ノヴゴロド公国
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ノヴゴロド公国(ロシア語: Новгородская республика、古代教会スラヴ語: Новгородская земьля)は、公座を大ノヴゴロドに置いていた中世のルーシ(古代ロシア)の主要な都市国家の一つ。中世には特殊な貴族共和制により、しばしばノヴゴロド共和国と呼ばれ、こちらの名前が定着しつつある。その他、ノヴゴロド国という表記も見られる。
「タタールのくびき」にルーシ全体があえぎ、北方十字軍がスラヴ人へ正教からカトリックへの「剣による改宗」を強制していた13世紀のルーシの中心であった。
目次 |
政治[編集]
ノヴゴロドは、公が支配する公国であるが、実態は貴族共和制である。名目上の君主としてルーシの諸公国から公を推戴するが彼には実質的な公権が無く、貴族の利権にそぐわなければ罷免されることもあった。ノヴゴロド公国における公はごく限られた権限しか持たず、その実態はどちらかといえば傭兵隊長としてのみ期待されていた。公が自分の領土から連れてくる従士団(ドルジーナ、またはハスカール)は兵力に乏しいノヴゴロド公国にとって貴重な戦力であった。また「公」と訳されるクニャージ(Knyaz)は、語源をヨーロッパ諸語の「王」と同じくしている(ゲルマン語派:kuning、スウェーデン語:konung、英語:king、ドイツ語 könig、ゲルマン祖語:kuningaz)。ただ、中世には公(クニャージ)と王(コローリ)は称号として区別されていた。
名目上の君主として公を推戴する一方、ノヴゴロドの都市民達は選挙を行いノヴゴロドの市長(ポサードニク)を選んでいた。市長の権限は公に勝るとも劣らず、軍事以外の多くの政務を市長が掌握していた。ノヴゴロドの市長選は政争や外交問題と密接に絡み合っていた。公の追放はこの市長の交代と機を同じくすることが多かった。
また、ノヴゴロド大主教も大きな力を有していた。
文化・慣習[編集]
暗黒時代にあったヨーロッパ中世にあって珍しく庶民の日常が多数記された白樺文書が多数発見されている。
歴史[編集]
古代[編集]
詳細は「ルーシ・カガン国」を参照
都市としてのまとまりが出来たのは、西暦850年代と言われている。862年、ラドガに政権を築いた。この時代は、ルーシ・カガン国あるいはその国家群であったとされ、ノヴゴロドは古名ではホルムガルドと呼ばれていた。カガン国の建国者はルーシと呼ばれていた人々でヴァリャーグたちによって支配されていた。その後スウェーデン・ヴァイキング(ヴァリャーグ)のリューリクがノヴゴロドを征服し、リューリクは879年まで政権に留まった。リューリク時代はルーシの中心地となったが、死後リューリクの後継者がキエフに移ったため、政治の中心地は以後キエフ大公国へと移った。しかしノヴゴロドは、商業、工業が伸張し、自由都市となり、キエフ大公国から独立したノヴゴロド公国へと発展していく。
ハンザ同盟とノヴゴロド[編集]
地中海、黒海、バルト海を結ぶ交易ルート「ヴァリャーギからギリシアへの道」のバルト海側の出入り口に位置するノヴゴロドは古くから商業都市として栄えてきた。東ローマ帝国やイスラム諸国と盛んに交易をし、ノヴゴロド公国には莫大な富が集まった。
ノヴゴロドはハンザ同盟の四大商館の一つである。木材や蜜蝋なども輸出していたが、なにより最大の輸出品は毛皮であった。
アレクサンドル・ネフスキー時代[編集]
詳細は「アレクサンドル・ネフスキー」および「ネヴァ河畔の戦い」を参照
彼の戦功は過大評価されているとの声があるが、いずれにせよロシア史では栄光の時代とされている。ネフスキーの末子の血筋がモスクワ大公となり、後にノヴゴロドは征服される。
ノヴゴロド公国の終焉[編集]
アレクサンドル・ネフスキーの末子、モスクワ公ダニール・アレクサンドロヴィチの時代以降、モスクワの影響を強く受け始め、ノヴゴロド公は彼の血筋により兼任される事となった。1478年、モスクワ大公イヴァン3世によって完全に征服され、ロシア国家の一都市となり、公国の時代は終わりを告げた。モスクワ大公、モスクワ・ツァーリはノヴゴロドの支配者の称号を名乗るようになり、自らをしてルーシの後継者であると位置づけた。
17世紀初頭のロシア大動乱の最中、スウェーデンによってノヴゴロドが占領され、スウェーデン王子のカール・フィリップがノヴゴロド市民によってツァーリに擁立されたが、それはノヴゴロドの公(クニャージ)ではなく、全ロシアのツァーリの称号であり、最終的にスウェーデンがノヴゴロドから撤退したこともあって、公国として復活することはなかった。