チャールズ・ヴェイン

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チャールズ・ヴェイン

チャールズ・ヴェイン(Charles Vane、1680年 - 1720年3月29日)は、イギリス海賊。イギリス船、フランス船を略奪した。海賊としての活動は1716年~1720年。ブリガンティン「レンジャー」を旗艦とした。ポート・ロイヤルの絞首台で最期を迎えた。

バハマニュープロビデンス島のイギリス入植地が1713年に放棄されると、海賊船長たちが拠点を置くようになった。ヴェインもその一人である。1718年にバハマ総督ウッズ・ロジャーズが2隻のイギリス海軍船で海賊を脅かした時、ヴェインは単身抵抗し、奪ったフランスの焼き討ち船で海軍艦艇を撃退した。ヴェインは高速スループ「レンジャー」(大砲6門)に乗り、総督に発砲し、帰還を予告して逃げ去った。

落日[編集]

彼はその残酷さゆえに嫌われていた。海賊の掟をも軽視し、本来ならば乗組員が得るべき取り分をも我が物とした事もその理由の1つだろう。

ヴェインは次々と船を奪っては乗り換えている。まずバルバドスのスループを、次には大砲12門搭載のブリガンティン、船名は「レンジャー」と改名された。彼は自身を付け狙うイギリス艦艇の裏をかいて逃れ、1718年10月にはノースカロライナオラコーク島で1週間もの間、黒髭とともに祝賀会を楽しんだ。

ヴェインはニューヨークに向けて北上し、進路をカリブ海への南に転じるまでの間、また何隻かの船を略奪した。彼の船よりも大きなフランス戦艦と遭遇した際に攻撃しなかったことを、乗組員たちはヴェインの臆病の発露ととらえ、投票によってヴェインは船長の地位を追われた。操舵手キャラコ・ジャックが新たな船長となり、ヴェインは小さなスループで漂流することになった。彼は、より大きな船を奪うことで、彼の海賊としての格を再上昇させる決意を固めた。

ヴェインに最期の時が迫っていた。1719年2月に、彼の船は嵐で難破した。彼ともう1人の生存者は、ホンジュラス湾の無人島に漂着した。数ヶ月後、ようやく船が通りがかったが、ヴェインは正体を見破られた。2人とも手かせをはめられ、ジャマイカに連行され、裁判を受け、絞首刑に処された。彼は、自らの罪を悔いる言葉はいっさい言わず、死んだ。

参考資料[編集]

  • Menefee, S.P. "Vane, Charles," in Oxford Dictionary of National Biography, vol. 56 (2004): pp. 94-95.
  • Pickering, David. Pirates. CollinsGem. HarperCollins Publishers, New York, NY. (2006):p-75.

外部リンク[編集]