただきましたが、いかがでしょうか?--蒲生直義 2008年10月11日 (土) 14:45 (UTC)[返信]


大変申し訳ありません。性急な書き込みをした為に、誤解があったやもしれません。「北条早雲と合わせて論議」という点については、異論ありません。ただ、北条早雲にしても、「通例では伊勢盛時も遡って「北条早雲」と呼ばれる。」という部分の「通例では」の定義が曖昧であり、誰がそのような事を主張しているのか?という具体論が述べられていないように感じます。早雲は早雲でまた別の問題となると思いますが、そこの定義をハッキリする必要があると思います。ただ、道雪についてはきちんとした歴史的背景があって、「立花姓を名乗らなかった(名乗れなかった)」のであり、「立花道雪」の方が優先である、とするなら、例えば立花家の一次資料に「戸次道雪」よりも「立花道雪」の記述が多かった事などを立証しなければならないと思います。「立花姓を名乗っていないのに、立花道雪という名前が一般に広く知れ渡った理由」「通例では・・・」等の記述について、もうちょっと突き詰める必要があると思います。北条早雲については、武田晴信武田信玄大友義鎮大友宗麟のような話であって、道雪はそれらの事例とはちょっと違うように思われます。逆に「立花姓は名乗っていないという事実の一方で、『立花道雪』と呼ぶのが、通例となっているという根拠」を出せないとダメだと思いますし。--ポテンシャル0 2008年10月11日 (土) 15:32 (UTC)[返信]

(インデント解除)私も改名には待ったをかけたいです。本人がどう名乗っていようが、一般的には「立花道雪」の方が流布していると思います(Googleによる検索数でも戸次鑑連をはるかに上回っています)。北条早雲も全く同様に子の氏綱の時代から北条姓になったのが適用されたものであり、立花道雪(本当に生前に名乗っていないのであれば)と同じパターンです。ポテンシャル0さんの挙げる武田信玄・大友宗麟(これらは法号であり、生前から名乗っている点で北条・立花姓とは別問題)の例とは同列ではないと考えます。Wikipediaにはリダイレクトという便利な機能があることですし、項目名はそのままで、本文中に「生前は~」と注記しておけばいいだけの話かと思います。生前に名乗っていない、とか実在しないなどという基準を項目名に当てはめると聖徳太子北条政子も、あるいは歴代天皇も生前には名乗ってませんから変えなければならなくなります。「正式な名乗り」なんていうのも追求するとキリがないわけで、高杉晋作も高杉家とは別に谷家を創設して毛利家臣として登録されたから正しい名は谷春風ですが(春風は)、誰もそう呼びません。逆に源義経も(本人の知らない所で)生前に義顕に改名させられて公式文書に載っている訳ですが、これも源義顕に改名しようという人はあまりいないでしょう。そういう他の例も鑑みれば、「立花道雪」という名が「明らかに間違い」というのは言い過ぎだと思います。要は歴史上の人物は「一般的に呼ばれている」名前が項目名にふさわしいわけで。細川幽斎/細川藤孝のようにどちらの呼称も同程度に一般的な名前のために項目名をもめたケース[1]もありますが、本項人物に関しては「立花道雪」の方が「戸次鑑連」よりも一般的だと私は考えます。--トホホ川 2008年10月11日 (土) 17:33 (UTC)[返信]


一般的には「立花道雪」の方が流布していると思います(Googleによる検索数でも戸次鑑連をはるかに上回っています)という理由は、あまり意味が無いと思います。(戸次鑑連は間違いではありませんが)逆に言えばそれだけ間違った情報が広がっているともいえるわけで。真田信繁真田幸村だって真田幸村の方が有名でしょうし、検索ヒット数も多いです。ただ、ウィキペディアが辞典であるという特質上、有名であろうと、歴史的に間違った根拠の無い名前であれば改名されるといった例は他にも多数あるはずです。歴史上、改名が多いとか、一次資料によって呼び方が複数あるというケースの中で、どれが相応しいか?という話ならわかりますが、少なくとも道雪は幸村と同じように、一次資料で「立花道雪」という名前は使用されていないわけであり、後世の小説等のメディアで間違った認識が広められた結果かと思います。それとも一次資料で「立花道雪」を記した資料が他に多数あったりするのでしょうか?リダイレクトという便利な機能があるので~という部分は、本来は立花姓を使用していないんだよ、という事を広く知ってもらう為にも、逆に本項目の正式名称から「立花」を外すことによって認識度を広めるという使い方もあると思います。きちんとした歴史的背景があって本来違う名前であった人物が、後世の影響(講談・小説などの創作物の類)で違う名前で有名になったので、そっちの方で登録しよう、という事なら、島清興島左近に、古田重然古田織部に、となるのではないでしょうか?--ポテンシャル0 2008年10月12日 (日) 01:58 (UTC)[返信]

まず料で立花道雪という表記がないというのは事実なのでしょうか(この場合の史料は本人発給もしくは本人宛文書のみならず同時代および近接時期に他者から呼ばれる名も含まれます)。根拠に挙げられているのが吉川弘文館の人物叢書という啓蒙書1冊のみなので、学界等で広く支持されている意見なのかどうかが判断できません。他に確かな証拠があればご呈示ください。それがあれば、より説得力が増すでしょう。(ただしそれは本人が名乗っていないという証拠にはなっても他から(もちろん後世も含む)どう呼ばれていたかの証拠にはならないと思いますが(後述))。
さて、ポテンシャル0さんはGoogle検索は「あまり意味がない」と仰いますが、私からすると生前に本人がどう名乗った(どう呼ばれた)かの方が「あまり意味がない」と思います(あくまで「Wikipediaの項目名としては」の話です。項目内容の記述であれば大いに意味があります)。歴史上の人物が実際にそう名乗った(そう呼ばれた)名とは違う名で呼ばれる例は数えきれず(前記にも挙げましたので繰り返しません)、それが「間違い」というには当たらないと考えるからです。それが間違いというのであれば現在の教科書も歴史論文も間違いだらけになってしまいます。歴史上の人物の呼称は、現代の各文献で同定できるよう便宜上呼ばれているものが多く、本人の名乗りと無関係な例はむしろ多数派です。
また「ウィキペディアが典」ということを強調されていますが、私から強調したいのはむしろ「Wikipediaは百科事典であって歴史事典や人物事典ではない」ということです。歴史事典や人物事典等の専門辞典ならばその人物についての正確な事績等が何より求められるでしょう。しかし百科事典では、極端な話「立花道雪」という項目名は歴史上存在した「戸次鑑連」のみを指す言葉ではありません。彼の伝記を元に彼の名を冠した小説やドラマがあればその小説・ドラマもまた、この項目名が説明する内容になり得ます。ポテンシャル0さんは「後世の小説等のメディアが間違ったことを広めている」という認識のようですが、私としては後世の軍記・講談・小説によって広がった立花道雪像もまた百科事典が包括する内容であると考えており、そこの見解が異なります(当然ながらかくいう私は個人的には「真田信繁」ではなく「真田幸村」表記のほうが適切と考えます。「島左近」「古田織部」も同様。が、それらの項の改名論議には加わっていなかったので今更コンセンサスを覆して項目名を直す気はありません。この「立花道雪」はたまたま覗いたところ改名提案されていたので意見を述べたまでです)。また百科事典である以上、歴史分野以外の人が参照することもあることを忘れてはなりません。そういう人たちを含めて一般的にどう呼ばれているかを知る上でGoogle検索数が無意味だとは私は考えません。
それと差し出がましいようですが「事実と違う事が一般の知識として定着してしまう事も多いわけでそれを正すのも編集者の役目でしょう」という一種の使命感は、残念ながらWikipedia執筆者の姿勢とは適合しません。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかおよび過去の同様な論争のノートを見ていただければ分かりますが、Wikipediaはそういう使命感を果たす場ではありません(そういうことはご自分で出版物を出すか自分のサイトを立ち上げて述べる等の手段で行うべきです。そういう正規の普及法でその知識が一般的なレベルにまで広がればWikipediaでも自然に改名される流れになるでしょう)。Wikipediaはあくまでその時点での一般的世間知と、編集者間のコンセンサスから記事が生み出されるシステムなので、この場で「世間の間違いを正していく」という目的のために使用するのは筋違いかと思います。
長くなりましたが、最後に。かくいう私もこのノートページで改名提案が多数支持を得るようであればコンセンサスを重視します。あくまで現時点での反対意見1票とお考え下さい。 --トホホ川 2008年10月12日 (日) 12:06 (UTC)[返信]


とりあえず、要点だけ。
  • 他に「立花姓を名乗っていないという根拠はあるのか?」

例にあげた書籍以外にもいくつかの本で同じ記述を読みました。図書館で借りた本だったので返却してしまい、タイトル失念してしまいましたが、現在も立花氏関係の書籍をいろいろ調査中なので、証拠としての書籍タイトルの追加は後にできるかもしれません。少なくとも「立花姓を道雪の代から名乗っていた」という書籍の方が少ないと思います。(全ての関連書籍を読んだわけではないので、確定できませんが、自分が調べた限りでは)また、補足として、立花家の子孫の方が運営するHP(立花宗茂と柳川)

http://www.muneshige.com/profile.html

でも、「藩祖・戸次道雪(鑑連)」と表記されています。

  • 「生前どう名乗ったかという事実よりも、世間でどう知られているかの方が重要」という件。

いろいろな意見はあると思いますが、自分は真田幸村を正式名称に持ってくるのは、おかしいと思います。真田信繁の項目を参照してもらえればわかると思いますが、正式な名称である真田信繁が登録名称で、後に大きく広まった架空の武将・真田幸村の誇大化された武勇伝などは別枠として作られています。こういう形が本来あるべき姿で、実際的に歴史上、どういう背景があって行動したのか?という事績と、講談・小説などの類で、ある意味誇大評価されたり、伝説化されていたりした「事実とは違う」記述はキッチリわけるべきかと思います。「小説等を含めた人物像」を知りたい人もいるだろうから、歴史的事実にこだわり過ぎるのはおかしい、というのは記述内容で分割するなり、リダイレクトを活用すればいいだけであって、架空の名前を有名だからという理由だけで本項目とするのは違うような気がします。まあ、反対意見が多いようなので、このままなら差し戻しても良いのですが、まだ調査中の部分もあるので、もうちょっと様子を見させて欲しいところです。--ポテンシャル0 2008年10月12日 (日) 12:34 (UTC)[返信]

補足・別に自分は事実に沿わない部分を全て排除・削除するべきだと言っているわけではなく、歴史的背景がきちんとある「事実」と、その他小説・ゲーム・講談・軍記物などで後世に作られた「創作・イメージ」は、きちんと区分けするべきだと思う、という点から「戸次姓」を本来用いるべきではないのかな?と思ったまでです。--ポテンシャル0 2008年10月14日 (火) 11:29 (UTC)[返信]

ちなみに自分は現在のところ、反対票も賛成票も出すつもりはありません。当初の通り「北条早雲などを含めた、もっと大きな範囲で議論すべきではないか」という提案を出させていただくのに留めます。
なお「生前どう名乗ったのかという事実」よりも「現在どう呼ばれているかの事実」の方が重要であると考えます(でなければ上記の指摘にあるように、歴代天皇はややこしいことになります)。ただそれでも、学者や専門家の意見の方を尊重すべきであり、「専門的な書籍や学者の意見では立花道雪という表記は少数派だ」という点を示していただければ、改名してもいいと思います。--蒲生直義 2008年10月14日 (火) 12:24 (UTC)[返信]
Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)にて、実名と世間で普及している名前について、どちらを選択するべきか?という項目を作っておきました。そちらでも意見が集まると思いますし、自分の方でも全ての立花氏に関する資料を見れるわけではないですが、補強材料を見つけられるかもしれませんので、しばらく議論の延期をお願いします。ただ、現時点で自分が調べた範囲では、一次資料や史実を忠実に扱った伝記などでは、「立花道雪」と正式に名乗ったという話は少ないように感じます。(小説やゲームなどの二次創作物は別)--ポテンシャル0 2008年10月15日 (水) 14:13 (UTC)[返信]

文中でこっちが本名なのだと明記してあれば、かえる必要はないと思います。一利用者の意見ですが。手元の電子辞書でも道雪で出ますし、その方がわかりやすいです。--60.35.201.61 2008年10月22日 (水) 02:34 (UTC)通りすがりの羽柴敬一[返信]

2005年に出た『戦国武将合戦事典』という事典では「戸次鑑連」として紹介されていました。この書籍では斎藤道三の親子二代説もかなり字数をとって紹介されており、また、高坂昌信については「高坂虎綱」という表記が採用されており、ある程度最新の研究成果を意識した内容になっていると推測できます。ただし私個人の意見については以前と変更がありません。--Kangoshiyouichi 2008年10月23日 (木) 09:03 (UTC)[返信]

問題提起からいくつか改題の主題としている部分に、史実に沿って言及している伝記などの参考書籍を読みましたが、やはり「戸次鑑連」の方が多かったように見受けます。ただ、最近の資料には「立花を名乗らなかった説」が多い一方で、古い書籍では「立花姓を名乗った」というものもありましたし、私は学者でも全ての資料を網羅できる時間があるわけでもないので、どっちが現在の学会や世論で支持されているかの検証はできかねますし、実際にここでの賛同も得られなかったようなので、本文中で注釈する事とし、改題の件は差し戻したいと思います。--ポテンシャル0 2008年10月24日 (金) 15:05 (UTC)[返信]

(追記)国内の史料ではありませんが、ルイス・フロイスがイエズス会に宛てて送った日本に関する報告書をまとめた『日本史』の第二部に何箇所か「立花殿(タチバナドノ)」という表現があります(中公文庫版だと8巻58章、60章など)。原文にあたれないので、正確にはどういう表記になっているのかは分かりませんが、70歳を超えた老城主とあることから道雪を指すことは間違いありません。本人が名乗っていたかどうかはともかく、生前から他の人間に「立花殿」と呼ばれていたらしいことは伺えます。--トホホ川 2009年10月16日 (金) 02:36 (UTC)[返信]

追記どうもです。自分も詳しくはわからないですし、検証もしようがないのですが、宣教師の記録に残る呼称というのは、住んでいる場所や官職名をそのまま聴いた音で字に充てたりしている例が多いので、立花城に拠点を構えていた道雪が「立花殿」と呼ばれていても不思議ではないような気もします。同時代の本人や周囲の発給文書などに「立花道雪」という署名・呼称が使われていたという根拠があれば、立花姓で周囲から呼ばれていた(もしくは名乗っていた)事もあったのかな?とは思えるのですが。引き続き自分でも時間があれば調べてみたいと思います。--ポテンシャル0 2009年10月18日 (日) 19:20 (UTC)[返信]