スウェーデン=フィンランド
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スウェーデン=フィンランド(英語:Sweden–Finland)はカルマル同盟とナポレオン戦争の間のスウェーデン王国、すなわち14世紀から18世紀のスウェーデン王国を指し、近代になってから、特にフィンランドで使用される。 1809年国土は喪失され、東半分は帝政ロシアによる同君連合のもと準自治のフィンランド大公国を構成した。
この言葉は教条主義的な利点を有するけれども、たとえば、デンマーク=ノルウェーとスウェーデン=ノルウェーと一連に使用されると、それはまた誤解と矛盾した当時の使用である。すなわち、フィンランドのプロパー―中世forthから理解したら―は1353年から1809年までスウェーデンの州の一つであった。
しかし、当時「フィンランド」は極めて小さい地域だけに使用されており、極めて南西の地域のみのフィン人が居住している南西のごく狭い地域であり、現在のフィンランド共和国の国土のおよそ3%である。
1581年、当時のスウェーデンのヴァーサ家の国王ヨハン3世に対し、スウェーデン系フィンランド人が独立を模索し、スウェーデンの属国と言う立場で「フィンランド公国」が樹立されたが、国家と呼べるような政体ではなかった。政治的な勢力の無かったフィン人達には関与するべくもなく、継承される事もなかった。しかしスウェーデンの大国時代を築いた、グスタフ2世アドルフ及びその娘であるクリスティーナ女王は、フィンランド大公の地位を兼ねていたとされている。
こんにちのフィンランド共和国を構成する領域のごく南西の地域はスウェーデン領土の東部を包含するスウェーデンの一つの州の領域である。しばらくに間―1世紀足らずであるが―このフィンランドの地域は、公式のスウェーデン政府の言語で「エステルランド」として知られていたし、フィン人の居住する残りの地域と分離するためにである。スウェーデン=フィンランドの拡張はまだ到達していなかったものである。
スウェーデン政府の用語「エステルランド」は1世紀に満たないうちにスウェーデンでの使用から(Vahtola, Suomen Historia - History of Finland)忘れ去られ、「フィンランド」は再び公式なスウェーデン政府のterminology に「フィン人の土地」に対して、公式に使用される用語として引き継がれた。ここでの「フィンランド」とは圧倒的多数の住民がフィンランド語を話す場所のことである。
現在のフィンランドの北と西の国境はロシアとスウェーデンの1809年のフレデリクスハムンの和約によって確立されたもので、このときスウェーデンとフィンランドは分離された。 東の地域はロシア帝国の中の自治権のあるフィンランド大公国になり、1917年まで存続した。
新しいスウェーデンとフィンランドの国境のスウェーデン側の大きな北部地域は、人口希薄地にフィンランド語話者の人々が植民された地域であり、その上フィンランド母語者はスウェーデンにのこされたいくつかの地域の支配におかれた。
全体としてスウェーデンではフィンランド語話者のマイノリティの規模が分離によって減じた。その殆どが、その後の世紀に、スウェーデン語話者の多数派によって文化的に同化された。 しかし、文化的帰属のフィーリングは強固なままである。第二次世界大戦の間およびその後スウェーデンは大規模なフィンランドからの移民に出会った。こうして、スウェーデン・フィン人の数は再び増加した。また、フィンランドにおけるスウェーデン系フィンランド人も少数ながら、各分野で活躍している。
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