サラ・コナー

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サラ・コナー
2009年}
2009年
基本情報
出生名 Sarah Lewe
出生 ニーダーザクセン州
デルメンホルスト
1980年6月13日(34歳)
ジャンル ポップ,ソウル,R&B
職業 ソングライター
ダンサー,歌手
活動期間 2001年 - 現在
レーベル X-Cell, ソニーBMG
公式サイト Sarah-Connor.com

サラ・コナーSarah Connor, 本名:Sarah Lewe)は1980年6月13日生まれのドイツ出身の歌手である。また、ソングライター及びダンサーとしても活躍している。2001年、プロデューサーのRob TygerとKay Denarの指導の下にデビューを果たし、ドイツのシングルチャートランキングで、初の4連続1位を獲得した。さらにシングルCD「From Sarah with Love」では国際的な大ヒットを成し遂げ、この一連のヒット記録は、2000年代前半で最も成功したドイツのポップ歌手としての地位を確立させた。

2004年、コナーはアメリカ人のロックミュージシャン、Marc Terenziと結婚した。夫婦には、タイラーという息子が2004年に誕生し、2006年にはサマーという娘も誕生した。2008年11月に夫との別居を公表し、2009年12月に離婚を申請。2010年3月9日に離婚した。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

コナーは、アメリカ系の血筋を持つマイケル・レーヴェと、彼の先妻で、スコットランドとドイツの血筋を引く元ファッションモデルのソラヤ・グレイの間に生まれた6人の兄弟の長女である。 彼女には、4人の女姉妹、「アンナマリア」「マリーサ」「ソフィア-ルイーザ」「バレンティナ」そして、ただ1人の男兄弟「ロビン」がいる。

サラは彼女の祖父(自生のニューオリンズ)の影響を受けているソウルミュージックを聞いて成長した。そして、6歳から彼女は教会聖歌隊でゴスペル音楽を歌い、学校のコンサートに出演し始めた。10代には、コナーは試験を受けて、公演芸術学校に入学した。すべての学生が楽器を使った演奏の授業であったが、、サラは特別にヴォーカルとしての研究を許されるただ一人の人物だった。彼女は週に一度声のレッスンを受けて、その対価にホテルのウェイトレスとして働いた。いつか『歌手としての活動が、支給活動の代わりになるかも知れない。』という言葉が、彼女を一生懸命に働く気にさせた。

2000-2001年 音楽活動の始まり[編集]

彼女の最初の大きなブレイクは、彼女がドイツでマイケルジャクソンのコンサートで歌った17歳の時に来た。彼女は12学年(高校3年)で学校を中退し、「サラ・グレー」という名の下でレーベルと製作者にデモテープを送り始めた。彼女は自ら正しい道を選択したと主張した。そして2001年、彼女はソニーミュージックの下位レーベル「X-Cell Records」で、最終的に「サラ・コナー」という新しい芸名で署名することを決心した。

Green Eyed Soul」は、2001年11月26日にリリースされた。しかし、ドイツ、ポーランドポルトガルスイスなどヨーロッパ中にコナーの名声を上げたのは、「From Sarah with Love」という2番目のシングルだった。この歌は、2002年で最もヒットした曲の1つである。

2002-2003年 継続的な成功[編集]

ヒットはセカンドアルバムでも続き、Wyclef Jeanの作詞した最初のCDシングル、「One Nite Stand (of Wolves and Sheep)」もまた、トップ5に入った。 アルバムが非常に好評だった為、 ダイアン・ウォレン作詞作曲の3つのシングル "Skin on Skin", "He's Unbelievable" "Bounce"も発売した。

最初のライヴDVD、「A Night to Remember: Pop Meets Classic」は2003年1月に録画、2003年10月にリリースされた。クラシックオーケストラの演奏でサラの歌をバックアップしている。

サラはこの頃、最初の子供を妊娠しており、肉体的にも厳しかったのだが、2003年11月に彼女の3番目のアルバム「Key To My Soul」をリリースすると決めた。"Music Is the Key"ではニューヨークのアカペラ歌手を特集、Naturally 7とのコラボレーションを収録した。Just One Last Danceは息子タイラーの出生によりアルバムのものを再録音した版で、Marc Terenziによるバンド「ナチュラル」によって新しいボーカルの歌声も含まれている。

2003年秋、サラの前のヒットBounceの情報をつかんだ一部のアメリカのラジオDJにより、 すぐにBounceは多くのラジオエアプレイを得た。ソニーレコードはアメリカ合衆国で彼女の歌のCDをリリースすると決めた。しかし彼女は不調でBounceはシングルランキングでは最高40位でピークに達した。そのときサラは妊娠およそ6ヶ月で限界状態だった。

彼女の息子、タイラーが生まれる2,3週間前に、「サラ・コナー」と題付けられた前の3アルバムのシングルスの編集は2004年の冬にリリースされた。アルバムチャート106位の登場だったが、プロモーション不足のためそれ以降ランキングは上がらなかった。

2004-2005年 新しいサラのイメージ[編集]

彼女の初の息子の出生後の休暇から回復した2004年の秋には、サラはシングル曲「Living To Love You」とともに音楽界に戻った。ドイツとスイスで1位を獲得し、2005年3月には「From Zero To Hero」をコンピューターアニメ、ロボッツのドイツ語版とタイアップさせた。作中ではキャピィー役として声優を務めた。

2005年の夏、サラと彼女の夫マークを看板とした「Sarah and Marc in Love」というリアリティ番組が放送され始めた。このシリーズは大ヒットし、歌手としてのサラを再び盛り上げた。現在、ソロで活動しているマークの知名度も大きく上げることになった。

マークはサラのために『キミに愛されるための愛』(Love to be Loved by You)を歌い、これはあっという間にヒットした。すべてのエピソードを収めた特集DVDは、2005年11月にリリースされている。

12月、彼女のアルバムNaughty but Niceが成功した後、クリスマスの最初のアルバム発売を決めた。 題名はChristmas in my heartに決まった。Christmas in my heartというタイトルはシングルCDとしても発売された。アルバムがドイツでトップ10になる頃には、同じ題名のシングルは4位まで上がっていた。Christmas in my heartは今までの古典的なクリスマスソングではなく、ジャズ風味な現代的な歌だった。この歌は、他のドイツのクリスマスソングのメロディ・曲調にも大きく影響を与えることとなった。

2006年から現在[編集]

2005年12月、彼女の旅行の間、サラは再び妊娠していると発表された。しばらくの間、彼女の音楽活動は休止状態にされた。11月24日に、サラは新しいクリスマスソング、「The Best Side of Life」をリリースした。歌は、ドイツのチャートに関して6位で登場。「The Best Side of Life」にもドイツでのコカ・コーラのクリスマスプロモーションキャンペーンの一部にもなった。

同じ日付に、彼女のクリスマスアルバム(Christmas in my heart)をリメイクした。2006年最後のリリースはChristmas in my heartのDVD版だった。

2007年2月には新しいアルバムSouliciousを発表。"Son of a Preacher Man"や"Sexual Healing"などを含んだ70年代のモータウンカバー楽曲を主としているが、2つのオリジナル曲も含んでいる。3月30日にリリースし、ドイツでは6位で登場した。

私生活[編集]

サラは流暢に3つの言語を話すことができる。英語ドイツ語スペイン語である。また、菜食主義者である。サラの音楽活動が始まり、マーチン・ショルツと交際し始めたという噂が立ったが、マークと出逢うとすぐに彼と別れたという。

マークは、 アメリカのバンド「Natural」の一員だった。Naturalには規則があり、ガールフレンドや妻は作ってはいけないというものがあった。マークはサラと別れることを拒否した。サラが妊娠すると、Naturalのメンバーはマークに最終通告をした。「サラと別れるか、バンドを辞めるか。」その後、マークはバンドをやめ、バンドは解散された。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  1. "Let's Get Back to Bed - Boy!"
  2. "From Sarah with Love"
  3. "Music Is the Key"
  4. "Just One Last Dance"
  5. "Living to Love You"
  6. "From Zero to Hero"

アルバム[編集]

  1. "Naughty but Nice"

受賞[編集]

  • 2002年
    • ECHO
    • Goldene Europa
    • BRAVO Otto
    • Radio Regenbogen Award
    • Maxim
  • 2003年
    • Radio Hamburg Award
  • 2004年
    • World Music Award
    • Neo Award
  • 2005年
    • Diva Awards
    • Goldenen Kamera
    • BRAVO Otto
    • Comet
    • Eins Live Krone
  • 2006年
    • BRAVO Otto
    • Comet

外部リンク[編集]