エドワルド・セーロフ

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エドワルド・アファナーシエヴィチ・セーロフ[1]ロシア語: Эдуа́рд Афана́сьевич Серо́в, ラテン文字転写: Edward Afanasyevich Serov、1937年9月9日モスクワ - 2016年9月19日サンクトペテルブルク)はロシア出身の指揮者ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民芸術家(1990年授与)[2]

略歴[編集]

1937年にモスクワに生まれ、幼少よりピアノヴァイオリンを学ぶ。グネーシン音楽アカデミーキエフ音楽院で学んだ後、キエフ・バレエ学校で指揮者として活動を始める傍ら、レニングラード指揮法と作曲法を学び、1962年より指揮法クラスではエフゲニー・ムラヴィンスキーの助手を務める。1964年レニングラード音楽院を卒業し、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の指揮者となる。第1回カラヤン国際指揮者コンクールでの受賞によりウリヤノフスク・フィルハーモニー管弦楽団が設立され芸術監督兼首席指揮者に就任。その後1974年からはレニングラード室内管弦楽団(サンクトペテルブルク国立アカデミー交響楽団の前身)の首席指揮者となり、この職を1985年まで務めた。その後はレニングラード・フィルハーモニー交響楽団で指揮を執り、1987年からはヴォルゴグラード・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、1991年にはデンマークオーデンセ交響楽団の首席指揮者の職に就く。1995年のシーズンからはサラトフ・フィルハーモニー管弦楽団で首席指揮者となり2003年まで務めた。 多くのヨーロッパ各国、米国カナダ日本に招聘されて指揮を執り、ヴォルゴグラードで開催される音楽祭においては芸術監督を務めていた。こうした永年の功績に対し、2006年に母国ロシアより名誉賞が贈られた[2]

オーケストラ指揮者としての経歴[編集]

1962 - 1968 : レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 指揮者

1969 - 1974 : ウリヤノフスク・フィルハーモニー管弦楽団 芸術監督兼首席指揮者

1974 - 1985 : レニングラード室内管弦楽団 首席指揮者

1985 - 1990 : レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 指揮者

1987 - : ヴォルゴグラード・フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者

1991 - 1996 : オーデンセ交響楽団 首席指揮者

1995 - 2003 : サラトフ・フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者[2]

参考資料[編集]

  1. ^ 併記されているロシア語名のとおり「セローフ」が正しい。
  2. ^ a b c Naxos Music Library - Edward Serov biograph 2017年5月7日閲覧