「ガスパール・モンジュ」の版間の差分
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'''ガスパール・モンジュ''' ({{Lang|fr|Gaspard Monge}}、[[1746年]][[5月9日]]<ref>{{cite web|url=http://www.archinoe.net/console/ir_ead_visu.php?eadid=FRAD021_000000912V2&ir=23251|title=Registres paroissiaux et/ou d'état civil : 16 janvier 1745 - 1746|trans-title=Parish and/or civil registers: January 16, 1745 - 1746|publisher=Archives of the Department of Côte-d'Or|id=FRAD021EC 57/044|page=174/281|language=fr|access-date=2021-03-03|df=dmy-all}}</ref> - [[1818年]][[7月28日]]<ref>{{citation|chapter-url=http://archives.paris.fr/s/5/etat-civil-reconstitue/?&action=1&todo=modif_recherche|title=Fichiers de l'état civil reconstitué|trans-title=Reconstituted files of civil status|chapter=Monfredy (1845) to Mongé (1831)|publisher=Paris Archives|page=44/51|id=V3E/D 1076|language=fr|access-date=2018-05-08|df=dmy-all}}</ref>)は、[[フランス]]の[[数学者の一覧#18世紀生まれの有名な数学者|数学者]]・[[科学者]]・[[工学者]]・[[貴族]]。[[エコール・ポリテクニーク]]の創設者。 |
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今日知られる[[微分幾何学]]を開発し、曲面方程式や[[曲線]]の[[微分方程式]]から[[3次元]]空間への曲面曲率線の概念を導入して[[幾何学]]的形状を解析するなど、[[微積分]]方面による曲面の研究で知られる。 |
今日知られる[[微分幾何学]]を開発し、曲面方程式や[[曲線]]の[[微分方程式]]から[[3次元]]空間への曲面曲率線の概念を導入して[[幾何学]]的形状を解析するなど、[[微積分]]方面による[[曲面 (数学)|曲面]]の研究で知られる。 |
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従来から製図で使用されていた画法幾何を、[[ジラール・デザルグ]]の定理や[[パスカルの定理]]に基づく[[遠近法]]を研究して[[三角法]]や[[射影幾何学]]、図学という学問・学術にする体系再編に貢献し、この画法幾何学をベースにした解析手法は[[応用力学]]にまで取り入れられて構造解析の、また透視画法や投影図法が現在も製図法の骨子になっている。当時の[[度量衡]]を確立したほか、モンジュ・アンペール |
従来から[[製図]]で使用されていた画法幾何(図法幾何とも言う。)を、[[ジラール・デザルグ]]の定理や[[パスカルの定理]]に基づく[[遠近法]]を研究して[[三角法]]や[[射影幾何学]]、[[図法幾何学|図学]]という学問・学術にする体系再編に貢献し、この画法幾何学をベースにした解析手法は[[応用力学]]にまで取り入れられて構造解析の、また[[遠近法|透視画法]]や投影図法が現在も製図法の骨子になっている。当時の[[度量衡]]を確立したほか、{{仮リンク|モンジュ・アンペール方程式|en|Monge–Ampère equation}}や[[群論]]や最適輸送問題などの研究などでも知られる。 |
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軍事技術関連では、[[大砲]]鋳造や[[火薬]]製造法などを開発している。[[フランス革命]]当時、[[海軍大臣]]、[[護憲元老院|元老院]]議長を務めていた。 |
[[軍事技術]]関連では、[[大砲]]鋳造や[[火薬]]製造法などを開発している。[[フランス革命]]当時、[[海軍大臣]]、[[護憲元老院|元老院]]議長を務めていた。{{仮リンク|パリ東マルヌ=ラ=ヴァレ大学|fr|Université Paris-Est-Marne-la-Vallée|en|University of Paris-Est Marne-la-Valléee}}に{{仮リンク|ガスパール・モンジュ学院|en|Institut Gaspard Monge}}、また[[切手]]の[[肖像画]]のほか、フレンチ[[ライラック]]や[[バラ]]にも名がつけられた花がある。 |
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== 人物 == |
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フランスの[[ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ]]、[[コート=ドール県]][[ボーヌ]]で、ジャック・モンジュの子として生まれた。ジャックは[[サヴォワ]]出身者で、[[行商人]]から[[弁護士]]となった。ボーヌの[[オラトリオ会]]コレージュで、弟ルイ、ジャンとともに学んだ。ルイは1785年に行われた[[ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー|ラ・ペルーズ伯]]の[[探検]]に同行した人物である。10歳で[[リヨン]]のコレージュに入学、19歳でメジエール工兵学校の別科に入学し卒業。1768年から1780年まで同校の数学教授、[[1770年]]から[[1780年]]まで物理学教授。 |
フランスの[[ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ]]、[[コート=ドール県]][[ボーヌ]]で、ジャック・モンジュの子として生まれた。ジャックは[[サヴォワ]]出身者で、[[行商人]]から[[弁護士]]となった。ボーヌの[[オラトリオ会]]コレージュで、弟ルイ、ジャンとともに学んだ。ルイは1785年に行われた[[ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー|ラ・ペルーズ伯]]の[[探検]]に同行した人物である。10歳で[[リヨン]]のコレージュに入学、19歳でメジエール工兵学校の別科に入学し卒業。1768年から1780年まで同校の数学教授、[[1770年]]から[[1780年]]まで物理学教授。 |
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[[1780年]]、[[ソルボンヌ大学]]の水理学担当教授に就任し、同年[[パリ科学アカデミー]]会員に列する。 |
[[1780年]]、[[ソルボンヌ大学]]の[[水理学]]担当教授に就任し、同年[[パリ科学アカデミー]]会員に列する。 |
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[[1784年]]には世界で初めて[[二酸化硫黄]]の液化に成功する。 |
[[1784年]]には世界で初めて[[二酸化硫黄]]の液化に成功する。 |
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[[1798年]]の[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の[[エジプト遠征]]にも同行し、[[カイロ]]の[[エジプト大学]]設立に参加した。このとき、[[砂漠]]の行軍時に悩まされていた[[蜃気楼]]の原因解明を後に行ったことがよく知られている。 |
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1799年、著書『画法幾何学』({{Lang|fr| |
1799年、著書『画法幾何学』({{Lang|fr|Géométrie descriptive}})を、[[1804年]]には『解析学の幾何学への応用』({{Lang|fr|Application de l'analyse a la géomérie}})を刊行。 |
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[[1989年]]12月、彼の遺灰が[[パリ]]の[[パンテオン (パリ)|パンテオン]]に移された<ref>(en) John J. O’Connor et Edmund F. Robertson, « Gaspard Monge », dans MacTutor History of Mathematics archive, université de St Andrews</ref>。 |
[[1989年]]12月、彼の遺灰が[[パリ]]の[[パンテオン (パリ)|パンテオン]]に移された<ref>(en) John J. O’Connor et Edmund F. Robertson, « Gaspard Monge », dans MacTutor History of Mathematics archive, université de St Andrews</ref>。 |
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2024年1月6日 (土) 22:43時点における版
ペリューズ伯爵ガスパール・モンジュ | |
人物情報 | |
---|---|
生誕 | 1746年5月9日 |
死没 | 1818年7月28日(72歳没) |
出身校 | メジエール工兵学校 |
学問 | |
研究分野 | 図法幾何学 |
主な業績 | 図法幾何学の確立。 |
学会 | パリ科学アカデミー |
署名 | |
ガスパール・モンジュ (Gaspard Monge、1746年5月9日[1] - 1818年7月28日[2])は、フランスの数学者・科学者・工学者・貴族。エコール・ポリテクニークの創設者。
今日知られる微分幾何学を開発し、曲面方程式や曲線の微分方程式から3次元空間への曲面曲率線の概念を導入して幾何学的形状を解析するなど、微積分方面による曲面の研究で知られる。
従来から製図で使用されていた画法幾何(図法幾何とも言う。)を、ジラール・デザルグの定理やパスカルの定理に基づく遠近法を研究して三角法や射影幾何学、図学という学問・学術にする体系再編に貢献し、この画法幾何学をベースにした解析手法は応用力学にまで取り入れられて構造解析の、また透視画法や投影図法が現在も製図法の骨子になっている。当時の度量衡を確立したほか、モンジュ・アンペール方程式や群論や最適輸送問題などの研究などでも知られる。
軍事技術関連では、大砲鋳造や火薬製造法などを開発している。フランス革命当時、海軍大臣、元老院議長を務めていた。パリ東マルヌ=ラ=ヴァレ大学にガスパール・モンジュ学院、また切手の肖像画のほか、フレンチライラックやバラにも名がつけられた花がある。
人物
フランスのブルゴーニュ、コート=ドール県ボーヌで、ジャック・モンジュの子として生まれた。ジャックはサヴォワ出身者で、行商人から弁護士となった。ボーヌのオラトリオ会コレージュで、弟ルイ、ジャンとともに学んだ。ルイは1785年に行われたラ・ペルーズ伯の探検に同行した人物である。10歳でリヨンのコレージュに入学、19歳でメジエール工兵学校の別科に入学し卒業。1768年から1780年まで同校の数学教授、1770年から1780年まで物理学教授。
1780年、ソルボンヌ大学の水理学担当教授に就任し、同年パリ科学アカデミー会員に列する。
1795年にはエコール・ポリテクニーク校長に就任した。門下にラザール・カルノー、ジョゼフ・フーリエ、ジャン=ヴィクトル・ポンスレ、シャルル・デュパンらがいる。エコール・ポリテクニークでは画法幾何学を教えたが口頭による説明が難しいため、黒板を利用した[3]。これが教育用途での最初期の使用例である[3]。
1798年のナポレオンのエジプト遠征にも同行し、カイロのエジプト大学設立に参加した。このとき、砂漠の行軍時に悩まされていた蜃気楼の原因解明を後に行ったことがよく知られている。
1799年、著書『画法幾何学』(Géométrie descriptive)を、1804年には『解析学の幾何学への応用』(Application de l'analyse a la géomérie)を刊行。
1989年12月、彼の遺灰がパリのパンテオンに移された[4]。
脚注
- ^ “Registres paroissiaux et/ou d'état civil : 16 janvier 1745 - 1746” [Parish and/or civil registers: January 16, 1745 - 1746] (フランス語). Archives of the Department of Côte-d'Or. p. 174/281. 2021年3月3日閲覧。
- ^ “Monfredy (1845) to Mongé (1831)” (フランス語), Fichiers de l'état civil reconstitué [Reconstituted files of civil status], Paris Archives, p. 44/51, V3E/D 1076 2018年5月8日閲覧。
- ^ a b “黒板づくりの歴史”. 全国黒板工業連盟. 2020年5月27日閲覧。
- ^ (en) John J. O’Connor et Edmund F. Robertson, « Gaspard Monge », dans MacTutor History of Mathematics archive, université de St Andrews
参考文献
- 堀内達夫「ガスパール・モンジュと近代工学の形成」『人文研究』第44巻第4号、1992年、141-164頁、NAID 120006004044。
- 中峯照悦「モンジュからルローに至る機械学史と「資本論」における機械の把握」『社会文化研究』第9号、1983年、103-156頁、NAID 40004113167。
- Hohenberg Fritz、増田祥三 [訳]「ガウスから見たモンジュの"画法幾何学"」『図学研究』第12巻第2号、1978年9月、27-28頁、doi:10.5989/jsgs.12.27、NAID 130001823498。
関連項目
- モンジュ (ミサイル追跡艦) フランス海軍のミサイル追跡艦。艦名はモンジュに由来
- エジプト・シリア戦役
- 空間 (数学)
- 炭素
- エッフェル塔に名前を刻まれた72人のフランスの科学者の一覧
- 製図論
- モンジュ点