インプラカブル (空母)
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| 艦歴 | |
|---|---|
| 発注 | |
| 起工 | 1939年2月21日 |
| 進水 | 1942年12月10日 |
| 就役 | 1944年3月22日 |
| 退役 | 1954年9月1日 |
| その後 | 1955年にインバーカイシンで廃棄 |
| 除籍 | |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 基準 23,825トン、満載 32,624トン |
| 全長 | 766.5 ft (233.6 m) |
| 全幅 | 95.75 ft (29.18 m) |
| 吃水 | 29 ft (8.8 m) |
| 機関 | アドミラルティ3胴式水管缶8基、パーソンズ式ギアード・タービン、4軸推進、148,000 shp |
| 最大速 | 32ノット (59 km/h) |
| 航続距離 | 14ノット (26 km/h)で11,000 海里(20,000km) |
| 乗員 | 1,400名(航空要員を含む) |
| 兵装 | QF 連装4.5インチ砲 8門 QF 連装2ポンド砲 48門 エリコンFF 20 mm 機関砲 27基 |
| 搭載機 | 81機 アヴェンジャー21機 ファイアフライ12機 シーファイア48機 |
インプラカブル (HMS Implacable, R86) は、イギリス海軍の航空母艦。インプラカブル級の1番艦。その名を持つ艦としては3隻目。フェアフィールド造船(クライドサイド)にて建造された。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 設計
詳細は「インプラカブル級航空母艦」を参照
- 搭載機変遷
- 1944年10月 計80機 801Sqn(シーファイアFIII×10)+828Sqn(バラクーダII×12)+841Sqn(バラクーダII×12)+880Sqn(シーファイアLIII×12)+887Sqn(シーファイアFIII×12)+894Sqn(シーファイアFIII×10)+1771Sqn(ファイアフライI×12) ※828Sqnと841Sqnは11月統合
- 1945年6月 計80機 801Sqn(シーファイアLIII×24)+828Sqn(アベンジャーII×21)+880Sqn(シーファイアLIII・FRIII×24)+1771Sqn(ファイアフライI×11)
- 1945年7月 計81機 801Sqn(シーファイアLIII×24)+828Sqn(アベンジャーII×21)+880Sqn(シーファイアLIII・FRIII×24)+1771Sqn(ファイアフライI×12)
[編集] 艦歴
初代艦長はラクラン・マッキントッシュ大佐であった。
インプラカブルは1944年10月から作戦に従事し、ノルウェー沿岸での船舶攻撃などに従事した。10月31日には艦長がチャールズ・ヒューズ=ハレット大佐にかわった。
1944年11月27日、インプラカブルを発艦したフェアリー バラクーダが、連合軍の戦時捕虜を乗せたノルウェー船、リゲルとコースネス2隻に対して爆撃を行い、リゲルに乗った2,571名が死亡した。2隻はドイツの兵員輸送艦と誤認されたため攻撃を受けた。
インプラカブルは1945年3月16日にイギリスを離れ、地中海、スエズ運河経由で5月8日(V-Eデー)にシドニーに到着し、広範囲修理を行うため帰国するイラストリアス (HMS Illustrious, R87) に代わって空母部隊に加わった。
インプラカブルはフェアリー ファイアフライ、スーパーマリン シーファイア、グラマン アヴェンジャーといった機種を運用した。部隊に加わって最初の任務は、カロリン諸島のトラック島にある日本軍飛行場への攻撃(インメイト作戦)であった。
インプラカブルは終戦まで太平洋に留まり、フィリップ・ヴィアン少将が中将に昇進、イギリス海軍太平洋軍の司令官を引き継いだ後、その旗艦として戦後も太平洋水域に留まった。その後、戦勝記念式典に間に合わせて帰国した。
インプラカブルは1955年にインバーカイシンでスクラップとして解体された。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- BRITISH AND EMPIRE WARSHIPS OF THE SECOND WORLD WAR(Naval Institute Press)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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