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== 概要 ==
== 概要 ==
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[[特定非営利活動法人|NPO法人]]「京都景観フォーラム」や[[京都女子大学]]・地元住民が中心となり「鴨川を百年見つめる七条大橋と歩む会」を[[2013年]](平成25年)4月14日に発足させ[[登録有形文化財]]への登録を目指していたが<ref>「七条大橋100年 往時の姿を」『[[京都新聞]]』、2013年4月13日朝刊・京都市地域版21面</ref>、[[2019年]](平成31年)3月29日付けで登録有形文化財(建造物)指定されてい<ref>{{文化遺産オンライン|379747|七条大橋}}</ref><ref>{{国指定文化財等データベース|101|00012754|七条大橋}}</ref>。


橋の付近の鴨川は[[下京区]]と[[東山区]]の[[境界]]になっている。橋上からは[[東山 (京都府)|東山]]の山々を望むことができるほか、南側に[[東海道本線]]・[[東海道新幹線]]の鉄橋が見える。
橋の付近の鴨川は[[下京区]]と[[東山区]]の[[境界]]になっている。橋上からは[[東山 (京都府)|東山]]の山々を望むことができるほか、南側に[[東海道本線]]・[[東海道新幹線]]の鉄橋が見える。

== 諸元 ==
* 橋梁形式:5径間連続[[鉄筋コンクリート|RC]]充腹式[[アーチ橋]](完成当時は6径間連続)
* 橋床形式:[[鉄筋コンクリート]]
* 供用開始:[[1913年]]([[大正]]2年)4月14日
* 延長:81.9 [[メートル|m]](完成当時は112.17 m)
* 幅員:18.1 m
* 径間:14.88 m×6連(現在は5連)
* 活荷重:電車荷重20トン×2両
* 所在地:京都府京都市東山区下堀詰町 - 下京区稲荷町
* 総工費:168,728円(上部工:70,348円、下部工:77,338円、その他工事費:21,041円)<ref>『本邦道路橋輯覧』「七條大橋」、117頁</ref>


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[File:ShichijoBridge 20190103 134341.jpg|thumb|鴨川下流の塩小路橋上から見た七条大橋全景(2019年1月撮影)]]
[[File:ShichijoBridge 20190103 134341.jpg|thumb|鴨川下流の塩小路橋上から見た七条大橋全景(2019年1月撮影)]]
1908年(明治41年)から開始された[[京都市三大事業]]の道路拡築および[[京都市電]]敷設の一環として[[四条大橋]]と共に架け替えが計画され、[[1911年]]([[明治]]44年)11月に着工、[[1913年]](大正2年)4月14日開通、[[京都市電七条線|市電七条線]]も同月開通した。設計は[[東京大学|東京帝国大学]][[教授]][[柴田畦作]](しばたけいさく)。意匠設計は、[[森山松之助]]、山口孝吉。
1908年(明治41年)から開始された[[京都市三大事業]]の道路拡築および[[京都市電]]敷設の一環として[[四条大橋]]と共に架け替えが計画され、[[1911年]]([[明治]]44年)11月に着工、[[1913年]](大正2年)4月14日開通、[[京都市電七条線|市電七条線]]も同月開通した。設計は[[東京大学|東京帝国大学]][[教授]][[柴田畦作]](しばたけいさく)。意匠設計は、東京帝国大学工科大学造家学科(建築学科)出身の[[森山松之助]]、山口孝吉が担当した


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[[1935年]]([[昭和]]10年)6月28日深夜から29日にかけての「[[鴨川 (淀川水系)#昭和の鴨川水害|鴨川水害]]」では、上流の団栗橋・松原橋・[[五条大橋]]は流されたが、上流の正面橋が橋の残骸を受け止めて七条大橋は無傷だった<ref>{{Cite journal |和書|author=植村善博 |title=第6章 昭和10年6月京都大水害 5 土木・交通の被害 |journal=京都の治水と昭和大水害 |publisher=[[文理閣]] |date=2011-04 |page=153 |ref=harv}}</ref>。水害後の河川改修計画には[[琵琶湖疏水]]と京阪電鉄の地下化が含まれた<ref name="Matsuura1987">{{Cite journal |和書 |author=松浦茂樹 |date=1987-06 |title=戦前の鴨川改修計画における環境面の配慮 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1981/7/0/7_0_275/_pdf/-char/ja |journal=日本土木史研究発表会論文集 |volume=7 |publisher=[[社団法人|公益社団法人]] 土木学会 |pages=275-285 |doi=10.11532/journalhs1981.7.275 |ref=harv}}</ref>。第二次世界大戦後に持ち越された計画の実現により、七条大橋は、疏水を跨ぐ鴨川左岸の一径間が短くなり<ref name="Mizugakatarumono12">{{Cite journal |和書 |title=近畿の水 名橋 ―第二回― |journal=水環境研究所広報誌 水が語るもの |volume=12 |url=https://kyokai-kinki.jp/wp/wp-content/uploads/2021/04/mizu12_01-28_all.pdf |publisher=[[一般社団法人]]近畿建設協会 技術部 |date=2016-05-01 |page=12 |ref=harv}}</ref>、当初の橋長112.17mの6連アーチ橋<ref name="Yamane2000">{{Cite journal |和書 |author=山根巌 |date=2000-05 |title=明治末期における京都での鉄筋コンクリート橋 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1990/20/0/20_0_325/_article/-char/ja/ |journal=土木史研究 |issue=20 |publisher=公益社団法人 土木学会 |pages=325-336 |doi=10.2208/journalhs1990.20.325 |ref=harv}}</ref>は5連82mになっている。
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は現在、5連82mになっている。


1978年9月限りで、橋上を通過していた市電七条線が廃止された。
1978年(昭和53年)9月限りで、橋上を通過していた市電七条線が廃止された。


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File:ShichijoBridge 20190103 154853.jpg|左岸北側。河川改修前は写真左側にもう一径間あった。
File:ShichijoBridge 20190103 154853.jpg|左岸北側。河川改修前は写真左側にもう一径間あった。
File:ShichijoBridge 20190105 094715.jpg|高欄は矢の意匠。
File:ShichijoBridge 20190105 094715.jpg|高欄は矢の意匠。
File:ShichijoBridge 20190103 155847.jpg|土木遺産のプレート
File:ShichijoBridge 20190103 155847.jpg|土木遺産のプレート
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橋の東側には、地下に[[京阪電気鉄道]](京阪本線)の[[七条駅]]があるほか、駅からさらに東寄りに[[三十三間堂]]や[[京都国立博物館]]が所在する。
橋の東側には、地下に[[京阪電気鉄道]](京阪本線)の[[七条駅]]があるほか、駅からさらに東寄りに[[三十三間堂]]や[[京都国立博物館]]が所在する。

== 参考文献 ==
* [[内務省 (日本)|内務省]][[土木研究所|土木試験所]]編『本邦道路橋輯覧』第1輯「拱橋之部」[http://library.jsce.or.jp/Image_DB/s_book/jsce100/pdf/07897/07897_09.pdf 鐵筋混凝土拱橋]、1925年(大正14年)12月、117頁
* [https://kyotokeikan.org/wp-content/uploads/2018/08/KKF2013annual.pdf NPO法人京都景観フォーラム/シンポジウム「鴨川・まちと川のあゆみ」]、NPO法人 京都景観フォーラム、2013年2月3日


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{土木学会選奨土木遺産紹介ページ|id=5_21|name=七条大橋}}
* [http://committees.jsce.or.jp/heritage/node/98 七条大橋]土木学会
* [http://www.okeihan.net/navi/bridge/bridge09.php 「沿線お出かけ情報」京阪沿線の名橋を渡る・シリーズ9『七条大橋』]京阪電気鉄道
* [http://www.okeihan.net/navi/bridge/bridge09.php 「沿線お出かけ情報」京阪沿線の名橋を渡る・シリーズ9『七条大橋』]京阪電気鉄道
* [http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/shibata_k.html 柴田畦作]歴史が眠る[[多磨霊園]]
* [http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/shibata_k.html 柴田畦作]歴史が眠る[[多磨霊園]]


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2021年9月8日 (水) 10:40時点における版

七条大橋(七條大橋)
七条大橋(2013年12月)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 京都府京都市東山区下堀詰町 - 下京区稲荷町
交差物件 鴨川
用途 道路橋
路線名 七条通
京都府道113号梅津東山七条線
管理者 京都市建設局
設計者 東京帝国大学教授柴田畦作
施工者 東京太田組工業所
着工 1911年明治44年)11月
竣工 1913年大正2年)3月
開通 1913年(大正2年)4月14日
構造諸元
形式 5径間連続鉄筋コンクリートアーチ橋
材料 鉄筋コンクリート
全長 81.9 m
18.1 m
最大支間長 15.2 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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七条大橋(しちじょうおおはし[1]、歴史的書体:七條大橋)は、京都府京都市を流れる鴨川に架設された。5連の鉄筋コンクリートアーチ橋で、2021年令和3年)現在、鴨川に架かる橋では最古の橋である。

概要

七条通京都府道113号梅津東山七条線)を通る全長81.9m、幅員18.1mの橋で、スパン15.24m(50フィート)、ライズ1.5m(5フィート)のアーチ構造を基本とする鉄筋コンクリートアーチ橋である[2]。黎明期のRCアーチとしては群を抜いて巨大で、鴨川筋で唯一明治期の意匠を残しており、2008年平成20年)、土木学会より「土木学会選奨土木遺産」に認定された[2]。橋のデザイン様式は「セセッション式欧風意匠」とされる[3]

第二次世界大戦中の金属供出で高欄や街灯が失われていた[2]。そのため長らく木製の欄干だったが、琵琶湖疏水鴨川運河)及び京阪本線の地下化と川端通の開通に併せて金属製の欄干に変えられた。1987年昭和62年)に改修された高欄には三十三間堂の通し矢(10本の矢が円の中心の的に向かっている図)がデザインされている[2]

NPO法人「京都景観フォーラム」や京都女子大学・地元住民が中心となり「鴨川を百年見つめる七条大橋と歩む会」を2013年(平成25年)4月14日に発足させて登録有形文化財への登録を目指していたが[4]2019年(平成31年)3月29日付けで登録有形文化財(建造物)に指定されている[5][6]

橋の付近の鴨川は下京区東山区境界になっている。橋上からは東山の山々を望むことができるほか、南側に東海道本線東海道新幹線の鉄橋が見える。

諸元

  • 橋梁形式:5径間連続RC充腹式アーチ橋(完成当時は6径間連続)
  • 橋床形式:鉄筋コンクリート
  • 供用開始:1913年大正2年)4月14日
  • 延長:81.9 m(完成当時は112.17 m)
  • 幅員:18.1 m
  • 径間:14.88 m×6連(現在は5連)
  • 活荷重:電車荷重20トン×2両
  • 所在地:京都府京都市東山区下堀詰町 - 下京区稲荷町
  • 総工費:168,728円(上部工:70,348円、下部工:77,338円、その他工事費:21,041円)[7]

歴史

鴨川下流の塩小路橋上から見た七条大橋全景(2019年1月撮影)

1908年(明治41年)から開始された京都市三大事業の道路拡築および京都市電敷設の一環として四条大橋と共に架け替えが計画され、1911年明治44年)11月に着工、1913年(大正2年)4月14日開通、市電七条線も同月開通した。設計は東京帝国大学教授柴田畦作(しばたけいさく)。意匠設計は、東京帝国大学工科大学造家学科(建築学科)出身の森山松之助、山口孝吉が担当した。

1935年昭和10年)6月28日深夜から29日にかけての「鴨川水害」では、上流の団栗橋・松原橋・五条大橋は流されたが、上流の正面橋が橋の残骸を受け止めて七条大橋は無傷だった[8]。水害後の河川改修計画には琵琶湖疏水と京阪電鉄の地下化が含まれた[9]。第二次世界大戦後に持ち越された計画の実現により、七条大橋は、疏水を跨ぐ鴨川左岸の一径間が短くなり[10]、当初の橋長112.17mの6連アーチ橋[11]は5連82mになっている。

1978年(昭和53年)9月限りで、橋上を通過していた市電七条線が廃止された。

周辺

橋の西南側には、松明殿稲荷神社がある。

橋の東側には、地下に京阪電気鉄道(京阪本線)の七条駅があるほか、駅からさらに東寄りに三十三間堂京都国立博物館が所在する。

参考文献

脚注

  1. ^ 京都市電の「七条大橋」停留所は、一条や四条との混同を避けるため「ななじょうおおはし」と読ませていた。
  2. ^ a b c d 京(みやこ)の橋しるべ」第7号、京都市建設局橋りょう健全推進課、2015年3月。 
  3. ^ 京(みやこ)の橋しるべ」第2号、京都市建設局調整管理課橋りょう担当、2013年8月。 
  4. ^ 「七条大橋100年 往時の姿を」『京都新聞』、2013年4月13日朝刊・京都市地域版21面
  5. ^ 七条大橋 - 文化遺産オンライン文化庁
  6. ^ 七条大橋 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  7. ^ 『本邦道路橋輯覧』「七條大橋」、117頁
  8. ^ 植村善博「第6章 昭和10年6月京都大水害 5 土木・交通の被害」『京都の治水と昭和大水害』、文理閣、2011年4月、153頁。 
  9. ^ 松浦茂樹「戦前の鴨川改修計画における環境面の配慮」『日本土木史研究発表会論文集』第7巻、公益社団法人 土木学会、1987年6月、275-285頁、doi:10.11532/journalhs1981.7.275 
  10. ^ 近畿の水 名橋 ―第二回―」『水環境研究所広報誌 水が語るもの』第12巻、一般社団法人近畿建設協会 技術部、2016年5月1日、12頁。 
  11. ^ 山根巌「明治末期における京都での鉄筋コンクリート橋」『土木史研究』第20号、公益社団法人 土木学会、2000年5月、325-336頁、doi:10.2208/journalhs1990.20.325 

外部リンク