タイガー立石

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タイガー立石(タイガー たていし、1941年12月20日 - 1998年4月17日)は、日本の画家漫画家絵本作家陶芸家。本名、立石紘一(たていし こういち)、福岡県田川市出身。

来歴・人物[編集]

筑豊の炭鉱町に出生、少年時代を戦後復興から高度成長期の時代、映画、昭和歌謡など文化の中で過ごした。武蔵野美術短期大学へ進学・上京を期に美術活動開始、最初は本名で活動し、画家中村宏と「観光芸術協会」を結成、わずか2年で解散するも中村ともどもアバンギャルドな作風・活動方針(雑踏の中で自作を掲げて歩く路上歩行展など)で一時代を築いた。

1968年にタイガー立石に改名、漫画家として活動。公私に渡り関わりが深かった赤塚不二夫に影響されたギャグタッチの作品を多く残した。ペンネーム・タイガーの由来は立石が寅年生まれだからで、生涯美術作品にもをモチーフにしたものが少なくなかった。

漫画家として活動が軌道に乗った矢先突然漫画家として活動を打ち切り、妻とイタリアへ移住。 「環境を変えることこそが創作意欲を刺激する。ひとところへの安住・現状への満足は拒否」というこのスタンスは立石の生涯最後まで貫かれたモットーであった。なお、立石はイタリア以外の国も含め計13年間ヨーロッパ滞在・活動継続したが、この間イタリアでは、コマ割り絵画(漫画のコマ割りだけでなくストーリー性も持ち込んだ)を発表、また美術・商業双方の建築デザインイラストレーションなど仕事の実績を積んだ。なお、1971年にはオリベッティ社配下のエットレ・ソットサスのデザイン研究所に在籍している。

1982年の帰国の理由は「安住への拒否」であった。帰国後は絵本を上梓。1980年代の『たくさんのふしぎ』では、森毅野崎昭弘の文による、数理をテーマとした絵本の絵を担当した、といった作品もある。1990年、ペンネームを立石大河亞(たていし たいがあ)に改名する。1990年代には作陶を開始、1995年養老渓谷にアトリエ兼住居を移した。立石従来の作品殆どが絵画・漫画等「平面もの」だったので、立体作品に取り組みたいという意識があったのだろう。立体作品には上・横のいずれの方向からみてもあらゆる違った趣のある作品が多く誕生、もちろん従来からの絵画も充実させ、続々新作を発表。

1998年、肺がんのため56歳の生涯を閉じた。

その他[編集]

主な作品[編集]

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  1. ^ ただし、ペンローズの三角形は普通正三角形状に描かれることが多いが、立石の描いた三角形は横長で、底辺が一番長く、右に伸びた形の不等辺三角形状である。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]