フリードリヒ・フランツ3世 (メクレンブルク=シュヴェリーン大公)

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フリードリヒ・フランツ3世

フリードリヒ・フランツ3世Friedrich Franz III., 1851年3月19日 - 1897年4月10日)は、メクレンブルク=シュヴェリーン大公国大公(在位:1883年 - 1897年)。フリードリヒ・フランツ2世の長男で、全名はフリードリヒ・フランツ・パウル・ニコラウス・エルンスト・ハインリヒFriedrich Franz Paul Nikolaus Ernst Heinrich)。

略歴[編集]

1851年3月19日、フリードリヒ・フランツ2世とその最初の妃であったアウグステ(1822年 - 1862年、ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ63世の娘)の第一子としてルートウィヒスルストメクレンブルク=フォアポンメルン州)で生まれた。異母弟にオランダ女王ウィルヘルミナ王配であるハインリヒ(オランダ語名ヘンドリック)がいる。

1879年1月24日サンクトペテルブルクでロシアのミハイル・ニコラエヴィチ大公(ロシア皇帝ニコライ1世の皇子)の娘アナスタシア(1860年 - 1922年)と結婚した。結婚生活は不幸なものだったが、2人の間にはアレクサンドリーネ(1879年 - 1952年、デンマーククリスチャン10世妃)、フリードリヒ・フランツツェツィーリエ(1886年 - 1954年、ドイツ皇太子ヴィルヘルム妃)の1男2女が生まれた。

フリードリヒ・フランツ3世は1897年4月10日に療養先のカンヌで死去した。大公位は長男のフリードリヒ・フランツ4世が嗣いだが、まだ幼かったため1894年から摂政となっていた同母弟ヨハン・アルブレヒトが引き続き政務を執った。

先代:
フリードリヒ・フランツ2世
メクレンブルク[=シュヴェリーン]大公
1883年 - 1897年
次代:
フリードリヒ・フランツ4世