高滝村
たかたきむら 高滝村 | |
---|---|
高瀧神社(2014年撮影) | |
廃止日 | 1954年1月15日 |
廃止理由 |
新設合併 高滝村、富山村、里見村、白鳥村 → 加茂村 |
現在の自治体 | 市原市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 市原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 16.68 km2 |
総人口 |
3,841人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 市原郡牛久町、鶴舞町、富山村、里見村、君津郡馬来田村 |
高滝村役場 | |
所在地 | 千葉県市原郡高滝村 |
座標 | 北緯35度21分17秒 東経140度09分08秒 / 北緯35.35483度 東経140.15225度座標: 北緯35度21分17秒 東経140度09分08秒 / 北緯35.35483度 東経140.15225度 |
ウィキプロジェクト |
高滝村(たかたきむら)は、かつて千葉県市原郡に存在し、昭和の大合併で廃止された村。現在の市原市南部(加茂地区)に所在していた。
地理
[編集]市原郡(郡域はほぼ現在[注釈 1]の市原市と重なる)の南部に位置する村であった[1]。1916年(大正5年)時点では、北は明治村(のちの牛久町)、東は鶴舞町、南は富山村・里見村、西は君津郡馬来田村と接していた[1]。
1916年(大正5年)に編纂された『千葉県市原郡誌』によれば、高滝(たかたき)・養老(ようろう)・本郷(ほんごう)・大和田(おおわだ)・久保(くぼ)・外部田(とべた)・駒込(こまごめ)・山口(やまぐち)・不入(ふにゅう)の9区(いずれも町村制以前の旧村=大字)からなっていた[2]。これらの9つの大字の名称は、現在の市原市の大字として存続している。
歴史
[編集]高滝村は、1889年(明治22年)の町村制施行にともない市原郡鶴舞村・田尾村・池和田村・矢田村・下矢田村・山小川村が合併して発足した。「前史」節では、そこに至るまでのこの地域の状況を概説する。町村制以前の各村(各大字)の詳細については、それぞれの項目を参照のこと。
前史
[編集]前近代
[編集]江戸時代には「高滝郷」という地名で呼ばれた地域の一部である。「高滝」は養老川上流域を指す広域地名で[3]、鎌倉時代の『沙石集』に見られるのが初見であるという[4](高滝 (市原市)#地名参照)。
近世末期には宮原村・加茂村・小佐貫村・北崎村・本郷村・大和田村・久保村・外部田村・駒込村・山口村・不入村の各村があった。
明治初年から町村制施行まで
[編集]1875年(明治8年)に小佐貫村・北崎村が合併して養老村が発足し[5]、1876年(明治9年)に宮原村・加茂村が合併して高滝村が発足した[6]。
村史
[編集]1889年(明治22年)、町村制施行により、高滝村・養老村・本郷村・大和田村・久保村・外部田村・駒込村・山口村・不入村が合併して「高滝村」が発足した。合併後の新村名については「高滝村」「加茂村」の2案が出て決めかね、郡長の判断を仰ぐ文書も残されているが[7]、合併した諸村のうち高滝村が最も著名であるとの理由で「高滝村」が選ばれた[8][注釈 2]。
1925年(大正14年)、小湊鉄道線の五井駅-里見駅が開通し、高滝駅が開業した(その後、上総久保駅が1933年(昭和8年)に開業)。
1954年(昭和29年)、高滝村は廃止され、富山村・里見村・白鳥村と合併して、加茂村が発足した。
後史
[編集]旧高滝村の村域には高滝ダムがある。このダムは養老川の治水と上水道・農業用水取水のために設けられた千葉県営の多目的ダムで[10]、村の廃止後の1958年にダム候補地の選定が行われ、110戸の家屋移転などを経て、1990年に完成した[10]。
町村制施行以後の行政区画変遷年表
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、高滝村・養老村・本郷村・大和田村・久保村・外部田村・駒込村・山口村・不入村が合併し市原郡高滝村が発足。
- 1954年(昭和29年)1月15日 - 富山村、里見村、白鳥村と合併し加茂村となり消滅。
- 1967年(昭和42年)10月1日 - 加茂村と南総町が市原市に編入。加茂村は消滅。
交通
[編集]鉄道
[編集]人物
[編集]著名な出身者
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『千葉県市原郡誌』, p. 1249.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, pp. 4, 1249.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 1264.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 1263.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 1257.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 1255.
- ^ 『明治22年千葉県町村分合資料 七』, 158コマ.
- ^ 『明治22年千葉県町村分合資料 七』, 153コマ.
- ^ 『明治22年千葉県町村分合資料 七』, 6コマ.
- ^ a b “高滝ダムのおいたち”. 千葉県. 2021年10月5日閲覧。
- ^ 『千葉県市原郡誌』, pp. 1278–1279.
- ^ “鶴岡安宅”. 東金市史(ADEAC所収). 2021年10月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 小沢治郎左衛門『上総国町村誌 第一編』1889年。NDLJP:763698。
- 千葉県市原郡教育会『千葉県市原郡誌』千葉県市原郡、1916年。NDLJP:951002。
- 『明治22年千葉県町村分合資料 七 市原郡町村分合取調』1889年 。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 『千葉県市原郡誌』第二部 町村誌「高滝村」 NDLJP:951002/640
- 千葉県市原郡高滝村 (12B0090007) - 歴史的行政区域データセットβ版