スペイン共産党

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 スペインの政党
スペイン共産党

Partido Comunista de España(PCE)
書記長 José Luis Centella
名誉委員長 ドローレス・イバルリ
(eternal title)[1]
創立 1921年11月14日
構成政党 Partido Comunista Español
Partido Comunista Obrero Español
本部 マドリード
機関誌 Mundo Obrero(労働者の世界)
Utopías-Nuestra Bandera
青年部 Unión de Juventudes Comunistas de España
党員・党友数 35,000人[2]
政治的思想 ユーロコミュニズム
マルクス主義
政治的立場 左派
国内連携 統一左翼
欧州連携 欧州左翼党
欧州議会会派 欧州統一左派・北方緑の左派同盟
公式カラー Red
国会下院議席
5 / 350
(統一左翼内で)
国会上院議席
2 / 266
(統一左翼内で)
欧州議会議席
1 / 54
(統一左翼内で)
公式サイト
www.pce.es
スペインの政治
政党一覧
選挙
ホセ・ルイス・センテージャは、2009年11月の党大会で書記長に選出[3]
下院議席数は統一左翼(IU)獲得議席8のうち5議席が割り当てられた。

スペイン共産党(スペインきょうさんとう、El Partido Comunista de España (PCE))は、スペイン政党で、共産主義を理念とする政党である。

概要[編集]

1922年3月、前年1921年4月スペイン社会労働党(PSOE)から分かれたグループによって結成された。1936年2月の総選挙で共産党と社労党及び他の左翼政党、中道勢力が連合して人民戦線を結成、勝利し、政権を担ったが、人民戦線政府に反発した大地主や貴族を中心とした右派・保守勢力の支持を受けた軍部が蜂起、内戦が勃発した(スペイン内戦)。当初、共和政府側が優勢だった内戦は内ゲバによる足並みの乱れもあり、最終的にフランコ率いる反乱軍の勝利に終わった。

フランコ独裁体制下ではスペイン共産党は非合法化された。そのため地下活動を余儀なくされたが、独裁者フランコが1975年に死去した後に即位したフアン・カルロス1世の下で行なわれた民主化政策の進展により、1977年4月に合法化、同年6月に行なわれた41年ぶりの総選挙では下院で19議席。79年の総選挙では23議席を獲得したが、ユーロコミュニズムに反対する親ソ連派(親ソ派)やカリーリョ書記長の党支配に反対するグループとの内部抗争で党が分裂、1982年の総選挙では議席を大幅に減らした。1986年以降は、社会労働党以外の左翼勢力と政党連合「統一左翼」(Izquierda Unida:IU)を結成して、選挙に臨んでいる。

ユーロコミュニズムとスペイン共産党[編集]

カリーリョ元書記長

スペイン共産党はサンティアゴ・カリーリョSantiago Carrillo)書記長の元、イタリア共産党フランス共産党と共に、ソ連共産党に距離を置き独自の社会主義を模索するユーロコミュニズムの旗手として活躍した。1977年6月の総選挙の翌年に開催された第9回党大会において、党規約から「レーニン主義」を削除し、社会民主主義でもスターリン主義でもない「真のユーロコミュニズム」の確立を提唱、自由と民主主義を保障しながら社会主義を実現することを謳った「テーゼ15」を採択した。

日本共産党との関係[編集]

日本共産主義政党である日本共産党は、2003年12月の統一左翼の大会[4]、2005年6月に行なわれたスペイン共産党の第17回大会に、浅田信幸「しんぶん赤旗」欧州総局長を代表として派遣すると共に、中央委員会名でメッセージも送っている[5]。また、スペイン共産党も、2006年1月に行なわれた日本共産党第24回大会にメッセージを寄せている[6]

年表[編集]

月日 出来事
1922年 3月14日 スペイン共産党が結成される。
1936年 2月16日 総選挙。共産党も参加したマヌエル・アサーニャ率いるフレンテ・ポプラ―ル(人民戦線)が勝利
7月18日 貴族や保守勢力の支持を受けたフランコ将軍が蜂起、スペイン内戦が勃発
1939年 3月31日 スペイン内戦はフランコ率いる反乱軍の勝利で終結。共産党を含む全ての政党は非合法化された。
1974年 7月30日 共産党など10余の政治団体が参加した民主評議会(JDE)がフランス・パリで旗揚げ
1975年 11月20日 独裁者フランコ死去(83歳)。
1976年 7月28日 共産党、イタリア・ローマの芸術劇場で民主化過程への参加を表明。国内外の党員名を発表。
10月 国内で地下活動をしていた党員に党員証を発行
12月10日 国内の主要な政治団体のトップが参加した『九人会』発足。共産党書記長カリーリョは、スペインで記者会見し、政府に対し、共産党の存在を認めさせるべく、挑戦状をたたきつけた。
12月22日 カリーリョ逮捕(同月30日に釈放)
1977年 1月26日 24日に、極右組織によるテロで暗殺された共産党系弁護士5名の葬儀において、カリーリョが公衆の場に姿を見せた。
2月11日 スペイン共産党、内務省に政党としての登録を申請。内務省は判断を留保。
2月27日 スアレス首相と、カリーリョ書記長が秘密会談。
3月2日 マドリードにおいて、イタリア共産党書記局長・エンリコ・ベルリンゲル、フランス共産党書記長ジョルジュ・マルシェ、そしてスペイン共産党書記長のカリーリョによるユーロコミュニズム首脳会談が行われる。
4月9日 新政治結社法に基づいて2月11日に内務省に申請していた政党登録申請が認められ共産党合法化
5月13日 スペイン共産党前書記長のドローレス・イバルリ(パショナリア)が亡命先のソ連モスクワより37年ぶりに帰国
6月15日 第一回総選挙、共産党は下院で19議席を獲得(得票率9.3%)
1978年 4月19日 合法大会としては46年ぶりとなる第9回党大会がマドリードで開催(23日まで)。レーニン主義を放棄した「テーゼ15」を採択
1979年 3月1日 第二回総選挙。前回を上回る議席数を得て善戦健闘
4月3日 48年ぶりとなる地方選挙が実施される。共産党は大都市部で勝利
4月18日 地方自治体首長に関する協定に社労党と共産党が調印
1981年 7月28日 第10回党大会(31日まで)、カリーリョ書記長再選。党大会の場でカリーリョ書記長は党内の親ソ派を攻撃
10月24日 共産党本部、バスク支部を解散処分
11月5日 共産党本部は、バスク共産党バスク革命党合併支持派16名を懲戒処分とした。
11月6日 共産党執行部中央委員6名を罷免。同月12日脱党処分。
11月10日 バスク共産党書記長であるレルチュンディ脱党処分に
11月16日 レルチュンディ派がスペイン共産党を離党
1982年 1月9日 党地方議員41名が、共産党本部に抗議の意思を示すため辞任
10月28日 第三回総選挙、共産党は前回より議席を大幅に減らして惨敗(23→4)
11月6日 カリリョ書記長、総選挙において議席を大幅に減らした責任を取って書記長を辞任。後任にヘラルド・イグレシアスGerardo Iglesias)を推薦、翌日党承認。
11月14日 知識人や芸能人の共産党員が大量脱党
1982年 1月26日 カタルーニャにおけるスペイン共産党の組織であるカタルーニャ統一社会党(PSUC)がユーロコミュニズム派と親ソ派に内部分裂
4月9日 カタルーニャ統一社会党離党派が新たにカタルーニャ共産党を結成
1983年 12月18日 イグレシアス書記長再選。
1984年 1月15日 親ソ派のイグナシオ・ガジェーゴが新党「共産党[7]」を設立したことで共産党分裂
1985年 3月31日 カリリョ、共産党執行部と中央委員会からの退陣拒否。ただし、国会スポークスマンは罷免された。
1986年 4月18日 エンリケ・リステルのスペイン共産主義労働者党、共産党に再合流
4月28日 共産党を中心に非社労党系左翼政党4党で『統一左翼』(IU)結成
6月22日 第四回総選挙、統一左翼は7議席を獲得
1987年 11月10日 共産党が対テロ防止協定に調印したことで統一左翼に亀裂が生じる
12月5日 改進同盟が統一左翼を脱退
1988年 2月19日 ヘラルド・イグレシアスが共産党書記長を辞任
2月20日 フリオ・アンギータ(Julio Anguita)、共産党の新書記長に就任
1998年 12月 フリオ・アンギータ、健康上の理由で党書記長を辞任。後任はフランシスコ・フルートス(Francisco Frutos
2005年  6月26日   第17回党大会をマドリードにおいて三日間の日程で開催
2009年 11月9日 第18回党大会にてホセ・ルイス・センテージャを書記長に選出

出所:碇順治『スペイン静かなる革命 -フランコから民主へ-』彩流社

党勢推移[編集]

代議院議員選挙結果
選挙 年月日 得票数 得票率 議席数
1977年総選挙 1977年6月15日 1,709,890 9.33% 19
1979年総選挙 1979年3月1日 1,938,487 10.77% 23
1982年総選挙 1982年10月28日 846,515 4.02% 4

出典:スペイン内務省ホームページ。尚、1986年以降はIUで選挙に参加している。1986年以降の選挙結果については統一左翼 (スペイン)#選挙における党勢推移を参照。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]