アンヴァル

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アンヴァル(佐藤俊之 著作の表記)[1] (近代アイルランド語: Aonḃáɼɼ Mhannanáin (Aonbhárr Mhannanáin); 英訳 Aenbharr of Manannan (O'Curry); 異表記:エーンバル(?); アイルランド語: Enbarr[2] ) [3]は、アイルランド神話の馬名。 トゥアハ・デ・ダナーン神族のひとり長腕のルーの馬で、海神マナナーン・マク・リールからの借物とされる。海も陸も同様に平気で駆けることができ、乗り手の無事を守る魔法の馬であった[3]

概要[編集]

意味・発音[編集]

アンヴァル(エーンヴァル?)の意味については次のような説がある:

  1. 単鬣(一つののたてがみ)」 "One Mane" (O'Curry 編『トゥレンの子ら』p.163 脚注);
  2. 飛沫(泡しぶき)」 "foam" (アイルランド語: enbarr 『コルマクの語彙集』[4] / Rhys[5]);
  3. 鳥の頭」 "bird's head" (Rhys[5])

(接頭語根 aon は、1. 現代語 aon (古語 oen)「(数詞の)一」; 2. en 「水」; 3. én 「鳥」[6]。1. の発音も[eːn̪ˠ][7]であり、発音はどれも「エーン」ということになる。接尾語根 barr は「てっぺん、頭髪、兜や簪など」の意[8]で、発音は「バル」か「ヴァル」となる。)

(いずれの語釈にしろアイルランド語発音は、エーン=バル(?)、エーン=ヴァル(?)となるようである。一書によれば発音はアイン=バル(?)(/ain-barr/ (T.W. Rolleston[9])とされる。)

馬名については「唯一の超越性?」 "'unique supremacy" (Mackillop 事典)や、「想像力」"imagination"などとする馬関連書籍まであるので注意[10]

異表記[編集]

  • Œnbarr (O'Grady, Hist. Ireland, 1891年, p.119) (船は Ocean-Sweeper)
  • Enbarr of the flowing mane, that is, the driving wind (Macbain, Celtic Mythol. (and Rel.), 1884年/1885年, p.70/170) (剣は Frecart)
  • Énbarr (Rhys, Studies in Arth. Leg., 1889年, p.221)
  • Enbarr of the Flowing Mane (P.W.Joyce, "Fate of the Children of Tuirenn", 1894年, p.61)
  • Aonbharr, of the One Mane (Lady Gregory, GaFM, 1904年, p.22)
  • Splendid Mane' (Squire, Celtic Myth and Legend, 1905年, pp.60, 89. 98))
  • Aenbarr of Mananan (Cross, Anc. Ir. Tales, 1936 年, p.51)

伝承文学[編集]

『トゥレンの子らの最期』[編集]

近代物語版『トゥレンの子らの最期』によれば、ルーはマナナーンから帷子や胸甲、剣フラガラハを借り受けて装備させられており、馬も海神が融通したものであった。原文通りの文言を引くならば、この馬アンヴァル(エーンバル)は、「海も陸も同じで、その背にある騎乗者は殺されることはない」という魔性の馬である。[11]トゥレンの子らは、課せられた賠償品を世界から集めるためにこの馬の借用を願い出たが拒否されており、そのかわりルーから魔法の船の静波号」〔ウェイヴ・スウィーパー〕[12]の使用をかなえられた。ルーは、持ち前の馬以外にも、シチリア国王ドバル (Dobar) が所持する二頭の馬を賠償として所望するが、この二頭もやはり「海も陸も同じく(平気に走る)、速さも力もこれらに勝る血統の馬はいなかった」という、性質のよく似た馬たちである。[13]

『来寇の書』[編集]

『アイルランド来寇の書』では、ルーが賠償に求めた二頭の馬は、ガーネ(?)[14]とレー(?) (アイルランド語: Gainne & Rea)といい、ティレニア海 のシチリア島の王の持ち物であった。怪我、波、落雷に害されず、女神エルンワス(Ernmas)の死とも無縁と歌われる[15]。『来寇の書』では、これより少し前に、トァハ・デ・ダナーンを構成する神や、家畜などが三頭一組ずつで記述されるが、それによれば神族の馬の名は、アイルランド語: Attach & Gaeth & Sidhe }である[16]

ウェールズ三題詩[編集]

アイルランドのルーに相当するウェールズの神は「手先器用な」の異名をもつスェウ・スァウ・ゲフェス(Lleu Llaw Gyffes)であるが、その馬は「黄白色の足跡の駒」を意味する名と伝えられている("Steed of the Yellow-white Footsteps"; ウェールズ語: Melyngan Gamre[17])、これが「ブリテン島の三頭の贈答馬」のひとつであることが、海神からの借物であるルーの馬と共通すると Rhys 教授は指摘している[18]

神話の拡大解釈[編集]

白馬[編集]

邦書には、このマナナーンの馬が白馬であるとする参考書が相当数あり[1]、洋書でもマナナーンが二頭立ての白馬を御す[19]というものが出ている。
 これは古典にそう明記した原典は見つからないが、例えば Howey の『魔法と伝説の馬たち』(1923年)という書籍は、「海に嵐が起きるとき、アイルランドではそのくだける波がマナナーン・マク・レルの白馬たちであるといわれる」としている。[20]石田英一郎の英文論文でも同著書から引用しているが、[21]その右欄外に"Mannanán’s white horse"という見出しがついている。

ニーヴの馬[編集]

また、「神話のニーヴの馬エムバルは、.. エムバルは"想像力"の意味」[10]などとする書籍もある。ニーヴ (en:Niamh) とは、フィンの息子オシーン(オシアン)が妻にもらった妖精郷の女性のことであるが、Mícheál Coimín (1676–1760) が書いた詩「常若の国のオシーン」Laoi Oisín as ṫír na n-óg (The lay of Oisín in the land of youth)では、二人が白馬に連れられて海をわたり、ティル・ナ・ノーグに到達する。

脚注[編集]

  1. ^ a b 佐藤俊之 監修『伝説の「武器・防具」がよくわかる本」』(PHP 文庫 2007年), p.144 "ルーには、聖剣フラガラックや、絶対に落馬しない白馬アンヴァル、..光の槍ブリューナクを与えられた(p.144)"
  2. ^ Macbain等。以下詳述
  3. ^ a b O'Curry 編訳『トゥレンの子らの最期』Atlantis IV, p.162/3.
  4. ^ O'Donovan 編訳 Sanas Cormaic. "Enbarr: én「水」+ barr 「被りもの?」 =羅:cacumen, spuma"
  5. ^ a b (Rhys, Studies in Arth. Leg.(1881年), p.221 "Énbarr, which meant, possibly that she had a bird's head". p.221 脚注 "..but Cormac gives an enbarr meaning 'foam.'"
  6. ^ DIL辞典
  7. ^ wikitonary, "aon"
  8. ^ barr"(a) In general, top, tip..(d) head of hair.. (e) helmet, tiara,"(DIL辞典)
  9. ^ Celtic Myths and Legends, p.422 (index)
  10. ^ a b "Embarr, Niamh's mythical horse.. means imagination", Tena Bastian, Tami Zigo, Tips and Tidbits for the Horse Lover (2007), p.55</
  11. ^ O'Curry ed. tr. p.162/3 "And thus was the personal array of Lugh of the Long-Arms, namely: the Aenbharr.. she was as fleet as the naked cold wind of spring, and sea and land were the same to her, and [the charm was such that] her rider was never killed off her back."
  12. ^ 井村による(不正確な)和訳名。原名は「波の箒(ほうき)」の意のアイルランド語: Sguaba Tuinne"the Besom, or Sweeper of the Waves" (O'Curry 編訳 p.193, 192n)
  13. ^ O'Curry 編訳 p.190/191"sea and land is equally convenient to them; and there are not swifter or stronger steeds than they; (fuil="blood, stock (DIL)"; laidre/láthar="vigor, energy(DIL)")
  14. ^ 古音表記だが定訳ではない。近代発音だとGaine ガイネまたは Gainne ガーニア(人名グラーニアと韻)。
  15. ^ Macalister ed., ¶319)
  16. ^ Macalister ed., ¶317)
  17. ^ Myrv. Arch. Triads ii. 50 = ヘルゲストの赤本版。異本では表記が異なり、意訳名も違ってくるが、ここでは置く。
  18. ^ Hibbert Lect., 385 & Arth Leg.,p.222
  19. ^ Harry Mountain, Celt. Enc. IV, 840. "two white horses Splendid Mane and Aonbarr"を別々の二頭だとするのは誤りで、前者は後者の英訳名
  20. ^ (参考文献, p.143): "When a tempest breaks over the sea in Ireland, the breakers are said to be the white horses of Mannanán mac Ler."
  21. ^ Folklore Studies, Vol. 9 (1950), p.35(二次資料参照))

事典など[編集]

  • Mackillop, James, Dictionary of Celtic Mytholgy (1998)
  • Harry Moutain, Celtic Ency. IV, p.840.

一次資料[編集]

  • 『トゥレンの子らの最期』
    • O'Curry, Eugene 編訳,  [A]oidhe Chloinne Tuireann, 'The Atlantis IV, London 1863, 157-240. (books.google)
  • 『アイルランド来寇の書』Lebor gabála Érenn, R.A.S. Macalister ed., tr., Book 4, "Part VII: Invasion of the Tuatha De Danann" ¶319, Poem no. LXVI.

二次資料[編集]

再話[編集]

  • 井村君江 『ケルトの神話』 筑摩書房, 1990.3(1983.3)所収「トゥレン3兄弟の試練の旅」など
  • グレゴリー夫人再話 Lady Gregory, Gods and fighting men: the story of Tuatha de Danann and of the Fianna of Ireland, (London, John Murray 1903)(1905年版)
  • クロス再話 Cross, Tom Peete, Ancient Irish Tales, (New York, Henry Holt 1936, Reprint 1969) (スニペット表示)
  • ジョイス再話 Joyce, P.W., "The Fate of the Children of Turenn; or, The Quest for the Eric-Fine", Old Celtic Romances所収, pp. 37-96.
  • スクワイヤー再話 Squire, Charles, Celtic Myth and Legend: Poetry & Romance (1904), pp.60, 89. 98, etc.
  • ロールストン再話 Rolleston, Thomas William , 1857-1920, Myths & Legends of the Celtic Race, London, George G. Harrap & Co., 1911; 2nd revised ed. 1917; (Forgotten Books edition)

一般書・一般紹介[編集]

波と海神の馬関連[編集]

  • Howey, M. Oldfield The Horse in Magic and Myth p.143 (1923, Reprint, Dover, 2002)。(プレヴュー)
  • 石田英一郎(Ishida Eiichirô)、吉田健一 共著 The "Kappa" Legend. A Comparative Ethnological Study on the Japanese Water-Spirit "Kappa"and Its Habit of Trying to Lure Horses into the Water. Folklore Studies, Vol. 9 (1950), pp. i-vi+1-152+1-11. p.35)(JSTOR) (SCRIBD) (スニペット)