ひがし野
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ひがし野(ひがしの)は、茨城県守谷市の地名。一丁目から三丁目まである。2004年(平成16年)に守谷の一部から新設された。郵便番号は302-0131。当地域の人口は3,405人(2010年4月1日現在、常住人口調査による。守谷市調べ[1])。
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[編集] 地理
守谷市中央部に位置する新しい住宅街である。一丁目と二丁目の境を首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが通り、一丁目から二・三丁目にかけて古城川が流れる。また、地域の中央を南北に都市計画道路郷州沼崎線が通る。地域内は戸建が中心の住宅街であるが、高層マンション(ブランズシティ守谷)も存在する。
良好な環境を維持するため、全域がひがし野地区計画の対象地域となっており、全域で165m²以上の敷地を確保することが義務付けられているほか、垣や柵に関する制限も設けられている。[2]
[編集] 歴史
2010年(平成22年)9月16日に、ひがし野一丁目と中央二丁目との間に境界変更を行うことが決定され、ひがし野一丁目12番地、13番地1・2、14番地1・2・3・4、18番地1・2・3・4、38番地2・53・54・75が中央二丁目に、中央二丁目2番地、27番地2、28番地、41番地2がひがし野一丁目となった[3]。
[編集] 地名の由来
守谷駅の東に位置することから「ひがし野」とした。
[編集] 沿革
- 1869年(明治2年) 葛飾県相馬郡守谷町となる。
- 1871年(明治4年) 廃藩置県により印旛県相馬郡守谷町となる。
- 1873年(明治6年) 県の統合により千葉県相馬郡守谷町となる。
- 1875年(明治8年) 境界変更により千葉県から茨城県に移管。茨城県相馬郡守谷町となる。
- 1878年(明治11年) 相馬郡が、南相馬郡と北相馬郡に分離し、北相馬郡守谷町となる。
- 1889年(明治22年) 北相馬郡赤法花村、小山村と合併し、北相馬郡守谷町大字守谷となる。
- 2002年(平成14年)2月2日 市制施行。守谷市大字守谷となる。
- 2004年(平成16年)12月25日 守谷のうち守谷東土地区画整理事業区域を以って、守谷市ひがし野一丁目~三丁目を新設。
- 2010年(平成22年)9月16日 平成22年第3回守谷市議会定例会により、中央二丁目とひがし野一丁目との間で境界変更が決定される[3]。
[編集] 町名の変遷
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前 |
|---|---|---|
| ひがし野一丁目 | 2004年12月25日 | 守谷字城内、字御茶屋下、字相野谷、字法花坊、字庚塚、字二ツ塚、字新町裏、字古城沼 |
| ひがし野二丁目 | ||
| ひがし野三丁目 |
[編集] 交通
一般路線バス、守谷市コミュニティバス「モコバス」共に地域内を通過しないが、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス守谷駅が徒歩圏である。
[編集] 小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。[4]
| 丁目 | 番 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 一丁目 | 1番地~14番地 | 黒内小学校 | 守谷中学校 |
| 15番地~終わり | 守谷小学校 | ||
| 二丁目 | 全域 | ||
| 三丁目 | 全域 |
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ “行政区別常住人口”. 守谷市. 2010年5月3日閲覧。
- ^ ひがし野地区計画(守谷市)
- ^ a b “議案第65号”. 守谷市役所. 2010年11月12日閲覧。
- ^ 第五回守谷市通学区域審議会(最新)
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