コンロン・ナンカロウ

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コンロン・ナンカロウ
Conlon Nancarrow
左から、リゲティ、ルーカス・リゲティ、リゲティ夫人、ナンカロウ、マイケル・ドアティ1982年、オーストリア、グラーツでのISCM World Music Daysにて撮影(著作権者・マイケル・ドアティ)}
左から、リゲティ、ルーカス・リゲティ、リゲティ夫人、ナンカロウ、マイケル・ドアティ
1982年、オーストリア、グラーツでのISCM World Music Daysにて撮影
(著作権者・マイケル・ドアティ)
基本情報
出生 1912年10月27日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国アーカンソー州テクサーカナ
死没 1997年8月10日(満84歳没)
メキシコの旗 メキシコメキシコシティ
ジャンル 現代音楽
職業 作曲家

コンロン・ナンカロウConlon Nancarrow1912年10月27日 - 1997年8月10日)はアメリカ生まれで、メキシコへ亡命した現代音楽作曲家自動ピアノ(Player Piano)のための作品群で知られる。

略歴[編集]

アーカンソー州テクサーカナに生まれる。ジャズバンドでトランペット奏者を務めた後、シンシナティで作曲を学び、ボストンロジャー・セッションズウォルター・ピストンニコラス・スロニムスキーに師事。その後、ニューヨークへ渡ってヘンリー・カウエルに学んだ。

スペイン内戦スペインに渡り、スペイン共産党に入党したことからアメリカへの帰国を拒否され、メキシコシティに居を定める。1955年にメキシコの市民権を取得。

作風[編集]

初期には『ソナチネ』などの器楽作品も見られるが、自動ピアノの可能性に目覚めてからはこの楽器を用いてリズムへの探求を行い、それは「自動ピアノの為の習作」という50曲を超える作品群へ結実した。これは、人間では演奏不可能な複雑なリズム構造を実現させるために自動ピアノを用いたものである。ヤングの『ウェル・チューンド・ピアノ』、ギュナー・ヨハンセンの『即興ソナタ』と並んで、改造ピアノの為に書かれた重要な作品群であり、現在もこの作品から影響を受ける作曲家は多い。

この作品群は当初から現在のような高い評価を受けていたわけではなく、ARGOからLP四枚組がリリースされた当時は「アメリカ実験音楽のひとつの潮流」程度の受け止め方でしかなかった。しかし1980年代にリゲティがたまたまこのLPを入手し、「ナンカロウはヴェーベルンアイヴズに匹敵するほどの大作曲家だ」と高く評価し、リゲティの弟子マンフレート・シュターンケもこの作曲家を研究したことによってナンカロウは広く知られるようになり、WERGOからCDがリリースされた。

「メキシコには素材の細分化に向かった作曲家が二人いる。それは音律の細分化を図ったフリアン・カリリョとリズムの細分化を図ったコンロン・ナンカロウだ」といわれる[誰によって?]が、メキシコのみならず世界を見渡してもここまで音楽素材を微分した作曲家は、カリリョとナンカロウしかいない[要出典]。現在では「リズム語法の祖」として、評価が確定している。

「自動ピアノの為の習作」[編集]

当初の作品は、バルトークの配分法やジャズやブルースの影響が露になったままで、単純にスピードを上げて捲くし立てる作品しかなかったが、次第に一本の線の極端な比率によるカノンの追求へ至る。プリペアード自動ピアノの経験から、彼は自宅の自動ピアノのハンマーに金具のようなものを埋め込んでおり、そのピアノで録音されたものがWERGOによるリリースである。しかし、ユルゲン・フォッカーは普通のべーゼンドルファー・アンピコで全曲の録音をすることを計画し、ナンカロウの許可が下りて実現された。MD+Gからのリリースやヨーロッパ初演の演奏は全てこれによる。

作品後期は、声部が全ての可聴域を完全に埋め尽くし、巨大な音像を示す類も多くその時期がナンカロウの全盛期と思われている。無理数比のカノンも実現させた時点で、彼は世界で初めて「五線譜に書けないリズム」を改造とはいえ生楽器のために達成した。二台のピアノ同士のカノン、つまり「メタ・カノン」すら実行した。但し、長年の病気で入退院を繰り返した後は、また単純なカノンの戯れに回帰し、程なくして亡くなった。

外部リンク[編集]