エモマリ・ラフモン
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エモマリ・ラフモン(タジク語:Эмомалӣ Раҳмон / Emomalī Rahmon、ロシア語:Эмомали Шарипович Рахмонов / Emomali Sharipovich Rakhmonov、1952年10月5日- )は、タジキスタン共和国の大統領(1994年11月16日- )。タジキスタン人民民主党党首。2006年11月に3選。
2007年4月14日、自らの姓からロシア語風の接尾辞を取り、エモマリ・ラフモノフから、タジク語風のエモマリ・ラフモンに改名した [1] [2]。 カナ表記では、エママリ・ラフマノフ、エマーマリー・ラフマーノフとも表記される。
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[編集] 経歴
1971年、クルガン・テュベ市のバター工場の電気技師として働く。1971年から1974年まで、ソビエト軍に勤務。除隊後、バター工場に戻る。1976年から1988年、クリャーブ州ダンガル地区のコルホーズの管理部書記、労働組合長、後に共産党で働いた。1988年6月からダンガル地区のレーニン名称ソフホーズの長。1992年12月、クリャーブ州人民代議員会議執行委員会議長に選出。
タジキスタン内戦中に、クリャーブ州の政治勢力を背景に台頭し、1993年11月19日、第12期タジキスタン共和国最高会議において、最高会議議長に選出。1994年11月6日、タジキスタン共和国大統領に選出された(11月16日就任)。 1997年6月27日、内戦当事者であるタジク野党連合(UTO)のサイイド・アブドゥッラー・ヌーリー(イスラム復興党指導者)と和平協定に調印し、タジキスタン内戦を終結させた。
1999年11月6日、憲法修正に伴い、7年の任期で大統領に再選。 2003年6月22日の憲法改正により、2020年までの大統領任期の延長を可能にした。 2006年11月6日の大統領選挙で3選を果たした。[3]
政権初期には、閣僚ポストをUTOに割り当てるなど、反対派勢力に一定の配慮を行っていたが、徐々に権威主義的な傾向を強めているとされる。反対派は、同大統領が独立系メディアに圧力を加え、反対派リーダーを投獄したと批判している。
[編集] パーソナル
クリャーブ州ダンガル地区ダンガル町出身。タジク人。タジク国立大学経済学部卒業(1982年)。
妻帯、9児を有する。

