デスライク・サイレンス・プロダクション

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デスライク・サイレンス・プロダクション
Deathlike Silence Productions
設立1988年[1]
設立者オイスタイン・オーシェト
現況消滅
販売元ヴォイシズ・オヴ・ワンダー
ジャンルブラックメタル
デスメタル
 ノルウェー
本社所在地オスロ

デスライク・サイレンス・プロダクション (Deathlike Silence Productions)は、ノルウェーオスロにあったインディーズレコード・レーベルDSPと略されることもある。1980年代後半にメイヘムギタリストユーロニモス (オイスタイン・オーシェト)によって設立された。ユーロニモスがヴァルグ・ヴィーケネス刺殺される1993年まではユーロニモスによって経営されていたが、ユーロニモスの死後も少しの間存続した。ノルウェーのレーベル、ヴォイシズ・オヴ・ワンダー (現:ヴォイシズ・ミュージック・アンド・エンターテイメント)がディストリビュートしていた。しかし、レーベル自体は既に消滅しており、結局リリースしたのは9枚の作品のみである[2]。ただし、中には現在再発されているCDでもデスライク・サイレンス・プロダクションのリリースとされ、規格品番もデスライク・サイレンス・プロダクションの物を用いているものがあるが、前述のようにデスライク・サイレンス・プロダクション自体は既に消滅している。規格品番は、イギリスイヤーエイク・レコードの規格品番『MOSH』に対抗して、『ANTI-MOSH』であった。これは、ユーロニモスがアンダーグラウンド主義であったことなどが起因しているとされる。

デスライク・サイレンス (Deathlike Silence)の名前は、ソドム1986年にリリースした1stアルバムObsessed by Cruelty』に収録された楽曲、『Deathlike Silence』から派生した。

当初はノルウェーのバンドとのみ契約していたが、1990年初めにはスウェーデンのバンドとも契約するようになり、1993年頃には更に広い外国のバンドとも契約するようになった。ユーロニモスは死の直前には、ギリシャロッティング・クライストコロンビアマサカーペルーHadezイスラエルサレムとの契約を検討していた。また、レーベルが消滅する直前にはイタリアゴシックメタルバンド、Monumentumのデビューアルバム『In Absentia Christi』のリリースも計画されていた。

日本ブラックメタルバンドSighは、1stアルバム『Scorn Defeat』をデスライク・サイレンス・プロダクションからリリースしている。このアルバムは非スカンディナヴィア出身バンドの作品としては、デスライク・サイレンス・プロダクションからリリースされた唯一の作品であった。

リリースリスト[編集]

リリースは、規格品番の順には行われていない

脚注[編集]

  1. ^ 田村直昭 (1994). 狂魔密儀. De Mysteriis Dom Sathanas (CDライナー). メイヘム. 日本東京都千代田区: ディスクユニオン. ANTI-MOSH-006。では、デッドの死後(1991年4月8日没)設立となっているがリリース状況から誤りであると考えられる
  2. ^ うち1枚は再発盤なのでオリジナルは8枚。

関連項目[編集]