エピクテトス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
想像画

エピクテトスΕπίκτητος50年ごろ - 135年ごろ[1])は、古代ギリシアストア派哲学者。その『語録』と『提要』は、すべてのストア哲学のテキストの中でおそらくもっとも広く読まれ、影響力の大きなものであるといわれる[2]。苦難の中にあって平静を保つことや、人類の平等を説いたその教えは、皇帝マルクス・アウレリウスの思想にも引き継がれており、 ストア主義の歴史上重要な意味を持つとみなされている[3][4]

生涯[編集]

エピクテトスは西暦50年ごろにフリギアヒエラポリスで生まれたと考えられている。母親は奴隷階級だったらしく、自身も奴隷としてローマ帝国の皇帝ネロの解放奴隷であるエパプロディートスに売られた[5]。ローマでは彼の生活は不健康だったという。有名なストア哲学者ムソニウス・ルーフスの下で哲学を学ぶことをエパプロディートスに許され、ストア哲学を学んだ後、エパプロディートスによって奴隷から解放された。自由人となったエピクテトスは哲学の教師となったが、89年に皇帝ドミティアヌスが出した哲学者のイタリアからの追放令のためにローマを離れ、ギリシア東部のエピルスの大都市ニコポリスに落ち着いて哲学の学校を開いた。これはきわめて有名になり、皇帝ハドリアヌスも訪問したほどであった。エピクテトスは短い旅行を除き135年ごろに死ぬまでニコポリスに住んだと考えられている[6]

後年エピクテトスは片足の自由がきかず、そのことが何度か『語録』で触れられている。これはエパプロディートスによる残酷な虐待の結果といわれることがあるが、片足の自由がきかなくなった理由については『語録』で述べられておらず、はっきりしたことはわかっていない。高齢のためという推測もある[7]

著作[編集]

エピクテトス自身は著作を残さなかったが、(後にアレクサンドロス3世の伝記などを著した)アッリアノスが若い頃エピクテトスの下で学んだとき[8]、エピクテトスが話すのを「できるだけそのままの言葉で」[9]書き留めたものが『語録』として広まった。また、アッリアノスは『語録』から要点をまとめたものも残しており、それは『提要(エンケイリディオン)』と呼ばれている[10]。日本語では、次の本に現存する『語録』[11]と『断片』(エピクテトスへの言及を集めたもの)と『提要』がまとめられている。

  • エピクテートス『人生談義』(全2冊)鹿野治助訳。岩波書店、1958年。

脚注[編集]

  1. ^ Epictetus. Discourses, Fragments, Handbook. (Oxford World's Classics) Translated by Robin Hard, with an introduction and notes by Christopher Gill. Oxford: Oxford University Press, 2014.(以下、Oxford World's Classicsと呼ぶ。)p.xxxiii.
  2. ^ Oxford World's Classics, p.xxiv.
  3. ^ カール・ヒルティ『幸福論』岩波書店、1961年。pp.37,43-104.
  4. ^ Russell, B. History of Western Philosophy. London: Routledge, 2003. p.268.
  5. ^ Oxford World's Classics, p.vii.
  6. ^ Oxford World's Classics, p.viii.
  7. ^ Oxford World's Classics, p.viii.
  8. ^ Oxford World's Classics, p.viiiでは、トラヤヌス帝(在位 105-113)の頃と推測されている。その頃エピクテトスは50代か60代前半であった。
  9. ^ 「アリアーノスのルーキウス ゲリウスに対する挨拶」(エピクテートス『人生談義(上)』p.12)より。
  10. ^ エピクテートス『人生談義(下)』p.308.
  11. ^ 『語録』は全8巻あったが、現存するのは第1巻から第4巻までである。

関連書籍[編集]

  • 鹿野治助 (1977)『エピクテートス―ストア哲学入門―』岩波書店。
  • Long, A. A. (2002) Epictetus: A Stoic and Socratic Guide to Life. Oxford: Oxford University Press.

外部リンク[編集]

ニコポリスにあるローマ時代の遺跡