イェウパトーリヤ

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イェウパトーリヤ
Yevpatoria
Євпаторія
Евпатория
Kezlev
ウクライナの旗
Yevpatoria panorama.jpeg
イェウパトーリヤの市旗 イェウパトーリヤの市章
座標 : 北緯45度12分 東経33度21分 / 北緯45.200度 東経33.350度 / 45.200; 33.350
行政
ウクライナの旗 ウクライナ
 行政区画 クリミアの旗 クリミア自治共和国
 基礎自治体 イェウパトーリヤ
イェウパトーリヤ
地理
面積  
  域 120 km2 (50 mi2)
標高 10 m (30 ft)
人口
人口 (現在)
  域 123,456人
    人口密度   1,618人/km2(4,191人/mi2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
市外局番 +380-6569
公式ウェブサイト : www.kalamit.info

イェウパトーリヤ((ウクライナ語: Євпато́рія, Yevpatoriya)は、ウクライナクリミア半島にある都市で、基礎自治体イェウパトーリヤに属す。

歴史[編集]

このエリアでの居住に関して、最初に記録に残っているものとしては、紀元前500年ごろのギリシャ植民者によって建てられた"Kerkinitis"と呼ばれた居住地である。他のクリミア地方と同様に、ポントス王国のミトリダテス6世の支配地の一部であった。7世紀から10世紀頃、イェウパトーリヤは、ハザール語で"Güzliev (美しい家)"という名のハザールの居住地であった。 その後、クマン人モンゴル人クリミア・ハン国の影響を受けた。その間、街はクリミア・タタール人には"Kezlev"、オスマントルコ人には"Gözleve"と呼ばれていた。中世のロシアにおける"Kozlov"という名前は、クリミア・タタール人の都市名がロシア化されたものである。1478年から1485年までの短期間、街はオスマン帝国の支配を受けた。その後、クリミア・ハン国の中心地となった。1783年、クリミア半島全体がロシア帝国により併合された。1784年街の名前が"Evpatoriya"に改名された。クリミア戦争中の1854年、イギリス軍、フランス軍、トルコ軍によって街は占領された。ロシアによるクリミア半島の併合の後、イェウパトーリヤはクリミア・カライ派の指導者"Gakham"の拠点となった。

出身人物[編集]

姉妹都市[編集]

外部リンク[編集]