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ノート:日本の民族問題/合意案のまとめ

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最終的な合意案[編集]

さて、かなり時間がたってしまいましたが、もういいでしょう。既にアクセスをされていない[1]Iosif氏以外からは特に異論も出ていないようですし、最終的な合意案を纏めましょう。これで特に問題が無ければ保護解除を申請します。

  1. 記事の先頭、「概要」節に以下の文章を挿入する。
    日本語の「民族」という言葉は、英語で言う「ethnie」と「nation」の二つの概念を持っている。この概念は時に相反するため学術的には厳密に区別されるべきであるとされており、「少数民族」という言葉の用法にも十分に注意すべきである。現在は通常「nation」の訳が「民族」であるが、「ethnie」の意味で使われる場合も、混同して使われる場合もまた多い(詳細は「民族」を参照)。「日本に居住するエスニック・マイノリティに関する問題は(日本国籍の有無に関わり無く)『日本の民族問題』として扱うべきである」とする意見も多いことから、この記事では日本国籍を有しないエスニック・マイノリティに関しても触れる。しかしながら彼らは日本国民として十全な権利を有しておらず、エスニシティを保っているが故に生じる差別・偏見と、日本国籍を保有していないが故に発生する不利益とは明確に区別する必要がある。
    なお、この記事では上記の「民族」という言葉の曖昧さと多義性を回避するため、引用・固有名詞等を除き原則として「(少数)民族」は使用せず、「エスニック・マイノリティ」に統一する。
  2. 「主要な少数民族」節の名前を「主要なエスニック・マイノリティ」とし、以下のように差し替える。(ただし「※注」の部分は実際にはrefタグとする)
    江戸末期以前(日本の近代化以前)までに日本版図に組み込まれた地域に居住していたエスニック・マイノリティ
    以下のエスニック・マイノリティは、江戸末期における日本の版図内にルーツを持ち、明治期より現在まで日本国籍を有しつつ独自のエスニシティを保っている。
    明治から敗戦の間(日本の第二次世界大戦までの拡大期)に現在の日本版図に居住しはじめたエスニック・マイノリティ
    以下のエスニック・マイノリティは、終戦までに日本の旧領土から現在の日本版図に移住していたが、1952年の平和条約発効に伴い全員が日本国籍を離脱して外国籍となった。引き続き日本に居住したものは、その後自ら望んで取得した一部のものを除いて、多数が日本国籍を有さないまま生活を続けている。
    以下のエスニック・マイノリティは政治的・経済的理由などで他国から日本に移住したものなどで、(その多くは)終戦以前より現在まで日本国籍を取得していない。
    平和条約発効以降、他国から日本に移入したエスニック・マイノリティ
    以下のエスニック・マイノリティは、平和条約発効から現在までに、政治的・経済的理由などで他国から日本に移住したもので、(その多くは)日本国籍を取得していない。
    なお、現在、日本政府が国際人権規約に基づく国連への報告書に、同規約第27条に該当する少数民族として記載しているのはアイヌ民族のみである(※注)
    ※注
    1994年当時の細川首相および、1998年当時の橋本首相が、「在日朝鮮・韓国人や朝鮮・韓国系日本人は、国際人権規約(市民的政治的権利に関する国際規約)第27条にいう少数民族に含まれるのか?」という質問に対して「(日本では同規約第27条に規定された権利は誰に対しても保障されているので、同条にいう少数民族かどうか)必ずしも判断を要しないものと考えている」といずれも答えている。[2][3]
  3. 「民族問題事件と事件」の節の名前を「各エスニック・マイノリティ毎の問題」と変更し、以下のように差し替える。
    アイヌ民族
    明治維新以降、アイヌを「教化しなければならない未開人」または「助けなければならない弱者」と考える向きが強まり、同化政策と保護運動が両立するという奇妙な事態が発生してしまった。近年はエスニシティを保持している事に由来する偏見は薄らいできているが、「アイヌ語を始めとする独自文化の継承がうまくいかず、文化集団としてのアイヌを日本人化してしまったがゆえに問題が減っただけだ」とし、積極的な解決が成されたわけではないとする指摘もある。1998年アイヌ文化振興法が制定されたが、その効果を疑問視する意見もある。詳細は「アイヌ」を参照。
    琉球民族
    大和民族と区別すべき独立した民族とするか否かについて現在も議論がある。事実、沖縄県外に居住する元沖縄県民が他の人間から「他民族」と扱われることはほとんど無く、少なくとも本土(大和民族)側の意識においては、既に同化は終わっていると捉えられている。一方、本土では明らかに異なった民族であるという者の中には、日本から独立すべきだとする意見を持つ者もいる(琉球独立運動)。また、沖縄が日本国の一部であることには異論を唱えないが、一くくりの日本文化の存在は、明治維新後の国家主義に基づくものである、とする意見もある。詳細は「琉球民族」を参照。
    在日コリアン
    もっとも狭義に捉えた場合、第二次大戦終了時から継続的に日本に居住し、サンフランシスコ平和条約発行後、現在に至るも日本国籍を取得せず、朝鮮籍韓国籍のまま日本に居住する人々、およびその子孫(で、やはり日本国籍を取得していない者)を指す。しかし日本国籍を取得した者、第二次大戦終了後に日本に移住した者も含め「在日コリアン」と呼ぶ場合もある。
    在日コリアンは数世代にわたって日本に居住し、生活の基盤も日本にあり、基本言語も日本語であるにも関わらず日本国籍を取得しないのは、彼らの中で「日本国籍を取得すれば朝鮮民族ではなくなってしまう」と捉えられている為である。日本国籍を取得していない事により、在日コリアンには国籍条項を初めとする様々な制限・不利益が存在する。
    日本人と在日コリアンの間にはお互いに差別意識が存在した為、通名の使用を初めとして、戦後多くの在日コリアンは自らがそのエスニシティを保っていることを隠していたが、近年は自らそれを明らかにして活動する在日コリアンも多い。しかし近年の北朝鮮との関係悪化、日本と韓国との外交的緊張、更に北朝鮮核問題の深刻化に伴い、再び日本人と在日コリアンの間の対立、更には新たに在日コリアン内部での対立も顕在化しており、自らの民族意識を明言している在日コリアンは、その対立と対峙せざるを得ない立場に立たされている。詳細は「在日コリアン」を参照。
  4. 「各エスニック・マイノリティ毎の問題」に上記以外のエスニック・マイノリティの記述を追加する場合も、必要最小限の記述を行い、各記事と重複する記述は可能な限り避ける。
  5. ただし、専用の記事が存在しないエスニック・マイノリティ(例:韓国/朝鮮系日本人)についての問題が存在する場合は、その記述を追加することは妨げない。これは4.の合意事項の適用範囲外とする。ただし専用の記事が作成された場合は、重複する記述を速やかに削除し該当記事へのリンクを付加すること。
  6. 「国連人権委員会特別報告」の節は「国連人権委員会」へ移動する。この記事内ではその存在のみを記述する。
  7. 記事「少数民族」内の「山窩」についての記述の「(日本の民族問題参照)」という部分を削除する。

以上、ご確認ください。エスニック・マイノリティの分類については、下記の案2を元に若干の修正を行いました。

--Stranger non general person 2007年3月17日 (土) 07:00 (UTC)
修正漏れを若干修正。--Stranger non general person 2007年6月19日 (火) 13:50 (UTC)

こんにちは、琉球民族について少し提案を。まず「#:: 以下のエスニック・マイノリティは、~」に含めるのでは無く、そこの欄外として、琉球民族の記事の冒頭文の一部「旧琉球王国の住民を日本人(大和民族)とするのか、琉球人(琉球民族)とするのかは議論が分かれるところである。」を採用するのは無理でしょうか。細かい事なんですが、まずは少数民族であるとして、その上での異論もあると解釈されてしまうのではと心配するものです。

また、3の行の「少なくとも本土(大和民族)側の意識においては、既に同化は終わっていると捉えられている。」についても、「少なくとも本土(大和民族)側の意識においては、既に同化は終わっていると捉えられているか、元々同一民族であるとする者もいる。」と、して頂きたいのですが。

去年の後半に行われた「琉球民族」・「琉球語」や関連する記事での議論でも、確定を避けて両論併記を目指していた思うので、出来るだけ断定を避けて頂きたいのです。--125.174.109.45 2007年7月3日 (火) 00:10 (UTC)

なるほど。「より中立的に」ということでしたら、趣旨は了解しました。ただ、分類の方法としては「欄外にもってくる」というのは難しそうですので、「独自の民族であるかには異論もある」→「独自の民族と呼びうるかについて議論がある」へ変更する、ではいかがでしょうか?
3.については、文章の流れ的には「少なくとも本土(大和民族)側の意識においては、既に同化は終わっている(あるいは、もともと「他民族」ではない)と捉えられている」とした方がいいでしょうか。
両論併記、ということでしたら異論はありません。ご意見があれば是非お聞かせください。よろしくお願いします。
--Stranger non general person 2007年7月4日 (水) 00:58 (UTC)

こんにちは。やはり、「#:: 以下のエスニック・マイノリティは、~」については、その下に以下の項目を追加して琉球民族を入れて戴ければと思います。

以下は、エスニック・マイノリティとするのかは議論が分かれるところである。
琉球民族

民族はその集団の主観による処が大きいわけですから、意識がはっきりしていると言われているアイヌやウィルタやニヴフと同じエスニック・マイノリティ で括るのは、一方の意見(住民にでは無く、何故か国外で喧伝する様な方々)に偏っているのではと思います。また、総意(旧琉球王国の住民の)がはっきりした時点(他には、沖縄県人会や奄美会などが主張を始めた時にでも)で含めて行く方が妥当ではないでしょうか。またもしかすると、小笠原も同様かもしれませんね。3の行は、了解しました。(125.174.109.45と同じ)--125.207.77.161 2007年7月5日 (木) 21:58 (UTC)


お返事が遅くなりました。申し訳ありません。
が……うーん、悩ましいところですね……。少なくとも「Nationな主張を行う人々は(旧琉球王国の住民の中でも)少数派である」というところまでは、おそらく異論は出ないでしょう。が、「Nationな主張をしていないからといって『民族』ではないのか」とは言い切れない部分があると思います。それをいうなら、アイヌだってNationな主張はしていないんですからね(苦笑)
ただ、「ヤマトンチュ」と「ウチナンチュ」「ウミンチュ」という呼び方がある(かなり広く普及している)以上、本土に住む人間と我々(旧琉球王国の住民)とは違うという意識がある、とは言えるのではないでしょうか?
この合意案の中で「民族」という言葉を極力排除し「エスニック・マイノリティ」としたのは、そのあたりを切り分けたい、という意思もあるのです。琉球「民族」の存在を認めるにしても、それは彼らが日本からの独立を考えていると見なす事とはまったく異なっており、日本という国を形成する一員でありつづけ、かつ独自のエスニシティを保ち続ける事を望む集団である、という意味合いを「エスニック・マイノリティ」という言葉に込められるのではないか、と考えているのですが、いかがでしょうか?
とはいえ、125.174.109.45=125.207.77.161さんの仰ることも非常によく理解できます。さて、どうしたものか……。
とりあえずの提案として『琉球民族独自の「民族」と呼びうるかについて議論がある。詳細は「各エスニック・マイノリティ毎の問題」および琉球民族を参照)と、更に強調を強化する』と提案しておきますが、私自身、まだ不十分な気もします。ROMしている方がおられましたら、是非ご意見をお聞かせください。
--Stranger non general person 2007年7月9日 (月) 04:29 (UTC)


ROMしてたひとです(笑)。私はこの案で問題はないと思いますが流石にノートのサブページだけで決めてしまうのはいかがなものかと思います。まぁ、一応ね、一応。
私は琉球民族が、歴史の流れとパワーバランス、あと住民の意思さえ許せば現代に琉球国がある可能性だってあるくらいだと思うし、琉球の人々と大和人は明らか違うと思ってました。大和民族として、私として見させてもらえばやっぱり琉球民族は別民族ですよ。アイヌ、ウィルタ、ニヴフ、位の民族意識、団結心はありそうですし。
ただ、民族と主張する人もいるでしょうし、大和民族の一端とみなす人もいるでしょう。個人の意見を入れすぎず中立にするなら少し詳しく書くことはいいことだと思います。沖縄の人たちがどう思うかが大切だとおもうんです、結論として。
その上で日本とは袂をわかって独立したはずの国の人々が日本に残って差別といっている様を見るとやっぱり沖縄の場合とは違うような気がするなぁ・・・
--Remington 2007年8月2日 (木) 19:48 (UTC)

お返事ありがとうございます(笑) もちろん、これだけモメた編集ですから、可能なら投票なりを実行した方がいいかもしれませんね。もう少ししたら私の書き込みから一ヶ月が過ぎますので、それでノートの(メイン)ページに改めてあげてみましょう。--Stranger non general person 2007年8月6日 (月) 16:04 (UTC)

合意案のまとめ[編集]

二週間、特に異論なども無かったようですので、今までの修正案を一つに纏めてみましょう。問題がなければ、以下の案で投票を依頼する、というコトでよろしいでしょうか?

  1. 記事の先頭、「概要」節に以下の文章を挿入する。
    日本語の「民族」という言葉は、英語で言う「ethnie」と「nation」の二つの概念を持っている。この概念は時に相反するため学術的には厳密に区別されるべきであるとされており、「少数民族」という言葉の用法にも十分に注意すべきである。現在は通常「nation」の訳が「民族」であるが、「ethnie」の意味で使われる場合も、混同して使われる場合もまた多い(詳細は「民族」を参照)。「日本に居住するエスニック・マイノリティに関する問題は(日本国籍の有無に関わり無く)『日本の民族問題』として扱うべきである」とする意見も多いことから、この記事では日本国籍を有しないエスニック・マイノリティに関しても触れる。しかしながら彼らは日本国民として十全な権利を有しておらず、エスニシティを保っているが故に生じる差別・偏見と、日本国籍を保有していないが故に発生する不利益とは明確に区別する必要がある。
    なお、この記事では上記の「民族」という言葉の曖昧さと多義性を回避するため、引用・固有名詞等を除き原則として「(少数)民族」は使用せず、「エスニック・マイノリティ」に統一する。
  2. 「主要な少数民族」節を以下のように差し替える。(ただし「※注」の部分は実際にはrefタグとする)
    主要なエスニック・マイノリティ
    国籍の有無により以下のように分類されるが、在日コリアンのように、日本国籍の有無に関わらず同一のコミュニティを形成している場合もある。
    日本国民内のエスニック・マイノリティ
    以下のエスニック・マイノリティは、現在の日本の領土内にルーツを持ち、日本国籍を有しつつ独自のエスニシティを保っている。
    • アイヌ民族 北海道(アイヌモシリ)・樺太・千島の先住民族
    • 琉球民族(独自の民族であるかには異論もある)
    • 小笠原諸島の欧米系島民等 - 開拓・移民の末裔。
    以下のエスニック・マイノリティは移住、移民、もしくは過去に居住地が日本の領土や統治下にあったなどの経緯で日本国籍を取得した場合が多い。
    日本に居住するエスニック・マイノリティ
    以下のエスニック・マイノリティは、終戦までに日本の旧領土から移住し1952年の平和条約発効に伴い日本国籍を離脱して外国籍となった後も日本に居住し続けているものや、政治的・経済的理由などで他国から日本に移住したものなどで、(その多くは)日本国籍を取得していない。
    なお、現在、日本政府が国際人権規約に基づく国連への報告書に、同規約第27条に該当する少数民族として記載しているのはアイヌ民族のみである(※注)
    ※注
    1994年当時の細川首相および、1998年当時の橋本首相が、「在日朝鮮・韓国人や朝鮮・韓国系日本人は、国際人権規約(市民的政治的権利に関する国際規約)第27条にいう少数民族に含まれるのか?」という質問に対して「(日本では同規約第27条に規定された権利は誰に対しても保障されているので、同条にいう少数民族かどうか)必ずしも判断を要しないものと考えている」といずれも答えている。[4][5]
  3. 「民族問題事件と事件」の節の名前を「各エスニック・マイノリティ毎の問題」と変更し、以下のように差し替える。
    アイヌ民族
    明治維新以降、アイヌを「教化しなければならない未開人」または「助けなければならない弱者」と考える向きが強まり、同化政策と保護運動が両立するという奇妙な事態が発生してしまった。近年はエスニシティを保持している事に由来する偏見は薄らいできているが、「アイヌ語を始めとする独自文化の継承がうまくいかず、文化集団としてのアイヌを日本人化してしまったがゆえに問題が減っただけだ」とし、積極的な解決が成されたわけではないとする指摘もある。1998年アイヌ文化振興法が制定されたが、その効果を疑問視する意見もある。詳細は「アイヌ」を参照。
    琉球民族
    大和民族と区別すべき独立した民族とするか否かについて現在も議論がある。事実、沖縄県外に居住する元沖縄県民が他の人間から「他民族」と扱われることはほとんど無く、少なくとも本土(大和民族)側の意識においては、既に同化は終わっていると捉えられている。一方、本土では明らかに異なった民族であるという者の中には、日本から独立すべきだとする意見を持つ者もいる(琉球独立運動)。また、沖縄が日本国の一部であることには異論を唱えないが、一くくりの日本文化の存在は、明治維新後の国家主義に基づくものである、とする意見もある。詳細は「琉球民族」を参照。
    在日コリアン
    もっとも狭義に捉えた場合、第二次大戦終了時から継続的に日本に居住し、サンフランシスコ平和条約発行後、現在に至るも日本国籍を取得せず、朝鮮籍韓国籍のまま日本に居住する人々、およびその子孫(で、やはり日本国籍を取得していない者)を指す。しかし日本国籍を取得した者、第二次大戦終了後に日本に移住した者も含め「在日コリアン」と呼ぶ場合もある。
    在日コリアンは数世代にわたって日本に居住し、生活の基盤も日本にあり、基本言語も日本語であるにも関わらず日本国籍を取得しないのは、彼らの中で「日本国籍を取得すれば朝鮮民族ではなくなってしまう」と捉えられている為である。日本国籍を取得していない事により、在日コリアンには国籍条項を初めとする様々な制限・不利益が存在する。
    日本人と在日コリアンの間にはお互いに差別意識が存在した為、通名の使用を初めとして、戦後多くの在日コリアンは自らがその民族意識を保っていることを隠していたが、近年は自らそれを明らかにして活動する在日コリアンも多い。しかし近年の北朝鮮との関係悪化、日本と韓国との外交的緊張、更に北朝鮮核問題の深刻化に伴い、再び日本人と在日コリアンの間の対立、更には新たに在日コリアン内部での対立も顕在化しており、自らの民族意識を明言している在日コリアンは、その対立と対峙せざるを得ない立場に立たされている。詳細は「在日コリアン」を参照。
  4. 「各エスニック・マイノリティ毎の問題」に上記以外のエスニック・マイノリティの記述を追加する場合も、必要最小限の記述を行い、各記事と重複する記述は可能な限り避ける。
  5. ただし、専用の記事が存在しないエスニック・マイノリティ(例:韓国/朝鮮系日本人)についての問題が存在する場合は、その記述を追加することは妨げない。これは4.の合意事項の適用範囲外とする。ただし専用の記事が作成された場合は、重複する記述を速やかに削除し該当記事へのリンクを付加すること。
  6. 「国連人権委員会特別報告」の節は「国連人権委員会」へ移動する。この記事内ではその存在のみを記述する。
  7. 記事「少数民族」内の「山窩」についての記述の「(日本の民族問題参照)」という部分を削除する。

以上、ご確認ください。--Stranger non general person 2007年3月17日 (土) 07:00 (UTC)

反対。まず、「主要なエスニック・マイノリティ」を一番最初に「日本国民内のエスニック・マイノリティ」と「日本に居住するエスニック・マイノリティ」に区分していることに反対します。これは独自のカテゴライズです。そのうえ、上のようにカテゴライズする理由がユーザー個人の思弁と論述だけでした。その他、あらゆる反対理由を既に書きました。

次に民族問題と事件」の小節と置き換えることに反対します。

▼スタート時の「国籍で分けましょう」という発想からして異論があるので(いたるさんにお返事していませんが)、「日本国家を構成する」だの「居住する」だのと区分けしたいという提案にも反対しつづけていますが、今回、そのようなカテゴライズは提案されていないようです。ここではとりあえず提案文についてのみ述べます。

▼各エスニックマイノリティに分けて手短に説明というのはうまくできていると思いますが、それが「民族問題と事件」節を削除する理由になるんでしょうか。私は代表的な「民族問題として捉えられている事件」を挙げる節は残してよいと思います。各マイノリティを分けて説明を付加している文章に異論はありませんが、小節「日本の民族問題#民族問題と事件|民族問題と事件」との置き換える=諸事件に関する記述の削除(または加筆の回避)には反対です。まあ、削除してもいずれアレコレと付記されるだけでしょうから目くじら立てる気もないのが正直なところですが…………在日だのアイヌだのと触れた時点でそういう加筆を招いていることには自覚的であるべきなんですが、今言ってもご理解いただけない人も多そうなので証言がわりにココに記します。プロパガンダじみた記述や差別落書きを付加されるのを防ぐには先回りして適切な記述をおいておくべきだ、議論は「事件」についても細密にどういった記述が適切なのかに向けられるべきだと私が考えていることも記録しておきます。

▼日本国籍の有無を書くのはそれがもたらす処遇の違いを理解しやすくするという意味の指摘がありました(このような意味であれば理解できます)。であれば、「民族問題」として扱うかぎりは、いったん朝鮮民族で大づかみに一つにくくったしたうえで、「在日コリアン」と「朝鮮系日本人(または「日本籍コリアン」)でさらに区分けしたほうが良いと思います。1945年までは同じものとして説明しなきゃいけないものを、先に区分けしておくというのは理解しがたい。しかし、最も大きいのは、そういうカテゴライズを採用して日本の民族問題を解説した本を(その後いろいろ見てまわっていますが)一つたりとも読んだことがないというのが大きいです。少なくともこのノートでは梅棹忠夫編『世界民族問題事典』(平凡社)と山内昌之以外にカテゴライズについて紹介されている文献がなく、倣うとしても梅棹編事典か山内なんではないでしょうか。独自のカテゴライズは独自の研究です。--Iosif 2007年3月17日 (土) 16:01 (UTC)

いたるさん:一点、誤解があったのをほうっておいてしまいました。
>朝鮮系と小笠原諸島の移民を除いてはすべて先住民ですよね。(Iosif言)
>>白系ロシア人もベトナム難民も在日中国・台湾人も日系ブラジル人も先住民とは言いがたいと思いますが。(いたるさん言)
「(一部を除いて)すべて先住民」と言ったのは、提案文にあった「日本国家を構成する(大和民族以外の)民族」についてです。
>国籍の有無でわけたからといって「社会問題としての民族問題」という考え方を排除することにはなりません。(いたるさん)
先に区分してしまうと、多民族帝国を目指していた大日本帝国時代から連続している問題について理解を妨げます。具体的に言うと放棄した植民地の出身者=朝鮮人と台湾人について捉えづらくなるということですが、あえて抽象化すべき=一般化して書くべきであると考えて「問題の歴史的連続性を寸断する」という表現を用いさせていただきます。--Iosif 2007年3月17日 (土) 16:01 (UTC)
Stranger non general personさん
お返事が遅れておりすみません。おおむねいいんじゃないのかなと考えます。
Iosifさん
国籍の有無で分けることが「独自の研究」になるか否か、ですが、WPにおける「独自の研究」の定義は、「未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された素材に対して特定の立場から加えられる(ウィキペディア共同創始者の一人であるジンボ・ウェールズの言葉を借りれば、「新たな叙述あるいは歴史解釈」を生むような)未発表の分析やまとめ、解釈などです。」とあります。
アイヌ民族、琉球民族が原則として日本国籍を持つ少数民族であり、一方在日コリアン等の日本国籍を持たない民族的マイノリティが日本国内に存在することは、「未発表の事実」ではなく「周知の事実」です。仮に民族の一覧表としてはそういったカテゴライズをした論文がなくても、個別で民族の説明をするさい、特に在日コリアンの説明をするさいに彼らの多くが朝鮮籍・韓国籍であるという記述をしているソースは、それこそ無数にあります。
国籍の有無での分類は周知の事実に基づく分類であり、単なる個別事項にかかれる事柄をわかりやすく目だししたものでしかなく、記述者の主観や未発表の事実が入った分析でもまとめでも解釈でもありませんので、これを「独自の研究」「独自の調査」とは言えないと思いますが。
(論文・書籍等にソースをもたない)「独自のカテゴライズは独自の研究」というのは検証可能な周知の事実に基づく分類でもそうなのでしょうか? その根拠となるルールはどこにあるのでしょうか? そしてそれは今回のようなケースでも本当にあてはまるのでしょうか?
>「(一部を除いて)すべて先住民」と言ったのは、提案文にあった「日本国家を構成する(大和民族以外の)民族」についてです。
恐れ入りますが省略されては伝わるものも伝わりません。言葉足らずでの齟齬をこちらの「誤解」とされるのは心外です。
>>国籍の有無でわけたからといって「社会問題としての民族問題」という考え方を排除することにはなりません。
>先に区分してしまうと、多民族帝国を目指していた大日本帝国時代から連続している問題について理解を妨げます。
これと「国家問題としての民族問題と社会問題としての民族問題とは完全に峻別できないことを考えると、国家の成員であるか否かを、最初の分類としてもってくるのには賛成できません。」との当初の理由とどう関係があるのでしょうか?
私の返答は先のこの「社会問題としての民族問題」についての文言に対することですので、突然そこに歴史の中での民族問題を持ち出されても流れがつながっていないと思います。
>多民族帝国を目指していた大日本帝国時代から連続している問題
大日本帝国時代の民族政策については概要欄で説明があります。また、なぜ先に国籍に有無で区分すると「大日本帝国時代から連続している問題」の理解を妨げるのか、そもそもその「連続している問題」とはなにか、正直よくわかりません。
>具体的に言うと放棄した植民地の出身者=朝鮮人と台湾人について捉えづらくなるということですが
「放棄した植民地の出身者→多くが日本国籍が無い(戦後日本籍を失った)」「現在の日本領土内の先住者→日本国籍がある」、という区分になりますので、区分したほうが捉えやすいと私は考えているのですが。
>1945年までは同じものとして説明しなきゃいけないものを、先に区分けしておくというのは理解しがたい。
この記事は「現代の日本におけるそれらの問題の実情を歴史的背景等に言及しながら概説する」ですので、「現代の日本における」個々の民族が抱えている問題の実情について考えるうえで、国籍の有無で大きく質が分かれるためそう分類しているものです。1945年以前は「現代の日本」ではありませんので記事内での優先順位はさほど高くないと考えます。
現在からさかのぼるならむしろ1952年に国籍離脱したことが重要であり、それまで同じ日本国民だったのがその時点からそうじゃなくなった、そしてそれは原則現在まで続いておりそのためにいろいろな問題も出ている、ということを考えれば、やはり国籍の有無で分類したかたちで提示しておくことは有効だと思いますよ。
>「民族問題と事件」
現在「民族問題事件と事件」になっていますが、項の名を訂正するということでしょうか。
>私は代表的な「民族問題として捉えられている事件」を挙げる節は残してよいと思います。
個別の民族記事で説明していますので重複するなら基本的に具体の説明はここでは不要だと考えますが、「日本の民族問題」という大きな題の記事で扱うにふさわしい重大な事件であれば記載があってもいいかもしれませんね。
--いたる 2007年3月17日 (土) 19:10 (UTC)
先に部分的に書かせてください。残りは後日に。
>恐れ入りますが省略されては伝わるものも伝わりません。言葉足らずでの齟齬をこちらの「誤解」とされるのは心外です。
これは困りました。「誤解を招いた」と書けば良かったのかもしれません。なんら含むところはないので、心外とまでおっしゃることに戸惑っています。
>現在からさかのぼるならむしろ1952年に国籍離脱したことが重要であり
>(略)
>やはり国籍の有無で分類したかたちで提示しておくことは有効だと思いますよ。
結局これが当てはまるのは旧植民地出身者(おおむね朝鮮人と台湾人)だけですよね。同民族内で国籍を失ったあとについて記述し、国籍の有無によって区分したり処遇の違いを記述するのであれば反対ではありません。
>(論文・書籍等にソースをもたない)「独自のカテゴライズは独自の研究」というのは検証可能な周知の事実に基づく分類でもそうなのでしょうか?
このケースは、ですが、まったく見かけない分類で「(未発表の)理論、アイデア」に基づいて「発表された素材に対して特定の立場から加えられる」「新たな叙述あるいは歴史解釈を生むような」「まとめ」にあたると思います。と、結論だけ書いても納得が得られると思っていませんが、これまで長く(このノートの)あちこちに書いたことを全部まとめるような作業にならざるを得ず、また、それが一ユーザーに対する非難にしか映っていないらしいのも心外ですので、詳述するのは機会をあらためさせていただきたいです。--Iosif 2007年3月18日 (日) 06:16 (UTC)
わかりました。申し訳ありませんが、説明の際にはなぜ「発表された素材に対して特定の立場から加えられる」「新たな叙述あるいは歴史解釈を生むような」があてはまるのかについて特に具体的にお願いします。なお、ルール解釈の問題ですので、最終的には井戸端等で管理者などの意見を求めるべきかなとも考えています。「それが一ユーザーに対する非難にしか映っていないらしいのも心外ですので、詳述するのは機会をあらためさせていただきたい」の意味はよくわからないのですが、ご返答いただけるまでにかなりの時間がかかるということなら、むしろ今の段階でそうしたほうがいいかもしれませんね。
それから、他人の発言を削除しないでくださいね。おそらくケアレスミスなんだろうとは思いますが。--いたる 2007年3月18日 (日) 11:23 (UTC)
発言削除については「え?」と戸惑いましたが、確認。引用時にコピーではなく切り取りをやったようです。失礼しました。しかし、どうも不思議な感じです。ケアレスミス以外にあり得ないことをケアレスミスなんだろうけれどもと言われるのは、どういった疑念をもたれているのかと心配になります
▼さて、考え直しました。「特定の立場から加えられる」「新たな叙述・解釈」という点についてはすでに書いており、今回反対したポイントについてはそれをご覧いただく(もちしくはとりまとめる)ので十分であるように思います。ここで提示されている「新たな解釈」の「何が問題か」についてまで述べるのは、たいへん時間がかかりますが(戦後の入管政策=対外国人政策を論じることになり、「民族問題」の記事を新たに書き下ろすに等しい)、どこで何を「新たな解釈」としたのかは既に述べています。
まず、何度も指摘されているとおり、このカテゴライズは、「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない」「外国人が問題対象であれば民族問題に入らない」というテーゼが打ち出されたことからはじまっています。このテーゼには典拠が必要だという指摘も何度も加えられています。典拠は出されず、同テーゼの撤回も行われていません。そして、同テーゼ以外には(1)日本国家を構成する(大和民族以外の)エスニックマイノリティ…と、(2)日本に居住するエスニックマイノリティを先に区分しておく合理的な理由は示されていません。このようなカテゴライズを採用すると、国家の成員であるか否かは民族問題を考えるうえで最重要要件ではない(…と私は考える)にもかかわらずそれが決定的で最重要な要件であるかのように書かれる結果になるだろう、ゆえに不適切だという(私の)考えに変わりはありません。
そのため、これまで再三、典拠を求められたテーゼであるところの「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない」という考え(=「未発表の主張・理論」「特定の立場」)に基づく「まとめ」(=カテゴライズ)に十分当てはまると考えます(←この考えに異論があるのは承知していますがそれについては後述)。「ルール解釈」についてはこれでよろしいでしょうか。再度、コメント依頼することにも異論ありません(ただし、管理者のコメントをというのはちょっと文意がよくわかりません。管理者は管理業務外では一ユーザーでしかありません)。
▼さて、上記の「この区分は特定の立場に基づくカテゴライズではないか、他に理由があるのか」という異論に対して、区分する「理由」を述べたのは唯一、いたるさんだけでした(残念ながら提案者ではありませんでした)。その理由は次のようなものでした。
>「同じ日本国内の少数民族でありながら、国籍を持っている少数民族と国籍を持たない少数民族がある。少数民族の列記の際にこれらの要素で区分し、なりたちの違いをある程度説明することは、読む人が「日本の民族問題」を考えるさいに理解を助けることになると私は考えます。 」と、先に答えたとおりです。
これに対してお返事していませんでした。このような理由で「理解を助けるためになる」とするのであれば、提案時からPOVな動機を疑われているカテゴライズでなくとも、同じく理解を助けるのに資する方法があると思います。実際に、いたるさんも「ただし、最初の分類としてより合理的な案が示されれば、変更することについてやぶさかではありません(いたるさん)」と述べていますが、提案の方法に劣らないものは考えられるはずだと思っています。あとは例をいくつか提示すべきと考えていました。
まず、国籍の有無による処遇の違いについて理解してもらうのが目的だとしても、それを先住民と移民との違い(区分け)の前に説明しておくことにあまり意味はないと思います。先住民と移民とはその他の条件も違いすぎるからで、国籍の有無が最重要要件ではないからす。同じ経緯で流入しながら国籍の有無で違いが生じているのは旧植民地出身者が主ですが、これこそ旧植民地出身者という括りの中に内訳を設けてさらに細分化して紹介すれば済むと思います。具体的には朝鮮出身をルーツにもつ者として紹介し、その内訳を「在日コリアン」と「日本籍コリアン」に分ける。台湾人についても同じようにするということです。
次に、「なりたち」の違いについてです。これを述べるのは、対象となるマイノリティグループが「日本の民族問題」の射程範疇に入った経緯を説明することとほとんど同じだと思います。私は、個々の紹介の前に区分を設けたりしなくても現在の日本版図に居住する歴史が長い順に並べれば良いと思っていますが、、いたるさんがおっしゃった「最初の分類としてより合理的な案が示されれば、変更することについてやぶさかではありません」を受けて、考えてはみました。敢えて分けるとすれば時期区分が良いと思っています。ただし区分の方法について悩むところがあります。悩むというのは2分類にすべきか3分類にすべきか、です。3分類にした場合の考え方を下に書きます。
  1. 明治維新以前(日本の近代化以前)から現在の現在の日本版図に居住する民族 - アイヌ民族(北海道・樺太・千島の先住民族?)、琉球民族ウィルタ民族、琉球民族
  2. 明治維新から敗戦の間(日本の近代化と帝国主義的拡大期)に現在の日本版図に居住しはじめた民族 - 朝鮮民族(在日コリアン、日本籍コリアン)、台湾出身者。(小笠原諸島の欧米系島民等を1番と2番のどちらに入れるべきかは迷います)、白系ロシア人
  3. 第二次世界大戦後、日本に移入した民族 - 日系ブラジル人、元ヴェトナム・インドシナ難民。その他、主要なニューカマーを挙げる。
1番と2番を一つにまとめるかどうかで迷います。まず、3分類は(1)先住民、(2)帝国主義(日本に限らない)がもたらした人口移動、(3)戦後(=南北格差と難民の時代)に発生した人口移動の別に分けるのとほぼ同義であるつもりです。次に(1)と(2)を一つにして(3)と分けるというのは、戦前・戦後という分け方です。これは「日本人」である要件が「天皇の赤子」であった時代と、民主化後との区分です。▼時期で区分するのが良いだろうというのは、民族問題を説明するときに、その来歴を説明するのが最も理解を助けると考えるからです。“現在の”処遇を説明するというのは、最初の区分に適切だとは思えませんし、さほど理解を助けるとは思えません。現在の処遇は移ろいやすいし、国籍は変わり得るものです。日本の民族問題の当事者として数から言えば圧倒的多数であった在日コリアンについて言えば、「日本国民でない」と区分されて下のほうに並べられている状態から「日本国民である」と区分されている朝鮮系日本人へと各人がすぐに成り変ることができます。また、在日外国人の処遇はコロコロと変わっています。今後もそうでしょう(地方参政権云々法案が取りざたされたのもつい最近だし)。しかし、そのように成り変っても「民族問題」として捉えるならば、さほど説明すべき内容が違っているとは思いません。
▼さらに特に旧植民地出身者について述べます。皇民化教育の残像が政策に影を落としたことから「完全な民族的同化」が帰化の要件だった時期が長いです。手続き的な国籍取得が可能になったといつから言われだしたのかも確定できません(おそらく90年代初頭ですが)。在日コリアンあたりは80年代までであれば帰化行政によって排除された集団として説明されることが頻繁だったのです。ひるがえって現在の日本が完全に憲法愛国主義に則って異民族に接するというわけでもあるまいし、「日本国民である」「日本国民でない」という区分を同じ民族集団に持ち込むのは(つまり別の民族集団のように見せてしまうのは)手続き的国籍取得が外国人に提示されていたかのように見せかねず、ほとんど同じ境遇にいたということも見えにくくさせるという欠点があります。
以下、小さな事柄のうち思い出せる順に述べます。
>>「外国人が問題対象であれば民族問題に入らない」と言っているのか?という疑義(Iosif言)
>そういう意味にならないように調整させてもらったつもりですが(いたるさん言)
気を悪くなさるかもしれませんが、Stranger non general personさんの提案文を読むかぎり、その調整が成功したとは思えないとしか言いようがありません。自論(例のテーゼ)を撤回しないのは当たり前ですが、自論を提案文に反映することをやめていません。私が「提案文の最初の動機の、その影を引きずってしまっている印象があります」と述べたときに、いたるさんは「それはノートにおいて議論参加した者には持ちうる印象なのかもしれませんが」とお答えでしたが、さて、これはノートで議論参加した者しか持たない印象でしょうか。私は「議論参加した者」ですから、そうでない人にどう映るかとなると完全には知りようがありませんし、印象があるものは印象があるとしか言えません。第三者からはそのように見えないかどうかについてわかりません。ただ、「純粋に記事だけを読んだ第三者(いたるさん)」にわからなければ、それでいいのでしょうか?(無論、前提として再構成すべきとする重要な理由がないと考えた場合です)
>国籍の有無は個人の持つ権利に反映され、国籍のない側の民族問題の中身もそのことに多くの原因を持つのは明白だと考えますので、日本においてはもっとも特筆する部分だと考えます
これはそのとおりだと思います。しかし、先住民を除けばほとんど日本国籍でない点が日本の特徴的な点だから特筆すべきであるという点はそのとおりだと思います。しかし、それによって各エスニックマイノリティを分類すべきであるとなると、話は別です。▼その前段階として、各エスニックマイノリティがさらされている問題(生きるうえでの障害・差別・偏見)が国籍の有無によって生じているという点には大いに異論があります。どうも、諸問題の多くが国籍の有無によって生じているという前提があるから、それによって各エスニックマイノリティを分類すべきだとお考えなのではないかと思えます。
▼自分が問題関心からアプローチして=在日コリアンに関して言えば、「民族問題」の項目において国籍の有無を最重要視することには異論があります。国籍の有無は非常に大きな問題ですが「民族問題」として捉える場合、在日コリアンに対する差別待遇において「国籍がないため」というのは最もメジャーな要素ではないと思います。公務員試験が受けられないとか選挙権がないとかそういうことですが、各種意識調査を読んでも実生活上の障害となっている「差別」の多くはは結婚と就職で起きています。これについては“あまり”国籍は関係ありません。そして、20年も前であれば“まったく”関係なく、日本籍コリアンも同じ差別待遇にあったと言って問題ないと思います。
▼提案文への異議は他にもあります。冒頭部分、ethnie概念について、どうも耳慣れない用い方をしています。ethnieというのは単なるエスニシティではなくnationを準備するような原型となるものとして仮に措かれているものだったはずです。nationと対置して何かを説明するような用例を見たことがありません。どなたか詳しい方のコメントを待つ必要があると思います。▼「国連人権委員会特別報告」の節の移動に反対です。節題をあらためて、日本の民族問題について述べた「外国からの言及」を他にさらに紹介すべきだと思います。
▼他にもお話しすべきことがあったかと思いますが、今日はここまでということで。--Iosif 2007年3月18日 (日) 18:50 (UTC)
▼小節の順番が時系列順になっていて、読むのに大変苦労します。現在一番下になっている「合意案の分割に関する合意についてのメモ」を「合意案の再修正」節と「各エスニックマイノリティ毎の記述について」との間に入れようと思いますが異論ありませんか?>みなさん
--Iosif 2007年3月18日 (日) 18:51 (UTC)--修正付加。--Iosif 2007年3月18日 (日) 20:15 (UTC)
記事の移動に反対。とまぁ、これはあなたの言葉を拝借させてもらったものですが。反対、といわれた者がどんな気持ちになるのかお考えになったことはあるでしょうか?私は賛成派だったのでそれを完全に否定されらば腹も立ちますし、むしろ悲しみを覚えます。
歩み寄りがなく、編集合戦に突入したのですから今度はどちらからも歩み寄ることが必要でしょう。でもIosifさんは自説から一歩も歩み寄りされることがないので際限なく自説の主張をなさっている様に見受けられます。異論があがったときにそれに対して、一人の人間が仮説として立てた不当な定立(テーゼ)だ、私の説が正しい、だから異論は絶対に受け入れない、という姿勢とあらば、そういっている人間の考えに偏りがあるのかな、と捉えられてしまうかもしれません。多くの議論者に「一人の立てた異論の展開」、「それに沿った記事の改編」だ、とおっしゃられますが・・・議論者皆それを肝に銘じなければいけないでしょうが・・・あなたはどうなのですかね?
それでも歩み寄りの討論をしているのだというのなら、私の読解力があなたの文章力についていけてないのでしょう。今度出された合意案が少数派で誰にも賛同されない・・・つまり異端の説とおっしゃられるのならばそうおっしゃるのは自由ですし。--Remington 2007年3月18日 (日) 21:28 (UTC)
私も提案者からは一度として欠片も歩み寄りを得られなかったと受け取っています。ぜひともノートを読み返していただきたい。自説への固執であるとはまったく思いません。ネット界でしか見かけない特異な論説(異端でさえないんですよ?)を前提にすることに異議を唱えているだけで、むしろ私は自説を述べていないに近い(述べていないことを問題視されるならわかります/現にそこは突っ込まれている)。▼かたや提案者は、コメント依頼前は一切の異議に対して(おそらく読んでいないと思う)何ら答えずに「それがどうかしましたか?」を連発しつづけました。あのころにコメントした方々はすっかり寄り付かなくなってしまいました。それはご覧でしたよね? 次にコメント依頼後です。そのころに至るとIosifとは会話しないと宣言しながら、異議があった点については一切の改変を加えず、新たにコメントすべく来た方にの発言に応じて当初の提案部分だけ維持しながら別部分に改変を加えて「再提案」の体裁を整えています。私は当初から発案の根拠となる論説について典拠を求めている。これに一切答えることなく、コメント依頼後は「(Iosifは)無視しているだけです」と宣言して、発言位置に改変を加える有様です。▼以上が私の認識です。たしなめようと思われたお気持ち(イコール親切)はありがたいと思っております(←これは言葉どおりの意味で他意はありません)が、私は上記のように認識しているため、ご意見を向けられる先が違っているのではないかという思いをぬぐえません。--Iosif 2007年3月18日 (日) 21:45 (UTC)修正。--Iosif 2007年3月18日 (日) 22:02 (UTC)
経緯を振り返ると腹が立ってきたので(特に発言位置の改竄、注意すると逆に投稿ブロックすると脅迫されたことなど)頭を冷やすためにしばらくこのノートに近寄りません。--Iosif 2007年3月18日 (日) 22:06 (UTC)
さっそくのお返事、お忙しいところもうしわけありません。
>しかし、どうも不思議な感じです。ケアレスミス以外にあり得ないことをケアレスミスなんだろうけれどもと言われるのは、どういった疑念をもたれているのかと心配になります
私はあなたではありませんので、あなたがいかなる理由をもって行ったのかは想像しかできません。ですから、あなたにとってはそうかもしれませんが、私は「ケアレスミス以外にあり得ないこと」だとは考えなかったのだとご理解ください。
>まず、何度も指摘されているとおり、このカテゴライズは、「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない」「外国人が問題対象であれば民族問題に入らない」というテーゼが打ち出されたことからはじまっています。
そのことが議論の最初にあったとしても、現在の案文にはそういった文言は入っていないと思いますが。
確認をしたいのですが、ノートの過去の文ではなく、案文のどこからそのようなことが読み取れるとあなたはおっしゃっているのでしょうか?
>Stranger non general personさんの提案文を読むかぎり、その調整が成功したとは思えない
これについても案文のどこを読めばそうなるのか、具体的に説明して欲しいです。今のところあなたがそう感じているだけ、としか私には読み取れないのですが。
返答については読ませていただきました。
あなたの考え方はおおむね理解できた、と、思います。
とはいえ歴史ごとに分ける案文については現状では簡易なものしかないようですので、私には現時点ではそれがよりよいかたちなのかどうなのか今ひとつイメージがわかず、なんとも判断はつきかねますが、現在の案文に見合うくらいもう少し詳細な形ででてくれば、比較になりますし、そのときは投票なりをおこなう意義もでてくるでしょう。
当然に、Iosifさんがそうした形でカテゴライズするのは過去に論文等で同様の形で示されてきた実績もあるのでしょうから、出典もあわせておこなわれてより説得力がますかたちになるはずですし。
今回反対側から提案があったことでようやく前に進むのかなと考えているのですが、議論の流れであったはずの「国籍で有無でわけるのは、新たなカテゴライズで独自の研究なのか」について、具体的な説明をお願いしたにもかかわらず返答がなかったことについてはがっかりしています。
>さて、考え直しました。「特定の立場から加えられる」「新たな叙述・解釈」という点についてはすでに書いており、今回反対したポイントについてはそれをご覧いただく(もちしくはとりまとめる)ので十分であるように思います。
とはありますけど、今回カテゴライズされる文章における「特定の立場から加えられる」「新たな叙述・解釈」とはなんでなぜ「独自の研究」になるのか、ノートを読み通しても私には理解できませんでした。
これはおそらく私の理解力の問題かなと思えますので、ルールの読み方については近々確認を依頼したいと思います。
--いたる 2007年3月18日 (日) 22:56 (UTC)
Iosifさんは「頭を冷やすためにしばらくこのノートに近寄りません」だそうですから、彼の意見は無視してもかまわないでしょう。討論とは、例え相手が幼稚園児であろうとも、先に席を立った方は発言する資格を失うものです。
とはいえ広く意見を集めることは必要でしょうから、投票は実施した方がいいでしょう。私は、今回の合意案に反対する方が全てIosifさんのような方だとは思っていませんので。
一応、案としては現状であと一週間ほど待ち、その後投票期間を2-3週間取って最終的な結論を出すべきだ、と思っております。もしご意見があればお聞かせください。
--Stranger non general person 2007年3月19日 (月) 00:21 (UTC)
▼席を蹴ったきりだったのはStranger non general personさんでしたが、なおさら喜んで「無視できる」と解釈するとは……そうしたいと考えているのは承知していますが、実行するとは思いませんでした。はぁーあ、じゃあ戻りましょうか。
▼まず提案者として提案文に関する質問に答えてください。▼Stranger non general personさんが複数から典拠を求められながら一度も答えなかったものとして「日本国籍をもたない者にかかわる事柄は日本の民族問題ではない」というテーゼがあります。Stranger non general personさんはこれをはっきりと撤回していませんが、今回の提案文では「まず国籍の有無」で分けるという内容になっています。はっきり何を譲ったかを明示した妥協・譲歩による産物ではなく、私にはこれは前述「テーゼ」の残滓に見えます。そうでないのだとすれば、最初に「国籍の有無」で分けることにどういった意義があるのか、列挙ではなぜいけないのかを説明してください。見ていたかぎり、最初の提案に異議がいくつも出て、「では再提案します」と後退させながらも、「コレは日本国民である、コレは日本国民でない」と区別しておくということは継続し、しかもその理由を説明していないままだったと思います。複数の対立点のうち当初から存在する核心部分です。必ずお答えください。
▼私がおそれるStranger non general personさんの行動は、何らかの理由をつけて「異議は1名からしか出ていない」として投票に持ち込むということです。これが支持されるかどうか、禍根を残さないかどうか、それによって保護解除が滞りなく進むかどうか、保護解除された後に編集合戦に陥らないかどうか、これらについて試してみようというつもりであろうと思います。私はそのような実験にチャレンジするべきではないと考えていることを表明しておきます。--Iosif 2007年3月19日 (月) 05:33 (UTC)

Stranger non general personさんにとっては後退になるかもしれませんが、先のIosifさんが提示した時期による分類形式をベースに、案文をまとめてみました。

案2

  1. 主要なエスニック・マイノリティ
    江戸末期以前(日本の近代化以前)までに日本版図に組み込まれた地域に居住していた民族
    以下のエスニック・マイノリティは、江戸末期における日本の版図内にルーツを持ち、明治期より現在まで日本国籍を有しつつ独自のエスニシティを保っている。
    明治から敗戦の間(日本の近代化と帝国主義的拡大期)に現在の日本版図に居住しはじめた民族
    以下のエスニック・マイノリティは、終戦までに日本の旧領土から現在の日本版図に移住していたが、1952年の平和条約発効に伴い全員が日本国籍を離脱して外国籍となった。引き続き日本に居住したものは、その後自ら望んで取得した一部のものを除いて、多数が日本国籍を有さないまま生活を続けている。
    以下のエスニック・マイノリティは政治的・経済的理由などで他国から日本に移住したものなどで、(その多くは)終戦以前より現在まで日本国籍を取得していない。
    平和条約発効以降、他国から日本に移入した民族
    以下のエスニック・マイノリティは、平和条約発効から現在までに、政治的・経済的理由などで他国から日本に移住したもので、(その多くは)日本国籍を取得していない。
    なお、現在、日本政府が国際人権規約に基づく国連への報告書に、同規約第27条に該当する少数民族として記載しているのはアイヌ民族のみである(※注)
    ※注
    1994年当時の細川首相および、1998年当時の橋本首相が、「在日朝鮮・韓国人や朝鮮・韓国系日本人は、国際人権規約(市民的政治的権利に関する国際規約)第27条にいう少数民族に含まれるのか?」という質問に対して「(日本では同規約第27条に規定された権利は誰に対しても保障されているので、同条にいう少数民族かどうか)必ずしも判断を要しないものと考えている」といずれも答えている。[6][7]

列記の部分のみで他は案文と同じということで。

エスニック・マイノリティがいいのか民族がいいのかとか、いろいろと未整理な部分はありますが、変更・訂正や最初の案のほうがいいという意見募集も含めて、とりあえず比較のために提起します。--いたる 2007年3月19日 (月) 13:51 (UTC)

なるほど。大筋では了解しましたが、若干気になる点があります。ご検討ください。
  • まず、(いたるさんも仰られていますが)「民族」は「エスニック・マイノリティ」に統一しましょう。これを混同してしまうと、大本の「民族=nationとした場合は、在日コリアンの問題は『日本の民族問題』ではない」という問題が再燃してしまうでしょう。ここは可能な限り統一するべきです。私としてもここは譲れないところですね。それに、ここのところを曖昧にすると、「各エスニック・マイノリティ毎の問題」にある「日本国籍を取得すれば朝鮮民族ではなくなってしまう」という在日コリアンの捉え方に関する記述とも矛盾することになってしまいます。
  • あと、この区分なら朝鮮系/韓国系日本人を分ける必要はないかもしれませんね。現在のところ、朝鮮系/韓国系日本人に固有の(誰にとっても異論の無い)「民族問題」は特にありませんし、「一部のものを除いて、多数が日本国籍を有さない」ことは明記されていますから。
  • 「平和条約発効以降、他国から日本に移入した民族」のところの「韓国人」には、「(彼らについても「在日コリアン」と呼ぶ場合もある)」という注記を入れてはいかがですか?
  • 樺太を「江戸末期における日本の版図」とするかは、若干微妙な問題ですね。確かに樺太は内地として扱われてはいましたが……。ここは若干、異論が出るかもしれません。
  • 最後に、これはあまり記事とは関係の無い話ですが、「日本の近代化と帝国主義的拡大期」という表現は多少変えた方がいいかもしれませんね。あまり記事の本筋とは関係の無い部分ですから(いや、だからこそ、というべきですか)、異論が出そうな表現は刈り込んでおいた方がいいでしょう。「第二次世界大戦までの拡大期」ぐらいの表現にしておいた方がいいのではないでしょうか?
以上、ご検討ください。よろしくお願いします。--Stranger non general person 2007年3月20日 (火) 09:13 (UTC)
最初の提案時の概要と同じように、○○民族(エスニック・マイノリティー)であるが故の差別と、○○人(日本国籍不保持者)であるが故の不利益とが違うものだ、ということがはっきり書いてあるのであれば賛成です。
--Remington 2007年3月20日 (火) 18:32 (UTC)

在日コリアンに比べて、日系ブラジル人などの書きぶりがあまりに酷い。在日コリアンは元ヴェトナム・インドシナ難民と同じように書くべきでしょう。あと、日本のエスニックマイノリティというタイトルに変更が必要であると考えますが。--ちとせ 2007年3月20日 (火) 18:37 (UTC)

ある項では、日本国籍のない在日韓国人を挙げて「政治的権利、経済的権利が保障されていない、日本人は差別民族」と称して、ある項では在日コリアンの中には日本国籍取得者も居る。同じ日本人なのに差別されていると主張する。まったく二重基準が酷い。日本人の悪口が書きたいだけなら、ほかでやって下さいと言いたい。--ちとせ 2007年3月20日 (火) 18:46 (UTC)

そもそも、日系ブラジル人は元日本人であって、日本の民族問題と呼べるが、在日韓国人なんて日本人ですらない。単なる外国人です。在日韓国人は元日本人だったから日本人と同じ扱いを受ける正当な権利があると主張して、その一方では日本の韓国併合は不当であると唱えるのです。まったく主張が矛盾しています。--ちとせ 2007年3月20日 (火) 18:58 (UTC)

ちとせさん。はっきり言って、私個人としては貴方に賛成です。私個人としては、在日コリアンの問題はこの記事に掲載するべきではないと今でも考えています。 大体、在日コリアン自身が「日本国籍を取得すれば朝鮮民族ではなくなってしまう」と捉えているのですから、彼らが「民族=nation」と考えているのは自明なのです。「民族=nation」ならば、在日コリアンは「日本の(少数)民族」ではありません。
とはいえ、日本語の「民族」という言葉があまりに曖昧だ、という問題はまだ残ります。例え在日コリアンがどう考えていようとも、日本語においては「民族⊇nation」でありかつ「民族⊇ethnie」であって、完全に「民族=nation」ではない、というのもまた事実です。ですので、言葉の解釈だけに限定すれば、在日コリアンは日本の民族であるとする解釈と、日本の民族ではないとする解釈と、双方が可能なのです。
2007年3月21日 (水) 06:05 (UTC)追記:茶々が入る前にフォローしておきますが、私はその上で、もっとも厳密に解釈すれば在日コリアンは「日本の(少数)民族」では無い、と主張しているのです。
ということで、(これは他の参加者にもはっきり申し上げておきますが)私はまだ、在日コリアンの問題はこの記事に掲載するべきではないと今でも考えています。ただ、上記の「民族」という言葉の曖昧さについて議論を整理するのは時間がかかりそうなので、まずは他の参加者との合意を優先し、あまりにも在日コリアンに偏りすぎている現在の記述を正すことを優先しよう、という目的で、現在の合意のとりまとめを行っているのです。
ですので、いたるさんにもお伝えしたとおり、またRemingtonさんからもご指摘のあったとおり、
  • 記事内で「民族」という言葉は原則として使用しない。「エスニック・マイノリティ」という言葉に統一することによって、この記事では、日本語の「民族」ではなく、「Ethnic minority」の問題を記述していることを明確にする
  • この記事で取り上げるエスニック・マイノリティには日本国籍を有する者と有しない者がおり、日本国籍を有しない者に対する(国籍を有しない事に起因する)制限・不利益と「民族」差別を混同してはならない旨を明記する
  • 在日コリアンと他のエスニック・マイノリティは同列に扱い、かつ(専用記事のあるエスニック・マイノリティについては)必要最低限の記述に留め、重複する記述は行わない。
の三点は譲るつもりはありません。また、ごく一部の参加者を除いて、原則としてのこの三点については同意が得られているものと自負しています。
ですので、まず現状の不適切な編集を正すことを優先して、ちとせさんにもこの合意案に同意していただければと存じます。私としても、この合意案に完全に満足しているわけではありません。上記のように、在日コリアン自身が「民族=nation」と考えている以上、「日本の民族問題」という名前のこの記事に彼らの問題を記述するのは不適切だ、という指摘はこれからも続けていくつもりです。だた、上記の、日本語の「民族」という言葉の曖昧さ、という問題があるため、もう少し長いスパンで考えていこう、と思っているのです。ご理解を頂ければ幸いです。
日系ブラジル人に関する記述を追加していただくのにはまったく賛成です。上記の三点の原則を守っていただけるなら寧ろ好ましいことでしょう。まずは上記の「各エスニック・マイノリティ毎の問題」に準じた形で文案をご提示いただけますか? どうせなら一緒に追加してしまいましょう。
以上、ご検討ください。よろしくお願いします。--Stranger non general person 2007年3月21日 (水) 02:20 (UTC)
ちとせさん、在日コリアンについてはそう思うのですが、その考え方では絶対に彼らは了承しないでしょうね。
彼らを扱う場合その多くが外国籍であることを考慮して外国人と見るならば、さして差別や蔑視はされていないですから。むしろ日本にいる外国人の中では在日コリアンは法的には優遇されているくらいだとおもいます。外国人エスニック・マイノリティの中では日本人との結婚も多いですし、日本企業への就職も多いですし。エスニック・マイノリティだから、という理由で差別されているのではなく、日本国籍を持たないから区別されているのだ、と思います。そのうえ、どうしても民族としての精神が・・・というならお隣にお帰りになられることのできる民族国家がある。要するに彼らがいう問題は日本国籍保有者と同じに扱われないということであって、エスニック・マイノリティとして尊重されない問題ではないと思うのです。彼らのことを深く書き出したら(朝鮮半島より早いうちに統治に及んだ)台湾から来た在日台湾人とかどうなんだよぉってこともありますし。Iosif氏は総数が少ないから別にいいと言ってましたけど。
対するにアイヌや琉球民族のエスニック・マイノリティとしての独自の文化や、精神は失われつつある。日本以外に帰るところもないのに。これはどう見ても日本のかかえる民族問題です。だからこそ、今のおざなりな状態は少しダメかな~と思うわけです。
でも、国籍ゆえの区別を民族問題、民族差別だと叫ぶ人もいるでしょう。民族問題という言葉の捉え方は人によってさまざまですし。何しろ定義のないある意味便利な言葉ですから。だから在日コリアンの記述を完璧にこの記事から落とすのは難しいとも思います。だから○○民族(エスニック・マイノリティー)であるが故の差別と、○○人(日本国籍不保持者)であるが故の不利益とが違うものだと記述する約束のあるこの提案は、今の記事の現状に比べずいぶんいいものだとおもいます。
間に割り込ませて書かせてもらったうえ長文で申し訳ないです。
--Remington 2007年3月22日 (木) 18:39 (UTC)

みなさんご意見ありがとうございます。

勝手で申し訳けありませんが、私としましては混乱をできるだけ避けるため、次の段階(案2の修正等)に進むのはIosifさんからなんらかの意見がでてからにしたいと考えています。

>StrangerNonGeneralPersonさん

「在日コリアンの問題はこの記事に掲載するべきではない」「「日本の民族問題」という名前のこの記事に彼らの問題を記述するのは不適切だ」、というあなたの意見については、彼ら異民族が日本国内におり、そのことで相互にさまざまな問題が発生していることは揺ぎ無い事実だと思うので私としては反対だ、ということはあらかじめ表明してはおきます。

ですが、あなたが自分の意見をひとまずおいて、とりあえずは他者の意見も聞きつつできるだけ中立的論理的客観的な案をまとめようと努力されていると、私は理解していますし、私もそういう姿勢をとり続けたいと考えていますので、よろしくお願いします。--いたる 2007年3月21日 (水) 03:16 (UTC)

了解しました。ただし期限は切るべきでしょう。問題の人物は、まさにこのノートで四ヶ月間議論を放置した「前科」があります。私は「とりあえず一週間」と区切りましたが、もう少し伸ばした方がいいでしょうかね? --Stranger non general person 2007年3月21日 (水) 06:09 (UTC)
恐れ入ります。
期限を切ること自体が急かすことになってしまいますので、もう何日か様子を見て、すぐに返答する様子がないようなら、その時は一週間なり二週間なりで区切ればいいんじゃないかなと考えています。--いたる 2007年3月22日 (木) 12:45 (UTC)
「何日か」程度なら(つまり一週間未満)ならば特に問題は無いと思いますが、やはり期限は切るべきでしょう。とにかく先頭に「反対」とつけて書き込んでさえいれば「まだ議論は纏まってない」と主張できるような事態を許してはいけません。……もっとも私が今更言うまでもなく、(問題の人物との会話を通じて)いたるさんもその辺は十分にご理解なされているとは思いますが(苦笑) --Stranger non general person 2007年3月23日 (金) 00:26 (UTC)

日本語の「民族」ではなく、「Ethnic minority」の問題を記述していることを明確にするんだったら、国籍の有無は関係ないんじゃないの?「Ethnic minority」を日本語訳で「少数民族」とするなら話は別だけど。長すぎる議論をザーっと読んだけど、Iosifさんが繰り返し言ってる通り、StrangerNonGeneralPersonさんの前提はおかしいと思う。

>日本国籍を有しない者に対する(国籍を有しない事に起因する)制限・不利益と「民族」差別を混同してはならない旨を明記する まぁ、それは当然だけど、ここで演説することじゃないと思う。民族差別の欄に書くべき。 Blueroses5327 2007年3月23日 (金) 06:44 (UTC)

つまりそれは、この記事の名称を「日本のエスニック・マイノリティ問題」と変更すべきだ、というご提案でしょうか?
「Ethnic minority」が「(少数)民族」と約される場合も多いが完全には同じ概念ではないので、「日本の民族問題」という記事にはその旨を明記し、「日本国籍を有しない者に対する制限・不利益と民族差別を混同してはならない」と記述すべきだ、と私は主張しています。確かに非常に長い議論ではありますが、もう少しよく読んでいただけないでしょうか?
あらかじめ申し上げておきますが、ならば「日本のエスニック・マイノリティ問題」と変更した上で「日本の民族問題」をリダイレクトしよう、というご提案も、現在とまったく同じ問題を引き起こします。すくなくとも完全リダイレクトではなく、「詳細は日本のエスニック・マイノリティ問題を参照。ただし日本語の『民族』という言葉は~」という事で、現在の修正案の「概要」と同じ趣旨の文章を挿入する必要があるでしょう。ならば、今といったい何が違うのですか?
もちろん、本当に名称を変更するだけで、「日本のエスニック・マイノリティ問題」に現在の修正案をそのまま反映させる、という事なら話は別ですが
ついでに申し上げておきますが、私個人に対してならまだともかく、それなりの議論に基づいて纏められた合意案に対して「演説」などと評価するのは、議論に参加されたWikipedia全員に対して非常に失礼な発言です。この発言に対しては、(私個人にではなく、議論に関わった全員に対して)撤回と謝罪をされておくことを強くお勧めしておきます。
ただし、民族差別にその旨を記述すべきだ、というご意見は正しいと思います。あちらでも「ethnie」と「nation」の概念の混同が見られますからね。あちらはあちらで記述を整理すべきでしょう。
……って、民族差別の履歴って……。まぁ、私が何か言うとまた角が立つでしょうから、これ以上は何も言いませんが……。
--Stranger non general person 2007年3月23日 (金) 09:09 (UTC)
>つまりそれは、この記事の名称を「日本のエスニック・マイノリティ問題」と変更すべきだ、というご提案
? StrangerNonGeneralPersonさん&合意案の譲るつもりのない3点の1個目ですが… この項目名のままで、日本語の「民族」ではなく、「Ethnic minority」の問題を記述していることを明確にするっていう話じゃないんですか?(誤読してる?)
>私個人に対してならまだともかく、それなりの議論に基づいて纏められた合意案に対して「演説」などと評価するのは~
? StrangerNonGeneralPersonさん&合意案の譲るつもりのない3点の2個目ですが… 譲れないってのはStrangerNonGeneralPersonさんの意志ですよね?まさか合意論全体の意思?
実際演説でしょうこれ(日本国籍~明記する)。夕方の駅前でどっかの政党が場違いの演説、もしくは悪意を持って(本人は善と思っている)ナイーブな問題を一刀両断する演説をしてるのとさほど変わりませんよ。
これだけ長い議論やってるのにStrangerNonGeneralPersonさん側からの参考資料とかほとんど無し(話題になるのは20年前の本とか…、冷戦終わってからずいぶん経つんですよ?)で、よく分からない自説を数人で「この概念が見える角度を変えよう、できれば日本がかっこよく映るように」的な議論をしているだけにしか見えない、って言ったらやっぱり失礼の部類に入るんですかね。
何に影響されたのか全く分からない(ことにしておく)極論を元に定義を決めて、善意の場違い注釈をつけるのは個人的には反対。なんかIosifさんと同じようなこと書いてるな…。多数決じゃ絶対負けるだろうけど、(何に影響されたのか全く分からない(ことにしておく)極論を直感だけで支持する人はネット上じゃ圧倒的に多いだろうし。大日本帝国時代と植民地の欄で朝鮮民族がいないことになっている時点で個人的には「ダメだこりゃ」状態なんですが。)、まぁ、その時はその時で。
やっぱり失礼に当たるんですよね、これ。さんざんIosifさんに失礼な態度&悪態ついてるのに、自分が攻撃された(と感じると)いきなり謝罪と撤回を要求という強圧的な態度に出るんですね。普通の人は「それはどういう意味で使ってるの?」と反応すると思うんだけどな。やっぱり失礼に当たるんですよね、これ。それとも、みんなで考えた合意案なんだから一点たりとも批判は許さない!って感じなんですかね。おっそろしいですね。
別に長々と議論するつもりはないし、個人的にはなんらかの落とし処を見つけて、さっさと保護解除してもらって沖縄の事ガーっと書ければそれでOKなんですけどね。じゃあ、この問題に口を挟むな、とツッこまれそうだけど、目に付いたんだから仕方ない。なんで訳のわかんない議論を延々と続けて、訳のわかんない定義を作ろうとしているのかさっぱり理解できない。 Blueroses5327 2007年3月23日 (金) 15:49 (UTC)
なぜ失礼に当たるのかといえば、「演説」という貴方(Blueroses5327さん)の評価の根拠が、「貴方(Blueroses5327さん)がそう感じたから」以外に示されていないからです。それ以上、私が指摘すべきことはありません。
ついでに申し上げておきますが、沖縄(ということは、琉球民族についての記述だと思いますが)についての記述は、まず琉球民族沖縄に記述してください。この記事には、(専用の記事がある場合は)各エスニック・マイノリティそれぞれに関して必要最小限の記述を行い、後は専用の記事にリンクを貼る、という事で、原則としての合意は(ごく一部を除いて)得られています。合意形成に参加する意思が無いのなら、その合意に従ってください。「必要最小限」という定義は非常に難しいのは確かですが、この制約は「記事内では、全てのエスニック・マイノリティを同等に扱う」という基準で設けられたものです。制約が守られない場合は、「専用の記事があるエスニック・マイノリティに関しては全て『詳細は○○を参照』のみにすべきだ」という修正案を再度提出せざるをえません。
これまでの論議を踏まえた上での、根拠とソースのあるご提案をご提示頂くのでしたら、もちろん合意案に盛り込ませていただく用意はいつでもあります。しかしここは記事の編集に関して討議する場所で、貴方の感想を記述する場所ではありません。その点についてご配慮を頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
--Stranger non general person 2007年3月23日 (金) 16:56 (UTC)

案2の提案から6日目ですが、新たに意見を表明する人もでてきましたので、案の修正ということではなく内容についての論議という形で、とりあえず前に進みたいと思います。

Stranger non general personさん

>「民族」か「エスニックマイノリティ」か。
「エスニックマイノリティ」では見出し文が長くなりすぎかな、というのが「民族」を用いた理由なんですが、「近代化以前~」などの括弧書きの部分は下の説明部分に移してもいいのかもしれませんね。
>この区分なら朝鮮系/韓国系日本人を分ける必要はないかもしれませんね。
確かに。在日台湾人とのバランスもありますし、そのあたりは個別の説明にまかせたほうがよいのかもしれません。
>「韓国人」には、「(彼らについても「在日コリアン」と呼ぶ場合もある)」という注記を入れてはいかがですか?
同意します。
>樺太を「江戸末期における日本の版図」とするか。
樺太については江戸末期の日露間の条約で共同統治となっていますので、一応日本の版図に含まれてると言えるんじゃないかなと思います。むしろ琉球のほうが微妙ですが、実質的には属国でしたので、その辺も含んで「領土」ではなく「版図」という言葉を使いました。
>「日本の近代化と帝国主義的拡大期」という表現
仰るとおり「帝国主義的」という表現に多少引っかかりはありますね。当時を帝国主義と呼んで間違いだとは思いませんが、なんか用語としてギラついてるというか。
ただ、当時そのあたりの民族が日本に組み込まれていく過程には、日本のそういった膨張主義的政策があった、というニュアンスは含めておいたほうがいいんじゃないのかな、現在の流入者と過去の流入者の違いをみるうえでわかりよいんじゃないのかな、とも感じます。
このあたりIosifさんがこの言葉を用いた意図を確認したいところです。

Blueroses5327さん

反論自体は歓迎なんですが、挑発的な言辞は議論を混乱させるだけですので、煽りが目的でないのならなるたけ抑えていただくようお願いします。
>StrangerNonGeneralPersonさんの前提はおかしいと思う。
これはIosifさんにも言いたいことなんですが、相手がどのような思想・意見を持っていたとしても、その事自体は思想信条の自由の範疇でしかないわけです。相手の意見がおかしいと思うことも自由ではあるのですが、実際の記事中に明確に反映されない限りにおいては、お互いに干渉してもしょうがないわけで、「前提がおかしい」かどうかより、「記事・案文のここがおかしい」、と指摘することが建設的なんじゃないかな、と私は考えますよ。
>よく分からない自説を数人で「この概念が見える角度を変えよう、できれば日本がかっこよく映るように」的な議論をしているだけにしか見えない
ここはあなたの感想を述べる場ではありませんし、「感じた」ということだけを言われても対処も反論もできません。
案の中に客観性に欠ける部分があると思ったのなら、その部分を理由とともに具体的に抜き出していただくなり訂正して示していただくなりしていただけましたらと思います。
>沖縄の事ガーっと書ければそれでOKなんですけどね。
沖縄のことは沖縄に書いたほうがよいですね。
琉球民族について、現在の案に異論があるということなら、それを示していただければいいと思います。それが琉球民族に書いたほうがいいのか、この日本の民族問題で触れたほうがいいのかは、現時点でも議論できますし。
>じゃあ、この問題に口を挟むな、とツッこまれそうだけど、目に付いたんだから仕方ない。
議論に参加していただけるなら歓迎しますよ。
案をまとめて早期の保護解除をし、現行の記事を修正するのが私も目的ですので。
--いたる 2007年3月23日 (金) 23:37 (UTC)

いやいや、なんでここで思想信条の自由なんて言葉が出てくるの?「意見がおかしいと思うことも自由」とかそういうことじゃなくてさ、StrangerNonGeneralPersonさんが合意案の前提にした意見を構成した資料をご提示ください、っていう話ですよ? 別に嫌韓流でこう書いてたとかゴーマニズム宣言でこう書いてたとか、そんなのでもいいんですよ?(認めない人はいそうだけど…)それで、済む話なんですよ。 それが、StrangerNonGeneralPersonさん一同からは辞書で民族問題の項目を見たら~とかwikiで他の人も書いてる、とかgoogleで検索したら~、とか悪い冗談みたいな解答しか帰ってきてないわけです。で、反対&批判者の発言の一部をつまみ食い・曲解して、民族問題だ、少数民族だ、エスニック・マイノリティだとふらふらしてるのが現状ですよね?

さらにはそれを前提にして、独自のカテゴライズやってるでしょ? 明確に反映されてますよね。カテゴライズの内容はまぁ、うなずけるところもあるんだけど、あくまで独自のカテゴライズだからね、それについてもそのカテゴライズをするに至った資料を教えてください、っていうそれだけの話なんだけどね。確かwikipediaって、資料主義なはずでしたよね?だから資料を、って言ってるわけで、なんでこんな簡単なことが理解できないんでしょうか?

IosifさんはStrangerNonGeneralPersonさん一同の言ってることは極論だと、梅棹忠夫の『新訂増補版 世界民族問題事典』や梶田孝道の『国際社会学』、福岡安則・金明秀の『在日韓国人青年の生活と意識』田中宏の『在日外国人』etcetcを提示しているんですよ? StrangerNonGeneralPersonさん一同には何故か見えてないようですけど。(ちなみに、僕は原尻英樹の著作を薦めときます)

で、批判票の比喩の部分だけ抜き出して「感想」の一言で切られちゃもう話すことはないなぁ、と…。さっさと投票でもなんでもして(ネット上じゃ賛同する人多いだろうし)やりたいようにやればいいんじゃないですか?

en版の方が詳しく書かれている状況っていったいどういうことなのか、この項目を最初に荒らし始めたのはどういうタイプの人間なのか、少しは頭使って真剣に考えた方がいいですよ。以上。(この問題の経緯をまとめてたけど、途中でバカらしくなってきてやめた。何かに似てると思ったらアレだ、朝日vsNHK)Blueroses5327 2007年3月24日 (土) 13:05 (UTC)

いたる さん

「民族」か「エスニックマイノリティ」か
説明書きはこのままでいいでしょう。確かに少々長い感もありますが、この区分けなら仕方が無いと思います。
>この区分なら朝鮮系/韓国系日本人を分ける必要はないかもしれませんね。
では、この部分は(私達の間では)合意ということで、他に異論がなければこの部分は削りましょう。
>樺太を「江戸末期における日本の版図」とするか。
了解しました。多少異論が出るかもしれませんが、もし必要なら(琉球と樺太について)refタグでの説明を入れておきましょうか。
>「日本の近代化と帝国主義的拡大期」という表現
ですね。なるべくなら異論の出そうな表現は排除しましょう。

Blueroses5327 さん

もう一度、「ここは記事の編集に関して討議する場所で、貴方の感想を記述する場所ではない」とだけ指摘させていただきます。その他に私から指摘すべきことはありません。
ついでに申し上げれば、Wikipediaの記事そのものは確かにソースにはなりませんが、Wikipediaの記事の記述の元になったソースは、他の記事の記述のソースに成り得ます。合意案の文案は「民族」の記述を元に作成されていますし、参照元の記述にはきちんとソースが提示されています。それを故意に無視するような言動はお控えになられた方がよろしいのではないかと存じます。
最後に、この合意案は、このノートでの議論への参加者の多くの総意によって編集されてきたものです。私個人の発案ではありません。その点だけはBlueroses5327さんのご認識を改められた方がよろしいと、はっきりとご忠告申し上げます。
--Stranger non general person 2007年3月25日 (日) 01:35 (UTC)

以下Iosif記:

【1】__Stranger non general personさんから返答をもらっていません。▼「私は「とりあえず一週間」と区切りましたが、もう少し伸ばした方がいいでしょうかね?」(Stranger non general personさん)と発言していますが、まずStranger non general personさんから質問に答えていただかなくては話を進めようがありません。上記「案3」についてもStranger non general personさんから案1の趣旨説明がないかぎり、議論を進展させるのは困難ですのでStranger non general personさんが望むように進展しないことへの苦情は受け付けません。▼念のため質問を繰り返します。「日本国籍をもたない者にかかわる事柄は日本の民族問題ではない」というStranger non general personさんが打ち出したテーゼがあります。Stranger non general personさんはこれをはっきりと撤回していません。ところが、案1と呼ばれている提案文では「まず国籍の有無」で分けるという内容になっています。これは、はっきりと何を譲ったかを明示しているような「妥協・譲歩」による産物であるようには思えません。私にはこれは前述Stranger non general personテーゼの残滓にしか見えません。そうでないのだとすれば、最初に「国籍の有無」で分けることにどういった意義があるのか、列挙ではなぜいけないのかを説明してください(いたるさんからの「説明/解釈」はうかがっています。それについては後ろでお返事します)。

【2】__案3を提起します。各エスニックマイノリティを“現在の”日本国版図に居住する歴史が長い順にただ列挙することとし、これを案3とします。事前の分類はどのようなものであっても排除すべきだと私は考えるからです。ただし、北海道他北方地域と南西諸島とでは、どちらが「居住する歴史が長い」と言うべきかわかりようがありませんので適宜話し合いたいと思います。私は北海道開拓のほうが琉球処分よりも早いの北海道・樺太・千島先住民族を先に挙げればよいと思います。▼ここでは敢えて「主要なエスニックマイノリティ」の紹介の仕方についてに絞って論じ、提起しています。案1には他にも反対すべき点がありますが、案2とともにしばらくは「主要なエスニックマイノリティ」の紹介の仕方に絞ります。▼ちなみに案1への「その他の反対点」はおおむね次のとおり。第1に、冒頭解説が誤りである(ethnie概念とethnicityの語とを完全に混同している)と思われるため冒頭説明文が不適切。第2に、国連人権委員会報告の移動に反対し、「日本の民族問題」を紹介するその他・諸外国の視点を紹介する小節を設けて包含すべき(在日コリアンに関してなら私でやれます/また沖縄についても国連人権委報告があります)。第3に、「民族問題事件と事件」(←これは題を「民族問題をはらむ事件」とするべきでしょう)を存置し代表的な事件を抽出して紹介すべきです。例を挙げると、日系ブラジル人ならエルクラノ君殺害事件が挙げられるでしょう。1995年・阪神淡路大震災において「在日ベトナム人が放火した」という流言蜚語が流れたという証言と、迫害をおそれたベトナム人がカトリック教会に匿われた事例も民族問題として紹介すべきであると考えます。

【3】__案2(Iosif発→いたるさんアレンジ)について補足します。歴史的経緯によって3分類すれば「なりたち」の解説を兼ねていると述べました。その主眼は(1)版図拡大によって生じた先住民支配と国民形成過程における先住民からのエスニシティ剥奪、(2)帝国主義時代に典型的なディアスポラ、(3)現代的な諸々の人口移動に分けることにあります。▼ですから、(1)番について大きな誤解を招いてしまっています。いたるさんには「江戸末期以前(日本の近代化以前)までに日本版図に組み込まれた地域に居住していた民族」とまとめていただきましたが、その時代の版図を採用するのであれば、どこまでも混乱をきたします。私は「明治維新以前(日本の近代化以前)から現在の現在の(ママ)日本版図に居住する民族」と書きました。無論、樺太は現在の日本版図に入らないので今度は(1)番に分類されるか(2)番に分類されるかで議論があると思います。

いたるさんへ:
やっぱり、何度読みなおしても案1は「外国人と日本国民を分けたい」という当初のStranger non general personさんテーゼがたまたま下敷きになってしまった結果であるようとしか思えません。その以外の(説明における)合理性がStranger non general personからは説明されていません。いたるさんからは「国籍の有無が生んでいる問題があることもたしかだから、読者の理解を助ける」という内容(←Iosifによる要約&解釈/該当箇所がすぐ発見できないため)の説明を受けました。しかし、どういった理解を助けているのかという疑問がくすぶっています。読者の理解を助けている点がそのまま欠点にもなっていると思うのです。
つまり(本来国籍がないという状態が諸外国の人間にとっては信じられないような経緯をたどっている在日コリアンなどが存在しており)「国籍の有無によって二分され」る(いたるさん)というのが日本の民族問題においてユニークであるからということだったと思います。
▼しかし、その点を強調することは同時に「国籍の有無が日本の民族問題において最重要要件である」という誤解を与えることにもなると思います。▼現にStranger non general personさんがこの分類を第一にもってくるのであれば納得できるというのはStranger non general personテーゼである「外国人問題は日本の民族問題ではない」という分類欲求を満足させるからではありませんか。▼そして、私はStranger non general personさんn分類欲求を満足させる以外に「国籍の有無」を第一分類要件にする意義を感じません。
>そのような意図はありません。(いたるさん)
と、いたるさんがおっしゃっているのは(これまでの投稿履歴から)信用していますが、いたるさんの意図にかかわらず、国籍の有無が第一分類要件になるほどに最重要問題であると示している案文にはなっています。このように言うと、いたるさんは次のようにおっしゃるでしょう。
>日本における少数民族のなりたちはおおまかに二分されますし、国籍の有無は個人の持つ権利に反映され、国籍のない側の民族問題の中身もそのことに多くの原因を持つのは明白だと考えますので、日本においてはもっとも特筆する部分だと考えます(いたるさん)
▼いたるさんに対してこれは避けたい話だったんですが、本当にそうなんでしょうか? いつ、誰が、どこで、そう書いているのでしょうか? そして、そういう観点で民族問題研究者の観方は一致しているのでしょうか?▼私は「国籍の有無は個人の持つ権利に反映され」る重要問題であるということに同意します。「国籍のない側の民族問題の中身もそのことに多くの原因を持つのは明白」であるという点は、私とは認識が違います。在日外国人について現在報道されやすい不利益を見ればそう思われるでしょうけれども、もう少し根深いいくつかの問題を記述すべきであると思っているので軽々に現在、彼らの目の前に横たわっている国籍要件等を最重要項目として扱うべきでないと思います(▼これについてはいつかの機会に。このへんは無視してください→一応簡単に書けば朝鮮人が戦後体制と対決しつづけている点、日本国は国策によって旧植民地人処理問題を国籍要件論に摩り替えた点を記述しないと説明できない事柄だと思います)。
▼それをもっとも特筆する部分であるといたるさんが考えることについては一部同意・一部異議があります。また、例えば朝鮮人問題において社会的文化的差別をもっぱらの問題意識としている人は、国籍論に還元されることを断固拒否しています。マルクス主義の立場をとる人からも、きっとナンセンスでしょう。また、こういうことを在日コリアンの前で口にすると、すぐに『ユダヤ人問題によせて』を引用しながらやっつけられるのがオチです。
▼私は、この種のことにユーザーが勝手に判断をさしはさむべきではないと思います。何をやっても、案1のようなPOV(と私が考えているもの)を呼び込みます。
▼私なりに説明したつもりですが、元々私が説明するには無理があります。私の疑問は「案文はStranger non general personテーゼに譲って作られたものにしか見えないから調整が成功したとは思えない、調整が成功したというならStranger non general personテーゼとは関係しない部分ではどういう効用があるのか?」というものだからです。私からすれば、その後「どうして調整が成功したと言えるのか?」を説明してもらいたい思いが膨れ上がる一方です。
>今のところあなたがそう感じているだけ、としか私には読み取れないのですが。(いたるさん)
「感じ方」の問題であってはいけないということは相互に了解していることだと思いますが、あえて「感じ方」に限定して述べます。Stranger non general personテーゼと案1が「独自のカテゴライズやってるでしょ? 明確に反映されてますよね」(Blueroses5327さん)と考えているのが、)Blueroses5327さんとIosifの二人です。Stranger non general personテーゼと提案文1は完全に別物だと主張しているのが、Stranger non general personさんと、いたるさんの二人ということで同じです。Remingtonさんは、Stranger non general personさんが最初の提案文とはっきりと別物を出したと考えているかどうか疑わしいです。ちとせさんは政治情勢認識によってStranger non general personさんを支持していますが、提案文に言及していません。その他、数々の人がこれまで現れましたが案1に言及はしていません。
【3】 =案2について。
案2はすでに述べたように、いたるさんによる「最初の分類としてより合理的な案が示されれば、変更することについてやぶさかではありません」という発言を受けて考えたものです。分類趣旨はすでに述べました。案1と同じように「最初の分類として何があり得るか」を考えたものであり、案1と同じ次元のものです。つまり、典拠などはなく、現在Stranger non general personさんといたるさんが交わしている「有効な(独自)カテゴライズは何か」というルールに即しての考案です。コータさんの発言=「国民国家形成時の公定ナショナリズムによるエスニシティの剥奪をなんの保留もなしに帝国主義に端を発するディアスポラと同列に扱って良いのかという気はしますが」(コータ)という疑問符をヒントにして提案しました。
▼しかし、これにも早速、異論がありました。
>日本の近代化と帝国主義的拡大期」という表現は多少変えた方がいいかもしれませんね。(Stranger non general personさん)
>(略)
>異論が出そうな表現は刈り込んでおいた方がいいでしょう。「第二次世界大戦までの拡大期」ぐらいの表現にしておいた方がいいのではないでしょうか?(Stranger non general personさん)
>当時を帝国主義と呼んで間違いだとは思いませんが、なんか用語としてギラついてるというか。(Stranger non general personさん)
「異論」は「帝国主義的拡大」という点にあるようです。日本の拡大を「帝国主義」と断じるのが嫌だとかいう考えが背景にあるのかもしれませんし、自覚はしていませんがこれを「帝国主義」と呼ぶことがPOVであるとおっしゃる人がいるのかもしれません。▼しかし「第二次世界大戦までの拡大期」では意味がわかりません。全世界が帝国主義国と植民地とに分化し植民地獲得競争をやっていた帝国主義の時代であるからこそ発生する人口移動によって生じた少数民族を説明するうえでは「帝国主義・植民地主義の産物」であることは明示する必要があります。▼この分類は、日本帝国主義にスポットを当てんが為の政治的動機に基づいていると言う向きがあるかもしれません。「そんな意図はありません」としか答えようがありません。▼しかし、これは案1に起きているのと同じことです。どのような分類であっても、第一分類として設けるかぎりは、それが最重要分類要件であると印象づけられるわけです。いかなる分類法をとっても、何かのポイントを最重要分類要件とせざるを得ません。では、諸々のエスニックマイノリティを分類する最重要要件が学的に合意されているのかというと、そういうものはありません。第一分類を設けるということにそもそも無理があるのです。どのようなカテゴライズも、独自のものであるかぎりユーザーによる無典拠POVであることは避けられません。▼どうしても第一分類をやるとしたら、少々紹介した権威筋の分類があるので、それらにならって責任をそちらに負ってもらうのがWikipediaのやり方だと思います。
追伸:Stranger non general personさんへ:
何度も項目民族を参照するようにと書いていらっしゃいますが、同項目を見てもわかるように日本語の民族の語は「nation」と「ethnic group」の両方で用いられていると説明されているのであって、ethnie概念は出てきていません。私の記憶ではethnie概念はまったく別物だったと思うんですよ。たしか、ethnieというやつは、エスニックグループやエスニシティという概念ではnation buildingの根拠を説明するうえで限界があるから(なんでもかんでも無根拠だということにされてしまうから)、nationを形成するうえでの土台となるもの(≒のプロトタイプのそのまた根拠)として存在すると仮に措かれた概念だったはずです。覚えたばかりの言葉を間違って使い続けているというのは訂正すれば済む話なんですが、困るのは大学の教科書レベルのものを開こうともしないで勝手な解釈をいつまでも押し通し続けることです。勘弁してください。その他、Blueroses5327さんとのやりとりを見ていて思いましたが、あまりにも脅迫的言辞をつづけて弄していることを指摘します。これは警告です。
>大体、在日コリアン自身が「日本国籍を取得すれば朝鮮民族ではなくなってしまう」と捉えているのですから(Stranger non general personさん)
これ、どのように記述すべきかという話とはまったく関係ありませんが、それを延々と書いてどうしようと言うのでしょうか。あなたの提案文は上記引用の信条を満足させる以外に役立っていません。
>「民族=nation」ならば、在日コリアンは「日本の(少数)民族」ではありません。(Stranger non general personさん)
日本でネーションと呼べるものを形成しているのは「日本人」だけだと思います。あなたの考えに立てば、日本に「民族問題」はないことになるので、どうしてこの記事を削除依頼しないのか不思議です。

以上。--Iosif 2007年3月25日 (日) 19:37 (UTC)

案1から案2に移行することについては、Stranger non general personさんもほぼ了承してくれていたのですが、話を案1に戻して、そこに何の意味があるんですかね。

Iosifさん

案1についての中の質問ですが、
>>日本における少数民族のなりたちはおおまかに二分されますし、国籍の有無は個人の持つ権利に反映され、国籍のない側の民族問題の中身もそのことに多くの原因を持つのは明白だと考えますので、日本においてはもっとも特筆する部分だと考えます
> いつ、誰が、どこで、そう書いているのでしょうか?
文春新書、鄭大均氏の「在日韓国人の終焉」p188より引用します。
「私たちが日本国籍を持たない限り、内国人との完全な機会や権利の平等を獲得することができないことを意味するもので、逆にいえば、日本国籍を取得すれば、参政権や公務任用の問題は自動的に解決するものである。また、そうすることによってはじめて、私たちはハンディキャップゆえに同情される人間でも、特権ゆえにねたまれる人間でもない普通の人間としてこの社会で生きていくことができるのである」
私のことばそのままではありませんが、これが考え方の根っこです。
でもまあ、この一週間の間に、すでに案2に移行してますので、案1については廃してもいいんじゃないかなと私は思いますよ。
では次に案2について
>この分類は、日本帝国主義にスポットを当てんが為の政治的動機に基づいていると言う向きがあるかもしれません。「そんな意図はありません」としか答えようがありません。
>しかし、これは案1に起きているのと同じことです。どのような分類であっても、第一分類として設けるかぎりは、それが最重要分類要件であると印象づけられるわけです。
誰もしていない質問に自分で答えて話の結論をつけられても困ります。そんな政治的動機に基づいているなどとは誰もまだ言っていません。Iosifさんの意図がコータさんの意見にそってのことならそれはそれでわかりますし、その言葉を使うかどうかの議論自体はまだ終わっていませんしね。
そもそも
>当時を帝国主義と呼んで間違いだとは思いませんが、なんか用語としてギラついてるというか。(Stranger non general personさん)
と引用されていますが、そこは私の発言であり、正確には
>>仰るとおり「帝国主義的」という表現に多少引っかかりはありますね。当時を帝国主義と呼んで間違いだとは思いませんが、なんか用語としてギラついてるというか。
>>ただ、当時そのあたりの民族が日本に組み込まれていく過程には、日本のそういった膨張主義的政策があった、というニュアンスは含めておいたほうがいいんじゃないのかな、現在の流入者と過去の流入者の違いをみるうえでわかりよいんじゃないのかな、とも感じます。
ですので、「帝国主義」という言葉やニュアンスを完全否定しているものではありません。
Stranger non general personさんについても、「なるべくなら」ということですので、論理的な理由があるならこのことでゴリ押し的な反対はされないと思いますよ。
>どうしても第一分類をやるとしたら、少々紹介した権威筋の分類があるので、それらにならって責任をそちらに負ってもらうのがWikipediaのやり方だと思います。
具体的にどういう形になるのですかね。
福岡安則氏の使用した分類、ということなら、中公新書の「在日韓国・朝鮮人」にてエスネシティとナショナリティによる日本人・非日本人の類型枠組として、
  • 類型1 「日本民族の血」をひき、「日本文化」を内面化し、日本国籍をもっている人たち
  • 類型2 「日本民族の血」をひき、「日本文化」を内面化ているが、外国籍の人たち
  • 類型3 「日本民族の血」をひき、日本国籍をもっているが、異文化を内面化している人たち
  • 類型4 「日本文化」を内面化し、日本国籍ももっているが、異民族の血を引いている人たち
  • 類型5 「日本民族の血」を引いているが、異文化を内面化し、かつ、外国籍の人たち
  • 類型6 「日本文化」は内面化しているが、異民族の血を引き、かつ、外国籍の人たち
  • 類型7 日本国籍はもっているが、異民族の血をひき、かつ、独自の文化を持っている人たち
  • 類型8 異民族の血をひき、異文化を内面化し、かつ、外国籍の人たち
と、いうのがありますので、たとえばこれを使って分類すればPOVとはならない、ということなんでしょうか。
私としては案2のほうがわかりやすいと思うんですけどね。
>「江戸末期以前(日本の近代化以前)までに日本版図に組み込まれた地域に居住していた民族」とまとめていただきましたが、その時代の版図を採用するのであれば、どこまでも混乱をきたします。私は「明治維新以前(日本の近代化以前)から現在の現在の(ママ)日本版図に居住する民族」と書きました。
樺太系をわかりやすくするにはよいと思ったのですが。意味は大きくはかわりませんので、戻すことを検討してみます。どちらにしても樺太系を該当するなら「(1)版図拡大によって生じた先住民支配と国民形成過程における先住民からのエスニシティ剥奪」のところでしょうね。
そして案3について
>案3を提起します。各エスニックマイノリティを“現在の”日本国版図に居住する歴史が長い順にただ列挙することとし、これを案3とします。
これは疑問ですが、そうやって歴史の長い順に日本の少数民族を列挙した文献や論文は存在するのでしょうか。
「どちらが「居住する歴史が長い」と言うべきかわかりようがありませんので適宜話し合いたいと思います」とありますが、事実に基づくものであっても典拠をもたない分類はそこに意思が介在しPOVになるというのなら、事実にもとづくものであっても「居住する歴史の長い順に並べたい」という意思が入る以上、居住の歴史が長いことに対して上下付け等のなんらかの意味を、読んだ人がそこに見出す可能性はやっぱりありますので、典拠を持たないならその順番付けもまたPOVになっちゃうんじゃないのですかね。
典拠があるならいらぬ心配でしたが、POV的な要素を完全に廃するなら、50音順なりのほうがよいかもしれませんよ。
意見としては以上ですが、ただ列挙するだけのものよりも案2のほうがわかりよいと思いますし、正直、事実のみに基づく分類でも独自の研究にあてはまるというのにはいまだ納得できてませんので、案3には当面同意しません。
--いたる 2007年3月26日 (月) 14:09 (UTC)
まず、引用先の発言者について、書き間違いをお詫びします。
あと、関係ないことですが、この小節「合意案のまとめ」はどうしてサブページ化されているんでしょうか? はじめて気づきましたが皆さん書きづらくないでしょうか?▼さて、
>案1から案2に移行することについては、Stranger non general personさんもほぼ了承してくれていたのですが、話を案1に戻して、そこに何の意味があるんですかね。
とてもそうは読めませんでした。▼が、そういうことなのであれば、案2と案3とを検討するということでよろしいのでしょうか?▼案2についても言いだしっぺではあるので、案3を支持するのみならず案2もリファインする方法を考えるべきかもしれません(が、細分化法を考えるにつけIosif独自の分類と解釈が介在することに気づくばかりですが)。案2のほうが「わかりやすい」とのことでしたが要は何をわかりやすくさせたいかということ次第でわかりやすいか否かの判断が決まると思います。しかし、何をわかりやすくさせたいかという点は、私から述べたもので行って良いかどうか迷うものがあります。▼鄭大均への言及は意図をはかりかねますが「こういう考え方はたしかにありますよ」という例なんでしょうか。もし案1分類の根拠として出されているなら悪い冗談です。鄭大均は個人的に80年代後半に韓国で教えていた頃から注目して発言を見ていたので私は比較的知るところが多いと思いますが、ご本人の仕事・業績ともあまり関わりのない、何かしらの研究成果と言えるわけでもない論評の類です。典拠に用いる質のものでないだけではなくく、民族問題全体の分類を正当化するにはあまりに飛躍しています。そうではなく、「国籍のない側の民族問題の中身もそのことに多くの原因を持つのは明白だと考えます」の根拠として提示なさっているのかもしれません。だとしたら大いに反論があります。つまり、私は「明白だ」とは到底言えないと考えているわけですが、もはや不要な議論のようですので、機会をあらためます。--Iosif 2007年4月1日 (日) 19:44 (UTC)



分類の方策について

さて、案2を私はすでに提示していますが、「独自の研究」といわれない分類方法として、先に提示した福岡安則氏による日本人・非日本人の分類に倣ったかたちのものを参考までに提示してみます。
日本のエスニティ分布
  • 「日本民族の血」をひき、「日本文化」を内面化し、日本国籍をもっている人たち
純粋な日本人
  • 「日本民族の血」をひき、「日本文化」を内面化ているが、外国籍の人たち
日系一世
  • 「日本民族の血」をひき、日本国籍をもっているが、異文化を内面化している人たち
海外帰国子女 
  • 「日本文化」を内面化し、日本国籍ももっているが、異民族の血を引いている人たち
帰化者。朝鮮系、韓国系日本人 
  • 「日本民族の血」を引いているが、異文化を内面化し、かつ、外国籍の人たち
日系ブラジル人(三世など)
  • 「日本文化」は内面化しているが、異民族の血を引き、かつ、外国籍の人たち
民族教育を受けていない在日韓国・朝鮮人
  • 日本国籍はもっているが、異民族の血をひき、かつ、独自の文化を持っている人たち
アイヌ人、琉球民族、ウィルタ、ニヴフ
  • 異民族の血をひき、異文化を内面化し、かつ、外国籍の人たち
民族教育を受けている在日韓国・朝鮮人、外国人一般
少し煩雑としているかなとも思いますし、注釈的なものをつけくわえなければならない部分も多いかなとも思いますが。
民族名の列挙とこの分類をそれぞれ記載するのもよいのかもしれません。--いたる 2007年4月6日 (金) 23:34 (UTC)


Iosifさん

>とてもそうは読めませんでした。
案2の提示の後で「なるほど。大筋では了解しましたが、若干気になる点があります。ご検討ください。 」とおっしゃってますよ。読めませんでしたか?
>案2と案3とを検討するということでよろしいのでしょうか?
それでよいと思いますが、検討にあたって案3については実際にどういう形になるのか明示していただけませんか。
「各エスニックマイノリティを“現在の”日本国版図に居住する歴史が長い順にただ列挙することとし、これを案3とします。」とされてますが、「各エスニックマイノリティ」とは具体的にどうだとあなたが考えているのか、これだけでは見えてきません。
>鄭大均
>ご本人の仕事・業績ともあまり関わりのない、何かしらの研究成果と言えるわけでもない論評の類です。典拠に用いる質のものでないだけではなくく、民族問題全体の分類を正当化するにはあまりに飛躍しています。
と、あなたはおっしゃいますが、鄭大均氏は現在、首都大学東京の「ナショナル・アイデンティティ、エスニシティ」を専門とする教授でありますので、なぜに在日の民族問題にかかる彼の論説が彼の仕事や業績とあまり関わりがない、典拠に用いる質のものでない、とされるのか、根拠がよくわかりません。
あくまで私がなぜ「国籍のない側の民族問題の中身もそのことに多くの原因を持つのは明白だと考え」たのかの根拠に示したものですので、鄭氏の論が主流ではない、すでに誤りだと論破されている、などという指摘でしたらそれは議論の材料になろうかと思いますが、彼の論文を提示した私の真摯な返答に対して、「悪い冗談」だとあなたが侮蔑的に書いたことは大変残念に思いました。--いたる 2007年4月6日 (金) 23:34 (UTC)


調査、ありがとうございました。「血」という表現に若干引っかかりはありますが、今までの議論の方向にも沿っている、という意味でも概ね望ましい分類だと思います。私としては現在までに纏めた合意案(上記でいう所の案2)の方が望ましいと思いますが、「独自の分類」とする声が他にもあるのなら、そのような声に配慮するという意味でこの分類をそのまま掲載した上で注釈を加える、という方向も検討してみる価値はあると思います。
--Stranger non general person 2007年4月8日 (日) 15:21 (UTC)
4月に入ってから書き込む時間がとれず、半ば放置するようになっていて申し訳ありません。ゴールデンウイーク中か明けくらいに、「独自の分類」の解釈について井戸端あたりで聞いて見たいと考えています。--いたる 2007年4月24日 (火) 15:39 (UTC)
うーん……確かにそれはそれで必要だと思いますが、もう投票を始めてしまってもいいのではないでしょうか? 最後の書き込みから二週間以上経っている訳ですし、反対しているのも一人(笑)なワケです。「対案を示せ」と振った途端に黙ってしまう相手に、これ以上配慮を示す必要は無いのではないでしょうか?--Stranger non general person 2007年4月26日 (木) 00:07 (UTC)