「切り裂きジャック」の版間の差分

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{{Infobox criminal
{{redirect|JTR|スウェーデンのバンド|JTR (バンド)}}
| name = 切り裂きジャック<br>Jack the Ripper
{{redirect4|ジャック・ザ・リッパー|[[Fateシリーズ]]の登場人物|Fate/Apocrypha|Fate/Grand_Order}}
| image = JacktheRipper1888.jpg
{{出典の明記|date=2018年2月9日 (金) 13:10 (UTC)}}
| caption = 「怪しい人物を発見した自警団」[[イラストレイテド・ロンドン・ニュース]]の記事の挿絵(1888年10月13日)。
{{Expand English|Jack the Ripper|date=2021年3月|fa=yes}}
| alt = Drawing of a man with a pulled-up collar and pulled-down hat walking alone on a street watched by a group of well-dressed men behind him

| birthname = Unknown
{{暴力的}}
| alias = ホワイトチャペルの殺人鬼<br>レザー・エプロン
{{Infobox Serial Killer
| victims = 不明(一般に5人)
|name = 切り裂きジャック<br />Jack the Ripper
| date = 1888年-1891年?<br />(1888年:主要な5件)
|image = JacktheRipper1888.jpg
| locations = [[ホワイトチャペル]]、{{仮リンク|スピタルフィールズ|en|Spitalfields}}([[イギリス]]・[[ロンドン]]、[[イーストエンド・オブ・ロンドン|イーストエンド]])
|caption = [[1888年]][[10月13日]]、[[イラストレイテド・ロンドン・ニュース]]による発行の記事。「With the Vigilance Committee in the East End: A Suspicious Character」
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|birthname = 不明
|alias = ジャック・ザ・リッパー<br />ホワイトチャペル・マーダー
|victims = 売春婦5人+?
|beginyear = 1888年
|endyear = ?
|country = {{GBR}}
}}
}}
'''ジャック・ザ・リッパー'''(Jack the Ripper)または、その訳で'''切り裂きジャック'''(きりさきジャック)とは1888年に[[イギリス]]・[[ロンドン]]の[[ホワイトチャペル]]とその周辺で犯行を繰り返した正体不明の[[シリアルキラー|連続殺人犯]]。当時の捜査記録やメディアでは「'''ホワイトチャペルの殺人鬼'''(Whitechapel Murderer)」や「'''レザー・エプロン'''(Leather Apron、革のエプロン)」とも呼ばれていた。


切り裂きジャックの標的となったのは、[[イーストエンド・オブ・ロンドン|ロンドンのイーストエンド]]のスラム街に住み、客を取っていた娼婦たちであった。被害者たちは喉を切られた後に、腹部も切られていたことが特徴であった。少なくとも3人の犠牲者からは内臓が取り出されていたことから、犯人は[[解剖学]]や[[外科学]]の知識があったと考えられている。1888年9月から10月にかけて、これらの事件が同一犯によるものという噂が高まり、メディアや[[ロンドン警視庁]]([[スコットランドヤード]])には、犯人を名乗る人物からの多数の手紙が届いた。「切り裂きジャック(Jack the Ripper)」という名称は、犯人を名乗る人物が書いた手紙(「{{仮リンク|「親愛なるボスへ」の手紙|label=親愛なるボスへ|en|Dear Boss letter}}」)に載っていたものを、メディアが流布したことに端を発している。この手紙は、世間の注目を浴びて新聞の発行部数を増やすために記者が捏造したものではないかと疑われている。{{仮リンク|ホワイトチャペル自警団|en|Whitechapel Vigilance Committee}}の{{仮リンク|ジョージ・ラスク|en|George Lusk}}が受け取った{{仮リンク|「地獄より」の手紙|en|From Hell letter}}には犠牲者の1人から採取したとされる保存された人間の腎臓の半分が添付されていた。このような一連の経緯によって世間は「切り裂きジャック」という一人の連続殺人鬼を信じるようになっていったが、その主因は、犯行が非常に残忍なものであったことと、それをメディアが大々的に報道したことによるものであった。
'''切り裂きジャック'''(きりさきジャック、{{lang-en-short|Jack the Ripper}}、'''ジャック・ザ・リッパー''')は、[[1888年]]に[[イギリス]]で連続発生した[[猟奇殺人]]事件および犯人の通称。世界史における最も有名な[[未解決事件]]であり、[[犯罪学]]の象徴として文学、演劇、オペラ等現在に至るまできわめて数多くの分野で取り上げられている。130年以上経過した現在でも犯人の特定には至っておらず、その正体についていくつもの説が唱えられている。


新聞で大々的に報道されたことにより、切り裂きジャックは世界的にほぼ永久的に有名となり、その伝説は確固たるものとなった。当時の警察は1888年から1891年にかけてホワイトチャペルとスピタルフィールズで発生した11件の残忍な連続殺人事件を「[[ホワイトチャペル殺人事件]]」として一括りにしていたが、そのすべてを切り裂きジャックによる同一犯の犯行と見なしていたわけではなかった。今日において確実にジャックの犯行とされるものは1888年8月31日から11月9日の間に起きた「'''カノニカル・ファイブ'''(canonical five)」と呼ばれる5件、すなわち、[[メアリー・アン・ニコルズ]]、[[アニー・チャップマン]]、[[エリザベス・ストライド]]、[[キャサリン・エドウッズ]]、[[メアリー・ジェーン・ケリー]]が被害者となったものである。これら殺人事件は未解決のままであり、現代におけるジャックの逸話は歴史研究、[[伝承|民間伝承]]、[[偽史]]が混ざりあったものとなっている。
== 概説 ==
[[Image:JacktheRipperPuck.jpg|thumb|250px|切り裂きジャックが取り上げられたアメリカの雑誌『[[w:Puck (magazine)|Puck]]』の表紙([[1889年]][[9月21日]])]]
切り裂きジャックは、1888年[[8月31日]]から[[11月9日]]の約2ヶ月間に[[ロンドン]]の[[イーストエンド・オブ・ロンドン]]、[[ホワイトチャペル]]で少なくとも[[売春婦]]5人を[[バラバラ殺人|バラバラ]]に切り裂き、殺人を実行したが逮捕には至らなかった。署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、[[劇場型犯罪]]の元祖とされる。当時の定義づけによる精神病患者から王室関係者まで、その正体については現在まで繰り返し論議がなされているが、1世紀以上経った現在も犯人は不明である。


== 背景 ==
切り裂きジャックは[[売春婦]]を殺人の対象に選んだ。犯行は常に公共の場もしくはそれに近い場所で行われ、被害者は[[メス (刃物)|メス]]のような鋭利な刃物で喉を掻き切られ、その後、特定の臓器を摘出されるなどした。そのような事実から[[解剖学]]的知識があるとされ、ジャックの職業は医師だという説が有力視されている。しかし近年、最新のプロファイリングにより肉屋であるという説も有力とされた。
[[File:JacktheRipperWhitechapelcirca1890.jpg|180px|thumb|right|切り裂きジャックによる2名の犠牲者の殺害現場からほど近いホワイトチャペルの{{仮リンク|簡易宿泊所 (ビクトリア朝)|label=簡易宿泊所|en|common lodging-house}}前にたむろする女子供たち<ref>''Serial Killers: True Crime'' {{ISBN|978-0-7835-0001-0}} p. 93</ref>。]]


19世紀半ば、イギリスではアイルランド系移民の流入によってロンドンのイーストエンドを始めとする主要都市の人口が増加した。1882年からはロシアなど東欧や他の地域での迫害([[ポグロム]])から逃れてきたユダヤ人難民が同じ地域に移民してきた<ref>Kershen, Anne J., "The Immigrant Community of Whitechapel at the Time of the Jack the Ripper Murders", in Werner, pp. 65–97; Vaughan, Laura, "Mapping the East End Labyrinth", in Werner, p. 225</ref>。
このような事件が起きていた間にも、被害者の女性たちが警戒心もなく犯人を迎え入れていた形跡があることから、実は女性による犯行とする説もあった。また、犯行は1年以上続いたなど、様々な異説がある。
イーストエンドにあるホワイトチャペル教区はますます過密状態になり、人口は1888年までに約80,000人に増加した<ref name="ReferenceA">''The Murders of the Black Museum: 1870–1970'' {{ISBN|978-1-854-71160-1}} p. 54</ref>。
これは労働条件や住宅事情の悪化をもたらし、極めて大きな経済的な下層階級が生まれた<ref>[http://booth.lse.ac.uk/ ''Life and Labour of the People in London'' (London: Macmillan, 1902–1903)] (The [[チャールス・ブース|Charles Booth]] on-line archive) retrieved {{Nowrap|5 August}} 2008</ref>。
この場所で生まれた子供の55%が5歳を前に亡くなっていた<ref>''Novels and Social Writings'' {{ISBN|978-0-521-26213-2}} p. 147</ref>。
強盗、暴力、アルコール依存症は日常茶飯事のことであり<ref name="ReferenceA"/>、貧困が風土病のように蔓延し、多くの女性たちは日々の生計を立てるために売春をしていた<ref>{{cite news|title=Jack the Ripper: Why Does a Serial Killer Who Disembowelled Women Deserve a Museum?|url=https://www.telegraph.co.uk/women/womens-life/11773060/Jack-the-Ripper-Why-does-a-serial-killer-who-disembowelled-women-deserve-a-museum.html|access-date=21 February 2020|work=The Telegraph|date=30 July 2015}}</ref>。


当時の[[ロンドン警視庁]]([[スコットランドヤード]])の推計によれば、1888年10月のホワイトチャペルには62の売春宿と1,200人の売春婦が働いており<ref name=Evans-and-Skinner-p1>Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', p. 1; Police report dated 25 October 1888, MEPO 3/141 ff. 158–163, quoted in Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 283; Fido, p. 82; Rumbelow, p. 12</ref>、また233の{{仮リンク|簡易宿泊所 (ビクトリア朝)|label=簡易宿泊所|en|common lodging-house}}には毎晩約8,500人が寝泊まりし<ref name="ReferenceA"/>、1泊あたりシングルベッドであれば4ペンス<ref>Rumbelow, p. 14</ref>、寮に張られたロープ「リーン・トゥ」([[:en:Four penny coffin|Hang-over]])の場合は1人2ペンスであった<ref>''Jack the Ripper: The Complete Casebook'' {{ISBN|978-0-425-11869-6}} p. 30</ref>。
「ジャック」とはこの場合特定の人物の名前を示すわけではなく、日本でいう「[[名無しの権兵衛]]」のように[[英語圏]]で呼び方の定まっていない男性を指す名前である。


ホワイトチャペルの経済問題は、社会的緊張の着実な高まりを伴っていた。1886年から1889年にかけてはデモが頻発し、それに警察が介入して「{{仮リンク|血の日曜日 (1887年)|label=血の日曜日|en|Bloody Sunday (1887)}}」のような社会不安を市民にもたらした<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', pp. 131–149; Evans and Rumbelow, pp. 38–42; Rumbelow, pp. 21–22</ref>。
== 被害者 ==
[[反ユダヤ主義]]、犯罪、移民排斥、人種差別、社会的混乱、深刻な貧困などが、世間にホワイトチャペル地区が悪名高い不道徳の巣窟とみなす影響を与えた<ref>Marriott, John, "The Imaginative Geography of the Whitechapel murders", in Werner, pp. 31–63</ref>。
<div class="thumb tright">
こうした世相の中で、1888年の秋に「切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)」と呼ばれる連続殺人鬼と、彼が起こしたとされる凶悪でグロテスクな殺人事件がメディアを賑わし、上記のようなホワイトチャペルに対する世間の認識を強めた<ref>Haggard, Robert F. (1993), "Jack the Ripper As the Threat of Outcast London", ''Essays in History'', vol. 35, Corcoran Department of History at the University of Virginia</ref>。
{| class="wikitable" style="float:right; margin-left:1.5em; text-align:center"
|-
|style="height:6em"|<small>[[:File:MaryJaneKelly Ripper 100.jpg|メアリー・ジェーン・ケリーの遺体写真、殺害現場にて<br />(画像ファイルへのリンク)]]</small>
|-
|style="height:3em"|<span style="color:red">'''遺体の損傷が激しいため閲覧注意'''</span>
|}</div><!-- 刺激の強い画像なので、ページ埋め込みで最初から表示させるのではなく、「画像を表示しないファイルページへのリンク」に変更 -->{{Main|ホワイトチャペル殺人事件}}


== 殺人事件 ==
一連の事件における被害者の数については、現在でもさまざまな説が唱えられているが、以下の5名は切り裂きジャックによる犯行と確実視されている。
{{Main|ホワイトチャペル殺人事件}}
*1888年[[8月31日]](金) - [[メアリー・アン・ニコルズ]](42歳)
[[File:Whitechapel Spitalfields 7 murders.JPG|thumb|alt=Victorian map of London marked with seven dots within a few streets of each other|ホワイトチャペルで最初の7件の殺人事件が起きた場所
*1888年[[9月8日]](土) - [[アニー・チャップマン]](47歳)[[子宮]]と[[膀胱]]を犯人により持ち去られる。
{{unordered list|
*1888年[[9月30日]](日) - [[エリザベス・ストライド]](44歳)犯人が目撃された唯一の事件。
オズボーン・ストリート(中央右)
*1888年[[9月30日]](日) - [[キャサリン・エドウズ]](43歳)左の[[腎臓]]と[[子宮]]を犯人に持ち去られる。
| ジョージ・ヤード(中央左)
*1888年[[11月9日]](金) - [[メアリー・ジェーン・ケリー]](25歳)皮膚や内臓を含めほぼ完全にバラバラという最も残忍な殺され方をした。
| ハンバリー・ストリート(上)
犯行は夜、人目につかない隔離されたような場所で行われ、週末・月末・もしくはそのすぐ後に実行されている点が共通しているが、相違点もある。キャサリン・エドウズはただ一人、[[シティ・オブ・ロンドン]]で殺害された。メアリー・アン・ニコルズはただ一人、開けた通りで発見された。アーニー・チャップマンは他の被害者とは違い、夜明け後に殺害されたと見られている。
| バックズ・ロウ(右端)
| バーナー・ストリート(右下)
| {{仮リンク|マイター・スクエア|en|Mitre Square}}(左下)
| ドーセット・ストリート(左中)}}]]


この時期、イーストエンドでは女性に対する襲撃事件が多発していたため、どこまでの殺人事件が同一人物による犯行かはわからない<ref>Woods and Baddeley, p. 20</ref>。
== 被害者(推定) ==
1888年4月3日から1891年2月13日までの間に起きた11件の殺人事件がロンドン警視庁の捜査対象となり、警察記録では「'''[[ホワイトチャペル殺人事件]]'''」と総称されていた<ref name=met>{{citation |url=http://content.met.police.uk/Article/The-Crimes/1400015321521/1400015321521 |title=The Crimes |publisher=London Metropolitan Police |access-date=1 October 2014}}</ref><ref>Cook, pp. 33–34; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 3</ref>。
[[Image:John Tenniel - Punch - Ripper cartoon.png|thumb|right|200px|イギリスの風刺漫画雑誌『[[パンチ (雑誌)|パンチ]]』の挿絵([[1888年]][[9月29日]])、[[ジョン・テニエル]]作]]{{See also|ホワイトチャペル殺人事件}}
これら殺人事件をどこまで同一犯によるものと見るべきかは様々な意見があるが、この11件の内5件を「'''カノニカル・ファイブ'''(canonical five)」{{refn|group="注釈"|"canonical"は直訳で「(聖書の)[[正典]]」の意味で、今回の場合、一連の殺人事件を聖書に見立て、切り裂きジャックによるものを「正典」、それ以外のものを「[[外典]]」や「[[偽典]]」とする表現。}}と呼び、切り裂きジャックによる犯行と強く推測されている<ref>Cook, p. 151</ref>。
先述の5名以外にも、切り裂きジャックによる被害者と推測されている人物は、以下の通りである。
専門家の多くはジャックの手口の特徴として、喉へ深い切り傷を与えた後、腹部や性器周辺の肉を広範囲にわたって切除して内臓を取り出したり、顔面の肉を徐々に切除することを挙げている<ref name="Keppel">{{citation |last1=Keppel |first1=Robert D. |author-link1=Robert D. Keppel |last2=Weis |first2=Joseph G. |last3=Brown |first3=Katherine M. |last4=Welch |first4=Kristen |title=The Jack the Ripper murders: a modus operandi and signature analysis of the 1888–1891 Whitechapel murders |journal=Journal of Investigative Psychology and Offender Profiling |volume=2 |issue=1 |year=2005 |pages=1–21 |doi=10.1002/jip.22|doi-access=free }}</ref>。
; フェアリー・フェイ
: [[1887年]][[12月26日]]、杭で腹部を串刺しにされて殺害された。犯行手口が異なる。
; アニー・ミルウッド
: 1888年[[2月25日]]、下腹部と足を何度も刺され、一命は取り留めたものの、同年3月に退院後死亡した。
; エイダ・ウィルソン
: 1888年[[3月28日]]、首を2度刺されるが一命を取り留めた。
;[[エマ・エリザベス・スミス]]
: 1888年[[4月3日]]、局部に鈍器を入れられて重傷を負うが、家まで歩いて帰った。警察には2・3人のギャングに襲われたと話したという。2日後に病院で死亡。
;[[マーサ・タブラム]]
: 1888年[[8月7日]]、全身を39箇所も刺されて殺害された。動機の欠如、犯行の残忍さ、地理的・時期的な点から見ても、切り裂きジャックの被害者である可能性が高いと見られている。ただし、喉を掻き切るのではなく刺されている点で他の被害者と異なる。
; "{{仮リンク|ホワイトホール・ミステリー|en|Whitehall Mystery}}"
: 1888年[[10月2日]]、頭部のない女性の胴体がホワイトホールで発見された。片方の腕は[[ピムリコ]]の近くの[[テムズ川]]から発見された。片方の足は遺体発見現場の付近に埋められていたが、他の部分は発見されなかった。
; アニー・ファーマー
: 1888年[[11月21日]]、首を切られるも、傷は深くなく命に別状はなかった。警察は自傷行為を疑い、捜査は中断された。
; {{仮リンク|ローズ・ミレット|es|Rose Mylett}}
: 1888年[[12月22日]]、首に絞められた跡があり窒息死であった。彼女が酔って人事不省の時に、自分のドレスの襟で誤って窒息したのではないかという説もある。
; エリザベス・ジャクソン
: [[1889年]][[5月31日]]から同年[[6月25日]]までの間に、遺体の各部がテムズ川で見つかった。
; {{仮リンク|アリス・マッケンジー|es|Alice McKenzie}}
: 1889年[[7月17日]]、[[頚動脈]]を切断されて殺害された。
; "{{仮リンク|ピンチン通りの殺人|es|Torso de la calle Pinchin (Londres)}}"
: 1889年[[9月10日]]、身元不明の女性遺体(胴体)が発見され、リディア・ハートという売春婦ではないかと見られている。"ホワイトホール・ミステリー"との連続殺人とみなされ、犯人には"トルソ・キラー"や"トルソ・マーダー"というニックネームが付けられた。切り裂きジャックが"トルソ・キラー"なのか、他の人物なのかは分かっていない。前述のエリザベス・ジャクソンも"トルソ・キラー"の被害者ではないかという説がある。
; {{仮リンク|フランシス・コールズ|es|Frances Coles}}
: [[1891年]][[1月31日]]、喉を掻き切られて殺害された。
; {{仮リンク|キャリー・ブラウン (殺人の犠牲者)|label=キャリー・ブラウン|en|Carrie Brown (murder victim)}}
: [[1891年]][[4月24日]]、殺害現場が[[ニューヨーク]]の[[マンハッタン]]である。絞殺したのち、ナイフで遺体を切断するという犯行手口。鼠径部に大きな傷があり、足や背中も刺されていたことが判明している。ベッドの上に卵巣が発見されたものの、持ち去られた臓器はなかった。一連の事件と類似するケースであるが、ロンドン警察は「切り裂きジャックとは無関係」と結論づけた。


=== ホワイトチャペル殺人事件の最初の2件 ===
== 壁の落書き? ==
ホワイトチャペル殺人事件の11件の殺人の内、[[エマ・エリザベス・スミス]]と[[マーサ・タブラム]]が被害者となった最初の2件はカノニカル・ファイブには含まれていない<ref>Evans and Rumbelow, pp. 47–55</ref>。
{{Main|ゴールストン・ストリートの落書き}}
2件の殺人が犯された9月30日の早朝、[[アルフレッド・ロング]]巡査が犯行現場を捜索中、[[ゴールストン通り]]で血のついた布を発見した。後にこの布はキャサリン・エドウズのエプロンの一部ということが分かった。


スミスは1888年4月3日午前1時半頃、ホワイトチャペルのオズボーン・ストリートで強盗に遭い、性的暴行を受けた。彼女は顔を殴打され、耳に切り傷を負った<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', pp. 29–30</ref>。
その近くの壁には白い[[チョーク]]で書かれた文書があった。その文書は「The Jews are the men That Will not be Blamed for nothing.」もしくは「The Jews are not The men That Will be Blamed for nothing.(ユダヤ人は理由もなく責められる人たちなのではない)」というものであった。
また、膣に鈍器が挿入され腹膜が破裂していた。翌日、腹膜炎によりロンドンの病院で死亡した<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', pp. 27–28; Evans and Rumbelow, pp. 47–50; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 4–7</ref>。
スミスは2、3人の男性に襲われたと証言し、そのうちの一人は10代だったと述べている<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 28; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 4–7</ref>。
マスメディアは、後に起こる殺人事件とこの事件を結び付けて報道したが<ref>e.g. ''[[:en:The Star (London)|The Star]]'', {{Nowrap|8 September}} 1888, quoted in Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', pp. 155–156 and Cook, p. 62</ref>、ほとんどのライターはスミスの事件は切り裂きジャック事件とは無関係であり、一般的なイーストエンドのギャングによるものだとみなしている<ref name=met/><ref name=odnb/><ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', pp. 29–31; Evans and Rumbelow, pp. 47–50; Marriott, Trevor, pp. 5–7</ref>。


タブラムのケースは、1888年8月7日、ホワイトチャペルのジョージ・ヤードの階段の踊り場で殺害されていた<ref name=begg35>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', p. 35</ref>。
この文を見たトーマス・アーノルド警視は、夜が明けて人々がそれを目にすることを恐れた。彼はその文章が一般大衆の[[反ユダヤ主義]]的感情を煽るのではないかと思ったのである。事実、メアリ・アン・ニコルズの殺害以降、ユダヤ人の犯行ではないかという噂がイースト・エンドで流れていた。そのため、アーノルド警視はこの文書を消すように指示した。
彼女は、喉、肺、心臓、肝臓、脾臓、胃、腹部に39もの刺し傷があり、さらに胸と膣もナイフによる刺し傷があった<ref>''Jack the Ripper: The Definitive History'' {{ISBN|0-582-50631-X}} p. 63</ref>。これらの傷はすべてペンナイフとみられる刃物でつけられており、1つの例外を除いてすべて右利きの者による犯行であった<ref name=begg35/>。
また、性的暴行を受けた跡はなかった<ref>''The Crimes, Detection and Death of Jack the Ripper'' {{ISBN|978-1-566-19537-9}} p. 17</ref>。


この殺人の残虐性と明白な動機の欠如、また場所と日時は、後の切り裂きジャックによる犯行に近く、警察はこの事件をジャックによる犯行と結び付けた<ref>Evans and Rumbelow, pp. 51–55</ref>。
この文章は[[スコットランドヤード]]の区域で見つかり、犯行場所はロンドン市警察の管轄内であったため、2つの異なった警察部隊に分かれることになった。特にロンドン市警察の警察官たちはアーノルドに反対であった。この文章は証拠の可能性があり、せめてその前に写真を撮るべきだと主張したがアーノルドは賛成せず、結局明け方に消されてしまう。
しかし、タブラムは何度も刺されていはいたが、喉や腹部に対する切り傷は無かったという点で、後の事件とは異なっていた。多くの専門家はこの傷のパターンの違いから、この殺人を切り裂きジャックによる犯行とは見なしていない<ref>Evans and Rumbelow, pp. 51–55; Marriott, Trevor, p. 13</ref>。


=== カノニカル・ファイブ ===
== 切り裂きジャックからの手紙 ==
切り裂きジャックの犠牲者として挙げられる5人(カノニカル・ファイブ)は、[[メアリー・アン・ニコルズ]]、[[アニー・チャップマン]]、[[エリザベス・ストライド]]、[[キャサリン・エドウッズ]]、[[メアリー・ジェーン・ケリー]]である<ref>''3000 Facts about Historic Figures'' {{ISBN|978-0-244-67383-3}} p. 171</ref>。
[[Image:Dear Boss envelope.jpg|thumb|right|200px|セントラル・ニューズに届いた手紙]]
[[1888年]][[9月27日]]、切り裂きジャックを名乗る手紙が、新聞社セントラル・ニューズ・エイジェンシーに届いた。9月25日付けの消印が押された "Dear Boss" (親愛なるボスへ)の書き出しで始まるこの手紙の内容は、切り裂きジャックは売春婦を毛嫌いしており、警察には決して捕まらない、犯行はまだまだ続くと予告する挑発的なものであった。


1888年8月31日の金曜日の午前3時40分頃、ホワイトチャペルのバックズ・ロウ(現在のダーワード・ストリート)でメアリー・アン・ニコルズの遺体が発見された。
この件が新聞で伝えられると、切り裂きジャックを名乗る手紙が何百通も新聞社などに届いたが、そのほとんどがいたずらかメディアによる自作自演であった。しかし、最初に届いたものを含む以下の3通は、偽物だとは断定できなかった。
生きているニコルズが最後に目撃されたのは、遺体発見の約1時間前に、ホワイトチャペル・ロード方面に歩いている彼女を、スピタルフィールズのスロール・ストリートにある共同下宿で寝泊まりしていたエミリー・ホランド夫人が目撃したというものであった<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', p. 43</ref>。
被害者の喉は2つの深い切り傷で切断されており、そのうちの1つは椎骨までの組織を完全に切断していた<ref>Whittington-Egan, ''The Murder Almanac'', p. 91</ref>。
膣には2回の刺し傷が見られ<ref>{{cite web|url=https://www.casebook.org/dissertations/rn-old-wounds.html |title=Old Wounds: Re-examining the Buck's Row Murder |publisher=casebook.org |date=2 April 2004 |access-date=4 September 2020}}</ref>、下腹部には深くザラザラした傷で一部が裂けており、腸がはみ出していた<ref>{{cite web|url=https://www.casebook.org/press_reports/east_london_observer/elo880901.html |title=Another Horrible Tragedy in Whitechapel |publisher=casebook.org |date=2 April 2004 |access-date=2 September 2020}}</ref>。
腹部の両側にも同じナイフによっていくつかの切り込みが入っていた。
これらの傷はいずれも下向きに突き刺すようにして負わされていた<ref>Eddleston, p. 21; Evans and Rumbelow, pp. 60–61; Rumbelow, pp. 24–27</ref>。


[[File:Hanbury.jpg|thumb|right|{{仮リンク|ハンバリー・ストリート|en|Hanbury Street}}29番地。アニー・チャップマンと彼女を殺した犯人が、彼女の遺体が発見された庭に向かって歩いていったドアは、物件標識の数字の下にある。]]
; 1888年9月27日配達(消印25日)
: セントラル・ニューズ社に届いた手紙。「切り裂きジャック」の署名がある最初のもの。
; 1888年10月1日配達(消印同日)
: セントラル・ニューズ社に届いたはがき。「切り裂きジャック」の署名。
; 1888年10月16日配達(消印15日)
: ホワイト・チャペル自警団代表ジョージ・ラスクに届いた小包。「切り裂きジャック」の署名はなく、「地獄より」の書き出しで始まっている。アルコール保存された腎臓が同封されており、人間の女性のものであると確認された。医学生によるいたずらだという説もあるが、酒の飲みすぎにより{{仮リンク|ブライト病|en|Bright's disease}}に犯されたものだという主張をする法医学者もいた。


それから約1週間後の9月8日の土曜日の午前6時頃、スピタルフィールズのハンバリー・ストリート29番地の裏庭の出入り口の階段付近で、アニー・チャップマンの遺体が発見された。ニコルズの場合と同様に喉は2つの深い切創があった<ref>Rumbelow, p. 42</ref>。
== 被疑者 ==
腹部は完全に切り開かれており、胃の一部が左肩の上に置かれ、また切除された皮膚と肉の一部と小腸は右肩の上に置かれていた<ref>''The Murders of the Black Museum: 1870–1970'' {{ISBN|978-0-863-79040-9}} pp. 55–56</ref>。
{{Main|[[切り裂きジャックと疑われた者たち]]}}
チャップマンの検死では、子宮、膀胱、膣の一部<ref>''Jack the Ripper – Through the Mists of Time'' {{ISBN|978-1-782-28168-9}} p. 21</ref>が切除されていることがわかった<ref>Marriott, Trevor, pp. 26–29; Rumbelow, p. 42</ref>。
切り裂きジャックの被疑者については、これまで多数の人物が挙げられているが、その中でも以下の7名が有力視されている。
; モンタギュー・ジョン・ドルイト(Montague John Druitt、[[1857年]][[8月15日]] - [[1888年]][[12月1日]])
: 弁護士および教師。事件当時から、風貌が似ているという目撃証言が寄せられていた。最後の事件後、テムズ川に飛び込み自殺をしている。
: 第1・2の事件時、所在不明。メルヴィル・マクノートン(当時の英国捜査当局の責任者)のメモにより、20世紀半ばから有力な被疑者と呼ばれるようになった。その内容によると、精神病を患っていたことが示唆されている。ただし、マクノートンの記述に間違いが多く(たとえば、職業を医師としているなど)、信憑性に欠ける。
; マイケル・オストログ(Michael Ostrog、[[1833年]] - [[1904年]]頃?)
: [[ロシア人]]。海軍の駐在医(外科医)という経歴を持つ。殺人を含む複数の前科があり、詐欺や窃盗の常習犯。
: 警察に逮捕された末、精神病棟に隔離された経験がある。事件時に所在不明だったことから、当時から被疑者の1人として捜査当局内で名前が挙がっていた。
; [[トマス・ニール・クリーム]](Thomas Neill Cream、[[1850年]][[5月27日]] - [[1892年]][[11月15日]])
: アメリカ人の医師。危険な薬物([[ストリキニーネ]])を用いて売春婦を毒殺、「ランベスの毒殺魔」と呼ばれていた。
: 1892年に死刑執行。その際に[[絞首台]]で「俺は切り裂きジャッ…」と言い残した(正確には、"I am Jack the…"まで言った時に床板が外された)とされる。しかし、一連の事件が起こった1888年当時、トマスはアメリカの[[イリノイ州]]にある刑務所に投獄されていたため、犯行は不可能である。また、ジャックという発言も「私は[[射精]]している(I am ejaculating)」の聞き間違いの可能性が指摘されている<ref>『The Black Museum: Scotland Yard's Chamber of Crime』英国ハラップ社、1987年 より</ref>。
; アーロン・コスミンスキー(エアラン・コスミンスキ、Aaron Kosminski、[[1865年]][[9月11日]] - [[1919年]][[3月24日]])
: [[ポーランド]]出身。ユダヤ系の理髪師。殺人現場であるイースト・エンド近辺に住み、犯罪歴・精神病の入院歴があり、売春婦を憎んでいた。
: 目撃者の証言により当局に逮捕されたが、重い精神の錯乱が見られた。また、切り裂きジャックが書いたとされる手紙と筆跡が一致しなかったとされるなど、証拠不十分を理由に起訴は断念された。証言も後に撤回されている。
: 1919年、強制入院先の精神病院で死亡。
; ジェイムズ・メイブリック(James Maybrick、[[1838年]][[10月24日]] - [[1889年]][[5月11日]])
: 木綿職人。事件の3週間前、現場近くにあるミドルセクス・ストリートの部屋を借りていたため(用途不明)、捜査線上に浮上した。
: 妻の[[フローレンス・メーブリック|フローレンス・メイブリック]]に殺害された「メイブリック事件」の被害者として有名。メイブリックは冤罪であるという意見も根強い。
: 1991年に切り裂きジャックと署名のある日記が発見され、メイブリックが書いたものという主張がなされた。一時期話題になり映画化の話も伝えられたが、日記の発見者とされた人物の偽造だった。
; ジェイコブ・リーヴィー(Jacob Levy、[[1856年]] - [[1891年]][[7月29日]])<ref>National Geographic Channel:Mystery Files #7"Jack The Ripper"より</ref>
: [[ユダヤ人]]の精肉業者。「ユダヤ人」「死体の解体に慣れ、血まみれの格好をしていても怪しまれない職種」という[[プロファイリング]]により浮かび上がった。
: 1888年9月30日、3件目の殺害現場であるバーナー街の国際労働者会館前では、ユダヤ教社会主義の会合が開かれていた。また、4件目の殺害現場にあった壁に「ユダヤ人は理由もなく責められる人たちではない」という落書きが残されていたことが、ユダヤ人説の根拠として挙げられている。
: さらに、4件目の現場である[[シティ・オブ・ロンドン]]の近所に住む、同じくユダヤ人の精肉業者であるジョゼフ・リーヴィーに目撃されたが、ユダヤ人の迫害を恐れたジョゼフは、捜査陣に犯人像を詳しく語らなかったと言われている。しかし、ジョゼフが口にした「犯人は被害者より3インチ(約8cm)高かった」という身体的特徴は、リーヴィーに当てはまる。
: リーヴィーは[[梅毒]]に罹患しており、梅毒からくる精神障害を患い「不道徳な行いをしろ」という幻聴を聞いていたという記録がある。リーヴィーの妻は「夫はノイローゼにかかっていたようで、一晩中街を徘徊していることがあった」と証言している。
: 事件当時、リーヴィーはフィールドゲート街からミドルエセックス街に引っ越したが、両地点も犯行現場を結んだ円内にあるため、地理的プロファイリングとも一致する。しかし、5件目の殺人が発生した頃、リーヴィーはすでに梅毒の末期症状で体の自由が利かず、犯行はおろか日常生活すら困難な状況下にあった。
: 専門家の間では、「リーヴィーが犯人であった場合、解剖の仕方が異なる点や犯行現場が屋内であったことから、5件目の犯行は[[模倣犯]]によるもの」という説が指摘されている。
; [[ウォルター・シッカート]](Walter Richard Sickert, 1860年5月31日 - 1942年1月22日)
: ドイツ人の[[画家]]。[[パトリシア・コーンウェル]]は、99%の確度を持つ[[ミトコンドリアDNA]]の一致などからシッカートを犯人とした<ref>Portrait of A Killer; Jack The Ripper Case Closed,2002</ref>。
<gallery>
Image:Druitt2.jpg|モンタギュー・ジョン・ドルイト
Image:Michael Ostrogg.jpg|マイケル・オストログ
Image:Neil-cream.jpg|トーマス・ニール・クリーム
Image:Maybrick.jpg|ジェイムズ・メイブリック
Image:Walter Sickert photo by George Charles Beresford 1911 (1).jpg|ウォルター・シッカート
</gallery>


チャップマンの死因審問では、エリザベス・ロングが、午前5時半頃<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', p. 76</ref>にチャップマンが茶色の鹿撃ち帽と暗い色のオーバーコートを着た黒髪の男と一緒にハンバリー・ストリート29番地の外に立っているのを見たと証言した<ref>''Jack the Ripper'' {{ISBN|978-0-760-78716-8}} p. 36</ref>。エリザベスによれば、男はチャップマンに「どう?(Will you?)」と聞き、彼女が「いいわ(Yes)」と答えていたという<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 153; Cook, p. 163; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 98; Marriott, Trevor, pp. 59–75</ref>。
== 仮説 ==
*一般に、[[性的暴行]]を伴う快楽殺人の犯罪者は、自身の性的嗜好に適った被害者を選ぶ傾向があり<ref group="注">老若男女を問わず暴行を加えて殺害した[[アンドレイ・チカチーロ]]のような例外もある。</ref>、切り裂きジャックについてもメアリー・アンからキャサリンまでの被害者を考慮した場合、中年の女性にそうした嗜好を抱いていたと考えられる。しかし、メアリー・ジェインは年若の女性であることから、便乗犯もしくは別人の犯行の可能性が指摘されている。実際に「'''ピンチン通りの殺人'''」(前述)など、切り裂きジャックとされる犯行または切り裂きジャックに類似した犯行を行った人物は、複数存在した可能性が指摘されている。
*5人目の被害者メアリー・ジェインは、道徳的に見た際「最も残忍な殺され方」をしているが、医学的な見地に立てば「最も高度に外科的な殺され方」すなわち最も高度な技術の臓器摘出が行われており、医者を中心に別人の犯行の可能性が指摘されている。
*「犯人が夜間、警察官に怪しまれずに徘徊し、被害者の女性たちに近づける」という点などから警官による犯行も疑われ、事件後に内部調査が行われたが有力な容疑者は出なかった。
*シャーロック・ホームズシリーズで知られる同時代の推理作家[[アーサー・コナン・ドイル]]は、切り裂きジャック事件については公式に意見は述べておらず、事件を扱った小説も発表していない。子息によれば、切り裂きジャックの正体について「女装した男性」であると自分の推理を述べたことがあったという。
*当時のイギリス女王[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]の孫、クラレンス公[[アルバート・ヴィクター (クラレンス公)|アルバート・ヴィクター]]も一時期容疑者の1人とされていた。
*作家の[[パトリシア・コーンウェル]]が2002年に出版した『切り裂きジャック』(原題: ''Portrait of A Killer; Jack The Ripper Case Closed'')では、自身で大金を投じて[[DNA鑑定]]や[[筆跡鑑定]]を行い、画家の[[ウォルター・シッカート]]を犯人であるとして名指ししたが、現存している捜査資料や物的証拠に乏しかったため反論も多かった。実際、彼女の鑑定で言えることは、「切り裂きジャック」の手紙の一つをシッカートが書いた可能性が高い、ということである。
*元警察官のトレヴァー・マリオット (Trevor Marriott) は、セントラル・ニューズ社のトーマス・ブリング (Thomas Bulling) 記者がスクープ記事を書くために犯行声明の手紙を捏造し「切り裂きジャック」という人物を作り上げたとしている<ref>{{cite web|url=http://www.express.co.uk/news/weird/431148/Jack-the-Ripper-mystery-solved-by-top-detective-after-125-years|title=Jack the Ripper mystery solved by top detective after 125 years|publisher=EXPRESS|date=2013-9-21|accessdate=2014-3-27}}</ref>。
*[[1997年]]にブルース・ペイリーが著書「切り裂きジャックの真相」で、FBIの犯罪捜査で使われているプロファイリングの手法によって、最後の犠牲者メアリー・ケリーと同棲していたジョゼフ・バーネットこそ犯人であるという説を発表した。その主張によれば、バーネットが殺人を犯した動機は、ケリーに恐怖心を与えて売春をやめさせるためだったという。警察は当初、バーネットを有力容疑者と見なして厳しく取り調べたが無関係と結論づけた事実がある。日本における切り裂きジャック研究の第一人者、[[仁賀克雄]]は、一連の著作の中で、「ペイリーのプロファイリングの設定に問題がある」と批判している。
*[[2014年]]には、被害者の一人であるキャサリン・エドウズの遺体のそばで見つかったショールと被害者・被疑者子孫のDNA鑑定により、アーロン・コスミンスキーが犯人であるという説が出された<ref>{{cite news|url=http://www.dailymail.co.uk/news/article-2746321/Jack-Ripper-unmasked-How-amateur-sleuth-used-DNA-breakthrough-identify-Britains-notorious-criminal-126-years-string-terrible-murders.html|title=WORLD EXCLUSIVE: Jack the Ripper unmasked: How amateur sleuth used DNA breakthrough to identify Britain's most notorious criminal 126 years after string of terrible murders|publisher=Associated Newspapers Ltd.|work=Daily Mail|date=2014-09-06|accessdate=2014-09-07}}</ref>(ただし、同年、DNA鑑定の致命的な誤りを英[[インデペンデント|Indepent]]紙が続報している)。
*2019年3月 女性週刊誌『[[女性自身]]』が報じたところによれば、Journal of Forensic Sciencesに掲載された法医学調査報告書に1888年9月30日に殺害されたキャサリン・エドウッズ(ママ)のショールに付着していた血液と精液を採取しDNA鑑定を行った結果、アーロン・コスミンスキーが真犯人と特定したと発表されたという。また今回の調査では外見の分析も行われ、茶色の髪と茶色の瞳であることも判明。これは事件当時、唯一信頼された目撃者の証言と一致するとも報じている。<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/16183608 切り裂きジャックの正体 DNA解析でアーロン・コスミンスキーと特定か(女性自身)] /</ref>ただし、その鑑定方式を疑問視する声もある<ref>[https://finders.me/articles.php?id=818 切り裂きジャックの正体が、最新のDNA解析でついに特定! しかし鑑定結果にクレームの嵐]</ref><ref>[https://science.srad.jp/story/19/03/20/0630237/ 「DNA解析で切り裂きジャックの正体を特定」という論文が発表されるも不正確だとの批判を浴びる]</ref>。ネットメディア『[[ロケットニュース24|RocketNews24]]』では一致したのは[[ミトコンドリアDNA]]に過ぎず、コスミンスキー犯人説は誤報道であると指摘している<ref>[https://rocketnews24.com/2019/03/19/1186967/ 切り裂きジャックの正体解明に進展か? DNA鑑定を用いた調査論文が公開されるもまさかのオチ / 一部で誤報道も]</ref>。


エリザベス・ストライドとキャサリン・エドウッズは、9月29日の土曜土から30日の日曜にかけて殺害された。ストライドの遺体は、30日の午前1時頃、ワイトチャペルのバーナー・ストリート(現在のヘンリック・ストリート)の外れにあるダットフィールズ・ヤードで発見された<ref>Holmes, ''Profiling Violent Crimes: An Investigative Tool'', p. 233</ref>。
== 切り裂きジャックを扱った作品 ==
首に6インチの切り傷があり、死因は左頸動脈と気管の切断で、そのまま切創は右顎の下で止まっていた<ref>''Naming Jack the Ripper: New Crime Scene Evidence, A Stunning Forensic Breakthrough'' {{ISBN|978-1-447-26423-1}} p. 60</ref>。彼女の身体にはそれ以外の損傷がなかったため、これがジャックによるものなのか、または犯行途中で中断したのかは不明である<ref>Cook, p. 157; Marriott, Trevor, pp. 81–125</ref>。
切り裂きジャックは現在もなお正体の知れない神秘性などから、多くのフィクション作家の創作意欲を刺激してきた。特に、同時代・同じロンドンという設定の名探偵[[シャーロック・ホームズ]]との対決は、それ自体一つのジャンルともなっている<ref group="注">原作者の[[コナン・ドイル]]自身は何も触れていない。</ref>。
後に29日の深夜にバーナー・ストリートの近くでストライドが男と一緒にいるのを見たという複数の目撃証言が警察に寄せられたが<ref>Wilson ''et al.'', p. 38</ref>、それぞれの証言は異なっていた。ある者は連れの男は色白であったと言い、またある者は色黒だったと言い、別の者はみすぼらしい服を着ていたと言い、しかし、身なりが良かったという証言もあった<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', pp. 176–184</ref>。
<!-- 19世紀末のロンドンで事件を起こしたジャック本人であると作中で明言されているもののみ記述願います。 -->


[[File:CatherineEddowesJacktheRipperCanomicleVictimFourMitreSq.30091888a.jpg|170px|thumb|{{仮リンク|マイター・スクエア|en|Mitre Square}}で発見されたキャサリン・エドウッズの当時の警察による遺体図。]]
=== 小説 ===
<!-- 19世紀末のロンドンで事件を起こしたジャック本人であると作中で明言されているもののみ記述願います。 -->
* 下宿人(ベロック・ローンズ、1954年出版、早川書房)
** ジャックをモデルとした作品としては最も早いものの一つで、1927年に[[アルフレッド・ヒッチコック]]により映画化された。
** 1944年には[[ジョン・ブラーム]]監督によりリメイク(邦題は「謎の下宿人」)。2009年には[[デヴィッド・オンダーチェ]]監督によりリメイクされた(邦題「下宿人」)。
* オッターモール氏の手(トマス・バーク、[[江戸川乱歩]]編『世界短篇傑作集4』所収、1961年出版、東京創元社)
** ジャックをモデルとした、短篇ミステリの古典的名作。
* 恐怖の研究([[エラリー・クイーン]]、1976年出版、早川書房)
** エラリーのもとに届けられたのは、ジャックとホームズの戦いを綴ったワトスン博士の未公開原稿だった。ジャックの正体を19、20世紀の名探偵が解き明かす。シャーロック・ホームズとジャックとの対決を描いた同名の映画 ''"A Study in Terror"'' (1965年)のノベライゼーションでもあるが、映画にエラリーは登場していない。
* 切り裂きジャックはあなたの友([[ロバート・ブロック]]短編集『切り裂きジャックはあなたの友』所収、1979年出版、早川書房)
** 黒魔術を操る不老不死の存在として描かれている。
* 霧の国([[山田正紀]]短編集『地球軍独立戦闘隊』所収、1982年出版、集英社)
** 次々と人間に憑依する思念生命体として登場。
* ドラキュラ紀元([[キム・ニューマン]] 1992年/1995年、創元推理文庫(F2-1-1)ISBN 978-4-488-57601-1)
** 吸血鬼[[ドラキュラ]]と19世紀の虚実の人・吸血鬼キャラクター満載の小説。ドラキュラに支配された英国で吸血鬼娼婦ばかりを狙う殺人鬼「銀ナイフ」ことジャックを、英国諜報部員と美少女吸血鬼が追跡する。
* ルチフェロ([[篠田真由美]]、1995年出版、学習研究社)
** 菫色の瞳を持つ[[パレルモ]]生まれの[[シチリア]]人が怯えるジャックの正体とは。
* ホワイトチャペルの恐怖 シャーロック・ホームズ最大の事件(エドワード・B・ハナ、1992年/1996年 扶桑社ミステリー)
** ホームズものの[[パスティーシュ]]。
* シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック(マイケル・ディブディン、2001年出版、河出書房新書)
** ホームズもののパスティーシュ。
* 血文字GJ―猫子爵冒険譚([[赤城毅]]、2005年出版、ノン・ノベル)
** 1920年代のベルリンで起きた殺人事件。奇怪な連続殺人の犯人の1人として、切り裂きジャックが登場。
* [[BLACK BLOOD BROTHERS]]([[あざの耕平]]、2004年~、[[富士見書房]])
** 凶行に及んだ吸血鬼が切り裂きジャックの正体として登場する。
* [[司書とハサミと短い鉛筆]]
** 本に姿を変えた切り裂きジャックが敵として登場する。
* きらめく刃の輝き([[ベイジル・コッパー]] アンソロジー『ゴーサム・カフェで朝食を』所収、扶桑社ミステリー)
* 一八八八切り裂きジャック([[服部まゆみ]]、角川書店、2002年3月)ISBN 9784041785058
* 時の地図(フェリクス・j・パルマ、宮崎真紀、2010年 ハヤカワ文庫NV)
** 物語の導入部分に切り裂きジャック事件が引用され、被害者たちが実名で登場する。
* わが名は切り裂きジャック([[スティーヴン・ハンター]]、公手成幸、扶桑社ミステリー)
** 若き日の[[ジョージ・バーナード・ショー]]が新聞記者として事件解決に挑む。


エドウッズの遺体発見は、ストライドの遺体発見の45分後に[[シティ・オブ・ロンドン|シティ]]の{{仮リンク|マイター・スクエア|en|Mitre Square}}で発見された。彼女の喉は切り裂かれ、腹部には深く長いギザギザの裂傷が見られ、腸は彼女の右肩にかけられていた。左の腎臓と子宮の大部分が取り除かれていた上、彼女の顔は鼻の切除、頬の切創、さらにそれぞれのまぶたが4分の1インチと5分の1インチにそれぞれ切り裂かれ、醜い相貌となっていた<ref>''Foul Deeds and Suspicious Deaths in London's East End'' {{ISBN|978-1-845-63001-0}} p. 88</ref> 。頬には三角形の切り込みがあり、その頂点はエドウッズの目を指していた<ref>''Jack the Ripper – Through the Mists of Time'' {{ISBN|978-1-782-28168-9}} p. 27</ref>。また、その後の調査の中で、彼女の衣服の中から右耳の耳介と耳たぶの一部が発見された<ref>{{cite web|url=https://www.casebook.org/victims/eddowes.html |title=Catherine Eddowes a.k.a. Kate Kelly |publisher=casebook.org |date=1 January 2010 |access-date=27 April 2020}}</ref>。
=== 映画・ドラマ ===
検死した検死医は、これらの切断について「少なくとも5分はかかったとみられる」と見解を述べた<ref>Medical report in Coroner's Inquests, no. 135, Corporation of London Records, quoted in Evans and Skinner, pp. 205–207 and Fido, pp. 70–74</ref>。
<!-- 19世紀末のロンドンで事件を起こしたジャック本人であると作中で明言されているもののみ記述願います。 -->
*霧の夜の戦慄(1960年製作のイギリス映画。ロバート・ベイカー監督)
*名探偵ホームズ/黒馬車の影(1979年制作のイギリス・カナダ映画。[[クリストファー・プラマー]]主演)
*切り裂きジャック(1988年製作のイギリスのTV映画。[[マイケル・ケイン]]主演)
*ジャック・ザ・リッパー(1999年製作のアメリカ/オーストラリア映画。[[ポール・リス]]主演)
*[[フロム・ヘル]] - アラン・ムーアの漫画を元にした2001年製作の映画。[[ジョニー・デップ]]主演
*[[タイム・アフター・タイム (映画)|タイム・アフター・タイム]] - 切り裂きジャックがタイムマシンで未来に逃走する映画。
*[[宇宙大作戦]](スタートレック) - 「惑星アルギリウスの殺人鬼」に切り裂きジャックの正体とされる異星人が登場。
*[[事件記者コルチャック]] - 「恐怖の切り裂きジャック (THE RIPPER)」 脚本は上記のスタートレックの回と同じく[[ロバート・ブロック]]。
*[[刑事マードックの捜査ファイル]] - シーズン2「ヘビとリンゴ」にて登場。


{{仮リンク|ジョセフ・ラウェンデ|en|Joseph Lawende}}という地元のタバコのセールスマンは、殺人事件があったとみられる直前に2人の友人と共に広場を通りかかった際、みすぼらしい外見の白髪の男と一緒にいる、エドウッズと思われる女性を目撃したと証言している<ref name=lawende/>。
=== 漫画・アニメ ===
しかし、ラウェンデの仲間からは同じ目撃情報を得られなかった<ref name=lawende>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', pp. 193–194; Chief Inspector Swanson's report, {{Nowrap|6 November}} 1888, HO 144/221/A49301C, quoted in Evans and Skinner, pp. 185–188</ref>。
<!-- 19世紀末のロンドンで事件を起こしたジャック本人であると作中で明言されているもののみ記述願います。 -->
この同夜に起こった2件の殺人は「ダブル・イベント」と呼ばれ、知られるようになった<ref>e.g. Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', p. 30; Rumbelow, p. 118</ref><ref>''Ripper Notes: The Legend Continues'' {{ISBN|978-0-978-91122-5}} p. 35</ref>。
<!-- 『黒執事』については原作版の舞台が架空のイギリスのため、「切り裂きジャックをモチーフとする作品」に記述し、アニメ版についての付記を行っています。 -->
<!-- 『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』については舞台が仮想空間内という架空のイギリスのため、「切り裂きジャックをモチーフとする作品」に記述し、アニメ版についての付記を行っています。 -->
*[[フロム・ヘル]] - アラン・ムーア原作、エディ・キャンベル作画によるグラフィック・ノベル。後に映画化。
*[[ファントムブラッド|ジョジョの奇妙な冒険 Part1 ファントムブラッド]] - 素質を見込まれて悪役にスカウトされ、主人公達を襲撃する。
*[[パタリロ!]] - タマネギ部隊(パタリロの部下)によるタイムマシンの誤作動で現代に連れてきてしまった青年が切り裂きジャックだった。彼は女性に身体を売って学費を稼ぐ貧乏な医学生で、女性を嫌悪しつつも現代で平凡に暮らせるかと思っていた。しかしタマネギたちを守るため殺人鬼の心臓を一撃でえぐり取り、自らの正体が発覚した事を受けて過去のロンドンへ戻っていった。
*[[上海妖魔鬼怪]] - 主人公のジャックがジャック・ザ・リッパーその人(妖怪)であるとされている。
*風のシモン([[坂口いく]]、集英社、1991年) - 魔物に魅入られ超能力を持った少年として登場。
*[[黒鷺死体宅配便]] - 外伝『松岡國男妖怪退治』に悪霊となったジャック・ザ・リッパーが登場する。
*[[呪法解禁!!ハイド&クローサー]] - 切り裂きジャックの正体が呪術人形となっている。
*[[GS美神 極楽大作戦!!]] - 斬りつけた相手の精神を乗っ取るという剃刀(霊刀)が登場し、これが切り裂きジャックの「本体」であったかのようなエピソードがある。
*[[ミキストリ (漫画)|ミキストリ]] - 100年以上前から病院の地下に冷凍保存されていた切り裂きジャックの遺体が[[ブードゥー]]の秘術によりバラバラに切断された状態で復活し、再び犯行を繰り返そうとする。ジャックの正体は警官の息子で、父親が犯行に気がついて殺害し、なぜ息子が切り裂きジャックになったのかを調べてもらうために、自分と息子の遺体を後世の研究者のために冷凍保存するよう遺言していた。
*[[ジャバウォッキー (漫画)|ジャバウォッキー]] - 正体はロンドン地下水道に暮らす恐竜人の一人である。連続殺人の動機は憂さ晴らしで、最後は地下にあるメタンガスタンクを爆破してロンドンを燃やそうと企んでいた。当初はその爪からヴェロキラプトルの末裔と思われていたが、真実は彼から爪を奪ったプロトケラトプスの末裔であった。
*[[ノブナガン]] - 本作においては切り裂きジャックの正体は[[フローレンス・ナイチンゲール]]であり、細菌兵器テロを防ぐため、やむを得ず保菌者の娼婦たちを殺害したとしている。
*[[最後のレストラン]] - 32・33話に登場。被疑者7人のうちクリームを除く6人が来店。全員が犯人の集団犯罪としており、主人公達も襲われるが、店に来ていた客2名により撃退される。
*[[エンバーミング (漫画)|エンバーミング]]([[和月伸宏]]、集英社) - フランケンシュタイン(作中では死体から製造された人造人間の総称)が正体であり、「誰の記憶にも残らず消える」ことを恐れ、自分の存在した軌跡を残そうと殺人を繰り返していた。被害者の1人、メアリー・ジェイン・ケリー(本作では「メアリ=ジェーン=ケリー」表記)も死体からフランケンシュタインに蘇生され登場する。
*[[エンマ (漫画)|エンマ]] - 女性という設定で登場。事故で死亡した自分の娘を生き返らせるために女性を殺害し、臓器を集めていた。夫や主人公の警告も無視して殺人を続けようとしたため主人公に殺害され、地獄で裁きを受けることになる。
<!-- 『黒執事』については原作版の舞台が架空のイギリスのため、「切り裂きジャックをモチーフとする作品」に記述し、アニメ版についての付記を行っています。 -->
<!-- 『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』については舞台が仮想空間内という架空のイギリスのため、「切り裂きジャックをモチーフとする作品」に記述し、アニメ版についての付記を行っています。 -->
*[[ブラッククローバー]] - 翠緑の蟷螂団隊長として登場する。
*[[憂国のモリアーティ]]([[竹内良輔]]、[[三好輝]]) - 主人公・ウィリアムらが身を寄せていたロックウェル伯爵家の執事だった人物。自身の名を名乗る事件の犯人を始末するためウィリアムを頼る。事件の犯人は市警と自警団を対立させようとしていた集団ということになっていて、彼らはのちにウィリアムらに殺されている。また、本物のジャックはウィリアムの元で勤めることとなり、事実上ホームズと対立することとなる。 
*[[保留荘の奴ら]] -「J」として登場する
*[[終末のワルキューレ]] - 人類VS神という設定のもと人類側として第四試合にヘラクレスと戦う。一部漫画的空想が含まれるがジャックの幼き日を作者なりに考察している。
*[[ゴールデンカムイ]] - サッポロビール工場内で杉元たちと対決する。


ホワイトチャペルのゴールストン・ストリートにある長屋の入り口にて、午前2時55分にエドウッズの血まみれのエプロンの一部が発見された<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', p. 179</ref>。このエプロンの真上にあたる壁にはチョークで「The Juwes are The men That Will Not Blamed for nothing.」と書かれていた<ref>Eddleston, p. 171</ref>。
=== ゲーム ===
この落書きは後に「[[ゴールストン・ストリートの落書き]]」と名付けられ、知られているものである。このメッセージは一連の殺人事件の犯人が特定のユダヤ人もしくはユダヤ人全般であるように読めた。しかし、これは犯人がわざとエプロンを残して書いたものなのか、それとも事件とはまったく関係がないもの(あるいは便乗した愉快犯的なもの)なのかは不明である<ref>Cook, p. 143; Fido, pp. 47–52; Sugden, p. 254</ref>。
<!-- 19世紀末のロンドンで事件を起こしたジャック本人であると作中で明言されているもののみ記述願います。 -->
このような落書きはホワイトチャペルではありふれたものであった。ただ、{{仮リンク|ロンドン警視庁警視総監|label=警視総監|en|Commissioner of Police of the Metropolis}}の{{仮リンク|チャールズ・ウォーレン|en|Charles Warren}}は、これが反ユダヤ主義者たちの暴動を引き起こすことを懸念し、夜明け前に落書きを消すように命じた<ref>Letter from Charles Warren to Godfrey Lushington, Permanent [[:en:Under-Secretary of State for the Home Department|Under-Secretary of State for the Home Department]], {{Nowrap|6 November}} 1888, HO 144/221/A49301C, quoted in Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 183–184</ref>。
* [[F 〜ファナティック〜]]
** 事件を題材にした[[恋愛アドベンチャーゲーム]]。
* [[ワールドヒーローズ|ワールドヒーローズ2 JET / ワールドヒーローズPERFECT]]
** ADK製対戦格闘ゲーム。プレイヤーキャラクターとして"ジャック(ジャック・ザ・リッパー)"が存在。
* [[ナイトメア・クリーチャーズ]]
** ホラーアクションゲーム。ロンドンが舞台で、ボスキャラクターの1体として登場。日本では[[ソニー・コンピュータエンタテインメント|SCE]]より[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]版が発売されている。
* NIGHTRUTH 〜MARIA〜
** 3つのシナリオのうちの1つに登場。主人公たちがロンドンにタイムスリップして事件に遭遇する。切り裂きジャックの正体は中絶して堕胎された水子の霊たちという設定。
* Sherlock Holmes versus Jack the ripper<ref>[https://web.archive.org/web/20090902164816/http://www.sherlockholmes-thegame.com/en/ Sherlock Holmes]</ref>
** Frogwaresの制作による、シャーロック・ホームズとワトソン博士を主人公とした推理アドベンチャー。フィクションではあるが、犯行日時、事件の時系列性、5人の被害者名など、事実に忠実にストーリーが進む。登場人物も実在した人物が多い。
* [[アサシン クリード シンジケート]]
** [[ダウンロードコンテンツ|DLC]]で追加されるストーリーに登場。ゲーム本編から20年後、ジャックが本編の主人公ジェイコブを追い、ジェイコブが行方不明になったところでジェイコブの双子の姉エヴィーが動き、最終的にはジャックを成敗して終わる。ジャックの正体は不明ながらアサシンのスキルを使用可能であり、ジャックが殺した売春婦はジェイコブが育てたアサシンであるという設定になっている。
* ディバインゲート
** ゲリラボスとして登場。作中では牢獄に捕らえられている最中に覚醒して次々と人を襲っていったという設定になっている。
* Identity V (第五人格)
** ハンターとして登場。ジャックザリッパー自体が霧の街での事件と呼ばれてることもあり霧の刃を飛ばし攻撃する。
ゲーム内では二重人格を持つという設定がある。


11月9日金曜日の午前10時45分、スピタルフィールズのドーセット・ストリートの外れにあるミラーズ・コート13番地の一室で、この部屋の住人であるメアリー・ジェーン・ケリーの遺体が発見された。彼女の身体は広範囲に渡って損壊され、内臓が取り除かれた状態でベッドの上に横たわっていた。その顔は「見分けがつかないほど切り刻まれて」おり<ref>''Foul Deeds and Suspicious Deaths in London's East End'' {{ISBN|978-1-781-59662-3}} p. 95</ref>、喉の切創は背骨にまで至り、腹部にはほとんど内臓が残っていなかった<ref>Holmes, ''Profiling Violent Crimes: An Investigative Tool'', p. 239</ref>。子宮、腎臓、片方の乳房は頭の下に置かれ<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', pp. 292–293</ref>、その他の臓器はベッドの足元に、腹部と大腿部はベッドサイドテーブルに置かれていた。心臓だけが犯行現場から消えていた<ref>Dr. Thomas Bond "notes of examination of body of woman found murdered & mutilated in Dorset Street" MEPO 3/3153 ff. 12–14, quoted in Sugden, pp. 315, 319</ref>。
== 切り裂きジャックをモチーフとする作品・キャラクター ==
<!-- 19世紀末のロンドンで事件を起こしたジャック本人であると作中で明言されていない人物・明らかに別人はこちらに書いてください。ただし、「タイトル/名前で明らか」か「ジャックがモデルであるという検証可能な出典がある」場合のみ記述願います。 -->
=== 切り裂きジャックをモチーフとする小説 ===
<!-- 19世紀末のロンドンで事件を起こしたジャック本人であると作中で明言されていない人物・明らかに別人はこちらに書いてください。ただし、「タイトル/名前で明らか」か「ジャックがモデルであるという検証可能な出典がある」場合のみ記述願います。 -->
*切り裂きジャック・百年の孤独([[島田荘司]]、1988年出版、集英社)百年前のロンドンの事件が甦ったような、現代のベルリンで起きた娼婦連続猟奇殺人。
*切り裂き街のジャック([[菊地秀行]]、1985年出版、早川書房)2105年に1888年のロンドンを再現したイーストエンドにジャックが現れる。
*[[EME (小説)|EME]] - 切り裂きジャックをモチーフにしたジャックを名乗る2人の亜人が敵として登場する。
*[[Fate]] - 「切り裂きジャック」というサーヴァントが二種類登場。
*[[黒い光]]([[赤城毅]]、2011年出版、講談社)短編集「書物輪舞」所収。オカルト書「黒い光」を読んだものが連続殺人鬼になる、という仮説を導入。
*[[問題児たちが異世界から来るそうですよ?]] 落陽、そして墜月([[竜ノ湖太郎]]、2013年出版、角川文庫)
*[[切り裂きジャックの告白]]([[中山七里 (小説家)|中山七里]]、2013年出版、角川書店) - ジャックを名乗る犯人が、事件を彷彿とさせる連続猟奇殺人事件を起こす。


[[File:MaryJaneKelly Ripper 100.jpg|thumb|right|alt=Black and white photograph of an eviscerated human body lying on a bed. The face is mutilated.|1888年11月9日、スピタルフィールズのミラーズコート13番地で発見されたメリー・ジェーン・ケリーの遺体の警察公式写真]]
=== 切り裂きジャックをモチーフとする映画・ドラマ ===
<!-- 19世紀末のロンドンで事件を起こしたジャック本人であると作中で明言されていない人物・明らかに別人はこちらに書いてください。ただし、「タイトル/名前で明らか」か「ジャックがモデルであるという検証可能な出典がある」場合のみ記述願います。 -->
*[[ザ・リッパー (イタリア映画)|ザ・リッパー]] - 1982年制作のイタリア映画、ルチオ・フルチ監督。現代のニューヨークを舞台にしたサスペンスホラー映画。
*[[タイム・アフター・タイム (映画)|タイム・アフター・タイム]] ‐1979年公開のアメリカ映画。[[ニコラス・メイヤー]]監督、[[マルコム・マクダウェル]]主演。『[[タイム・マシン (小説)|タイム・マシン]]』の作者である[[ハーバート・ジョージ・ウェルズ|H・G・ウェルズ]]が実際にタイムマシンを発明していたという設定で20世紀後半の[[サンフランシスコ]]にタイムワープした切り裂きジャックを時空を超えて追跡する[[SF映画]]。
*[[相棒]] - 「平成の切り裂きジャック」の異名を持つ連続殺人犯が登場した。
*[[ホワイトチャペル 終わりなき殺意]] - 2009年2月に全英TVで放映されたサスペンス・ミニシリーズ、全3話。現代のロンドンで切り裂きジャックの犯行をそっくりまねた連続殺人事件が発生。模倣犯と断定した警察は120年前の事件を参考に犯人を追うが、それをあざ笑うかのように犯行は繰り返されてゆく。日本では同年11月にWOWOWにて放映。
*[[クリミナル・マインド FBI行動分析課]] - 第2シーズンの第18話「ニューオーリンズの切り裂きジャック」で、レイプ事件の被害に遭った女性が、逆に警察上層部と犯人の男たちの癒着によりふしだらな女の汚名を着せられてしまう。ただ一人だけ親身に捜査をしてくれた当時の担当刑事に詫びつつも、このレイプ被害者の女性は男たちに復讐すべく殺人に手を染める事件が発生した。
*[[リッパー・ストリート]] - 2012年から2016年にかけて[[BBC]]で放映されたドラマ。主人公は切り裂きジャックを追っていた実在の刑事をモデルにしている。


カノニカル・ファイブと呼ばれる5つのケースの特徴は、いずれも月末から1週間後の週末あるいはそれに近い日の夜に犯行が行われている<ref>e.g. ''Daily Telegraph'', {{Nowrap|10 November}} 1888, quoted in Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 339–340</ref>。
=== 切り裂きジャックをモチーフとする漫画・アニメ ===
一連の殺人事件における遺体の損壊はだんだんと酷くなっていった(ストライドの件のみ犯行を中断した可能性がある)<ref>Macnaghten's notes quoted by Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 584–587; Fido, p. 98</ref>。
<!-- 19世紀末のロンドンで事件を起こしたジャック本人であると作中で明言されていない人物・明らかに別人はこちらに書いてください。ただし、「タイトル/名前で明らか」か「ジャックがモデルであるという検証可能な出典がある」場合のみ記述願います。 -->
最初のニコルズはどの臓器も欠損していなかった。
*[[探偵学園Q]] - 切り裂きジャックを名乗る犯人による殺人事件が起こる。
次のチャップマンは子宮と膀胱、膣の一部が摘出されていた。
*[[黒執事]] - フィクションのイギリスにて切り裂きジャック同様の事件が起き、女王の命令でジャックの件を暴く。ジャックの正体は女医と死神の2人で、死神の鎌〈デスサイズ〉はチェーンソーに酷似したもの。
4番目のエドウッズは子宮と左の腎臓が切除され、顔が切り取られていた。
*[[爆走兄弟レッツ&ゴー!!]] - [[爆走兄弟レッツ&ゴー!!の登場人物#大神軍団|沖田カイ]]登場初期の頃、彼がビークスパイダーで草レース中の[[ミニ四駆|マシン]]を切り刻んでいくことから「切り裂きジャック」と呼ばれていた。
最後のケリーの遺体は、顔は「四方八方から切り刻まれ」、首元の傷は骨にまで達し、心臓だけがこの犯行現場から持ち去られていた<ref>Eddleston, p. 70</ref>。
*[[悪魔のリドル]] - 作中に登場する殺人鬼である武智乙哉には「21世紀の切り裂きジャック」という通称が付けられている。
*[[鋼の錬金術師]] - 作中における錬金術の技法で鎧に魂を定着させた元死刑囚の殺人鬼が登場。
*[[名探偵コナン ベイカー街の亡霊]] - 作品に登場する仮想世界を舞台としたゲーム内で、ジャック・ザ・リッパーの正体を暴き、捕まえることを目的とするシナリオがある。このゲームにおけるジャックの正体は、ゲームの脚本を書いた工藤優作によると「不治の病に侵された貴族」という解釈がなされていたが、ゲームを乗っ取った人工知能ノアズ・アークによって内容が書き換えられ、当初とはまったく異なる設定の女装した男性として登場した。なお、本編にはジャックの子孫に当たる人物が登場している。
*[[プリンセス・プリンシパル]] - 東西分裂後のロンドンにおいて、神経ガスによる共和国寄りの要人を次々と殺害したことから新聞では「毒ガスジャック」と呼ばれていた。正体は王国側の軍人であると主人公たちは推定していたが、直接の特定は困難であったため、別の方法で毒ガスジャックを探し出すことにした。
*[[赤い羊の刻印|伯爵カインシリーズ]] - 主人公でありロンドンに暮らす若き伯爵カインが切り裂きジャック事件に巻き込まれ、婚約者が殺されてしまう。犯人の正体は主人公の敵対組織と関わりがあった。
*[[歌舞伎町シャーロック]] - 切り裂きジャックを名乗る連続女性殺人事件が起こる。
*[[スキップ・ビート!]] - 作中映画TRGIC MARKER で敦賀連が演じる役は、切り裂きジャックの生まれ代わりを名乗るジャック・ダレル。数々の犯行を起こしたジャックは射殺されたが、蘇り悪夢を再来させる、というサスペンスホラー。


歴史的に見て、この5つの殺人事件を同一犯による犯行とみて、また他の事件を排除する考えは、当時の記録に由来する<ref>Cook, p. 151; Woods and Baddeley, p. 85</ref>。
=== 切り裂きジャックをモチーフとするゲーム ===
1894年、ロンドン警視庁の警部補で{{仮リンク|犯罪捜査局 (ロンドン警視庁)|label=犯罪捜査局|en|Criminal Investigation Department}}(CID)の捜査主任であった{{仮リンク|メルヴィル・マクノートン|en|Melville Macnaghten}}卿は「ホワイトチャペルの殺人鬼の犠牲者は5人だった。そう、5人だけであった(the Whitechapel murderer had 5 victims?& 5 victims only)」という報告書を書いた<ref>Macnaghten's notes quoted by Cook, p. 151; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 584–587 and Rumbelow, p. 140</ref>。
==== テレビゲーム ====
同様に、1888年11月10日に監察医の{{仮リンク|トマス・ボンド|en|Thomas Bond (British surgeon)}}がCIDの捜査主任である{{仮リンク|ロバート・アンダーソン|en|Robert Anderson (Scotland Yard official)}}に宛てた手紙の中でも、カノニカル・ファイブの件は共通的なものと言及されていた<ref name=bond/>。
<!-- 19世紀末のロンドンで事件を起こしたジャック本人であると作中で明言されていない人物・明らかに別人はこちらに書いてください。ただし、「タイトル/名前で明らか」か「ジャックがモデルであるという検証可能な出典がある」場合のみ記述願います。 -->
*[[パワーストーン (ゲーム)|パワーストーンシリーズ]] - [[カプコン]]製3D対戦アクションゲーム。名前はそのままジャック。光り物と斬殺を好む包帯姿の殺人鬼のキャラクターのモデルとなっている。
*アニマムンディ 〜終わりなき闇の舞踏〜 - PCのゴシックホラーアドベンチャーゲーム。切り裂きジャックをモデルにした「ウィスラー・ザ・リッパー」が登場する。
*[[メタルギアシリーズ]]
**[[メタルギアソリッド2]] - プラント編の主人公、雷電の本名だが「ジャック」という名前のみで、「ジャック・ザ・リッパー」は、少年兵時代の戦果から付けられたニックネームであり本当の姓は不明である。
**[[メタルギアライジング]] - 本作で登場した雷電の、少年兵時代の精神が覚醒した姿。ゲーム中では性能の強化という形で表現され、ゲーム後半では自らを「ジャックザリッパー」と名乗るようになる。
*[[トキメキファンタジー ラテール]] - 19世紀末イギリスに似た「ミステリーゾーン」と呼ばれる世界で、同様の事件が発生している。ボスキャラとして登場するジャックは片目・首の辺りに黒い包帯のようなものを巻いている女性で、片腕が伸びる。
*[[オペレーション・ダークネス]] - 第二次世界大戦を舞台にした[[シミュレーションRPG]]。人狼や超能力者で編成された英国特殊部隊「ブラッド・パック」の一員として「ジャック・ザ・リッパー」という隊員が登場する。公称28歳。銃剣等を用いた戦闘に優れる。劇中のセリフから彼が本物の切り裂きジャックであることが示唆されるが、第二次大戦時になぜ28歳前後の若者の姿なのかは不明。
*[[ウィル・オ・ウィスプ (ゲーム)|ウィル・オ・ウィスプ]] - 攻略キャラのひとり、ジャックがオーナーのヴィクターの計画のために「切り裂きジャック」と同系の殺人を犯している。ヴィクターの計画とは死んだ娘を生き返らせることで、魂の器として少女を殺害し体の一部を集めていた。
*[[Identity V]] - 霧を利用した能力を持つ、鋭利な手で攻撃するなど切り裂きジャックを思わせる、ハンターの一人であるリッパーが登場する。


研究者の中には、これら事件の何件かは間違いなく同一犯だが、一部はこの犯人とは無関係の別の殺人犯によるものと主張する者もいる<ref>e.g. Cook, pp. 156–159, 199</ref>。
==== ボードゲーム ====
スチュワート・エヴァンス(Stewart P. Evans)と{{仮リンク|ドナルド・ランベロー|en|Donald Rumbelow}}は、カノニカル・ファイブは「切り裂きジャック神話(俗説)」であり、3つの事件(ニコルズ、チャップマン、エドウッズ)は同一犯と断定できるが、ストライドとケリーは同じ犯人によるものか確証がないと指摘している<ref>Evans and Rumbelow, p. 260</ref>。
*ホワイトチャペル - [[ホワイトチャペル]]内で発生した殺人事件の現場から逃走する「ジャック・ザ・リッパー」を逮捕するゲーム
逆にカノニカル・ファイブにタブラムの件を加えた6件を同一犯とみなしている者もいる<ref name="Keppel"/>。
*[[Mr.Jack]] - ホワイトチャペル地区内で逃げている8人の容疑者の中から「ジャック・ザ・リッパー」を探しだし、逮捕するゲーム
病理医{{仮リンク|ジョージ・バグスター・フィリップス|en|George Bagster Phillips}}の助手であるパーシー・クラーク医師は、殺人事件のうち同一犯は3件だけであり、それ以外は「心神耗弱者による模倣犯罪」だと指摘している<ref>Interview in the ''East London Observer'', {{Nowrap|14 May}} 1910, quoted in Cook, pp. 179–180 and Evans and Rumbelow, p. 239</ref>。
マクノートン卿が捜査に加わったのは事件の翌年であり、彼の記録には容疑者についての重大な事実誤認が含まれている<ref>Marriott, Trevor, pp. 231–234; Rumbelow, p. 157</ref>。


=== ホワイトチャペル殺人事件の最後の4件 ===
=== 切り裂きジャックをモチーフとする音楽 ===
一般的にはケリーの事件が切り裂きジャックの最後の犯行と考えられており、犯人の死亡や投獄、収容、あるいは移住などによって一連の犯行が終結したと見なされている<ref name=odnb/>。
<!-- 19世紀末のロンドンで事件を起こしたジャック本人であると作中で明言されていない人物・明らかに別人はこちらに書いてください。ただし、「タイトル/名前で明らか」か「ジャックがモデルであるという検証可能な出典がある」場合のみ記述願います。 -->
しかし、ホワイトチャペル殺人事件としては、カノニカル・ファイブ以降に起こった4件の殺人事件もまた詳細に記録に残されている。これはローズ・マイレット、アリス・マッケンジー、ピンチン・ストリートの胴体(トルソー)、フランシス・コールズの4件である<ref name=begg35/><ref>{{cite web|url=https://www.jack-the-ripper.org/frances-coles.htm |title=Frances Coles: Murdered 13 February 1891|publisher=jack-the-ripper.org |date=2 April 2010 |access-date=4 February 2021}}</ref>。
*[[ジューダス・プリースト]] -「THE RIPPER」(2ndアルバム『[[運命の翼]]』収録)

*[[聖飢魔II]] -「JACK THE RIPPER」(2ndアルバム『[[THE END OF THE CENTURY]]』収録)
1888年12月20日、ポプラのハイ・ストリートにあるクラークズ・ヤードで<ref>''Jack the Ripper: The Forgotten Victims'' {{ISBN|978-1-306-47495-5}} p. 125</ref>、26歳のローズ・マイレット(Rose Mylett)の絞殺死体が発見された<ref>''Alias Jack the Ripper: Beyond the Usual Whitechapel Suspects'' {{ISBN|978-1-476-62973-5}} p. 179</ref>。争った形跡はなく、警察は彼女が酔った勢いで誤って首輪で首を吊ってしまった事故か、自殺のどちらかと推定した<ref name=mylett/>。
*[[B'z]] -「JAP THE RIPPER」 (7thアルバム『[[The 7th Blues]]』収録) 「JACK」と「JAP」をもじったもの。
しかし、首の側面に紐で絞められた跡がかすかに残っていたことから、彼女は何者かに首を絞められた可能性が浮上した<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', p. 314</ref><ref>{{cite web|url=https://www.casebook.org/victims/mylett.html |title= Rose Mylett (1862–1888) |publisher=casebook.org |date=1 January 2010 |access-date=19 April 2020}}</ref>。
*[[BUCK-TICK]] -「"J"」(3rdアルバム『TABOO』収録)
死因審問において陪審員は殺人の評決を下した<ref name=mylett>Evans and Rumbelow, pp. 245–246; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 422–439</ref>。
*[[アルバン・ベルク]] - オペラ「[[ルル (オペラ)|ルル]]」(ロンドンで娼婦となった主人公を殺害する)

*[[リンク・レイ]] - 「Jack The Ripper」
アリス・マッケンジー(Alice McKenzie)は1889年7月17日の真夜中過ぎにホワイトチャペルのキャッスル・アリーで殺害された。彼女の首には2つの刺し傷があり、左頸動脈が切られていた。また、その体にはいくつかの軽い打撲傷や切り傷もあり、左胸からへそにかけて7インチの長く浅い傷があった<ref>{{cite web|url=https://www.casebook.org/victims/mckenzie.html |title= Alice McKenzie a.k.a. "Clay Pipe" Alice, Alice Bryant|publisher=casebook.org |date=1 January 2010 |access-date=26 April 2020}}</ref>。
*Mo'some Tonebender -「Jack The Tripper」(7thアルバム『Super Nice』収録)
検死を担当した病理学者のトマス・ボンドはこれを切り裂きジャックの犯行と推定したが、過去3件の検死を担当していた同僚のジョージ・バグスター・フィリップスは、この見解を否定した<ref>Evans and Rumbelow, pp. 208–209; Rumbelow, p. 131</ref>。
*[[THE BLUE HEARTS]] -「皆殺しのメロディ」(5thアルバム『[[HIGH KICKS]]』収録)
著述家の間でもマッケンジーの殺害犯が捜査の目から自分を逸らすために切り裂きジャックの仕業に見せかけたという意見と<ref>Evans and Rumbelow, p. 209</ref>、これも切り裂きジャックの犯行だとする意見に分かれている<ref>Marriott, Trevor, p. 195</ref>。
*[[The White Stripes]] -「Jack The Ripper」

*[[The Horrors]] - 「Jack The Ripper」
「ピンチン・ストリートの胴体(トルソー)」(The Pinchin Street torso)と呼ばれる身元不明の女性遺体がピンチン・ストリートの鉄道橋の下で発見されたのは1889年9月10日のことであった。これは頭と脚がない腐乱死体で年齢は30歳から40歳と推定された<ref>Eddleston, p. 129</ref>。
*[[アンド(ヴィジュアル系バンド)]]-「Jack the Ripper」
被害者の背中、腰、腕といった広範囲に死の直前に激しい殴打を受けたことを示す痣が見られた。腹部も大きく切り刻まれていたが、性器には損傷が見られなかった<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', p. 316</ref>。
*[[THE PRIVATES]] - 切り裂きジャック(1991年6月7日)
被害者は死体発見の約1日前に殺害されたとみられ<ref>''The Thames Torso Murders of Victorian London'' {{ISBN|978-1-476-61665-0}} p. 159</ref>、バラバラにされた遺体は、古いシュミーズの下に隠して鉄道橋に運ばれたと推測されている<ref>Evans and Rumbelow, p. 210; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 480–515</ref>。
*[[sasakure.UK]] -「Jack-the-Ripper◆」

*Northern Cross-「Jack the Ripper (feat.GUMI)」
[[File:Frances Coles 1891.jpg|180px|thumb|right|フランシス・コールズは1891年2月13日、ホワイトチャペルの鉄道橋の下で喉を切られた状態で発見された<ref>Fido, p. 113; Evans and Skinner (2000), pp. 551–557</ref>。]]
*Liz Triangle - 「ネガポジ」

*[[じょるじん【暗黒童話P】]] - 「アカシックルーレット」(ジャックが死体で発見され恋人がその人物について警察に話をする)
1891年2月13日午前2時15分、アーネスト・トンプソン刑事は、ホワイトチャペルのスワロー・ガーデンズの鉄道橋の下でフランシス・コールズ(Frances Coles)という25歳の売春婦が倒れているのを発見した。
彼女の喉は深く切られていたが、身体には傷がなく、これは犯人がトンプソンに気づいて犯行途中で逃げたという意見もある。発見時、彼女はまだ息があったが、治療を受ける前に亡くなった<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', p. 317</ref>。
53歳の機関車の機関員{{仮リンク|ジェームス・トマス・サドラー|en|James Thomas Sadler}}が、コールズと一緒に飲んでいるところを目撃されており、彼女の死の約3時間前に二人が口論していたことが判明していた。このため、サドラーは逮捕され、コールズ殺害の容疑で起訴された。一時は彼が切り裂きジャックだと思われたが<ref name=coles/>、結局は、証拠不十分で1891年3月3日に釈放された<ref name=coles>Evans and Rumbelow, pp. 218–222; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 551–568</ref>。

=== その他の被害者とみなされているケース ===
ホワイトチャペルで起こった11件の殺人事件に加えて、論評家によって切り裂きジャックに関連付けられた他の襲撃事件もある。「フェアリー・フェイ(Fairy Fay)」のケースの場合、この事件が実際にあったものなのか、ジャックの伝説として創作されたものなのか不明である<ref name="Hunted">Evans, Stewart P.; Connell, Nicholas (2000). ''The Man Who Hunted Jack the Ripper''. {{ISBN|1-902791-05-3}}</ref>
この事件は1887年12月26日<ref>{{cite web|url=https://www.casebook.org/dissertations/importance-fairy.html |title=The Importance of Fairy Fay, and Her Link to Emma Smith |publisher=casebook.org |date=1 January 2010 |access-date=25 April 2020}}</ref>にコマーシャル・ロード近くの戸口で「腹部に杭が突き刺さった」女性の死体が見つかったとされるもので<ref>Fido, p. 15</ref><ref>The name "Fairy Fay" was first used by Terrence Robinson in ''[[:en:Reynold's News|Reynold's News]]'', {{Nowrap|29 October}} 1950, "for want of a better name".</ref>、被害者は身元不明のため、フェアリー・フェイと名付けられた<ref name="TheFacts"/>。ところが、1887年のクリスマス前後にホワイトチャペルで記録された殺人事件はなかった<ref>Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 3</ref>。この事件は、鈍器が膣に突き刺されていたエマ・エリザベス・スミスの一件の報道と混同されて生まれたものと推測されており<ref>Sugden pp. 5–6</ref>、今日においてはフェアリー・フェイは実在しないという識者たちの見解で一致している<ref name="Hunted" /><ref name="TheFacts">Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', pp. 21–25</ref>。

アニー・ミルウッド(Annie Millwood)という名の38歳の未亡人は、1888年2月25日<ref>''The Eastern Post and City Chronicle'', 7 April 1888</ref>に脚と下腹部に多数の刺し傷を負ってホワイトチャペルのワークハウス診療所に運び込まれ、見知らぬ男に留め金式ナイフで襲われたと職員に告げた<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', p. 26</ref>。その後、彼女は退院したが3月31日に自然死している<ref name="TheFacts" />。
ミルウッドの事件は、後に最初の切り裂き魔の犯行と仮定されたが、実際のところ明確な関連性を示すものはない<ref>Beadle, William (2009), ''Jack the Ripper: Unmasked'', London: John Blake, {{ISBN|978-1-84454-688-6}}, p. 75</ref>。

また、カノニカル・ファイブ以前のもので他にも切り裂きジャックの犯行として疑われているものとして1888年3月28日にボウの自宅の玄関先で、留め金式ナイフ<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', p. 27</ref>で首を2回刺されるも一命を取り留めた若い女性服飾家<ref>Beadle, p. 77; Fido, p. 16</ref>のエイダ・ウィルソン(Ada Wilson)の一件がある<ref>e.g. ''East London Advertiser'', {{Nowrap|31 March}} 1888</ref>。
さらに他の例として1888年11月21日に、マーサ・タブラムと同じ下宿に住んでいた<ref>Beadle, p. 207</ref>アニー・ファーマー(Annie Farmer)が襲われた一件があり、これも切り裂きジャックの犯行と疑われているものである。彼女は喉を切られており、2人の目撃者によればファーマーの悲鳴の直前に口と手に血が付いた見知らぬ男が下宿から飛び出し、「彼女のやったことを見ろ!」と叫んでいたという<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', pp. 311–312</ref>。ただ、この彼女の一件は、おそらく彼女自身の自傷行為と疑われている<ref>Beadle, p. 207; Evans and Rumbelow, p. 202; Fido, p. 100</ref>。

1888年10月2日、ホワイトホールに建設中のスコットランドヤードの新庁舎の土地から頭のない女性の胴体が発見され、「{{仮リンク|ホワイトホール・ミステリー|en|Whitehall Mystery}}」と呼ばれる事件があった。遺体の腕と肩は9月11日にピムリコ近くのテムズ川に浮かんでいるのが発見されていたが、その後、10月17日には胴体の発見場所近くで左足が埋められているのも発見された<ref>Evans and Rumbelow, pp. 142–144</ref>。
頭部や他の手足は見つからず、遺体の身元も不明のままに終わった。これは脚と頭部が切断され、腕はそのままであった「ピンチン・ストリートの胴体」事件と類似していた(ただし、ピンチン・ストリートの場合は腕は切断されていなかった)<ref>{{cite web |title=Scotland Yard is Built on a Crime Scene Related to an Unsolved Murder: The Whitehall Mystery |url=https://www.thevintagenews.com/2016/10/29/scotland-yard-is-built-on-a-crime-scene-related-to-an-unsolved-murder-the-whitehall-mystery/ |website=The Vintage News |access-date=19 April 2020 |date=29 October 2016}}</ref>。

[[File:Whitehall murder school illustration.jpg|thumb|right|alt=Drawing of three men discovering the torso of a woman|1888年10月の「{{仮リンク|ホワイトホール・ミステリー|en|Whitehall Mystery}}」]]

「ホワイトホール・ミステリー」は「ピンチン・ストリートの胴体(トルソー)」と共に「{{仮リンク|テムズ川トルソー殺人事件|label=トルソー・キラー|en|Thames Torso Murders}}」と呼ばれる単独の連続殺人鬼によって行われた「テムズ・ミステリー」と呼ばれる一連の殺人事件の一部であった可能性がある<ref name=gordon/>。切り裂きジャックとトルソー・キラーが同一人物なのか、たまたま同じ地域で活動していただけの別人物なのかは議論の余地がある<ref name=gordon>Gordon, R. Michael (2002), ''The Thames Torso Murders of Victorian London'', Jefferson, North Carolina: McFarland & Company, {{ISBN|978-0-7864-1348-5}}</ref>。
トルソー・キラーの「手口」は切り裂きジャックとは明らかに異なり、当時の警察は両者の関係性を否定していた<ref>Evans and Rumbelow, pp. 210–213</ref>。
この連続殺人事件は4件が同一犯と推定されているが、被害者の身元が判明したのはエリザベス・ジャクソン1人だけである。彼女はチェルシー出身の24歳の売春婦で、1889年5月31日から6月25日までの3週間の間にテムズ川で、様々な身体の部位が発見された<ref>{{cite web|url=https://www.casebook.org/victims/ejackson.html |title=Elizabeth Jackson |publisher=casebook.org |date=2 April 2004 |access-date=27 January 2021}}</ref><ref>Gordon, R. Michael (2003), ''The American Murders of Jack the Ripper'', Santa Barbara, California: Greenwood Publishing, {{ISBN|978-0-275-98155-6}}, pp. xxii, 190</ref>。

1888年12月29日、ブラッドフォード州マニンガムの馬小屋で、ジョン・ギル(John Gill)という7歳の少年の遺体が発見された<ref>{{cite news|title=Unsettling Tale of Murder in Victorian Bradford|url=https://www.thetelegraphandargus.co.uk/news/15601386.unsettling-tale-of-murder-in-victorian-bradford/|access-date=8 May 2020|work=Telegraph and Argus|date=21 November 2017}}</ref>。
少年は12月27日から行方不明になっており、遺体は足が切断され、開腹及び腸の一部と心臓が抜き取られ、片耳も切除されていた。その犯行の類似性から、メディアでは切り裂きジャックによる犯行ではないかと憶測に基づく報道がなされた<ref name=gill/>。
少年の雇い主であった23歳の牛乳配達人ウィリアム・バレット(William Barrett)は、殺人容疑で2度逮捕されたものの、証拠不十分で釈放された<ref name=gill/>。この事件では誰も起訴はされなかった<ref name=gill>Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', p. 136</ref>。

1891年4月24日にニューヨークにおいて、{{仮リンク|キャリー・ブラウン|en|Carrie Brown (murder victim)}}という女性が衣服で首を絞められた後、ナイフで切り刻まれ殺された。彼女の遺体は鼠径部を通して大きな裂傷と足や背中の表面に切り傷がある状態で発見された<ref name=brown/>。
現場から臓器は持ち去られてはいなかったが、ベッドの上に卵巣があり、これは意図的に摘出されたのか、意図せず傷口より出てきてしまったのか不明である<ref name=brown/>。
当時、この事件はホワイトチャペルで起きた事件と比較されたが、警視庁は最終的にいかなる関係も無いと否定した<ref name=brown>Vanderlinden, Wolf (2003–04). "The New York Affair", in ''Ripper Notes'' part one No. 16 (July 2003); part two No. 17 (January 2004), part three No. 19 (July 2004 {{ISBN|0-9759129-0-9}})</ref>。

== 捜査 ==
[[File:F.G.Abberline.jpg|thumb|upright|alt=Sketch of a whiskered man|[[フレデリック・アバーライン]]捜査官]]

ホワイトチャペル殺人事件に関するロンドン警視庁の捜査記録の大半は、第二次世界大戦の[[ザ・ブリッツ|ロンドン大空襲]]によって失われた<ref>{{cite web|url=https://www.casebook.org/intro.html |title=Home: Introduction to the Case |publisher=casebook.org |date=1 January 2010 |access-date=16 April 2020}}</ref>。現存する記録ではヴィクトリア朝時代に行われた捜査方法を詳細に知ることができる<ref name=canter12/>。
大規模な捜査チームが組織されてホワイトチャペル中の家々への聞き取り調査が行われ、また、法医学的証拠の採取や調査も行われた。容疑者の特定や追跡の上、さらに詳しく調べられたり、あるいは捜査対象から外されたりした。これは現代の警察の捜査でも同じである<ref name=canter12>[[:en:David Canter|Canter, David]] (1994), ''Criminal Shadows: Inside the Mind of the Serial Killer'', London: HarperCollins, pp. 12–13, {{ISBN|0-00-255215-9}}</ref>。
2000人以上が事情聴取され、「300人以上」が捜査線上に上がり、80人が拘束された<ref>Inspector [[:en:Donald Swanson|Donald Swanson]]'s report to the Home Office, {{Nowrap|19 October}} 1888, HO 144/221/A49301C, quoted in Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 205; Evans and Rumbelow, p. 113; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 125</ref>。
ストライドとエドウッズの事件後には、市警本部長の{{仮リンク|ジェームズ・フレイザー|en|James Fraser (police officer)}}卿が、切り裂きジャックを逮捕した場合、賞金500ポンドを出すことを公示した<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', p. 184</ref>。

捜査は当初、{{仮リンク|エドモンド・リード|en|Edmund Reid}}警部が率いる警視庁ホワイトチャペル支部の犯罪捜査局(Criminal Investigation Department、CID)が担当した。ニコルズ殺しの後にはスコットランドヤード中央局から、[[フレデリック・アバーライン]]、{{仮リンク|ヘンリー・ムーア|en|Henry Moore (police officer)}}、{{仮リンク|ウォルター・アンドリューズ|en|Walter Simon Andrews}}の各警部が派遣された。シティで起こったエドウッズ殺しの後は、ジェームズ・マクウィリアム(James McWilliam)警部の指揮下で、ロンドン市警も捜査にあたった<ref>{{citation |url=http://www.met.police.uk/history/ripper.htm |title=The Enduring Mystery of Jack the Ripper |publisher=London Metropolitan Police |access-date=31 January 2010 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20100204014147/http://www.met.police.uk/history/ripper.htm |archive-date=4 February 2010 }}</ref>。
捜査全体の方針は、チャップマン、ストライド、エドウッズ殺しがあった9月7日から10月6日の間に、CIDの捜査主任{{仮リンク|ロバート・アンダーソン|en|Robert Anderson (Scotland Yard official)}}が、スイスで休暇中であったために、決められなかった<ref>Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 675</ref>。
このため、警視総監チャールズ・ウォーレン卿は、ロンドン警視庁からの捜査の調整役として、{{仮リンク|ドナルド・スワンソン|en|Donald Swanson}}主任警部を任命した<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 205; Evans and Rumbelow, pp. 84–85</ref>。

[[File:Ripper cartoon punch.jpg|thumb|right|alt=Drawing of a blind-folded policeman with arms outstretched in the midst of a bunch of ragamuffin ruffians|「Blind man's buff([[目隠し鬼]])」『[[パンチ (雑誌)|パンチ]]』に掲載された[[ジョン・テニエル]]による無能な警察に対する風刺画(1888年9月22日)。犯人を逮捕できなかったことは急進派が抱いていた警察が無能で管理不足という認識を強めた<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 57</ref>。]]

肉屋や屠殺業者、あるいは外科医や内科医が疑われたのは、遺体の切断方法からであった。市警本部長代理のヘンリー・スミス少佐が残した記録によれば、地元の肉屋と屠殺業者のアリバイを調べたが、結果として彼らは捜査対象から外されることになったという<ref>Rumbelow, p. 274</ref>。
スワンソン警部が内務省に提出した報告書によれば、76軒の肉屋と屠殺業者を訪問し、過去6ヵ月間の全従業員を調査したことが確認されている<ref>Inspector Donald Swanson's report to the [[Home Office]], {{Nowrap|19 October}} 1888, HO 144/221/A49301C, quoted in Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 206 and Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 125</ref>。
[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]をはじめとする当時の著名人の中には、事件のパターンから、犯人は肉屋もしくはロンドンとヨーロッパ大陸を往来する家畜運搬船の仲買人ではないかと推測する者もいた。ホワイトチャペルはロンドンドックに近く<ref>Marriott, John, "The Imaginative Geography of the Whitechapel murders", in Werner, p. 48</ref>、そうした船は木曜か金曜に停泊し、土日に出航するのが一般的であった<ref>Rumbelow, p. 93; ''Daily Telegraph'', {{Nowrap|10 November}} 1888, quoted in Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 341</ref>。
船の運航記録が調査されたが、殺人事件の日付と一致するものは一隻もなく、また、乗員が船を乗り換えている可能性も否定された<ref>Robert Anderson to Home Office, {{Nowrap|10 January}} 1889, 144/221/A49301C ff. 235–6, quoted in Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 399</ref>。

当時の矛盾や信頼性の低い証言に加えて、例えば現存する手紙のDNA鑑定から結論が出ていないように、犯人を特定する試みは、法医学的な証拠の欠如によってできていない<ref>Cook, p. 31</ref>。入手可能な証拠物は何度も調査がなされたがゆえに汚染されており<ref>Meikle, p. 197; Rumbelow, p. 246</ref>、意味のある結果が得られる状態にない<ref>Marks, Kathy ({{Nowrap|18 May}} 2006). [https://www.independent.co.uk/news/science/was-jack-the-ripper-a-woman-478597.html "Was Jack the Ripper a Woman?"] ''[[The Independent]]'', retrieved {{Nowrap|5 May}} 2009</ref>。DNA鑑定の結果が2人の異なる容疑者を決定的に示しているという矛盾した結論もあり、両者の調査方法も批判されている<ref>{{citation|url=https://www.independent.co.uk/news/science/has-jack-the-rippers-identity-really-been-revealed-using-dna-evidence-9717036.html|title=Jack the Ripper: Has notorious serial killer's identity been revealed by new DNA evidence?|author=Connor, Steve|date=7 September 2014|work=The Independent}}</ref>。

=== ホワイトチャペル自警団 ===
1888年9月、ロンドンのイーストエンドの市民有志のグループが「{{仮リンク|ホワイトチャペル自警団|en|Whitechapel Vigilance Committee}}」を結成した。彼らは不審な人物を探して通りのパトロールを行ったが、これは警察が犯人を逮捕できなかったことへの不満や、殺人事件が地域のビジネスに影響を与えていることを懸念したことも理由の一つであった<ref>''Jack the Ripper – Through the Mists of Time'' {{ISBN|978-1-782-28168-9}} p. 22</ref>。自警団は犯人逮捕につながる情報に対して50ポンドの報奨金を出すよう政府に請願し<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Facts'', p. 128</ref>、また私立探偵を雇って独自に目撃者への質問も行っていた<ref>e.g. Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 245–252</ref>。

=== プロファイリング ===
10月末、ロバート・アンダーソンは監察医のトマス・ボンドに、犯人の外科技術や知識の程度について意見を求めた<ref>Evans and Rumbelow, pp. 186–187; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 359–360</ref>。ここでボンドが報告したホワイトチャペルの殺人者に関する私見は、現存する最古の[[プロファイリング]]である<ref name=canter5>Canter, pp. 5–6</ref>。ボンドの推測はカノニカル・ファイブの内、彼自身が行なった最も広範囲に切創が見られた5件目の被害者の検死記録と、それ以前に起こった4件の検死記録に基づく<ref name=bond>Letter from Thomas Bond to Robert Anderson, {{Nowrap|10 November}} 1888, HO 144/221/A49301C, quoted in Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 360–362 and Rumbelow, pp. 145–147</ref>。

{{Quotation|
この5つの殺人事件はすべて同一犯によるものであろう。最初の4つの事件では、喉を左から右に切られており、直近の事件では広範囲にわたる切創のためにどれが致命傷となったものかはわからないが、動脈からの血液は彼女の頭があったであろう場所の近くの壁に飛び散っていたことがわかる。

以上の事件現場の状況から、女性は殺害時に横になっていたに違いなく、どの場合も最初に喉を切られたと推測される<ref name=bond/>。
|}}

ボンドは、殺人者が様々科学に基づく解剖知識を持つ者、あるいは「肉屋ないし馬の屠殺技術」を持つ者という可能性すらも強く反対を示した<ref name=bond/>。彼は殺人者は「殺人的で性的な躁病の周期的な発作」に見舞われており、身体を切除する特徴は「[[色情症|サティリアジス]]」を示している可能性があると意見を述べた<ref name=bond/>。ボンドはまた「殺人衝動は復讐心や陰鬱な精神状態から発展したものかもしれないし、宗教的な躁病が元々の病気だった可能性もあるが、私はどちらの仮説もありえないと思う」と述べている<ref name=bond/>。

犯人が被害者と性行為に及んだという証拠はいずれの場合もないが<ref name="Keppel"/><ref>Woods and Baddeley, p. 38</ref>、心理学者の推測ではナイフで被害者を傷つけ「傷口が露出した性的貶めるような体位で放置した」ことは、攻撃に性的興奮を感じていたのではないかとしている<ref name="Keppel"/><ref>See also later contemporary editions of [[リヒャルト・フォン・クラフト=エビング|Richard von Krafft-Ebing]]'s ''Psychopathia Sexualis'', quoted in Woods and Baddeley, p. 111</ref>。しかし、このような仮説を否定する見解もある<ref>Evans and Rumbelow, pp. 187–188, 261; Woods and Baddeley, pp. 121–122</ref>。

== 容疑者たち ==
{{Main|切り裂きジャックと疑われた者たち}}

[[File:JacktheRipperPuck.jpg|thumb||upright|alt=Cartoon of a man holding a bloody knife looking contemptuously at a display of half-a-dozen supposed and dissimilar likenesses|切り裂きジャックの正体に関する憶測。1889年9月21日発行の『{{仮リンク|パック (雑誌)|label=パック|en|Puck (magazine)}}』誌の表紙。{{仮リンク|ウィリアム・メチャム|label=トム・メリー|en|William Mecham}}作。]]

犯行は週末または祝日に集中し、また狭い範囲で行われていることから、切り裂きジャックは定職についていた地元の人間ではないかと一般に推測されている<ref>Marriott, Trevor, p. 205; Rumbelow, p. 263; Sugden, p. 266</ref>。
その一方で、教育を受けた上流階級の男、おそらく医者か貴族で、より裕福な地域からホワイトチャペルにやってきて、犯行に及んでいたのではないかとする説もある<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 43</ref>。
後者の説の背景には、医療従事者への恐怖心、近代科学への不信感、富裕層による貧困層の搾取といった文化的な認識があった<ref>Woods and Baddeley, pp. 111–114</ref>。
事件から数年後に提起された容疑者の中には、当時の資料から事件に関与していると思われる人物や、イギリス王室関係者<ref>{{cite web|url=https://www.history.com/news/who-was-jack-the-ripper-6-tantalizing-theories |title=7 People Suspected of Being Jack the Ripper |publisher=history.com |date=16 July 2015 |access-date=14 October 2020}}</ref>、芸術家、医者など、警察の捜査では対象外であった多くの著名人が含まれていた<ref>{{cite web|url=https://www.britannica.com/biography/Sir-William-Withey-Gull-1st-Baronet |title=Sir William Withey Gull, 1st Baronet: English Physician|publisher=britannica.com |date=25 January 2020 |access-date=17 October 2020}}</ref>。
当時の人々は既に亡くなっているため、現代の著述家は犯人が誰であっても「歴史的な裏付けを必要とせず」犯人候補として挙げることができる<ref>Evans and Rumbelow, p. 261</ref>。
当時の警察の捜査記録において名指しされている容疑者の中には、1894年のメルヴィル・マクノートン卿のメモにある3人(ドルイット、コスミンスキー、オスログ)も含まれているが、これらの人物を犯人とする根拠は、せいぜい状況証拠でしかない<ref>e.g. [[フレデリック・アバーライン]] in the ''[[:en:The Pall Mall Gazette|Pall Mall Gazette]]'', {{Nowrap|31 March}} 1903, quoted in Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 264</ref>。

切り裂きジャックの正体や職業については様々な説があるが、当局が認めたものは何もなく、名前が挙がった容疑者の数は100人以上に達する<ref name=whiteway>Whiteway, Ken (2004). "A Guide to the Literature of Jack the Ripper", ''Canadian Law Library Review'', vol. 29 pp. 219–229</ref><ref>Eddleston, pp. 195–244</ref>。
この事件に対する興味は現代にもなお続いているにも拘わらず、ジャックの正体は不明のままである<ref>Whittington-Egan, pp. 91–92</ref>。
切り裂きジャックの事件を研究・分析する「リッパー学(ripperology)」という言葉すら生まれ、この殺人事件は数多くの創作物にも影響を与えている。

== 犯人を名乗る者からの手紙 ==
ホワイトチャペル殺人事件が起こっている間、警察や新聞社、その他の個人宛てなどで、何百通もの手紙が送られてきた<ref>{{仮リンク|ドナルド・マコーミック|en|Donald McCormick}} estimated "probably at least 2000" (quoted in Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', p. 180). The ''Illustrated Police News'' of 20 October 1888 said that around 700 letters had been investigated by police (quoted in Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', p. 199). Over 300 are preserved at the Corporation of London Records Office (Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', p. 149).</ref>。
犯人を名乗る者以外にも、犯人を捕まえるためのアドバイスなど善意からのものもあったが、大半はデマであったり、役に立たないものばかりであった<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 165; Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', p. 105; Rumbelow, pp. 105–116</ref>。

犯人自身が書いたと主張する数百通の手紙の中で<ref>Over 200 are preserved at the Public Record Office (Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', pp. 8, 180).</ref>、特に注目されるのが{{仮リンク|「親愛なるボスへ」の手紙|label=「親愛なるボスへ(Dear Boss)」の手紙|en|Dear Boss letter}}、{{仮リンク|「生意気なジャッキー」のはがき|label=「生意気なジャッキー(Saucy Jacky)」のはがき|en|Saucy Jacky postcard}}、{{仮リンク|「地獄より」の手紙|label=「地獄より(From Hell)」の手紙|en|From Hell letter}}の3つである<ref>Fido, pp. 6–10; Marriott, Trevor, pp. 219 ff.</ref>。

今日に「親愛なるボスへ(Dear Boss)」と知られる手紙は、1888年9月27日の消印が押され、9月25日にセントラル・ニュース・エージェンシーに届き、9月29日にスコットランドヤードに転送された<ref>Cook, pp. 76–77; Evans and Rumbelow, p. 137; Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', pp. 16–18; Woods and Baddeley, pp. 48–49</ref>。
当初はいたずらと考えられていたが、手紙の消印の3日後にエドウッズが片方の耳の一部を斜めに切り取られた状態で発見されたことから、手紙にあった「女性{{refn|group="注釈"|原文は「ladys」でスペルミス。}}の耳を切り取る」という予告が注目されるようになった<ref>Cook, pp. 78–79; Marriott, Trevor, p. 221</ref>。
ただ、彼女の耳の傷は犯行中に偶発的につけられたものと推測され、耳を警察に送るという手紙の予告は実行されなかった<ref>Cook, p. 79; Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', p. 179; Marriott, Trevor, p. 221</ref>。
「切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)」という名前は、この手紙の主が始めて使ったものであり、以降、この名が世界的に知られるようになった<ref>Cook, pp. 77–78; Evans and Rumbelow, p. 140; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 193; Fido, p. 7</ref>。
その後の当局やメディアに対して送られた手紙の多くは、この文体を真似たものであった<ref>Cook, p. 87; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 652</ref>。
なお、1888年9月17日付の別の手紙が「切り裂きジャック」という名前を初めて使ったとする資料もあるが<ref>Eddleston, p. 155; Marriott, Trevor, p. 223</ref>、専門家の間では、これは20世紀になって警察の記録に挿入された偽物であるとの見方が強い<ref>Marriott, Trevor, p. 223</ref>。

[[File:FromHellLetter.jpg|thumb|upright|alt=Scrawled and misspelled note reading: From hell—Mr Lusk—Sir I send you half the kidne I took from one woman prasarved it for you tother piece I fried and ate it was very nise I may send you the bloody knif that took it out if you only wate a whil longer—Signed Catch me when you can Mishter Lusk|{{仮リンク|「地獄より」の手紙|en|From Hell letter}}]]

「生意気なジャッキー(Saucy Jacky)」のはがきは、1888年10月1日の消印で、同日にセントラル・ニュース・エージェンシーに届いたという。筆跡は「親愛なるボスへ」の手紙と似ており<ref>Marriott, Trevor, pp. 219–222</ref>、「今回はダブルイベント」として、9月30日の事件(ストライドとエドウッズ殺し)に言及していた<ref name=saucy/>。
このはがきは、事件が公的に発表される前に投函されたものであったため、ただの愉快犯では知りえない情報があったと指摘されている<ref>e.g. Cullen, Tom (1965), ''Autumn of Terror'', London: The Bodley Head, p. 103</ref>。
しかし、実際には、このはがきの消印は事件の発生から24時間以上経過した後のものであり、殺人事件の詳細はメディアに報道されており、地元ホワイトチャペルの住民たちも、この事件について話し合っていた後のものであった<ref name=saucy>Cook, pp. 79–80; Fido, pp. 8–9; Marriott, Trevor, pp. 219–222; Rumbelow, p. 123</ref><ref>Sugden p.269</ref>。

「地獄より(From Hell)」の手紙は、1888年10月16日にホワイトチャペル自警団のリーダーである{{仮リンク|ジョージ・ラスク|en|George Lusk}}が受け取ったものであった。この手紙は「親愛なるボスへ」や「生意気なジャッキー」とは筆跡や文体が異なる<ref name=hell/>。
この手紙には小さな箱が伴われており、中を確認したラスクは、「ワインの蒸留酒」(エタノール)で保存された人間の腎臓の半分を発見した<ref name=hell>Evans and Rumbelow, p. 170; Fido, pp. 78–80</ref>。
被害者たちの中でエドウッズは左の腎臓が犯人によって持ち去られていた。手紙の主は、持ち去った腎臓の半分は「揚げて食べた」と述べていた。この腎臓をめぐっては意見が分かれている。
これが実際にエドウッズのものと主張する者もいれば、不気味な悪ふざけだと見なす者もいる<ref>{{Citation |url=http://content.met.police.uk/Article/The-Hype-and-the-Press-Speculation/1400015323758/1400015323758|title=The Hype and the Press Speculation|publisher=London Metropolitan Police|access-date=1 October 2014}}</ref><ref>{{citation|last1=Wolf|first1=Gunter|title=A kidney from hell? A nephrological view of the Whitechapel murders in 1888|journal=Nephrology Dialysis Transplantation|volume=23|issue=10|year=2008|pages=3343–3349|doi=10.1093/ndt/gfn198|pmid=18408073|doi-access=free}}</ref>。
腎臓はロンドン病院の{{仮リンク|トーマス・オープンショー|en|Thomas Horrocks Openshaw}}医師によって検査され、人間のものであり、左の腎臓だと判断されたが、(新聞の誤った報道に反して)他の生物学的特徴は特定できなかった<ref>Cook, p. 146; Fido, p. 78</ref>。
その後、オープンショー医師は切り裂きジャックを名乗る者からの手紙を受け取っている<ref>[http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/1286183.stm Jack the Ripper 'Letter' Made Public], BBC, {{Nowrap|19 April}} 2001, retrieved {{Nowrap|2 January}} 2010</ref>。

ロンドン警視庁は10月3日に「親愛なるボスへ」の手紙を複製したものを公開し、その筆跡から有力情報の提供が得られることを期待した<ref>Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', pp. 32–33</ref>。
チャールズ・ウォーレンは、[[内務省 (イギリス)|内務省]]の常任次官である{{仮リンク|ゴッドフリー・ルシントン|en|Godfrey Lushington}}への手紙の中で「私はすべてデマだと思っているが、当然のことだが、いずれにしても作者を見つけだす必要がある」と説明していた<ref>Letter from Charles Warren to Godfrey Lushington, {{Nowrap|10 October}} 1888, Metropolitan Police Archive MEPO 1/48, quoted in Cook, p. 78; Evans and Rumbelow, p. 140 and Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', p. 43</ref>。
1888年10月7日、日曜紙「レフェリー」の{{仮リンク|ジョージ・ロバート・シムズ|label=ジョージ・R・シムズ|en|George Robert Sims}}は、この手紙は「新聞の発行部数を大きく増やすために」記者が捏造したものだと痛烈に批判した<ref>Quoted in Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', pp. 41, 52 and Woods and Baddeley, p. 54</ref>。
後に警察当局は、「親愛なるボスへ」と「生意気なジャッキー」の作成者は、特定の記者だと発表した<ref>Cook, pp. 94–95; Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters From Hell'', pp. 45–48; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', pp. 624–633; Marriott, Trevor, pp. 219–222; Rumbelow, pp. 121–122</ref>。
1913年9月23日、{{仮リンク|ジョン・リトルチャイルド|en|John Littlechild}}主任警部がジョージ・R・シムズに宛てた手紙の中で捏造を行った記者はトム・ブーリンと特定されていた<ref>Quoted in Cook, pp. 96–97; Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', p. 49; Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 193; and Marriott, Trevor, p. 254</ref>。
また、1931年にフレッド・ベストという記者がスター紙の同僚と共に、事件への関心を高め、「ビジネスを継続するため」に切り裂きジャックと署名した手紙を書いたと告白している<ref>Professor Francis E. Camps, August 1966, "More on Jack the Ripper", ''Crime and Detection'', quoted in Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', pp. 51–52</ref>。

== メディア ==
[[File:The Penny Illustrated Paper - September 8, 1888 - Jack the Ripper.jpg|180px|thumb|1888年9月8日付の{{仮リンク|ペニー・イラストレイテッド・ペーパー|en|Penny Illustrated Paper}}の挿絵。メアリー・アン・ニコルズの遺体が発見されたことが描かれている。]]

切り裂きジャック事件は、ジャーナリストが犯罪を扱うことに対する重要な分岐点となった<ref name=odnb/><ref name=w&b20/>。
この事件が最初の連続殺人事件というわけではなかったが、最初に世界規模でメディアの熱狂を引き起こしたものであった。
1880年の初等教育法によって、社会的階級に関係なく学校に通うことが義務付けられた<ref name=odnb>[[:en:Richard Davenport-Hines|Davenport-Hines, Richard]] (2004). [http://www.oxforddnb.com/view/article/38744 "Jack the Ripper (fl. 1888)"], ''Oxford Dictionary of National Biography''. Oxford University Press. Subscription required for online version.</ref><ref name=w&b20>Woods and Baddeley, pp. 20, 52</ref>。これにより、1888年にはイングランドとウェールズの労働者階級の多くの識字率が高まった<ref>{{cite web|url=http://www.educationengland.org.uk/history/chapter06.html |title=Education in England: A History |publisher=educationengland.org.uk |date=1 June 1998 |access-date=14 September 2020}}</ref>。

1850年代の税制改革によって安価で発行部数の多い新聞が社会に登場するようになった<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 208</ref>。ヴィクトリア朝後期には、半ペニー程度の大量発行の新聞や、『イラストレイテッド・ポリス・ニュース』などの人気雑誌が登場し、切り裂きジャック事件を取り上げた記事はかつてないほどの宣伝効果を生み出した<ref>Curtis, L. Perry, Jr. (2001). ''Jack the Ripper and the London Press''. Yale University Press. {{ISBN|0-300-08872-8}}</ref>。
この結果、事件捜査の最盛期には、ホワイトチャペル殺人事件を大きく取り上げた新聞が1日で100万部以上<ref>{{cite web|url=https://www.psychologytoday.com/gb/blog/wicked-deeds/201401/jack-the-ripper-identified |title=Jack the Ripper |publisher=psychologytoday.com |date=27 January 2004 |access-date=23 January 2020}}</ref>売れたというが<ref>{{cite news|title=Murderers Who Haunt the Screen|url=https://www.borehamwoodtimes.co.uk/news/1051836.murderers-who-haunt-the-screen/|access-date=23 January 2020|work=Borehamwood & Elstree Times|date=30 November 2006}}</ref>、その多くはセンセーショナルで憶測に満ちたものであり、時には虚偽の情報が事実として掲載されているのも少なくなかった<ref>{{cite web|url=https://www.casebook.org/press_reports/star/s880908.html |title= Horror Upon Horror. Whitechapel is Panic-stricken at Another Fiendish Crime. A Fourth Victim of the Maniac |publisher=casebook.org |date=1 January 2010 |access-date=1 June 2020}}</ref>。さらにジャックの正体を推測する記事の中には、地元の外国人差別の噂を仄めかすという形で、ユダヤ人や外国人としているものもあった<ref>{{cite web|url=https://www.casebook.org/ripper_media/book_reviews/non-fiction/cjmorley/149.html |title=John Pizer |publisher=casebook.org |date=1 January 2010 |access-date=1 June 2020}}</ref><ref>{{cite web| url= https://www.nationalgeographic.co.uk/history-and-civilisation/2018/10/who-was-jack-ripper| title= Who Was Jack the Ripper?| author= Ignacio Peyro| website= nationalgeographic.co.uk| access-date= 1 June 2020}}</ref>。

ニコルズ殺しの6日後の9月下旬、マンチェスター・ガーディアン紙はこう報じた。「警察はどんなに情報を持っていようとも秘密にする必要があると考えている(中略)特に彼らの注目が向けられているのが(中略)「レザー・エプロン」と知られている悪名高き人物である」<ref>''Manchester Guardian'', {{Nowrap|6 September}} 1888, quoted in Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 98</ref>。
記者たちは詳細な捜査状況を公開しようとしないCIDに不満を持ち、信憑性が疑わしい記事を書くことにした<ref name=odnb/><ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 214</ref>。
「レザー・エプロン」に関しては想像力に富んだものが報道されることとなったが<ref>e.g. ''Manchester Guardian'', {{Nowrap|10 September}} 1888, and ''Austin Statesman'', {{Nowrap|5 September}} 1888, quoted in Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', pp. 98–99; ''The Star'', {{Nowrap|5 September}} 1888, quoted in Evans and Rumbelow, p. 80</ref>、ライバル紙の記者たちからは「記者の空想の産物」と一蹴された<ref>''Leytonstone Express and Independent'', {{Nowrap|8 September}} 1888, quoted in Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 99</ref>。
地元の革靴職人のユダヤ人であったジョン・パイザーは「レザー・エプロン」の名で知られており<ref name=pizer>e.g. Marriott, Trevor, p. 251; Rumbelow, p. 49</ref>、捜査官が「今のところ証拠は何もない」と報告したにも関わらず、彼は逮捕された<ref>Report by Inspector Joseph Helson, CID 'J' Division, in the Metropolitan Police archive, MEPO 3/140 ff. 235–8, quoted in Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 99 and Evans and Skinner, ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook'', p. 24</ref>。
パイザーのアリバイは確認され、すぐに釈放された<ref name=pizer/>。

「親愛なるボスへ」の手紙が公開された後、「レザー・エプロン」の名は「切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)」にとって代わり、犯人を指すためのメディアや一般市民が用いる名前となった<ref>Evans and Skinner, ''Jack the Ripper: Letters from Hell'', pp. 13, 86; Fido, p. 7</ref>。
「ジャック」という名は、既に別のロンドンの伝説的な殺人鬼である「[[バネ足ジャック]]」にも使われており、彼は壁を飛び越えて人を襲い、誰かくればすぐに逃げ出すというものであった<ref>[[:en:Peter Ackroyd|Ackroyd, Peter]], "Introduction", in Werner, p. 10; Rivett and Whitehead, p. 11</ref>。
「[[ニューオーリンズの斧男]](the Axeman of New Orleans)」「[[ボストン絞殺魔事件|ボストンの絞殺魔]](Boston Strangler)」「{{仮リンク|ワシントンDC連続無差別狙撃殺人事件|label=ベルトウェイのスナイパー|en|D.C. sniper attacks}}(Beltway Sniper)」など、特定の殺人者にニックネームをつけることはメディアの常套手段となった。切り裂きジャックから派生したものもあり、「{{仮リンク|ジョゼフ・ヴァシェ|label=フランスの切り裂き魔|en|Joseph Vacher}}(French Ripper)」<ref>Rumbelow, pp. 249, 303–304</ref>「[[ペーター・キュルテン|デュッセルドルフの切り裂き魔]](Düsseldorf Ripper)」<ref>Rumbelow, pp.312–330; Woods and Baddeley, pp. 218–222</ref>「{{仮リンク|アンソニー・ハーディ|label=カムデンの切り裂き魔|en|Anthony Hardy}}(Camden Ripper)」<ref>Rumbelow, p.298; Woods and Baddeley, pp. 235–237</ref>「[[ゴードン・カミンズ|灯火管制下の切り裂き魔]](Blackout Ripper)」<ref>Woods and Baggeley, pp. 222–223</ref>「[[ジャック・ザ・ストリッパー]](Jack the Stripper)」<ref>Rumbelow, pp. 305–312; Woods and Baddeley, pp. 223–226</ref>「[[ピーター・サトクリフ|ヨークシャーの切り裂き魔]](Yorkshire Ripper)」<ref>Cook, p. 192; Marriott, Trevor, pp.330 351, Woods and Baddeley, pp. 57–59</ref>「[[アンドレイ・チカチーロ|ロストフの切り裂き魔]](Rostov Ripper)」<ref>Rumbelow, p. 298; Woods and Baddeley, pp. 226–228</ref>などがある。
犯人は捕まらなかったという事実と当時のセンセーショナルな報道の組み合わせは、研究者たちを混乱させ、切り裂きジャックに関する事実性が曖昧な伝説を生み出すことに繋がった<ref>Marriott, John, "The Imaginative Geography of the Whitechapel murders", in Werner, p. 54</ref>。

== 影響 ==
[[File:Jack-the-Ripper-The-Nemesis-of-Neglect-Punch-London-Charivari-cartoon-poem-1888-09-29.jpg|thumb|right|alt=A phantom brandishing a knife floats through a slum street|「怠惰のネメシス(Nemesis of Neglect)」『[[パンチ (雑誌)|パンチ]]』に掲載された風刺画(1888年)。切り裂きジャックをホワイトチャペルを闊歩する幻影かつ、社会的怠慢を体現するものとして描いている。]]

切り裂きジャックの事件の性質と犠牲者たちの貧しい生活は<ref>{{cite news|title=The Whitechapel Murders |date=17 November 1888 |url=https://trove.nla.gov.au/newspaper/article/32713412|publisher=Western Mail |access-date=9 February 2020}}</ref>、イーストエンドの劣悪な生活環境への注目を集め<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', pp. 1–2; Rivett and Whitehead, p. 15</ref>、過密で不衛生なスラムへの対策を求める世論を喚起した<ref>Cook, pp. 139–141; Vaughan, Laura, "Mapping the East End Labyrinth", in Werner, pp. 236–237</ref>。事件後20年の間に劣悪であったスラム街は一掃され、再開発されていったが<ref>Dennis, Richard, "Common Lodgings and 'Furnished Rooms': Housing in 1880s Whitechapel", in Werner, pp. 177–179</ref>、通りや一部の建物は現存しており、殺人現場や事件に関連する場所を巡る様々なガイドツアーによって、今でも切り裂き魔の伝説は語られている<ref>Rumbelow, p. xv; Woods and Baddeley, p. 136</ref>。長年にわたり、コマーシャル・ストリートにあるパブ「テン・ベルズ」(被害者のうち少なくとも1人が常連であった)は、そのようなツアーの中心となっていた<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 19</ref>。

殺人事件の直後から「切り裂きジャックは子供たちを怖がらせるものになった」と言われている<ref>[[:en:Walter Dew|Dew, Walter]] (1938). ''I Caught Crippen''. London: Blackie and Son. p. 126, quoted in Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 198</ref>。
その描写はしばしば幻想的あるいは怪物的であった。1920年代から1930年代の映画に登場したジャックは、一般庶民の外見だが隠された秘密を持ち、無防備な犠牲者を餌食にする男として描写され、また照明効果や影絵によって雰囲気や邪悪さが表現されていた<ref name=bloom/>。1960年代になると、ジャックは「略奪的な貴族社会の象徴」に代わり<ref name=bloom>Bloom, Clive, "Jack the Ripper – A Legacy in Pictures", in Werner, p. 251</ref>、トップハット(シルクハット)を被った紳士という外見で描かれることが多くなった。エスタブリッシュメント全体が悪役となり、ジャックは上流階級による搾取の体現者として機能していた<ref>Woods and Baddeley, p. 150</ref>。
ジャックのイメージは、[[ドラキュラ]]のマントや[[ヴィクター・フランケンシュタイン]]の臓器摘出など、ホラー小説のシンボルと融合したり、借用したりした<ref>Bloom, Clive, "Jack the Ripper – A Legacy in Pictures", in Werner, pp. 252–253</ref>。
切り裂きジャックが登場する創作物の世界は、[[シャーロック・ホームズ]]から日本のエロティック・ホラー(『[[暴行切り裂きジャック]]』)まで、様々なジャンルでみられる<ref>Bloom, Clive, "Jack the Ripper – A Legacy in Pictures", in Werner, pp. 255–260</ref>。

切り裂きジャックは何百ものフィクションや事実に基づいたような創作物に登場し、この中には切り裂きジャックの手紙や、『切り裂きジャックの日記』のようなデマの日記も含まれる<ref>Begg, ''Jack the Ripper: The Definitive History'', p. 299; Marriott, Trevor, pp. 272–277; Rumbelow, pp. 251–253</ref>。
ジャックは、長編小説、短編小説、詩、漫画、ゲーム、歌、演劇、オペラ、テレビ番組、映画などに登場する。100以上のノンフィクション作品が、切り裂きジャックの殺人事件を主題として扱い、最も多くのモチーフとなっている実在の犯罪の一つとなっている。
1970年代には、コリン・ウィルソンが切り裂きジャックを研究する「'''リッパー学'''(ripperology)」という用語を造語し、専門家やアマチュアが研究を行っていることを説明している<ref>Woods and Baddeley, pp. 70, 124</ref><ref>Evans, Stewart P. (April 2003). "Ripperology, A Term Coined By&nbsp;...", ''Ripper Notes'', copies at [https://web.archive.org/web/20080321211934/http://www.rippernotes.com/ripperology-ripperphile.html Wayback] and [http://www.casebook.org/dissertations/rn-walking.html Casebook]</ref>。
こうした研究成果は、定期刊行物である『Ripperana』『Ripperologist』『RipperNotes』に掲載されている<ref>{{citation |first=Heather |last=Creaton |title=Recent Scholarship on Jack the Ripper and the Victorian Media |date=April 2003 |issue=333 |journal=Reviews in History |url=http://www.history.ac.uk/reviews/articles/creatonH.html |access-date=20 June 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20060928185213/http://www.history.ac.uk/reviews/articles/creatonH.html |archive-date=28 September 2006 |url-status=dead }}</ref>。

2015年には、ロンドン東部に「{{仮リンク|切り裂きジャック博物館|en|Jack the Ripper Museum}}」がオープンしたが、小さな抗議があった<ref>{{citation|url=https://www.theguardian.com/uk-news/2015/aug/05/jack-the-ripper-museum-salacious-misogynist-rubbish-london-east-end|title=Jack the Ripper Museum Architect Says He Was 'Duped' Over Change of Plans|date=5 August 2015|journal=The Guardian|author=Khomami, Nadia|access-date=12 August 2015}}</ref>。
[[マダム・タッソー館]]に、かつて存在した「[[恐怖の部屋]]」には、似ているかどうかわからない人物はモデルにしないという方針に基づき、有名な殺人鬼である切り裂きジャックの[[蝋人形]]はなかった<ref>Chapman, Pauline (1984). ''Madame Tussaud's Chamber of Horrors''. London: Constable. p. 96</ref>。
その代わり、彼の影が描かれていた<ref>{{citation|last1=Warwick|first1=Alexandra|title=The Scene of the Crime: Inventing the Serial Killer|journal=Social & Legal Studies|volume=15|issue=4|year=2016|pages=552–569|doi=10.1177/0964663906069547|citeseerx=10.1.1.610.8479|s2cid=146167265}}</ref>。
2006年、BBCヒストリー誌の投票では、史上最悪のイギリス人に切り裂きジャックが選ばれた<ref>[http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/4663280.stm "Jack the Ripper is 'Worst Briton'"], {{Nowrap|31 January}} 2006, BBC, retrieved {{Nowrap|4 December}} 2009</ref><ref>Woods and Baddeley, p. 176</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
=== 出典 ===
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<references/>

== 関連文献 ==
*『ロンドンの恐怖 切り裂きジャックとその時代』-([[仁賀克雄]]著、1985年出版、早川書房)
*『切り裂きジャックの日記』-(シャーリー・ハリソン構成、1994年出版、同期舎出版)
*『切り裂きジャック 闇に消えた殺人鬼の新事実』-([[仁賀克雄]]著、2004年出版、講談社)
*『切り裂きジャック 世紀末殺人鬼は誰だったのか?』-([[コリン・ウィルソン]]、ロビン・オーデル著、2004年出版、徳間書店)
*『切り裂きジャック最終結論』-(スティーブン・ナイト著、2001年出版、成甲書房)
*『切り裂きジャック』-([[パトリシア・コーンウェル]]著、2003年出版、講談社)


== 関連項目 ==
== 参考文献 ==
{{refbegin|40em}}
{{commons|Jack the Ripper|切り裂きジャック}}
* Begg, Paul (2003). ''Jack the Ripper: The Definitive History''. London: Pearson Education. {{ISBN|0-582-50631-X}}
* [[ホワイトチャペル殺人事件]]
* Begg, Paul (2004). ''Jack the Ripper: The Facts''. Barnes & Noble Books. {{ISBN|978-0-760-77121-1}}
* [[快楽殺人]]
* Bell, Neil R. A. (2016). ''Capturing Jack the Ripper: In the Boots of a Bobby in Victorian England''. Stroud: Amberley Publishing. {{ISBN|978-1-445-62162-3}}
* [[バラバラ殺人]]
* Cook, Andrew (2009). ''Jack the Ripper''. Stroud, Gloucestershire: Amberley Publishing. {{ISBN|978-1-84868-327-3}}
* [[バネ足ジャック]]
* Curtis, Lewis Perry (2001). ''Jack The Ripper & The London Press''. Yale University Press. {{ISBN|0-300-08872-8}}
* [[ジャック・ザ・ストリッパー]] - 切り裂きジャックに由来して名づけられた連続殺人犯。
* Eddleston, John J. (2002). ''Jack the Ripper: An Encyclopedia''. London: Metro Books. {{ISBN|1-84358-046-2}}
* [[イプスウィッチ連続殺人事件]] - 現代版切り裂きジャックとも報道された
* Evans, Stewart P.; {{仮リンク|ドナルド・ランベロー|en|Donald Rumbelow}} (2006). ''Jack the Ripper: Scotland Yard Investigates''. Stroud, Gloucestershire: Sutton Publishing. {{ISBN|0-7509-4228-2}}
* [[キングズベリー・ランの屠殺者]]
* Evans, Stewart P.; [[:en:Keith Skinner|Skinner, Keith]] (2000). ''The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook: An Illustrated Encyclopedia''. London: Constable and Robinson. {{ISBN|1-84119-225-2}}
* [[フィレンツェの怪物事件]]
* Evans, Stewart P.; Skinner, Keith (2001). ''Jack the Ripper: Letters from Hell''. Stroud, Gloucestershire: Sutton Publishing. {{ISBN|0-7509-2549-3}}
* [[ゴードン・カミンズ]] - イギリスの連続殺人犯。切り裂きジャックになぞらえて「灯火管制下の切り裂き魔」と称された。
* [[:en:Martin Fido|Fido, Martin]] (1987), ''The Crimes, Detection and Death of Jack the Ripper'', London: Weidenfeld and Nicolson, {{ISBN|0-297-79136-2}}
* [[ピーター・サトクリフ]] - イギリスの連続殺人犯。売春婦を主に狙い、死体を残虐に破壊した手口が似ていることから「ヨークシャー・リッパー(ヨークシャーの切り裂き魔)」と呼ばれた<ref>毛利元貞『犯罪交渉護身術―最強の自己防衛システム』並木書房、2002年、48頁 ISBN 9784890631483</ref>。
* Holmes, Ronald M.; Holmes, Stephen T. (2002). ''Profiling Violent Crimes: An Investigative Tool''. Thousand Oaks, California: Sage Publications, Inc. {{ISBN|0-7619-2594-5}}
* [[ヒンターカイフェック事件]] - 切り裂きジャックと並ぶ未解決事件として有名。
* [[:en:Gordon Honeycombe|Honeycombe, Gordon]] (1982), ''The Murders of the Black Museum: 1870–1970'', London: Bloomsbury Books, {{ISBN|978-0-863-79040-9}}
* Marriott, Trevor (2005). ''Jack the Ripper: The 21st Century Investigation''. London: John Blake. {{ISBN|1-84454-103-7}}
* Meikle, Denis (2002). ''Jack the Ripper: The Murders and the Movies''. Richmond, Surrey: Reynolds and Hearn Ltd. {{ISBN|1-903111-32-3}}
* Rivett, Miriam; Whitehead, Mark (2006). ''Jack the Ripper''. Harpenden, Hertfordshire: Pocket Essentials. {{ISBN|978-1-904048-69-5}}
* Rumbelow, Donald (2004). ''The Complete Jack the Ripper. Fully Revised and Updated''. Penguin Books. {{ISBN|978-0-14-017395-6}}
* [[:en:Philip Sugden (historian)|Sugden, Philip]] (2002). ''The Complete History of Jack the Ripper''. Carroll & Graf Publishers. {{ISBN|0-7867-0276-1}}
* Thurgood, Peter (2013). ''Abberline: The Man Who Hunted Jack the Ripper''. The History Press Ltd. {{ISBN|978-0-752-48810-3}}
* Werner, Alex (editor, 2008). ''Jack the Ripper and the East End''. London: Chatto & Windus. {{ISBN|978-0-7011-8247-2}}
* Whittington-Egan, Richard; Whittington-Egan, Molly (1992). ''The Murder Almanac''. Glasgow: Neil Wilson Publishing. {{ISBN|978-1-897-78404-4}}
* [[コリン・ウィルソン|Wilson, Colin]]; Odell, Robin; Gaute, J. H. H. (1988). ''Jack the Ripper: Summing up and Verdict''. London: Corgi Publishing. {{ISBN|978-0-552-12858-2}}
* Woods, Paul; [[:en:Gavin Baddeley|Baddeley, Gavin]] (2009). ''Saucy Jack: The Elusive Ripper''. Hersham, Surrey: Ian Allan Publishing. {{ISBN|978-0-7110-3410-5}}
{{refend}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Spoken Wikipedia|Jack-the-ripper.ogg|date=5 March 2011}}
* [https://whitechapeljack.com/the-ripper-letters/ The Ripper Letters](英語サイト)
{{Commons category|Jack the Ripper}}
* [https://www.casebook.org/ Casebook:Jack the Ripper] (イギリス語)
{{wikisource author|Jack the Ripper}}
* [http://www.casebook.org Jack the Ripper] at casebook.org
* [https://whitechapeljack.com/ Whitechapel Jack: The 1888 Autumn of Terror]
* [http://www.jack-the-ripper.org/ Home page] of jack-the-ripper.org
* [https://trove.nla.gov.au/newspaper/article/94769173 Contemporary news article] pertaining to the murders committed by Jack the Ripper
* 1988 [http://vault.fbi.gov/Jack%20the%20Ripper centennial investigation] into the murders committed by Jack the Ripper compiled by the [[連邦捜査局|Federal Bureau of Investigation]]
* 2014 [https://www.itv.com/news/london/2014-06-07/experts-pinpoint-the-spot-where-jack-the-ripper-lived/ news article] focusing upon modern [[:en:geographic profiling|geographic profiling]] techniques used to discover the most likely location Jack the Ripper lived
* [http://www.nationalarchives.gov.uk/museum/item.asp?item_id=39 Letters claiming to be from Jack the Ripper] at nationalarchives.gov.uk
* [http://www.britannica.com/EBchecked/topic/298729/Jack-the-Ripper Jack the Ripper] at the ''[[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]''
* Article [http://www.txstate.edu/gii/jacktheripper.html focusing upon the murders committed by Jack the Ripper] published by the [[テキサス州立大学サンマルコス校|Texas State University]]


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2021年6月8日 (火) 15:17時点における版

切り裂きジャック
Jack the Ripper
Drawing of a man with a pulled-up collar and pulled-down hat walking alone on a street watched by a group of well-dressed men behind him
「怪しい人物を発見した自警団」イラストレイテド・ロンドン・ニュースの記事の挿絵(1888年10月13日)。
別名 ホワイトチャペルの殺人鬼
レザー・エプロン
殺人
被害者数 不明(一般に5人)
時期 1888年-1891年?
(1888年:主要な5件)
現場 ホワイトチャペルスピタルフィールズ英語版イギリスロンドンイーストエンド

ジャック・ザ・リッパー(Jack the Ripper)または、その訳で切り裂きジャック(きりさきジャック)とは1888年にイギリスロンドンホワイトチャペルとその周辺で犯行を繰り返した正体不明の連続殺人犯。当時の捜査記録やメディアでは「ホワイトチャペルの殺人鬼(Whitechapel Murderer)」や「レザー・エプロン(Leather Apron、革のエプロン)」とも呼ばれていた。

切り裂きジャックの標的となったのは、ロンドンのイーストエンドのスラム街に住み、客を取っていた娼婦たちであった。被害者たちは喉を切られた後に、腹部も切られていたことが特徴であった。少なくとも3人の犠牲者からは内臓が取り出されていたことから、犯人は解剖学外科学の知識があったと考えられている。1888年9月から10月にかけて、これらの事件が同一犯によるものという噂が高まり、メディアやロンドン警視庁スコットランドヤード)には、犯人を名乗る人物からの多数の手紙が届いた。「切り裂きジャック(Jack the Ripper)」という名称は、犯人を名乗る人物が書いた手紙(「親愛なるボスへ英語版」)に載っていたものを、メディアが流布したことに端を発している。この手紙は、世間の注目を浴びて新聞の発行部数を増やすために記者が捏造したものではないかと疑われている。ホワイトチャペル自警団英語版ジョージ・ラスク英語版が受け取った「地獄より」の手紙英語版には犠牲者の1人から採取したとされる保存された人間の腎臓の半分が添付されていた。このような一連の経緯によって世間は「切り裂きジャック」という一人の連続殺人鬼を信じるようになっていったが、その主因は、犯行が非常に残忍なものであったことと、それをメディアが大々的に報道したことによるものであった。

新聞で大々的に報道されたことにより、切り裂きジャックは世界的にほぼ永久的に有名となり、その伝説は確固たるものとなった。当時の警察は1888年から1891年にかけてホワイトチャペルとスピタルフィールズで発生した11件の残忍な連続殺人事件を「ホワイトチャペル殺人事件」として一括りにしていたが、そのすべてを切り裂きジャックによる同一犯の犯行と見なしていたわけではなかった。今日において確実にジャックの犯行とされるものは1888年8月31日から11月9日の間に起きた「カノニカル・ファイブ(canonical five)」と呼ばれる5件、すなわち、メアリー・アン・ニコルズアニー・チャップマンエリザベス・ストライドキャサリン・エドウッズメアリー・ジェーン・ケリーが被害者となったものである。これら殺人事件は未解決のままであり、現代におけるジャックの逸話は歴史研究、民間伝承偽史が混ざりあったものとなっている。

背景

切り裂きジャックによる2名の犠牲者の殺害現場からほど近いホワイトチャペルの簡易宿泊所英語版前にたむろする女子供たち[1]

19世紀半ば、イギリスではアイルランド系移民の流入によってロンドンのイーストエンドを始めとする主要都市の人口が増加した。1882年からはロシアなど東欧や他の地域での迫害(ポグロム)から逃れてきたユダヤ人難民が同じ地域に移民してきた[2]。 イーストエンドにあるホワイトチャペル教区はますます過密状態になり、人口は1888年までに約80,000人に増加した[3]。 これは労働条件や住宅事情の悪化をもたらし、極めて大きな経済的な下層階級が生まれた[4]。 この場所で生まれた子供の55%が5歳を前に亡くなっていた[5]。 強盗、暴力、アルコール依存症は日常茶飯事のことであり[3]、貧困が風土病のように蔓延し、多くの女性たちは日々の生計を立てるために売春をしていた[6]

当時のロンドン警視庁スコットランドヤード)の推計によれば、1888年10月のホワイトチャペルには62の売春宿と1,200人の売春婦が働いており[7]、また233の簡易宿泊所英語版には毎晩約8,500人が寝泊まりし[3]、1泊あたりシングルベッドであれば4ペンス[8]、寮に張られたロープ「リーン・トゥ」(Hang-over)の場合は1人2ペンスであった[9]

ホワイトチャペルの経済問題は、社会的緊張の着実な高まりを伴っていた。1886年から1889年にかけてはデモが頻発し、それに警察が介入して「血の日曜日英語版」のような社会不安を市民にもたらした[10]反ユダヤ主義、犯罪、移民排斥、人種差別、社会的混乱、深刻な貧困などが、世間にホワイトチャペル地区が悪名高い不道徳の巣窟とみなす影響を与えた[11]。 こうした世相の中で、1888年の秋に「切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)」と呼ばれる連続殺人鬼と、彼が起こしたとされる凶悪でグロテスクな殺人事件がメディアを賑わし、上記のようなホワイトチャペルに対する世間の認識を強めた[12]

殺人事件

Victorian map of London marked with seven dots within a few streets of each other
ホワイトチャペルで最初の7件の殺人事件が起きた場所
  • オズボーン・ストリート(中央右)
  • ジョージ・ヤード(中央左)
  • ハンバリー・ストリート(上)
  • バックズ・ロウ(右端)
  • バーナー・ストリート(右下)
  • マイター・スクエア英語版(左下)
  • ドーセット・ストリート(左中)

この時期、イーストエンドでは女性に対する襲撃事件が多発していたため、どこまでの殺人事件が同一人物による犯行かはわからない[13]。 1888年4月3日から1891年2月13日までの間に起きた11件の殺人事件がロンドン警視庁の捜査対象となり、警察記録では「ホワイトチャペル殺人事件」と総称されていた[14][15]。 これら殺人事件をどこまで同一犯によるものと見るべきかは様々な意見があるが、この11件の内5件を「カノニカル・ファイブ(canonical five)」[注釈 1]と呼び、切り裂きジャックによる犯行と強く推測されている[16]。 専門家の多くはジャックの手口の特徴として、喉へ深い切り傷を与えた後、腹部や性器周辺の肉を広範囲にわたって切除して内臓を取り出したり、顔面の肉を徐々に切除することを挙げている[17]

ホワイトチャペル殺人事件の最初の2件

ホワイトチャペル殺人事件の11件の殺人の内、エマ・エリザベス・スミスマーサ・タブラムが被害者となった最初の2件はカノニカル・ファイブには含まれていない[18]

スミスは1888年4月3日午前1時半頃、ホワイトチャペルのオズボーン・ストリートで強盗に遭い、性的暴行を受けた。彼女は顔を殴打され、耳に切り傷を負った[19]。 また、膣に鈍器が挿入され腹膜が破裂していた。翌日、腹膜炎によりロンドンの病院で死亡した[20]。 スミスは2、3人の男性に襲われたと証言し、そのうちの一人は10代だったと述べている[21]。 マスメディアは、後に起こる殺人事件とこの事件を結び付けて報道したが[22]、ほとんどのライターはスミスの事件は切り裂きジャック事件とは無関係であり、一般的なイーストエンドのギャングによるものだとみなしている[14][23][24]

タブラムのケースは、1888年8月7日、ホワイトチャペルのジョージ・ヤードの階段の踊り場で殺害されていた[25]。 彼女は、喉、肺、心臓、肝臓、脾臓、胃、腹部に39もの刺し傷があり、さらに胸と膣もナイフによる刺し傷があった[26]。これらの傷はすべてペンナイフとみられる刃物でつけられており、1つの例外を除いてすべて右利きの者による犯行であった[25]。 また、性的暴行を受けた跡はなかった[27]

この殺人の残虐性と明白な動機の欠如、また場所と日時は、後の切り裂きジャックによる犯行に近く、警察はこの事件をジャックによる犯行と結び付けた[28]。 しかし、タブラムは何度も刺されていはいたが、喉や腹部に対する切り傷は無かったという点で、後の事件とは異なっていた。多くの専門家はこの傷のパターンの違いから、この殺人を切り裂きジャックによる犯行とは見なしていない[29]

カノニカル・ファイブ

切り裂きジャックの犠牲者として挙げられる5人(カノニカル・ファイブ)は、メアリー・アン・ニコルズアニー・チャップマンエリザベス・ストライドキャサリン・エドウッズメアリー・ジェーン・ケリーである[30]

1888年8月31日の金曜日の午前3時40分頃、ホワイトチャペルのバックズ・ロウ(現在のダーワード・ストリート)でメアリー・アン・ニコルズの遺体が発見された。 生きているニコルズが最後に目撃されたのは、遺体発見の約1時間前に、ホワイトチャペル・ロード方面に歩いている彼女を、スピタルフィールズのスロール・ストリートにある共同下宿で寝泊まりしていたエミリー・ホランド夫人が目撃したというものであった[31]。 被害者の喉は2つの深い切り傷で切断されており、そのうちの1つは椎骨までの組織を完全に切断していた[32]。 膣には2回の刺し傷が見られ[33]、下腹部には深くザラザラした傷で一部が裂けており、腸がはみ出していた[34]。 腹部の両側にも同じナイフによっていくつかの切り込みが入っていた。 これらの傷はいずれも下向きに突き刺すようにして負わされていた[35]

ハンバリー・ストリート英語版29番地。アニー・チャップマンと彼女を殺した犯人が、彼女の遺体が発見された庭に向かって歩いていったドアは、物件標識の数字の下にある。

それから約1週間後の9月8日の土曜日の午前6時頃、スピタルフィールズのハンバリー・ストリート29番地の裏庭の出入り口の階段付近で、アニー・チャップマンの遺体が発見された。ニコルズの場合と同様に喉は2つの深い切創があった[36]。 腹部は完全に切り開かれており、胃の一部が左肩の上に置かれ、また切除された皮膚と肉の一部と小腸は右肩の上に置かれていた[37]。 チャップマンの検死では、子宮、膀胱、膣の一部[38]が切除されていることがわかった[39]

チャップマンの死因審問では、エリザベス・ロングが、午前5時半頃[40]にチャップマンが茶色の鹿撃ち帽と暗い色のオーバーコートを着た黒髪の男と一緒にハンバリー・ストリート29番地の外に立っているのを見たと証言した[41]。エリザベスによれば、男はチャップマンに「どう?(Will you?)」と聞き、彼女が「いいわ(Yes)」と答えていたという[42]

エリザベス・ストライドとキャサリン・エドウッズは、9月29日の土曜土から30日の日曜にかけて殺害された。ストライドの遺体は、30日の午前1時頃、ワイトチャペルのバーナー・ストリート(現在のヘンリック・ストリート)の外れにあるダットフィールズ・ヤードで発見された[43]。 首に6インチの切り傷があり、死因は左頸動脈と気管の切断で、そのまま切創は右顎の下で止まっていた[44]。彼女の身体にはそれ以外の損傷がなかったため、これがジャックによるものなのか、または犯行途中で中断したのかは不明である[45]。 後に29日の深夜にバーナー・ストリートの近くでストライドが男と一緒にいるのを見たという複数の目撃証言が警察に寄せられたが[46]、それぞれの証言は異なっていた。ある者は連れの男は色白であったと言い、またある者は色黒だったと言い、別の者はみすぼらしい服を着ていたと言い、しかし、身なりが良かったという証言もあった[47]

マイター・スクエア英語版で発見されたキャサリン・エドウッズの当時の警察による遺体図。

エドウッズの遺体発見は、ストライドの遺体発見の45分後にシティマイター・スクエア英語版で発見された。彼女の喉は切り裂かれ、腹部には深く長いギザギザの裂傷が見られ、腸は彼女の右肩にかけられていた。左の腎臓と子宮の大部分が取り除かれていた上、彼女の顔は鼻の切除、頬の切創、さらにそれぞれのまぶたが4分の1インチと5分の1インチにそれぞれ切り裂かれ、醜い相貌となっていた[48] 。頬には三角形の切り込みがあり、その頂点はエドウッズの目を指していた[49]。また、その後の調査の中で、彼女の衣服の中から右耳の耳介と耳たぶの一部が発見された[50]。 検死した検死医は、これらの切断について「少なくとも5分はかかったとみられる」と見解を述べた[51]

ジョセフ・ラウェンデ英語版という地元のタバコのセールスマンは、殺人事件があったとみられる直前に2人の友人と共に広場を通りかかった際、みすぼらしい外見の白髪の男と一緒にいる、エドウッズと思われる女性を目撃したと証言している[52]。 しかし、ラウェンデの仲間からは同じ目撃情報を得られなかった[52]。 この同夜に起こった2件の殺人は「ダブル・イベント」と呼ばれ、知られるようになった[53][54]

ホワイトチャペルのゴールストン・ストリートにある長屋の入り口にて、午前2時55分にエドウッズの血まみれのエプロンの一部が発見された[55]。このエプロンの真上にあたる壁にはチョークで「The Juwes are The men That Will Not Blamed for nothing.」と書かれていた[56]。 この落書きは後に「ゴールストン・ストリートの落書き」と名付けられ、知られているものである。このメッセージは一連の殺人事件の犯人が特定のユダヤ人もしくはユダヤ人全般であるように読めた。しかし、これは犯人がわざとエプロンを残して書いたものなのか、それとも事件とはまったく関係がないもの(あるいは便乗した愉快犯的なもの)なのかは不明である[57]。 このような落書きはホワイトチャペルではありふれたものであった。ただ、警視総監英語版チャールズ・ウォーレンは、これが反ユダヤ主義者たちの暴動を引き起こすことを懸念し、夜明け前に落書きを消すように命じた[58]

11月9日金曜日の午前10時45分、スピタルフィールズのドーセット・ストリートの外れにあるミラーズ・コート13番地の一室で、この部屋の住人であるメアリー・ジェーン・ケリーの遺体が発見された。彼女の身体は広範囲に渡って損壊され、内臓が取り除かれた状態でベッドの上に横たわっていた。その顔は「見分けがつかないほど切り刻まれて」おり[59]、喉の切創は背骨にまで至り、腹部にはほとんど内臓が残っていなかった[60]。子宮、腎臓、片方の乳房は頭の下に置かれ[61]、その他の臓器はベッドの足元に、腹部と大腿部はベッドサイドテーブルに置かれていた。心臓だけが犯行現場から消えていた[62]

Black and white photograph of an eviscerated human body lying on a bed. The face is mutilated.
1888年11月9日、スピタルフィールズのミラーズコート13番地で発見されたメリー・ジェーン・ケリーの遺体の警察公式写真

カノニカル・ファイブと呼ばれる5つのケースの特徴は、いずれも月末から1週間後の週末あるいはそれに近い日の夜に犯行が行われている[63]。 一連の殺人事件における遺体の損壊はだんだんと酷くなっていった(ストライドの件のみ犯行を中断した可能性がある)[64]。 最初のニコルズはどの臓器も欠損していなかった。 次のチャップマンは子宮と膀胱、膣の一部が摘出されていた。 4番目のエドウッズは子宮と左の腎臓が切除され、顔が切り取られていた。 最後のケリーの遺体は、顔は「四方八方から切り刻まれ」、首元の傷は骨にまで達し、心臓だけがこの犯行現場から持ち去られていた[65]

歴史的に見て、この5つの殺人事件を同一犯による犯行とみて、また他の事件を排除する考えは、当時の記録に由来する[66]。 1894年、ロンドン警視庁の警部補で犯罪捜査局英語版(CID)の捜査主任であったメルヴィル・マクノートン英語版卿は「ホワイトチャペルの殺人鬼の犠牲者は5人だった。そう、5人だけであった(the Whitechapel murderer had 5 victims?& 5 victims only)」という報告書を書いた[67]。 同様に、1888年11月10日に監察医のトマス・ボンド英語版がCIDの捜査主任であるロバート・アンダーソンに宛てた手紙の中でも、カノニカル・ファイブの件は共通的なものと言及されていた[68]

研究者の中には、これら事件の何件かは間違いなく同一犯だが、一部はこの犯人とは無関係の別の殺人犯によるものと主張する者もいる[69]。 スチュワート・エヴァンス(Stewart P. Evans)とドナルド・ランベロー英語版は、カノニカル・ファイブは「切り裂きジャック神話(俗説)」であり、3つの事件(ニコルズ、チャップマン、エドウッズ)は同一犯と断定できるが、ストライドとケリーは同じ犯人によるものか確証がないと指摘している[70]。 逆にカノニカル・ファイブにタブラムの件を加えた6件を同一犯とみなしている者もいる[17]。 病理医ジョージ・バグスター・フィリップス英語版の助手であるパーシー・クラーク医師は、殺人事件のうち同一犯は3件だけであり、それ以外は「心神耗弱者による模倣犯罪」だと指摘している[71]。 マクノートン卿が捜査に加わったのは事件の翌年であり、彼の記録には容疑者についての重大な事実誤認が含まれている[72]

ホワイトチャペル殺人事件の最後の4件

一般的にはケリーの事件が切り裂きジャックの最後の犯行と考えられており、犯人の死亡や投獄、収容、あるいは移住などによって一連の犯行が終結したと見なされている[23]。 しかし、ホワイトチャペル殺人事件としては、カノニカル・ファイブ以降に起こった4件の殺人事件もまた詳細に記録に残されている。これはローズ・マイレット、アリス・マッケンジー、ピンチン・ストリートの胴体(トルソー)、フランシス・コールズの4件である[25][73]

1888年12月20日、ポプラのハイ・ストリートにあるクラークズ・ヤードで[74]、26歳のローズ・マイレット(Rose Mylett)の絞殺死体が発見された[75]。争った形跡はなく、警察は彼女が酔った勢いで誤って首輪で首を吊ってしまった事故か、自殺のどちらかと推定した[76]。 しかし、首の側面に紐で絞められた跡がかすかに残っていたことから、彼女は何者かに首を絞められた可能性が浮上した[77][78]。 死因審問において陪審員は殺人の評決を下した[76]

アリス・マッケンジー(Alice McKenzie)は1889年7月17日の真夜中過ぎにホワイトチャペルのキャッスル・アリーで殺害された。彼女の首には2つの刺し傷があり、左頸動脈が切られていた。また、その体にはいくつかの軽い打撲傷や切り傷もあり、左胸からへそにかけて7インチの長く浅い傷があった[79]。 検死を担当した病理学者のトマス・ボンドはこれを切り裂きジャックの犯行と推定したが、過去3件の検死を担当していた同僚のジョージ・バグスター・フィリップスは、この見解を否定した[80]。 著述家の間でもマッケンジーの殺害犯が捜査の目から自分を逸らすために切り裂きジャックの仕業に見せかけたという意見と[81]、これも切り裂きジャックの犯行だとする意見に分かれている[82]

「ピンチン・ストリートの胴体(トルソー)」(The Pinchin Street torso)と呼ばれる身元不明の女性遺体がピンチン・ストリートの鉄道橋の下で発見されたのは1889年9月10日のことであった。これは頭と脚がない腐乱死体で年齢は30歳から40歳と推定された[83]。 被害者の背中、腰、腕といった広範囲に死の直前に激しい殴打を受けたことを示す痣が見られた。腹部も大きく切り刻まれていたが、性器には損傷が見られなかった[84]。 被害者は死体発見の約1日前に殺害されたとみられ[85]、バラバラにされた遺体は、古いシュミーズの下に隠して鉄道橋に運ばれたと推測されている[86]

フランシス・コールズは1891年2月13日、ホワイトチャペルの鉄道橋の下で喉を切られた状態で発見された[87]

1891年2月13日午前2時15分、アーネスト・トンプソン刑事は、ホワイトチャペルのスワロー・ガーデンズの鉄道橋の下でフランシス・コールズ(Frances Coles)という25歳の売春婦が倒れているのを発見した。 彼女の喉は深く切られていたが、身体には傷がなく、これは犯人がトンプソンに気づいて犯行途中で逃げたという意見もある。発見時、彼女はまだ息があったが、治療を受ける前に亡くなった[88]。 53歳の機関車の機関員ジェームス・トマス・サドラー英語版が、コールズと一緒に飲んでいるところを目撃されており、彼女の死の約3時間前に二人が口論していたことが判明していた。このため、サドラーは逮捕され、コールズ殺害の容疑で起訴された。一時は彼が切り裂きジャックだと思われたが[89]、結局は、証拠不十分で1891年3月3日に釈放された[89]

その他の被害者とみなされているケース

ホワイトチャペルで起こった11件の殺人事件に加えて、論評家によって切り裂きジャックに関連付けられた他の襲撃事件もある。「フェアリー・フェイ(Fairy Fay)」のケースの場合、この事件が実際にあったものなのか、ジャックの伝説として創作されたものなのか不明である[90] この事件は1887年12月26日[91]にコマーシャル・ロード近くの戸口で「腹部に杭が突き刺さった」女性の死体が見つかったとされるもので[92][93]、被害者は身元不明のため、フェアリー・フェイと名付けられた[94]。ところが、1887年のクリスマス前後にホワイトチャペルで記録された殺人事件はなかった[95]。この事件は、鈍器が膣に突き刺されていたエマ・エリザベス・スミスの一件の報道と混同されて生まれたものと推測されており[96]、今日においてはフェアリー・フェイは実在しないという識者たちの見解で一致している[90][94]

アニー・ミルウッド(Annie Millwood)という名の38歳の未亡人は、1888年2月25日[97]に脚と下腹部に多数の刺し傷を負ってホワイトチャペルのワークハウス診療所に運び込まれ、見知らぬ男に留め金式ナイフで襲われたと職員に告げた[98]。その後、彼女は退院したが3月31日に自然死している[94]。 ミルウッドの事件は、後に最初の切り裂き魔の犯行と仮定されたが、実際のところ明確な関連性を示すものはない[99]

また、カノニカル・ファイブ以前のもので他にも切り裂きジャックの犯行として疑われているものとして1888年3月28日にボウの自宅の玄関先で、留め金式ナイフ[100]で首を2回刺されるも一命を取り留めた若い女性服飾家[101]のエイダ・ウィルソン(Ada Wilson)の一件がある[102]。 さらに他の例として1888年11月21日に、マーサ・タブラムと同じ下宿に住んでいた[103]アニー・ファーマー(Annie Farmer)が襲われた一件があり、これも切り裂きジャックの犯行と疑われているものである。彼女は喉を切られており、2人の目撃者によればファーマーの悲鳴の直前に口と手に血が付いた見知らぬ男が下宿から飛び出し、「彼女のやったことを見ろ!」と叫んでいたという[104]。ただ、この彼女の一件は、おそらく彼女自身の自傷行為と疑われている[105]

1888年10月2日、ホワイトホールに建設中のスコットランドヤードの新庁舎の土地から頭のない女性の胴体が発見され、「ホワイトホール・ミステリー英語版」と呼ばれる事件があった。遺体の腕と肩は9月11日にピムリコ近くのテムズ川に浮かんでいるのが発見されていたが、その後、10月17日には胴体の発見場所近くで左足が埋められているのも発見された[106]。 頭部や他の手足は見つからず、遺体の身元も不明のままに終わった。これは脚と頭部が切断され、腕はそのままであった「ピンチン・ストリートの胴体」事件と類似していた(ただし、ピンチン・ストリートの場合は腕は切断されていなかった)[107]

Drawing of three men discovering the torso of a woman
1888年10月の「ホワイトホール・ミステリー英語版

「ホワイトホール・ミステリー」は「ピンチン・ストリートの胴体(トルソー)」と共に「トルソー・キラー英語版」と呼ばれる単独の連続殺人鬼によって行われた「テムズ・ミステリー」と呼ばれる一連の殺人事件の一部であった可能性がある[108]。切り裂きジャックとトルソー・キラーが同一人物なのか、たまたま同じ地域で活動していただけの別人物なのかは議論の余地がある[108]。 トルソー・キラーの「手口」は切り裂きジャックとは明らかに異なり、当時の警察は両者の関係性を否定していた[109]。 この連続殺人事件は4件が同一犯と推定されているが、被害者の身元が判明したのはエリザベス・ジャクソン1人だけである。彼女はチェルシー出身の24歳の売春婦で、1889年5月31日から6月25日までの3週間の間にテムズ川で、様々な身体の部位が発見された[110][111]

1888年12月29日、ブラッドフォード州マニンガムの馬小屋で、ジョン・ギル(John Gill)という7歳の少年の遺体が発見された[112]。 少年は12月27日から行方不明になっており、遺体は足が切断され、開腹及び腸の一部と心臓が抜き取られ、片耳も切除されていた。その犯行の類似性から、メディアでは切り裂きジャックによる犯行ではないかと憶測に基づく報道がなされた[113]。 少年の雇い主であった23歳の牛乳配達人ウィリアム・バレット(William Barrett)は、殺人容疑で2度逮捕されたものの、証拠不十分で釈放された[113]。この事件では誰も起訴はされなかった[113]

1891年4月24日にニューヨークにおいて、キャリー・ブラウン英語版という女性が衣服で首を絞められた後、ナイフで切り刻まれ殺された。彼女の遺体は鼠径部を通して大きな裂傷と足や背中の表面に切り傷がある状態で発見された[114]。 現場から臓器は持ち去られてはいなかったが、ベッドの上に卵巣があり、これは意図的に摘出されたのか、意図せず傷口より出てきてしまったのか不明である[114]。 当時、この事件はホワイトチャペルで起きた事件と比較されたが、警視庁は最終的にいかなる関係も無いと否定した[114]

捜査

Sketch of a whiskered man
フレデリック・アバーライン捜査官

ホワイトチャペル殺人事件に関するロンドン警視庁の捜査記録の大半は、第二次世界大戦のロンドン大空襲によって失われた[115]。現存する記録ではヴィクトリア朝時代に行われた捜査方法を詳細に知ることができる[116]。 大規模な捜査チームが組織されてホワイトチャペル中の家々への聞き取り調査が行われ、また、法医学的証拠の採取や調査も行われた。容疑者の特定や追跡の上、さらに詳しく調べられたり、あるいは捜査対象から外されたりした。これは現代の警察の捜査でも同じである[116]。 2000人以上が事情聴取され、「300人以上」が捜査線上に上がり、80人が拘束された[117]。 ストライドとエドウッズの事件後には、市警本部長のジェームズ・フレイザー卿が、切り裂きジャックを逮捕した場合、賞金500ポンドを出すことを公示した[118]

捜査は当初、エドモンド・リード英語版警部が率いる警視庁ホワイトチャペル支部の犯罪捜査局(Criminal Investigation Department、CID)が担当した。ニコルズ殺しの後にはスコットランドヤード中央局から、フレデリック・アバーラインヘンリー・ムーアウォルター・アンドリューズ英語版の各警部が派遣された。シティで起こったエドウッズ殺しの後は、ジェームズ・マクウィリアム(James McWilliam)警部の指揮下で、ロンドン市警も捜査にあたった[119]。 捜査全体の方針は、チャップマン、ストライド、エドウッズ殺しがあった9月7日から10月6日の間に、CIDの捜査主任ロバート・アンダーソンが、スイスで休暇中であったために、決められなかった[120]。 このため、警視総監チャールズ・ウォーレン卿は、ロンドン警視庁からの捜査の調整役として、ドナルド・スワンソン英語版主任警部を任命した[121]

Drawing of a blind-folded policeman with arms outstretched in the midst of a bunch of ragamuffin ruffians
「Blind man's buff(目隠し鬼)」『パンチ』に掲載されたジョン・テニエルによる無能な警察に対する風刺画(1888年9月22日)。犯人を逮捕できなかったことは急進派が抱いていた警察が無能で管理不足という認識を強めた[122]

肉屋や屠殺業者、あるいは外科医や内科医が疑われたのは、遺体の切断方法からであった。市警本部長代理のヘンリー・スミス少佐が残した記録によれば、地元の肉屋と屠殺業者のアリバイを調べたが、結果として彼らは捜査対象から外されることになったという[123]。 スワンソン警部が内務省に提出した報告書によれば、76軒の肉屋と屠殺業者を訪問し、過去6ヵ月間の全従業員を調査したことが確認されている[124]ヴィクトリア女王をはじめとする当時の著名人の中には、事件のパターンから、犯人は肉屋もしくはロンドンとヨーロッパ大陸を往来する家畜運搬船の仲買人ではないかと推測する者もいた。ホワイトチャペルはロンドンドックに近く[125]、そうした船は木曜か金曜に停泊し、土日に出航するのが一般的であった[126]。 船の運航記録が調査されたが、殺人事件の日付と一致するものは一隻もなく、また、乗員が船を乗り換えている可能性も否定された[127]

当時の矛盾や信頼性の低い証言に加えて、例えば現存する手紙のDNA鑑定から結論が出ていないように、犯人を特定する試みは、法医学的な証拠の欠如によってできていない[128]。入手可能な証拠物は何度も調査がなされたがゆえに汚染されており[129]、意味のある結果が得られる状態にない[130]。DNA鑑定の結果が2人の異なる容疑者を決定的に示しているという矛盾した結論もあり、両者の調査方法も批判されている[131]

ホワイトチャペル自警団

1888年9月、ロンドンのイーストエンドの市民有志のグループが「ホワイトチャペル自警団英語版」を結成した。彼らは不審な人物を探して通りのパトロールを行ったが、これは警察が犯人を逮捕できなかったことへの不満や、殺人事件が地域のビジネスに影響を与えていることを懸念したことも理由の一つであった[132]。自警団は犯人逮捕につながる情報に対して50ポンドの報奨金を出すよう政府に請願し[133]、また私立探偵を雇って独自に目撃者への質問も行っていた[134]

プロファイリング

10月末、ロバート・アンダーソンは監察医のトマス・ボンドに、犯人の外科技術や知識の程度について意見を求めた[135]。ここでボンドが報告したホワイトチャペルの殺人者に関する私見は、現存する最古のプロファイリングである[136]。ボンドの推測はカノニカル・ファイブの内、彼自身が行なった最も広範囲に切創が見られた5件目の被害者の検死記録と、それ以前に起こった4件の検死記録に基づく[68]

この5つの殺人事件はすべて同一犯によるものであろう。最初の4つの事件では、喉を左から右に切られており、直近の事件では広範囲にわたる切創のためにどれが致命傷となったものかはわからないが、動脈からの血液は彼女の頭があったであろう場所の近くの壁に飛び散っていたことがわかる。

以上の事件現場の状況から、女性は殺害時に横になっていたに違いなく、どの場合も最初に喉を切られたと推測される[68]

ボンドは、殺人者が様々科学に基づく解剖知識を持つ者、あるいは「肉屋ないし馬の屠殺技術」を持つ者という可能性すらも強く反対を示した[68]。彼は殺人者は「殺人的で性的な躁病の周期的な発作」に見舞われており、身体を切除する特徴は「サティリアジス」を示している可能性があると意見を述べた[68]。ボンドはまた「殺人衝動は復讐心や陰鬱な精神状態から発展したものかもしれないし、宗教的な躁病が元々の病気だった可能性もあるが、私はどちらの仮説もありえないと思う」と述べている[68]

犯人が被害者と性行為に及んだという証拠はいずれの場合もないが[17][137]、心理学者の推測ではナイフで被害者を傷つけ「傷口が露出した性的貶めるような体位で放置した」ことは、攻撃に性的興奮を感じていたのではないかとしている[17][138]。しかし、このような仮説を否定する見解もある[139]

容疑者たち

Cartoon of a man holding a bloody knife looking contemptuously at a display of half-a-dozen supposed and dissimilar likenesses
切り裂きジャックの正体に関する憶測。1889年9月21日発行の『パック英語版』誌の表紙。トム・メリー英語版作。

犯行は週末または祝日に集中し、また狭い範囲で行われていることから、切り裂きジャックは定職についていた地元の人間ではないかと一般に推測されている[140]。 その一方で、教育を受けた上流階級の男、おそらく医者か貴族で、より裕福な地域からホワイトチャペルにやってきて、犯行に及んでいたのではないかとする説もある[141]。 後者の説の背景には、医療従事者への恐怖心、近代科学への不信感、富裕層による貧困層の搾取といった文化的な認識があった[142]。 事件から数年後に提起された容疑者の中には、当時の資料から事件に関与していると思われる人物や、イギリス王室関係者[143]、芸術家、医者など、警察の捜査では対象外であった多くの著名人が含まれていた[144]。 当時の人々は既に亡くなっているため、現代の著述家は犯人が誰であっても「歴史的な裏付けを必要とせず」犯人候補として挙げることができる[145]。 当時の警察の捜査記録において名指しされている容疑者の中には、1894年のメルヴィル・マクノートン卿のメモにある3人(ドルイット、コスミンスキー、オスログ)も含まれているが、これらの人物を犯人とする根拠は、せいぜい状況証拠でしかない[146]

切り裂きジャックの正体や職業については様々な説があるが、当局が認めたものは何もなく、名前が挙がった容疑者の数は100人以上に達する[147][148]。 この事件に対する興味は現代にもなお続いているにも拘わらず、ジャックの正体は不明のままである[149]。 切り裂きジャックの事件を研究・分析する「リッパー学(ripperology)」という言葉すら生まれ、この殺人事件は数多くの創作物にも影響を与えている。

犯人を名乗る者からの手紙

ホワイトチャペル殺人事件が起こっている間、警察や新聞社、その他の個人宛てなどで、何百通もの手紙が送られてきた[150]。 犯人を名乗る者以外にも、犯人を捕まえるためのアドバイスなど善意からのものもあったが、大半はデマであったり、役に立たないものばかりであった[151]

犯人自身が書いたと主張する数百通の手紙の中で[152]、特に注目されるのが「親愛なるボスへ(Dear Boss)」の手紙英語版「生意気なジャッキー(Saucy Jacky)」のはがき英語版「地獄より(From Hell)」の手紙英語版の3つである[153]

今日に「親愛なるボスへ(Dear Boss)」と知られる手紙は、1888年9月27日の消印が押され、9月25日にセントラル・ニュース・エージェンシーに届き、9月29日にスコットランドヤードに転送された[154]。 当初はいたずらと考えられていたが、手紙の消印の3日後にエドウッズが片方の耳の一部を斜めに切り取られた状態で発見されたことから、手紙にあった「女性[注釈 2]の耳を切り取る」という予告が注目されるようになった[155]。 ただ、彼女の耳の傷は犯行中に偶発的につけられたものと推測され、耳を警察に送るという手紙の予告は実行されなかった[156]。 「切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)」という名前は、この手紙の主が始めて使ったものであり、以降、この名が世界的に知られるようになった[157]。 その後の当局やメディアに対して送られた手紙の多くは、この文体を真似たものであった[158]。 なお、1888年9月17日付の別の手紙が「切り裂きジャック」という名前を初めて使ったとする資料もあるが[159]、専門家の間では、これは20世紀になって警察の記録に挿入された偽物であるとの見方が強い[160]

Scrawled and misspelled note reading: From hell—Mr Lusk—Sir I send you half the kidne I took from one woman prasarved it for you tother piece I fried and ate it was very nise I may send you the bloody knif that took it out if you only wate a whil longer—Signed Catch me when you can Mishter Lusk
「地獄より」の手紙英語版

「生意気なジャッキー(Saucy Jacky)」のはがきは、1888年10月1日の消印で、同日にセントラル・ニュース・エージェンシーに届いたという。筆跡は「親愛なるボスへ」の手紙と似ており[161]、「今回はダブルイベント」として、9月30日の事件(ストライドとエドウッズ殺し)に言及していた[162]。 このはがきは、事件が公的に発表される前に投函されたものであったため、ただの愉快犯では知りえない情報があったと指摘されている[163]。 しかし、実際には、このはがきの消印は事件の発生から24時間以上経過した後のものであり、殺人事件の詳細はメディアに報道されており、地元ホワイトチャペルの住民たちも、この事件について話し合っていた後のものであった[162][164]

「地獄より(From Hell)」の手紙は、1888年10月16日にホワイトチャペル自警団のリーダーであるジョージ・ラスク英語版が受け取ったものであった。この手紙は「親愛なるボスへ」や「生意気なジャッキー」とは筆跡や文体が異なる[165]。 この手紙には小さな箱が伴われており、中を確認したラスクは、「ワインの蒸留酒」(エタノール)で保存された人間の腎臓の半分を発見した[165]。 被害者たちの中でエドウッズは左の腎臓が犯人によって持ち去られていた。手紙の主は、持ち去った腎臓の半分は「揚げて食べた」と述べていた。この腎臓をめぐっては意見が分かれている。 これが実際にエドウッズのものと主張する者もいれば、不気味な悪ふざけだと見なす者もいる[166][167]。 腎臓はロンドン病院のトーマス・オープンショー英語版医師によって検査され、人間のものであり、左の腎臓だと判断されたが、(新聞の誤った報道に反して)他の生物学的特徴は特定できなかった[168]。 その後、オープンショー医師は切り裂きジャックを名乗る者からの手紙を受け取っている[169]

ロンドン警視庁は10月3日に「親愛なるボスへ」の手紙を複製したものを公開し、その筆跡から有力情報の提供が得られることを期待した[170]。 チャールズ・ウォーレンは、内務省の常任次官であるゴッドフリー・ルシントン英語版への手紙の中で「私はすべてデマだと思っているが、当然のことだが、いずれにしても作者を見つけだす必要がある」と説明していた[171]。 1888年10月7日、日曜紙「レフェリー」のジョージ・R・シムズ英語版は、この手紙は「新聞の発行部数を大きく増やすために」記者が捏造したものだと痛烈に批判した[172]。 後に警察当局は、「親愛なるボスへ」と「生意気なジャッキー」の作成者は、特定の記者だと発表した[173]。 1913年9月23日、ジョン・リトルチャイルド英語版主任警部がジョージ・R・シムズに宛てた手紙の中で捏造を行った記者はトム・ブーリンと特定されていた[174]。 また、1931年にフレッド・ベストという記者がスター紙の同僚と共に、事件への関心を高め、「ビジネスを継続するため」に切り裂きジャックと署名した手紙を書いたと告白している[175]

メディア

1888年9月8日付のペニー・イラストレイテッド・ペーパー英語版の挿絵。メアリー・アン・ニコルズの遺体が発見されたことが描かれている。

切り裂きジャック事件は、ジャーナリストが犯罪を扱うことに対する重要な分岐点となった[23][176]。 この事件が最初の連続殺人事件というわけではなかったが、最初に世界規模でメディアの熱狂を引き起こしたものであった。 1880年の初等教育法によって、社会的階級に関係なく学校に通うことが義務付けられた[23][176]。これにより、1888年にはイングランドとウェールズの労働者階級の多くの識字率が高まった[177]

1850年代の税制改革によって安価で発行部数の多い新聞が社会に登場するようになった[178]。ヴィクトリア朝後期には、半ペニー程度の大量発行の新聞や、『イラストレイテッド・ポリス・ニュース』などの人気雑誌が登場し、切り裂きジャック事件を取り上げた記事はかつてないほどの宣伝効果を生み出した[179]。 この結果、事件捜査の最盛期には、ホワイトチャペル殺人事件を大きく取り上げた新聞が1日で100万部以上[180]売れたというが[181]、その多くはセンセーショナルで憶測に満ちたものであり、時には虚偽の情報が事実として掲載されているのも少なくなかった[182]。さらにジャックの正体を推測する記事の中には、地元の外国人差別の噂を仄めかすという形で、ユダヤ人や外国人としているものもあった[183][184]

ニコルズ殺しの6日後の9月下旬、マンチェスター・ガーディアン紙はこう報じた。「警察はどんなに情報を持っていようとも秘密にする必要があると考えている(中略)特に彼らの注目が向けられているのが(中略)「レザー・エプロン」と知られている悪名高き人物である」[185]。 記者たちは詳細な捜査状況を公開しようとしないCIDに不満を持ち、信憑性が疑わしい記事を書くことにした[23][186]。 「レザー・エプロン」に関しては想像力に富んだものが報道されることとなったが[187]、ライバル紙の記者たちからは「記者の空想の産物」と一蹴された[188]。 地元の革靴職人のユダヤ人であったジョン・パイザーは「レザー・エプロン」の名で知られており[189]、捜査官が「今のところ証拠は何もない」と報告したにも関わらず、彼は逮捕された[190]。 パイザーのアリバイは確認され、すぐに釈放された[189]

「親愛なるボスへ」の手紙が公開された後、「レザー・エプロン」の名は「切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)」にとって代わり、犯人を指すためのメディアや一般市民が用いる名前となった[191]。 「ジャック」という名は、既に別のロンドンの伝説的な殺人鬼である「バネ足ジャック」にも使われており、彼は壁を飛び越えて人を襲い、誰かくればすぐに逃げ出すというものであった[192]。 「ニューオーリンズの斧男(the Axeman of New Orleans)」「ボストンの絞殺魔(Boston Strangler)」「ベルトウェイのスナイパー英語版(Beltway Sniper)」など、特定の殺人者にニックネームをつけることはメディアの常套手段となった。切り裂きジャックから派生したものもあり、「フランスの切り裂き魔英語版(French Ripper)」[193]デュッセルドルフの切り裂き魔(Düsseldorf Ripper)」[194]カムデンの切り裂き魔英語版(Camden Ripper)」[195]灯火管制下の切り裂き魔(Blackout Ripper)」[196]ジャック・ザ・ストリッパー(Jack the Stripper)」[197]ヨークシャーの切り裂き魔(Yorkshire Ripper)」[198]ロストフの切り裂き魔(Rostov Ripper)」[199]などがある。 犯人は捕まらなかったという事実と当時のセンセーショナルな報道の組み合わせは、研究者たちを混乱させ、切り裂きジャックに関する事実性が曖昧な伝説を生み出すことに繋がった[200]

影響

A phantom brandishing a knife floats through a slum street
「怠惰のネメシス(Nemesis of Neglect)」『パンチ』に掲載された風刺画(1888年)。切り裂きジャックをホワイトチャペルを闊歩する幻影かつ、社会的怠慢を体現するものとして描いている。

切り裂きジャックの事件の性質と犠牲者たちの貧しい生活は[201]、イーストエンドの劣悪な生活環境への注目を集め[202]、過密で不衛生なスラムへの対策を求める世論を喚起した[203]。事件後20年の間に劣悪であったスラム街は一掃され、再開発されていったが[204]、通りや一部の建物は現存しており、殺人現場や事件に関連する場所を巡る様々なガイドツアーによって、今でも切り裂き魔の伝説は語られている[205]。長年にわたり、コマーシャル・ストリートにあるパブ「テン・ベルズ」(被害者のうち少なくとも1人が常連であった)は、そのようなツアーの中心となっていた[206]

殺人事件の直後から「切り裂きジャックは子供たちを怖がらせるものになった」と言われている[207]。 その描写はしばしば幻想的あるいは怪物的であった。1920年代から1930年代の映画に登場したジャックは、一般庶民の外見だが隠された秘密を持ち、無防備な犠牲者を餌食にする男として描写され、また照明効果や影絵によって雰囲気や邪悪さが表現されていた[208]。1960年代になると、ジャックは「略奪的な貴族社会の象徴」に代わり[208]、トップハット(シルクハット)を被った紳士という外見で描かれることが多くなった。エスタブリッシュメント全体が悪役となり、ジャックは上流階級による搾取の体現者として機能していた[209]。 ジャックのイメージは、ドラキュラのマントやヴィクター・フランケンシュタインの臓器摘出など、ホラー小説のシンボルと融合したり、借用したりした[210]。 切り裂きジャックが登場する創作物の世界は、シャーロック・ホームズから日本のエロティック・ホラー(『暴行切り裂きジャック』)まで、様々なジャンルでみられる[211]

切り裂きジャックは何百ものフィクションや事実に基づいたような創作物に登場し、この中には切り裂きジャックの手紙や、『切り裂きジャックの日記』のようなデマの日記も含まれる[212]。 ジャックは、長編小説、短編小説、詩、漫画、ゲーム、歌、演劇、オペラ、テレビ番組、映画などに登場する。100以上のノンフィクション作品が、切り裂きジャックの殺人事件を主題として扱い、最も多くのモチーフとなっている実在の犯罪の一つとなっている。 1970年代には、コリン・ウィルソンが切り裂きジャックを研究する「リッパー学(ripperology)」という用語を造語し、専門家やアマチュアが研究を行っていることを説明している[213][214]。 こうした研究成果は、定期刊行物である『Ripperana』『Ripperologist』『RipperNotes』に掲載されている[215]

2015年には、ロンドン東部に「切り裂きジャック博物館英語版」がオープンしたが、小さな抗議があった[216]マダム・タッソー館に、かつて存在した「恐怖の部屋」には、似ているかどうかわからない人物はモデルにしないという方針に基づき、有名な殺人鬼である切り裂きジャックの蝋人形はなかった[217]。 その代わり、彼の影が描かれていた[218]。 2006年、BBCヒストリー誌の投票では、史上最悪のイギリス人に切り裂きジャックが選ばれた[219][220]

脚注

注釈

  1. ^ "canonical"は直訳で「(聖書の)正典」の意味で、今回の場合、一連の殺人事件を聖書に見立て、切り裂きジャックによるものを「正典」、それ以外のものを「外典」や「偽典」とする表現。
  2. ^ 原文は「ladys」でスペルミス。

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