イ城区

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本来の表記は「濰城区」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
中華人民共和国 濰坊市 濰城区
奎文区の世界凧博物館前にある魯班像。濰河の対岸は濰城区
奎文区の世界博物館前にある魯班像。濰河の対岸は濰城区
簡体字 潍城
繁体字 濰城
拼音 Wéichéng
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
濰坊
行政級別 市轄区
区長 趙偉宏
面積
総面積 290 km²
人口
総人口() 37 万人
経済
電話番号 0536
郵便番号 261021
行政区画代碼 370702

濰城区(いじょう-く)は中華人民共和国山東省濰坊市に位置する市轄区

歴史[編集]

県名は濰県の城区であったことに由来する。

596年開皇16年)、隋朝により濰州が設置される。606年大業2年)に濰州は廃止となり北海県とされたが、唐朝が成立すると619年武徳2年)、再び濰州を設置したが、627年(武徳8年)に再び廃止となり青州の管轄とされた。965年乾徳3年)、再び濰州が設置され州治は北海県に設置された。1377年洪武10年)、濰州は濰県に改編、莱州府の管轄とされ中華民国まで沿襲された。

日中戦争期間中は中国共産党抗日拠点とされ、1942年民国31年)12月、濰県北部及び寿光県の一部に寿濰県を設置、それ以外の濰県県域は濰南県とされ、現在の濰城区は濰南県の管轄とされた。国共内戦においては1948年(民国37年)4月に共産党の実効支配権を獲得、濰城から坊子にかけての地区に中央華東局直轄の濰坊特別市(1949年6月3日に山東省直轄の濰坊市に改編)、同年7月には昌濰専区が設置され濰県はその管轄とされた。

1950年5月、濰坊市が廃止となり濰県に編入、同年11月には再び県級市としての濰坊市が誕生し昌濰専区(1967年に昌濰地区、1981年に濰坊地区と改称)の管轄とされた。1958年12月、濰県が廃止となり濰坊市に編入、1961年10月に再び濰県が設置されるなど頻繁な行政区整理が行われている。

1983年8月、濰坊地区が地級市の濰坊市に改編される際、旧濰坊市及び濰県が濰城区とされ現在に至る。

行政区画[編集]

  • 街道:于河街道、西関街道、望留街道(浮煙山開発区)、城関街道、南関街道、北関街道
  • 濰城経済開発区、埠頭山生態経済発展区、軍埠口総合項目管理区