アレクサンドリーネ・フォン・プロイセン (1915-1980)

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アレクサンドリーネ王女(左)、母ツェツィーリエ皇太子妃、妹ツェツィーリエ王女とともに、1934年

アレクサンドリーネ・イレーネ・フォン・プロイセンAlexandrine Irene Prinzessin von Preußen, 1915年4月7日 皇太子宮殿、ベルリン - 1980年10月2日 シュタルンベルクオーバーバイエルン)は、ドイツプロイセンの旧統治者家系ホーエンツォレルン家の一員。最後のドイツ皇帝・プロイセン王ヴィルヘルム2世の孫娘の1人。

ヴィルヘルム2世の長男ヴィルヘルム皇太子と、その妻でメクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ3世の娘であるツェツィーリエ皇太子妃との間に第5子、長女として生まれ、家族からは「アディニ(„Adini“)」の愛称で呼ばれた。

ダウン症の障害を持って生まれたが、家族はこのことを世間に知られまいと細心の注意を払っていた。アレクサンドリーネは兄妹たちと一緒にポツダムやエールス(現在のポーランドドルヌィ・シロンスク県オレシニツァ)で育ち、1932年から1934年まで教育学者ヨハンネス・トリューパー(Johannes Trüper)の経営するイェーナ特別支援学校に通い、1934年の夏にポツダムに戻った。1936年にバイエルンのペッキングPöcking)に移り、第2次世界大戦中はペッキングに隠棲していた。

1945年末にシュタルンベルク湖畔に小さな家を与えられ、亡くなるまでその家で過ごした。遺骸はヘヒンゲンバーデン=ヴュルテンベルク州ツォラーンアルプ郡)のホーエンツォレルン城内のザンクト・ミヒャエル稜堡(St.-Michaels-Bastei)に埋められた。

参考文献[編集]

  • Hans Rall: Wilhelm II. – Eine Biographie. Verlag Styria, Graz 1995

外部リンク[編集]