ニサ (ポーランド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ニサ (Nysa)
ニサの市旗 ニサの市章
位置
POL Nysa map.svg
情報
: オポーレ県
緯度: 北緯 50°28'
経度: 東経 17°20'
標高: 195m
面積: 27.5  km²
人口
 - 合計
 - 人口密度

47,283 人
1,719.4   人/km²
郵便番号: 48-300
市外局番: 48 77
市長: ヨランタ・バルスカ (Jolanta Barska)
公式サイト: 市公式ウェブサイト
ニサ聖堂

ニサポーランド語: Nysa)、あるいはヌィサは、ポーランド南西部、ニサ・クウォツカ川(グラッツァー・ナイセ川)河岸にある町。オポーレ県に属し、人口は47,545人(2006年)。ニサ郡の郡都である。周辺自治体を含めると、60,123人の都市圏を形成している。ドイツ語名はナイセ(Neisse、旧表記 Neiße)。

歴史[編集]

中心の広場

ニサはシレジア地方の最古の町の一つである。10世紀ころにおそらく町ができたとされ、その後同名の公国の首都となった。ニサ公国としてヴロツワフ司教座の一部となった。1350年以降にできたの町の要塞設備は、1424年フス派から町を守るために使われた。

17世紀三十年戦争の間、3度町は包囲された。第一次シレジア戦争(1740年-1741年オーストリア継承戦争)は、シレジアにおけるオーストリア主権の終わりを告げ、町はプロイセンフリードリヒ2世の手に渡った。彼は町の要塞設備を近代的なものに変えた。1769年8月25日、ナイセはフリードリヒ2世と神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の会談の場となった。

ナポレオン戦争では、ナイセは1807年フランス帝国に占領された。プロイセン領シュレージエンではプロテスタントが優勢であったが、ナイセはほとんどがカトリック教徒であった。ゴシック様式バロック様式の教会が数多くあるナイセは、かつて『シレジアのローマ』と呼ばれていた。1816年から1911年、町は独立都市となって以後ナイセ地区の首府であった。

第一次世界大戦後、ナイセはヴァイマル共和国の新設されたオーバーシュレージエン(上シレジア)の一部となった。第二次世界大戦では赤軍に占領され、町はポツダム協定に基づきポーランド行政下に置かれ、ポーランド語の地名ニサに変更された。町に住んでいたドイツ人住民は、ドイツ人追放によって町を出て行き、替わってポーランド人が移り住んだ。

著名な出身者[編集]

参照[編集]

"NEISSE BUCH DER ERINNERUNG", Dr. Max Warmbrunn & Alfred Jahn, Gedruckt bei Druckhaus Nürnberg GmbH, 1966

姉妹都市[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯50度28分 東経17度20分 / 北緯50.467度 東経17.333度 / 50.467; 17.333