チャイナ・スクール
チャイナ・スクールとは、日本外務省において入省時に中国語を研修語とした外交官を指す用語である。
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[編集] 概要と定義の問題点
外務省には、研修語ごとの語学閥(スクール)がある。チャイナ・スクールの他にはアメリカ・スクール(米英語)、ジャーマン・スクール(ドイツ語)、ロシア・スクール(ロシア語)などに分かれる。したがって、中国語にのみそうした外交官のグループが存在しているわけではない。
チャイナスクールというフレーズが流布するきっかけとなった2002年5月19日〜21日産経新聞掲載「解剖チャイナスクール」では、1966年〜1977年文化大革命時代に外務省に入省し中国で語学研修を受けた外交官をチャイナスクールの典型例とし、“文革世代”や「独善意識」などのフレーズを使って批判的に記述している。ただし、チャイナスクールの代表格とされる加藤紘一、阿南惟茂、谷野作太郎などは中国語研修を中華人民共和国ではなく中華民国(台湾)で受けている。現在もチャイナスクールの3年間に及ぶ中国語研修は中華民国(台湾)→中華人民共和国→米国の順で行われている。
また同記事ではチャイナスクール外交官が「日中国交正常化を成し遂げた交渉の苦労を語り継いできた」とあるが、当時台湾で中国語研修を受けたチャイナスクール外交官は日中国交正常化に否定的であり、正常化が自民党親中派の意を受けたアメリカスクール外交官が中心となってなされたことが見落とされている。
また、近年は保守派において、親中派の政治家や外交官などを批判する際の蔑称として使用されることが多くなっており、本来の意味とは全く違う使われ方がされている。
特に複雑なのは外交官である。駐中国大使など対中国外交の枢軸ポストの経験者で、親中派であると批判されている外交官の半数近くは、アメリカスクールやフレンチスクールの外交官である(彼らは中国語が話せない)。ところが、保守派では彼らのことまでチャイナスクールと呼称し批判することがある。正確に定義すれば、彼らは親中派外交官であってチャイナスクールではない。
[編集] 「チャイナ・スクール」とされる人物
[編集] 外務省
- 谷野作太郎
- 台湾で中国語研修、アジア局中国課長、アジア局長、第10代駐中国大使、東芝取締役、台湾留学時代に李登輝と親交を結び、2001年4月の病気治療来日の際には便宜をはかる。親友である福田康夫官房長官(当時)を通じ、2001年に小泉純一郎首相が目指した終戦の日の靖国神社参拝の中止を進言したともされる。
- 阿南惟茂
- 台湾で中国語研修、アジア局中国課長、アジア局長、第11代駐中国大使
- 槙田邦彦
- 台湾で中国語研修、アジア局中国課長、アジア大洋州局長、駐シンガポール大使、駐エジプト大使
- 杉本信行
- 中国(北京・瀋陽)・米国で中国語研修、中国公使、上海総領事
[編集] 政治家
- 田中真紀子
- 父・田中角栄が日中国交正常化を行なったことなどから、中国に対する思い入れが強いとされる。
- 小沢一郎
- 同じく、師と仰ぐ田中角栄の影響。
- 加藤紘一
- 外務省時代は台湾で中国語を研修語とし、在香港副領事、アジア局中国課事務官を歴任。外交問題における日米中正三角形論(日本は安全保障について米中双方と同程度のコミットメントを持つべき、との趣旨)を持論とする。また、歴史認識問題についても中国に対して親和的な発言をしばしば行なっている。
詳細は「加藤紘一#歴史観」を参照
- 二階俊博
- 自民党衆議院議員。地元の和歌山県田辺市の新庄総合公園に江沢民が自筆で書いた「登高望遠睦隣友好」と言う文字と、2000年の二階も参加した日中文化観光交流使節団に対して江が発表した重要講和を刻んだ日中国交正常化30周年記念碑の建立を計画し、全国にも同様の石碑を建立する心算であったが、地元の抵抗等もあって頓挫した。
[編集] 「チャイナ・スクール」の対東アジア観
日本の保守派によれば、「チャイナ・スクール」は、安全保障問題や近年日中間で加熱している歴史認識問題について、親中的な言動・行動を行なう傾向があるとされる。彼らは日本の国益から中国との関係を築くのではなく、中国側の立場にたって言動・行動する傾向があるとされる。また、同国が抱える法輪功などの民間団体、チベット、東トルキスタン地域に対する人権抑圧などの問題に静観の立場をとる、あるいは問題を提起しようという動きに対して圧力を加える立場をとっているとされる。
一例としては、ODA(政府開発援助)供与の問題があげられる。1989年6月の天安門事件が発生した際、欧米を中心とした世界中の国々は中国政府の行動を非難、経済制裁を発動した。宇野宗佑・海部俊樹政権下の日本もこれに倣い、対中ODAの大幅な凍結を行なっている。しかし、宮沢喜一内閣においては、官房長官である加藤紘一などを中心として、「世界中から批判を受けている中国に今日本が恩を売っておけば、中国は日本に感謝し、また中国が現状打開のために硬化・過激化することを防げる」という観点からODA凍結解除を決定した。しかし、結果的に靖国・歴史教科書問題をはじめとする歴史認識問題に見られるように、未だにそのような中国の穏健化は生じておらず、むしろ中国の態度を増長させる一因となったとも一部で批評されている。
「チャイナ・スクール」が問題視されるきっかけとなったのは、2001年年の春、森内閣末期に、台湾の李登輝前総統の来日が持ち上がった際、当時、アジア大洋州局長だった槙田邦彦が一外交官であるにもかかわらず、来日妨害を画策したことに産経新聞や読売新聞が問題視したことに端を発する。槙田は後に、拉致問題に対して「たった10人のことで国交正常化が止まっていいのか」との自らの発言が批判に拍車をかけることになる。更に翌2002年5月のハンミちゃん事件の際の中国大使館、阿南惟茂大使の冷淡な対応は、国民のチャイナ・スクールに対する不信感を決定的にした。また、1984年から1987年まで駐中国大使を務めた中江要介は領事館に駆け込むハンミちゃん一家を撮影した共同通信に対し「盗撮」であると発言している。ちなみに中江はフレンチ・スクール(フランス語研修者)で、中国語や日中外交は専門外であるにも関わらず、中国に対して迎合する姿勢がみられるとして、保守派から批判されている。
また、近年軍備の近代化を推進し、日本近海を含む太平洋地域への海洋進出を活発化している中国に対して、日本国内では警戒感が高まると共に、対中ODAの中止が論じられるようになったが、チャイナ・スクールは基本的に反対の立場である。
日本国民の対中感情も悪化していることなどを反映してか、小泉純一郎政権になってからはチャイナ・スクールの影響力は徐々に削がれているとされる。2005年末にアジア大洋州局中国課長にアメリカ・スクール(英語研修者)の秋葉剛男国際法局国際法課長が就任したこともその一例とされる。しかし、その後の政権下では徐々にその発言力を増している。例えば、フレンチ・スクール(フランス語研修者)の飯村豊(大臣官房長、インドネシア大使を歴任)の就任が予定されているとの報道がなされていた阿南惟茂大使の後任人事については、最終的にはチャイナ・スクール(中国語研修者)の宮本雄二沖縄担当大使(中国課長、駐中国公使を歴任)が就任することになった。
[編集] 主な批判者
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 研修制度(外務省案内・採用情報・研修制度)
- 研修制度―外交のプロフェッショナルを目指して(外務省『外交という仕事』)
- 中嶋嶺雄『チャイナ・スクールに牛耳られた外務省を即解体せよ』、Voice、2002年、7月号日本財団図書館 - 中国・外務省チャイナ・スクールに対して批判的な研究者による、チャイナ・スクール問題の史的経緯や要旨。
- 岩城成幸『対中国ODA見直し論議』、国立国会図書館 Issue Brief、468号、2005年2月18日 オンライン版 (pdf)