カール・ヒルティ
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カール・ヒルティ(Carl Hilty、1833年2月28日 - 1909年10月12日)は、スイスの法学者、哲学者、政治家。日本では『幸福論』、『眠られぬ夜のために』の著者として知られる。敬虔なクリスチャンとして、人生、人間、神、死、愛などの主題について含蓄深い思想書を著した。
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[編集] 経歴
- 1833年:スイスのザンクト・ガルレン州のヴェルデンベルグに生まれる。
- 1844年:州立ギムナジウムに入学。宗教教育を受け、古典学、英文学、仏文学を学ぶ。
- 1851年:ドイツのゲッチンゲン大学に入学。法律学、哲学、歴史を学ぶ。
- 1852年:ハイデンベルク大学に移り、法律の研究に専念。
- 1854年:ドクトル(Dokor)の称号を得た後、ロンドン、パリに遊学。
- 1855年:キュール市で弁護士を開業。
- 1856年:歩兵将校として法務に就く。
- 1857年:ヨハンナ・ゲルトナーと結婚。
- 1873年:ベルン大学正教授となり、スイス国法、国法学、国際法を講義。
- 1890年:ウェルデンベルク区選出の代議士となる。
- 1892年:スイス陸軍裁判長。
- 1909年:ハーグ国際仲裁裁判所のスイス委員に任命される。
- 1909年10月12日:心臓麻痺で永眠(77歳)。
[編集] 思想
ヒルティについて最もよく知られている業績は、『幸福論』、『眠られぬ夜のために』などに代表される宗教的倫理的著作である。その他、法律家、政治家として著した著作も、すべて一貫したキリスト教信仰の精神に基づいている。ヒルティのキリスト教思想の特徴として、聖書の言葉を大変重んじていることが挙げられる。彼が最も愛読して感化を受けた書物は聖書であった。彼の著作の中では、聖書の語句を大変頻繁に引用しており、それを通して、キリスト教信仰者としてのあり方や、神への揺るぎない信頼と愛による忍耐を自身の経験を通じて述べている。聖書内でしばしば引用される書籍として、各福音書、詩篇、イザヤ書等の預言書などが挙げられる。聖書では、福音書内のキリストの御言葉を最重要視し、その他の書は添え物にすぎないとも言っている。ただし、これは聖書内のその他の書物を軽視するものではない。
聖書以外でもヒルティがしばしば引用する著作として、ストア哲学のエピクテトスやマルクス・アウレリウス、詩人のダンテなどがある。
確固とした信仰に根付いた生活を世の中でしていくために、さまざまな処世術や思考法、対処法などが著されており、中でも摂生的生活を旨としたヒルティが強調しているのは享楽を避けることである。ヒルティが避けるべきと繰り返し主張することとして、飲酒が挙げられる。彼は禁酒運動に力を入れ、『禁酒運動における大学生の使命』『禁酒運動における主な障害について』等の論文を著し、彼の助力で、1907年にはスイス国会で大多数をもってアブサント禁酒令を可決させている。その他、享楽と呼ばれるあらゆることを避けることを奨励している。これは彼が神経病や精神病についても造詣が深く、その疾病を避けるための質素な信仰生活のためでもある。
キリスト教信仰による生活が最良のものとしながらも、他宗教に関しての知識も深い。代表として仏教、インド哲学、中国哲学、イスラム教に関しても言及がなされている。同時に、当時のキリスト教の状態にも苦言を呈しており、形式的な教会通い、修道院生活、瞑想漬けの生活などの形だけの信仰のあり方を批判しており、教会制度の欠陥についても述べている。
ヒルティの思想で指摘されることとして、キリストの死によって罪が赦されたという贖罪意識が薄いということ、社会主義や唯物論に否定的であることが挙げられる。また、時代背景の影響もあり、未開の民族を野蛮民族と表現したり、救いをもたらすのはキリスト教だけで、他の宗教では無理であるといった西洋中心主義的傾向が強いことも挙げられる。
[編集] エピソード
- 享楽生活を捨てる前のゲッチンゲン大学時代には、普通の学生と同じく奔放な生活を送って、少しは酒も飲み、決闘をしたこともあった。
- 大学の講義は早朝に行うことを好み、冬は8時、夏は7時に行った。大学が彼の75歳の誕生日を祝う催しについて時間の都合を聞いたところ、「最も都合のよいのは朝の7時」と答えたという。
- ハーグ平和会議については、「この会議はあまりにも大規模なので、鈍重であって敏活にははたらくことができない。英独間の経済競争や、日米間の野心や勢力意識の相違のような深い隙間は、どんな平和会議をもってしても到底除かれない。平和はまず、心から平和を愛し、そして平和でありうる多数の個々人の間で成立するのでなければならない。そうすれば次第に国民の間に平和が実現するのであって、それまでは決して平和は成立しない。」と述べている。
- ヒルティは、愛妻であるヨハンナ・ゲルトナーの優秀さを間近で見たことも関係し、婦人解放運動に積極的にかかわった。
- 日本には、東大の哲学講師であり愛読者であったケーベル博士によって初めて紹介され、以後親しまれてきた。
[編集] 著作
邦訳は白水社『ヒルティ著作集』全11巻にまとめられている。 また単著でも
などがある。
[編集] 関連項目
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