ガンダウリム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガンダウリム
Gandaulim
聖ブラシウス教会
聖ブラシウス教会
位置
ガンダウリムの位置(ゴア州内)
ガンダウリム
ガンダウリム
ガンダウリム (ゴア州)
ガンダウリムの位置(インド内)
ガンダウリム
ガンダウリム
ガンダウリム (インド)
座標 : 北緯55度30分44.5秒 東経73度56分28.9秒 / 北緯55.512361度 東経73.941361度 / 55.512361; 73.941361
行政
インドの旗 インド
  ゴア州
  北ゴア県英語版
 地区 Tiswadi
 村 ガンダウリム
地理
面積  
  村域 1.34[1] km2
標高 8 m
人口
人口 (2011年現在)
  村域 301人
    人口密度   225人/km2
  備考 [1]
その他
等時帯 インド標準時 (UTC+5:30)
郵便番号 403505
市外局番 08343

ガンダウリム英語: Gandaulim)は、インドゴア州の村。Cumbarjua運河の西岸に位置する。人口は301人(2011年国勢調査[1])。

現在のクロアチアドゥブロヴニクに存在したラグサ共和国の香辛料市場あるいは植民地があったという主張が一部からなされている[2][3]

ラグサ共和国との関係[編集]

聖ブラシウス教会がマークされたゴアの古地図

1605年の年代記の中で、ラグサ人のJakov Lukarevićはラグサの商人がガンダウリムの教会の装飾に投資したと記している[4]ポルトガルの旅行者Gomes Catãoは、この町の人口は12,000 人で、裕福な女性が天蓋に乗せられた奴隷に連れられて教会に運ばれたと記録している[3]。Catãoはまた、この教会はドゥブロヴニクの同名の教会をモデルにしていると述べている[3]。これらの主張はガンダウリムの住民の人々の記憶に残り、現在ではラグサ人が教会の建設そのものに貢献したと考えられている。ただし正確性については議論が続いている[3][5]

Darko Bekićをはじめとする一部の歴史家はこれらの議論を利用して、ラグサ共和国の植民地の存在を主張している[3]セルビアの経済史家Nicholas Mirkovichは1943年、インドにおけるラグサの植民地の歴史を草案するための情報源が不足していることを嘆いた[5]

1999年、クロアチアのインド学者Zdravka Matišićがインドでサンスクリット語の文献を研究中にラグサとゴアの関係に関する言及を偶然発見したことで関心が再び高まった[3][6][7]。同年、クロアチアの作家Karmen Bašićは、ラグサのゴアへの到着と出発について決定的なことは何も言えないものの、「ラグサの存在を保証する大量の証拠と情報源」が存在し、その存在を証明していると述べた。だがガンダウリムの聖ブラシウス教会に関連する植民地という概念は「いくぶん謎」で、世界的な香辛料貿易における役割は不明なままである[3]

交通[編集]

2016年、町の郊外にゴア島とCumbarjua島を結ぶ橋が開通した[8][9]

史跡[編集]

16世紀に建設されたガンダウリム砦英語版が存在したが、21世紀初頭の道路の拡張工事によって破壊された。

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c GANDAULIM in Tiswadi (North Goa)”. Citypopulation (2018年3月25日). 2024年4月20日閲覧。
  2. ^ Was Dubrovnik a Colonial Power?”. 3 Seas Europe (2023年6月24日). 2024年4月20日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g Tomas, Lora (2014年5月19日). “Distant liaisons” (英語). en:Himal Southasian. 2021年9月20日閲覧。
  4. ^ Andrijanić, Ivan (26 February 2018). “Hrvatska i Indija: Kulturno-povijesne i gospodarsko-političke veze” (クロアチア語). Zbornik sveučilišta Libertas (Zagreb, Croatia: Libertas international university) 3 (3): 351. ISSN 2584-6167. https://hrcak.srce.hr/196110?lang=en. "U Goi, na zapadnoj obali indijskoga potkontinenta, trgovci iz Dubrovnika bogato su uresili crkvu Sv. Vlaha (São Braz). Na temelju toga svjedočanstva, koje navodi Jakov Lukarević (1605),[21] neki su istraživači pretpostavili postojanje dubrovačke kolonije São Braz u blizini Goe, ali za potvrdu te tvrdnje za sad nema dovoljno dokaza (Bašić, 1999: 85–93)." 
  5. ^ a b Mirkovich, Nicholas (1943). “Ragusa and the Portuguese Spice Trade”. Slavonic and East European Review. American Series 2 (1): 174–187. doi:10.2307/3020140. ISSN 1535-0940. JSTOR 3020140. https://www.jstor.org/stable/3020140. 
  6. ^ Why this Goan village will root for Croatia”. ザ・タイムズ・オブ・インディア. 2024年4月20日閲覧。
  7. ^ The Croats of Goa, India” (2018年5月27日). 2024年4月20日閲覧。
  8. ^ Gaundalim Bridge, Goa | TPF”. www.tpf.eu. 2017年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月20日閲覧。
  9. ^ Gaundalim, Cumbarjua bridges opened for traffic”. The Goan EveryDay. 2024年4月20日閲覧。