鹿児島市立谷山小学校
表示
鹿児島市立谷山小学校 | |
---|---|
鹿児島市立谷山小学校(2010年7月) | |
北緯31度31分20.4秒 東経130度31分2.9秒 / 北緯31.522333度 東経130.517472度座標: 北緯31度31分20.4秒 東経130度31分2.9秒 / 北緯31.522333度 東経130.517472度 | |
過去の名称 |
立志館 第15郷校 谷山小学校 谿山高等小学校 森山尋常小学校 谷山尋常高等小学校 谷山国民学校 谷山町立谷山小学校 谷山市立谷山小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鹿児島市 |
併合学校 |
谷山女子尋常高等小学校 谿山男子尋常小学校 谷山市立中山小学校平治分校 |
校訓 |
進んで勉強 ゆたかな心 たくましい体 |
設立年月日 | 1869年(明治2年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B146210000300 |
所在地 | 〒891-0141 |
外部リンク | 鹿児島市立谷山小学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
鹿児島市立谷山小学校(かごしましりつ たにやましょうがっこう)は、鹿児島県鹿児島市谷山中央一丁目にある市立小学校。1869年(明治2年)に立志館として創立。
概要
[編集]鹿児島市の南部にある小学校であり、谷山郷(外城)の地頭仮屋跡に所在している。鹿児島市は、小学校の場合は40学級以上を大規模校の基準としていたが[1]、1989年時点でそれを上回る43学級、1,549名の児童が在籍しており、鹿児島市で最も児童数が多い小学校となった[2]。2023年5月1日現在では901名が在籍しており、40学級で構成されている[3]。
現在に至るまで学校分離や統合が複数回行われており、1969年には東谷山小学校が、1978年に西谷山小学校が規模の適正化を目的にそれぞれ分離、新設された。
沿革
[編集]- 1869年(明治2年) - 立志館創立[4]。
- 1872年(明治5年) - 学制が発布され第15郷校創立(平民の入校は1874年まで許可されなかった)[5]
- 1876年(明治9年) - 谷山小学校と改称し正則小学校[注釈 1]となる。同時に女子の入学が許可される[5]。
- 1887年(明治20年) - 谷山小学校を二つに分け、谿山高等小学校及び森山尋常小学校となる[5]。
- 1908年(明治41年) - 女子児童を分立し、谷山女子尋常高等小学校を新設[7]。
- 1912年(大正元年) - 谿山・森山の両小学校を合併し、谿山男子尋常小学校に改称[7]。
- 1918年(大正7年) - 谷山女子尋常高等小学校に女子実業補習校を併設[7]。
- 1927年(昭和2年) - 1918年に設置された併設女子実業補習校を谷山実践女子校に改称[8]。
- 1929年(昭和4年) - 谿山男子尋常高等小学校、谷山女子尋常高等小学校を合併統一し、谷山尋常高等小学校となる[8]。
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令により谷山国民学校と改称[8]。
- 1947年(昭和22年) - 谷山町立谷山小学校に改称[8]。
- 1957年(昭和32年) - 谷山町が市制施行し谷山市となったのに伴い、谷山市立谷山小学校に改称。
- 1966年(昭和41年) - 谷山小学校に中山小学校平治分校を統合[9]。
- 1967年(昭和42年) - 鹿児島市と谷山市が合併し鹿児島市谷山小学校となる[4]。
- 1969年(昭和44年) - 校区の分離で永田川以北が新設の東谷山小学校となる[10]。
- 1978年(昭和53年) - 校区の分離で西谷山小学校[1]が新設される。
- 2019年(令和元年)11月9日 - 谷山小学校創立150周年記念式典・記念祝賀会を開催[11]。
交流
[編集]1955年(昭和30年)より宮崎市立大淀小学校との交流が行われている[12]。
生徒数
[編集]以下の生徒数遷移表は『谷山小学校 創立140周年』の記述の一部より作成[13]。
- 凡例
生徒数(人) |
1929年 | 2,750 | |
1967年 | 2,905 | |
1978年 | 1,705 | |
1989年 | 1,556 | |
2009年 | 1,230 |
関係者
[編集]出身者
[編集]- 迫田さおり(バレーボール選手)
- 西郷輝彦(タレント)
- 吉田拓郎(シンガーソングライター)- 2年まで在籍し、転校。西郷と吉田は同級生。「夏休み」はこの学校に在籍していた時の実体験を元に作られた歌であり、歌詞に登場する「姉さん先生」は当時のクラス担任だった宮崎静子がモデル。2023年8月には小学校西門横に歌碑が建立された[14]。
通学区域
[編集]谷山小学校の通学区域は以下の町丁の区域が指定されている[15]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「正則小学校」は学校の区分を表す[6]。「普通教育小学校変則小学校区別」 (明治13年文部省達第2号)では、小学校のうち、読書・習字・算術・地理・歴史・修身の6教科を具備しないものは変則小学校とし、普通教育小学校と区別された。教育令 (明治13年太政官布告第59号)の第3条は、原則としてその6教科の初歩を普通教育の所定科目としている。
出典
[編集]- ^ a b 『鹿児島市史IV』, p. 855.
- ^ 『鹿児島市史IV』, p. 836.
- ^ “学校紹介”. 鹿児島市立谷山小学校. 2023年10月17日閲覧。
- ^ a b “2.学校の沿革” (PDF). 鹿児島市立谷山小学校. 2016年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月22日閲覧。
- ^ a b c 『谷山市誌』, p. 737.
- ^ 鹿児島県教育委員会「郷校の解消」『鹿児島県教育史――明治以前』(再版)鹿児島県立教育研究所、1963年12月、136頁。doi:10.11501/3043247。「明治五年学制発布、小学校教則発布により、正則小学校の開設が要求されたが、急には正則小学校の開設が困難であったため、従来の小学校・郷校は変則小学校として認定され、施設・教員等内容の充実をはかることとなった」
- ^ a b c 『谷山市誌』, p. 738.
- ^ a b c d 『谷山市誌』, p. 739.
- ^ 『谷山市誌』, p. 741.
- ^ 『鹿児島市史IV』, p. 854.
- ^ 令和元年度11月行事予定(谷山小学校)(2019年12月9日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ “鹿児島市立谷山小学校 創立140周年” (PDF). 鹿児島市立学習情報センター. 2011年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月31日閲覧。
- ^ 『谷山小学校 創立140周年』, p. 2.
- ^ 吉田拓郎さん 名曲「夏休み」の歌碑、母校に建立 「姉さん先生」の長女参加…「天国で喜んでいる」 鹿児島市谷山小『南日本新聞』2023年8月12日配信(新聞紙面には同日付19面に掲載)
- ^ “小中学校の校区表”. 鹿児島市. 2015年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月31日閲覧。
参考文献
[編集]- 谷山市誌編纂委員会 編「第6編 教育文化」『谷山市誌』谷山市、1967年3月。doi:10.11501/3021025。オリジナルの2015年3月9日時点におけるアーカイブ 。
- 南日本新聞社 編「第4編 教育」『鹿児島市史IV』鹿児島市、1990年3月。doi:10.11501/9776265。オリジナルの2015年3月9日時点におけるアーカイブ 。