青山忠雄
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶安4年7月22日(1651年9月6日) |
死没 | 貞享2年8月8日(1685年9月6日) |
改名 | 伊勢千代(幼名)、忠親(初名)、忠雄 |
戒名 | 広巌紹濶凌松院 |
墓所 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町の大徳寺芳春院 |
官位 | 従五位下・和泉守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱、綱吉 |
藩 | 遠江浜松藩主 |
氏族 | 青山氏 |
父母 | 青山宗俊、石橋氏 |
兄弟 |
忠丸、忠雄、忠重、貞俊、忠貴、 永井尚長正室 |
妻 | 真田信政娘 |
子 | 忠重 |
青山 忠雄(あおやま ただお)は、江戸時代前期の大名。遠江国浜松藩2代藩主。官位は従五位下・和泉守。青山家宗家12代。
略歴
[編集]慶安4年(1651年)、のちの浜松藩初代藩主(当時は信濃国小諸藩主)青山宗俊の次男として信濃国小諸城で誕生した。
寛文3年(1663年)12月28日に従五位下・和泉守に叙位・任官する。延宝7年(1679年)、父が死去したため家督を継いだ。
貞享2年(1685年)8月8日に死去。享年35。跡を弟で養子の忠重が継いだ。